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ぽかぽか春庭「ナミィと唄えば・バオバブの記憶」

2023-09-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230914
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2023シネマ夏(2)ナミィと唄えば・バオバブの記憶 by 本橋成一

 ドアノーと本橋成一を並べる展示の関連イベントとして、東京写真美術館は「無料映画鑑賞会」を開催。無料大好きの春庭は全9回の映画上映のうち、本橋成一とアニエス・ヴァルダを見ました。
 東中野にある映画館ポレポレが扱う作品に興味を持ってきたのですが、一度もでかけたことはありませんでした。ポレポレというのがスワヒリ語でゆっくりという意味であることは承知していたので、アフリカや第3世界に興味がある人が設立したのだろうとは思っていましたが、本橋成一が設立した映画会社「ポレポレタイムス社」が制作した作品のほか、ユニークな作品を上映しています。そんなに儲かっているとも思えないけれど、本橋作品を無料で公開。

 『ナミィと唄えば』2006 監督本橋成一(ポレポレタイムス社)
 石垣島生まれのナミィは、5歳のとき母を亡くし9歳のときに那覇の遊郭に250円で売られました。いっしょに売られた顔のかわいい女の子は300円で、踊りの仕込みっこになり、ナミィは「顔が悪かったから」三線を仕込まれる。
 1921(大正10)年に生まれ、2017年に97歳まで、三線をひき唄をうたいまくる人生でした。120(百はたち)まで生きて歌うと言っていたナミィでしたが、97歳までの生涯、すばらしい人生だったと思います。亡くなったご亭主の写真に向かって「私はしあわせ」と語りかけ「まだ、あんたのとこへ行く気はないよ」と語りかけていました。映画撮影時には85歳。


 父によって遊郭に売られ、15歳のとき叔父に助け出され、父が働いていたサイパンへ。サイパンでは、本土出身者の家の女中の仕事につく。21歳で恋した男に連れられて台湾へ。台湾へ渡りアルミニュームの工場で働き、従姉妹がいた温泉の料亭に。終戦で引き上げ石垣の料亭で仕事をする。沖縄に出てからはお座敷で三線を弾いて暮らす。2度の結婚を経て長女を出産。料亭などで働きながら山里勇吉・大浜安伴などの八重山民謡の名手たちとも交流を重ねる。
 子供を育て、働きの悪いご亭主に「稼いできたお金を巻き上げられる生活」を続けながらも、唄はナミィの心の支えでした。

 2009年に郷土史家の大田静男(1948~) さんと出会い、タッグを組んでデイケアセンターなどで公演を続けました。太田さんは地元で沖縄史や芸能を研究してきた方。ナミィに「私の恋人」と頼りにされながら各地での公演、浅草での一代記の公演などにもつきそいました。

 ナミィに「けらい」と呼ばれてつきそうのは、ルポルタージュライターの姜信子(1961~)。 「ナミィと唄えば」の原作脚本を担当しました。

 浅草での公演「ナミィ新城浪一代記」を玉川美穂子 の浪曲仕立ての語りにのせてナミィは島唄、歌謡曲、童謡、好きな歌を好きなように唄い、三線をひきます。
 つらいことも悲しいこともいっぱいあった85年の人生だったろうけれど、画面のナミィは元気いっぱいでエネルギーにあふれていました。

 『バオバブの記憶』2009 
本橋成一は、セネガルのバオバブ林を、再訪して見たら一本だけのこして切り倒され、住宅団地が開発されていたのを見ました。一本残された木は住宅団地の名前を「バオバブ団地」とネーミングする看板として残されていたのです。

 監督は、首都ダカールから車で約2時間のトゥーバ・トゥール村を写していく。どの家も大家族、主人公のモードゥの一家は町に働きに出ていてめったに家にはかえらない父と、家を守る妻ふたり。ふたりは仲がいい。ふたりの妻から子どもうじゃうじゃ。30人の大家族。モードゥは父にかわって一家の生活を支える働き手だ。姉たちが通っている学校へ行きたいが、父親の許しが出ません。
 羊を追ったり、バオバブの実や樹皮を収穫したり、樹皮の繊維からは丈夫なロープが作れるし、バオバブの葉っぱは干して粉にし、主食の雑穀ミールにまぜて栄養の足しにする。学校のファトマ先生は学びたいモードゥの気持ちを理解し、欲しがっていたノートをプレゼントします。
 バオバブの木を大切にし、ゆったり流れていく村の暮らし。



 2009年の撮影時から20年近くたって、木たちがどうなっているのか、知りたいです。セネガルで産業が発達したら、バオバブは切り倒されてしまうのではないかと心配です。

 写真家・本橋成一が初めてバオバブを見たのは、今から35年前の1973年、テレビ番組の撮影で訪れた東アフリカのツァボ国立公園で。
 1979年に私とタカ氏がトラックの荷台に乗って訪れたアンボセリ国立公園には、ソーントゥリー(棘の木)の方が多くて、ツァボ国立公園は夜行列車で通り抜けただけだったので、バオバブはあまり見ていない。 
 日本では「星の王子さま」に登場する木としてバオバブは有名になりました。
 もう一度ケニアのサバンナへ行きたいなあ。バオバブの木にもソーントゥリーにも会いたいなあ。ナイロビにはビルが増えているでしょうが、サバンナの景色は変わっていないと信じています。

<つづく>
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