
20231021
ぽかぽか春庭アート散歩<2023アート散歩写真を見るつづき(1)覗き見るまなざしの系譜」展 in 写真美術館
写真展のほか、ときどき今回のような「写真史研究」の展示も行う写真美術館。とってもおベンキョになります。写真がどのように発展してきたか、動画映像がどのように生まれてきたか、知らなくても写真を楽しめるし、動画を面白がれる。でも、私のような素人でも写真史動画史の発展の歴史を知ると、新しい表現に一生をかけた人々の苦闘を知ることで、表現することに取り組んだ人々に感謝したくなる。むろん「見世物」として写真や動画に取り組んだ人は、いかにして大勢の客を集め、いかにして興行として成功させて木戸銭を稼ぐか、という一心で日々苦心を重ねたのかもしれない。ただ、私はそうやって取り組んだ人がいた、という事実を知るだけでうれしいし、人間がますます好きになる。
会期:2023.7.19(水)—10.15(日)
写真美術館口上(長いですが、全文引用)
本展では、東京都写真美術館が所蔵する、映像史・写真史に関わる豊富な作品と資料を中心に、「覗き見る」ことを可能にした装置と、それによって作り出されたイメージ、そして「覗き見る」ことからイマジネーションを広げた、作家たちの多様な表現をご紹介します。
写真や映像を撮影する装置として発明されたカメラは、同時に覗き見る装置でもあるといえます。カメラの原型となったカメラ・オブスクラは、外界の景色を写し取るため、真っ暗な箱の一方の壁にピンホールを開けた装置で、その後ピンホールはレンズに代わり、箱は小型化され、携帯可能なサイズとなっていきます。このカメラ・オブスクラを反転させた構造を持ち、レンズ越しに絵を覗いて鑑賞する視覚装置がかつて存在しました。それらはピープショーと総称され、様々な形態が考案され、興行としても成立していきます。
覗き見る装置のヴァリエーションとしては、顕微鏡や望遠鏡に代表される光学機器や、ステレオスコープのような立体視のための器具、キネトスコープなどの動く絵を創り出す機械が挙げられます。こうした多種多様な装置の発明と流行により、まだ見ぬ新たなイメージの誕生が後押しされ、無数の表現が生み出されてきました。
覗き見る装置は、現代の私たちをとりまくメディア環境はもちろん、写真・映像で表現をおこなう際の形式的な前提をも形作ってきたと言えます。現代にも受け継がれる、「覗き見る」まなざしの系譜を、写真美術館のコレクションから探求します。
写真や映像を撮影する装置として発明されたカメラは、同時に覗き見る装置でもあるといえます。カメラの原型となったカメラ・オブスクラは、外界の景色を写し取るため、真っ暗な箱の一方の壁にピンホールを開けた装置で、その後ピンホールはレンズに代わり、箱は小型化され、携帯可能なサイズとなっていきます。このカメラ・オブスクラを反転させた構造を持ち、レンズ越しに絵を覗いて鑑賞する視覚装置がかつて存在しました。それらはピープショーと総称され、様々な形態が考案され、興行としても成立していきます。
覗き見る装置のヴァリエーションとしては、顕微鏡や望遠鏡に代表される光学機器や、ステレオスコープのような立体視のための器具、キネトスコープなどの動く絵を創り出す機械が挙げられます。こうした多種多様な装置の発明と流行により、まだ見ぬ新たなイメージの誕生が後押しされ、無数の表現が生み出されてきました。
覗き見る装置は、現代の私たちをとりまくメディア環境はもちろん、写真・映像で表現をおこなう際の形式的な前提をも形作ってきたと言えます。現代にも受け継がれる、「覗き見る」まなざしの系譜を、写真美術館のコレクションから探求します。
覗き見る視覚装置の最初期の例として、17世紀末にヨーロッパで考案されたピープショーがありました。ピープショーは、1つ以上の覗き穴を持ち、箱のように閉ざされた空間を覗き穴越しに見ると、中の絵が立体的に見える視覚装置で、室内で楽しむもののほか、見世物師による興行用のものも存在しました。日本にも江戸時代に「覗き眼鏡」が伝わりますが、レンズを嵌め込んだ穴から、何らかの仕掛け(からくり)がなされた箱の中を覗き見る「のぞきからくり」が江戸から明治、大正期において庶民の娯楽として親しまれていました。
箱眼鏡絵は、箱に穿たれた穴から中をのぞくと、外国の風景などが見える。
眼鏡絵「中国。南京のメインストリー

眼鏡絵『ナポレオンとマリ・ルイ―ズの花火祭典」1850頃

眼鏡絵「セントポール大聖堂の内部 ロンドン」1850頃

眼鏡絵「マルセイユのペスト禍」1890頃


「驚異のへや」19世紀末

江戸幕末、明治初期にも、このような「驚異」を見せて町や村をめぐって歩く興行師がいたことでしょう。実際に目にしているのと同じ風景画遠近法にようって描かれている「ピープショー」をのぞき見した人々は、リアルな風景が眼前にあらわれることに、驚異を感じたのだろうと思います。われわれも3Dが現れた時も、ホログラムを見た時も最初は驚き、すぐにそれに慣れた。
マジックランタンという「覗き見る人々」を描いた絵には、楽譜もついています。興行師は、音楽を流しながら絵を見せ、楽譜も売ったのでしょうか。
ゴッドフロイ・エンゲルマン「マジックランタン」

前田利同は、1856年に生まれ、3歳で加賀前田家から富山藩藩主に迎えられました。利同が愛用した「覗きからくり」の箱。東海道53次(日本橋2枚と京都1枚をプラスして56枚の種板)の絵などを楽しんでいました。精巧な作りの覗き箱。

絵画は3次元の世界を2次元の平面で表すものですが、立体的に絵を見たいと言う欲求は早くから存在していました。
マーティン・エンゲルブレヒト「エンゲルブレヒト劇場」1700年頃
立体視のための仕掛けと絵を見た時の効果


微妙に角度を変えて撮影した2枚の写真を、左右の目で覗き見ると立体的に見えることがわかると、この立体写真が盛んに撮影され、のぞき絵として人気になりました。
下岡蓮杖 ステレオ写真「もみの餞別」慶応年間~明治初年

フレンチティッシュという裏彩色をほどこした写真と薄紙のセットを覗くと立体視ができる写真もあった。
フレンチティッシュ「ステレオビューアーをのぞく子供たち」19世紀

「覗き見る」ことの次に人々が望んだのは、「動きを見る」ことでした。ぐるぐる回る絵をスリットからのぞくと、連続した動きに見える装置が開発されました。
エミール・レイノー「ブラクシノスコープ」19世紀

写真術の発達につれて、連続写真の技法が進み、ついには「パラパラ漫画」を実写写真で実現したのです。
1895年、リュミエール兄弟によって、連続写真術が完成し、「シネマトグラフ活動写真」となりました。1894年にエジソンが特許申請した「キネマトグラフ」は、従来の一人が箱の中をのぞき込むスタイルだったために、大勢の人がいっしょに楽しむ「映画」としては、リュミエール兄弟が一歩さきんじました。
初期の映像をいろいろ見ることができました。リュミエール兄弟は、工場から退社する女工を写した作品を「演出をほどこした動く写真」として上映。また蒸気機関車が走るようすなどを、見世物として上映しました。人々が機関車にひかれると思って逃げ出したという伝説の初期映画です。
写真美術館や国立映画アーカイブで保存している初期映画の上映があり、何本かを見ることができました。
今回の「覗き見るまなざしの系譜」展、美術絵画を見るまなざしとはまた違った視点ですが、「覗き見る」ことのわくわくどきどきや「珍しもん見たさ」のあくなき欲望、人のまなざしのおもしろさを知ることができました。
写真がさまざまな技法に挑戦しながら、芸術としてジャンルを確立していく過程の作品も展示されていました。
ハロルド・ユージン・エジャートン「縄跳びの動き」1952

奈良原一高「インナーフラワー ユーチャリス」1991

だれでもいつでも、スマホカメラでさまざまな写真が撮影されるようになりました。
しかーし、「覗き見る」ことへの欲望は、特殊な形で生き残っています。小学生女子生徒の写真を撮って逮捕された校長もいるし、トイレにカメラを仕掛けて逮捕される者も。バカだねー。歌舞伎町の覗き部屋は、2023年料金は15分2千円とか。どんな店か知らんけど。
写真美術館の「のぞき」は、実に健全かつ芸術的でありましたけど、とてもお勉強になりました。第3水曜日、無料の見学、ありがとうございました。

<つづく>