20231202
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばで遊ぶ(1)再録ちがくて
若者言葉にも留学生の日本語にも触れる機会がなくなり、自分の言語感覚がテレビ経由だけになり、どんどんことばに対して鈍くなっているのを感じています。
そんな中で、私の好きな言語感覚の持ち主のブログを読んでいる時「やっぱりYokoちゃんのことばの感覚、私に近くていいなあ」と感じる日の日記を読みました。「違って」が「ちがくて」と変化していることに反応した11月11日のブログ記事です。
私の常々の主張。「言葉は常に変化していく。その中で、世間の言葉遣いがどう変わっていこうと、個人の言語感覚は、その人の好みでいいのだ」ということ。Yokoちゃんは、「違って」という動詞のテ形が「ちがくて」と変化していることに対して、「若者言葉としての使用は耳にしてきたが、テレビという公共の場での公の発言では耳ざわりだ」と書いていらっしゃる。以下、Yokoちゃんの言語感覚です。
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竜王戦第四局を見るともなく流していた時 解説の女性が「・・・違くて(ちがくて)・・・」と言ったのを耳にして 私の頭の中の言語見回りセンサーがピピっと反応した
私自身 間違って使っている言葉もあるし わざとくだけた調子で面白半分に使うこともあるから さほどうるさいことを言うつもりはなく 言葉が世につれていくものだとは思っているが それでも靴の左右を反対に履いているような気持ちになることがある
「違くて」を今まで耳にしたことが無かったわけではないが それは若者言葉として タレントやバラエティ番組に出ている人たちが軽い調子で使う言葉だと思っていた
それは 言語としてどう活用するのか
なぜ「違って」ではだめなのか
動詞としての「違う」の立場はどうしてくれる
私的な場所での言葉はそれぞれお好きなように使えば宜しいが 公的な場所ではあまり使わないほうが良い言葉というものもあるのではないか
おばちゃんは 耳心地の悪さにひとしきり悶々としてしまいました とさ
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かって言語学を志した(挫折)ハルニワ。「ちがくて」に対して、確か前に書いたことがあったなあ、と検索してみたら、2005年に書いていました。「違う」という動詞が形容詞化していることについての、言語観察者としての考察です。
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2005/01/26 (水)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞①
変わりつつある動詞表現につづいて、変わりつつある形容詞について。
日本語教育で扱う形容詞は、イ形容詞(国文法形容詞)とナ形容詞(国文法形容動詞)がある。
形容詞もさまざまな変化のなかで新しい表現が生まれたり、発音が変わったり、品詞が変わったりしている。
古い辞書にはのっていないが、辞書の新しい版に俗語として搭載される形容詞もあり、若者言葉の省略形容詞も増えてきた。「ばっちい」のように、「汚い」の幼児語としてつかわれていた語が、大人の話の中でも普通に使われるようになったものもある。
最近、辞書に載った形容詞の例。
「せこい」〔俗〕ずるかったり、人目をごまかしたりする所があって、まともには付き合えない感じだ(新明解国語辞典第3版・第4版)
以前とは、使い方、意味合いが変わっている形容詞。
たとえば、以前「おいしい」は、「食べ物の味がいい」という意味が主要な使い方だったが、「うまい」の丁寧な表現として多用され、いまでは、「いいところだけ使ったりもっていったりすること。他にくらべて、条件がいいこと」などを表現するようになっている。用例「おいしいバイトあるけど、やんない?」「おいしい話には裏アリでしょ」
「ヤバい」は、俗語として「危ない、悪い状態になる」を意味していた。その意味に加えて、若い人は「他からぬきんでている度合いが危ないくらいにすばらしい」「いいと感じ、それを好きになるのが危険になると思えるくらいだ」という意味合いで、「いいっすねぇ、それ、ヤバイよ」などと表現し、「ヤバい!」が誉め言葉になっている。
形容詞の省略化も進んでいる。若い世代では省略化が定着している形容詞をあげてみる。
グーグルで検索したときの出現件数が多いものをあげると
「うっとうしい、うざったらしい」→「うざい」10万2千件
「めんどうくさい」→「めんどい」84800件
「気持ち悪い、気味が悪い」→「きもい」58000件「きしょい」7800件
「むずかしい」→「むずい」5万2千件
「かったるい」→「たるい」「たりい」(垂井、樽井といっしょになるので件数不明)
長い形容詞を短くする変化が多い。短いほうが、「簡単便利」だからだ。言葉は複雑なほうには、変化しにくい。たいてい「短く言いやすい」ほうへと、変わる。
「しょぼくれている」→「しょぼい」20万4千件
これなどは、動詞アスペクトの「~ている」が、形容詞化している。「しょぼい」は、動詞としての「しょぼくれる」と別の語として存在する。<続く>
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞①
変わりつつある動詞表現につづいて、変わりつつある形容詞について。
日本語教育で扱う形容詞は、イ形容詞(国文法形容詞)とナ形容詞(国文法形容動詞)がある。
形容詞もさまざまな変化のなかで新しい表現が生まれたり、発音が変わったり、品詞が変わったりしている。
古い辞書にはのっていないが、辞書の新しい版に俗語として搭載される形容詞もあり、若者言葉の省略形容詞も増えてきた。「ばっちい」のように、「汚い」の幼児語としてつかわれていた語が、大人の話の中でも普通に使われるようになったものもある。
最近、辞書に載った形容詞の例。
「せこい」〔俗〕ずるかったり、人目をごまかしたりする所があって、まともには付き合えない感じだ(新明解国語辞典第3版・第4版)
以前とは、使い方、意味合いが変わっている形容詞。
たとえば、以前「おいしい」は、「食べ物の味がいい」という意味が主要な使い方だったが、「うまい」の丁寧な表現として多用され、いまでは、「いいところだけ使ったりもっていったりすること。他にくらべて、条件がいいこと」などを表現するようになっている。用例「おいしいバイトあるけど、やんない?」「おいしい話には裏アリでしょ」
「ヤバい」は、俗語として「危ない、悪い状態になる」を意味していた。その意味に加えて、若い人は「他からぬきんでている度合いが危ないくらいにすばらしい」「いいと感じ、それを好きになるのが危険になると思えるくらいだ」という意味合いで、「いいっすねぇ、それ、ヤバイよ」などと表現し、「ヤバい!」が誉め言葉になっている。
形容詞の省略化も進んでいる。若い世代では省略化が定着している形容詞をあげてみる。
グーグルで検索したときの出現件数が多いものをあげると
「うっとうしい、うざったらしい」→「うざい」10万2千件
「めんどうくさい」→「めんどい」84800件
「気持ち悪い、気味が悪い」→「きもい」58000件「きしょい」7800件
「むずかしい」→「むずい」5万2千件
「かったるい」→「たるい」「たりい」(垂井、樽井といっしょになるので件数不明)
長い形容詞を短くする変化が多い。短いほうが、「簡単便利」だからだ。言葉は複雑なほうには、変化しにくい。たいてい「短く言いやすい」ほうへと、変わる。
「しょぼくれている」→「しょぼい」20万4千件
これなどは、動詞アスペクトの「~ている」が、形容詞化している。「しょぼい」は、動詞としての「しょぼくれる」と別の語として存在する。<続く>
2005/01/27 (木)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞②
「やばい」が若い世代の中で誉め言葉として機能していることについて「やばいが褒め言葉とは、驚きですね」投稿者:w****** (2005 1/26 9:15) と、コメントをいただきました。感想をお寄せくださりありがとうございます。
私たちの現在の語感からすると、「びっくり!」のところもありますが、実は、この変化は日本語としては、よくある意味の変わりかたなのです。
「すご~い!」「すごっ!」という感歎のことば。
すばらしい技や出来事などに感激した人たちの口から漏れる。この場合、すばらしさを誉めたたえることばになっている。
しかし、「すごい」の元の語「すごし」は、
①気候様子態度などが寒く冷たく感じられ、身にこたえる → ②冷たさを含み、恐ろしく感じる → ③ぞくっとして恐ろしく感じるほどすばらしい →④程度がはなはだしいようす(すごくいい、すごく悲しいなど)
と、いう意味の変遷を経て、現在わたしたちが気軽に口にする「すご~い!」という感歎の言葉になった。
津波や台風惨禍の写真をみて「すごい!」ぞっとするほど恐ろしい悲惨な状況。原義から言うと、こちらのほうが「すごい」の意味にあっている。
しかし、美しいものを見たときも、驚くような技を知ったときも「すごい」のひとこと。若い世代が「やばい!」を誉め言葉に使うのも、「すごい」の意味変遷と同じ歴史をたどっていると言える。
言葉は意味のうえでも、形の上でも、さまざまな変化をしていく。
動詞から形容詞へと品詞移動しつつある例を紹介しよう。
動詞「違う」が、形容詞へと品詞移動していく途中。
動詞では「ちがう、ちがわない、ちがって、ちがえば」と活用したが、形容詞と同じ活用「ちがくて」「ちがくない」「ちがければ」という活用を、若い世代が使っている。終止表現が「ちがいます」から「ちがいです」に変われば、形容詞化が完成する。
おそらく定着していくだろう。
「違う」は、もともと状態を表わす動詞なので、動きや作用を表わす動詞に比べて、形容詞に近い内容をもっていた。「違う」の対義語(反対の意味をもつ言葉)が「同じ」というナ形容詞(形容動詞)であることからも、形容詞化が進むことが推察される。
ナ形容詞「同じだ」も、イ形容詞へと移動していく。「おなじい、おなじくない、おなじければ、おなじくて」と、形容詞型の活用に変わっていくだろう。<続く>
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞②
「やばい」が若い世代の中で誉め言葉として機能していることについて「やばいが褒め言葉とは、驚きですね」投稿者:w****** (2005 1/26 9:15) と、コメントをいただきました。感想をお寄せくださりありがとうございます。
私たちの現在の語感からすると、「びっくり!」のところもありますが、実は、この変化は日本語としては、よくある意味の変わりかたなのです。
「すご~い!」「すごっ!」という感歎のことば。
すばらしい技や出来事などに感激した人たちの口から漏れる。この場合、すばらしさを誉めたたえることばになっている。
しかし、「すごい」の元の語「すごし」は、
①気候様子態度などが寒く冷たく感じられ、身にこたえる → ②冷たさを含み、恐ろしく感じる → ③ぞくっとして恐ろしく感じるほどすばらしい →④程度がはなはだしいようす(すごくいい、すごく悲しいなど)
と、いう意味の変遷を経て、現在わたしたちが気軽に口にする「すご~い!」という感歎の言葉になった。
津波や台風惨禍の写真をみて「すごい!」ぞっとするほど恐ろしい悲惨な状況。原義から言うと、こちらのほうが「すごい」の意味にあっている。
しかし、美しいものを見たときも、驚くような技を知ったときも「すごい」のひとこと。若い世代が「やばい!」を誉め言葉に使うのも、「すごい」の意味変遷と同じ歴史をたどっていると言える。
言葉は意味のうえでも、形の上でも、さまざまな変化をしていく。
動詞から形容詞へと品詞移動しつつある例を紹介しよう。
動詞「違う」が、形容詞へと品詞移動していく途中。
動詞では「ちがう、ちがわない、ちがって、ちがえば」と活用したが、形容詞と同じ活用「ちがくて」「ちがくない」「ちがければ」という活用を、若い世代が使っている。終止表現が「ちがいます」から「ちがいです」に変われば、形容詞化が完成する。
おそらく定着していくだろう。
「違う」は、もともと状態を表わす動詞なので、動きや作用を表わす動詞に比べて、形容詞に近い内容をもっていた。「違う」の対義語(反対の意味をもつ言葉)が「同じ」というナ形容詞(形容動詞)であることからも、形容詞化が進むことが推察される。
ナ形容詞「同じだ」も、イ形容詞へと移動していく。「おなじい、おなじくない、おなじければ、おなじくて」と、形容詞型の活用に変わっていくだろう。<続く>
2005/01/28 (金)
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞③
ナ形容詞(形容動詞)からイ形容詞へと品詞移動する例もある。
「きれいだ」は、日本語教育では「ナ形容詞」国文法では「形容動詞」。これまでの活用は「きれいだ、きれいじゃない、きれいな人」
しかし、若い世代の間では、「きれいだ」はイ形容詞に移動しつつある。「きれい、きれぇくない」。名詞修飾はいまのところまだ「きれいな人」。イ形容詞への移動が完了すれば「きれいぃ人」になるだろう。仮定形も「きれいならば」から「きれぇければ」へ。
日本語変化予想。「元気だ→げんきい」「便利だ→べんりい」「不思議だ→ふしぎい」など、語幹部分が「i」の段で終わるナ形容詞はイ形容詞へ品詞移動が進むと推測できる。
さらには「静かだ→静かい」「健康だ→けんこい」などの変化が起こるかも知れず、「静寂だ」は「せいじゃくて、せいじゃくない、せいじゃければ」などの活用をみせるかもしれない。予想があたるかどうか。
若者ことばのイ形容詞の用法に、「感動終止形」とでも名付けられる新しい言い方がある。「はやっ(とても早いので驚いたとき)」「うまっ(とても美味い)」「おもっ(とても重い)」など、程度が大きいようすをいうとき、基本形「i」を省略し、促音化していう。この言い方はすでに定着している。
基本形の発音も変化していく。形容詞の例。「ちいさい」→「ちっちゃ」「ちっちぇえ」、長い→なげえ、痛い→いてえ、やばい→やべえ つらい→つれえ 寒い→さみい 明るい→あかりい、のように、母音が変化した発音の語、現在は俗語表現だが、将来はこちらがメインになるかもしれない。
イ形容詞は二種類ある。属性形容詞(形状、形態やもののありさまを形容する。大きい、長い、重い、黒い、丸いなど)は、語尾がイ。感情形容詞(人の感情や感覚を形容する。寂しい、悲しい、苦しいなど)は、主として語尾がシイになる。
省略形容詞は、「うっとうしい→ウザイ」「めんどうくさい→メンドイ」など、感情や感覚を表わす形容詞であっても、語尾が「シイ」にならず、「イ」になる傾向がある。
それから類推すると、これまで使われてきた感情形容詞の多くが「シイ」ではなく、「イ」の語尾に短く省略されることが予想される。
「悲しい→かない」「寂しい→さびい」「楽しい→たのい」「うつくしい→うつくい/うっくい」「やさしい→やっさい/やしい」
未来日本語予想があたるかどうか、ウォッチングを続けていこう。
ニッポニアニッポン語>いまどきの形容詞③
ナ形容詞(形容動詞)からイ形容詞へと品詞移動する例もある。
「きれいだ」は、日本語教育では「ナ形容詞」国文法では「形容動詞」。これまでの活用は「きれいだ、きれいじゃない、きれいな人」
しかし、若い世代の間では、「きれいだ」はイ形容詞に移動しつつある。「きれい、きれぇくない」。名詞修飾はいまのところまだ「きれいな人」。イ形容詞への移動が完了すれば「きれいぃ人」になるだろう。仮定形も「きれいならば」から「きれぇければ」へ。
日本語変化予想。「元気だ→げんきい」「便利だ→べんりい」「不思議だ→ふしぎい」など、語幹部分が「i」の段で終わるナ形容詞はイ形容詞へ品詞移動が進むと推測できる。
さらには「静かだ→静かい」「健康だ→けんこい」などの変化が起こるかも知れず、「静寂だ」は「せいじゃくて、せいじゃくない、せいじゃければ」などの活用をみせるかもしれない。予想があたるかどうか。
若者ことばのイ形容詞の用法に、「感動終止形」とでも名付けられる新しい言い方がある。「はやっ(とても早いので驚いたとき)」「うまっ(とても美味い)」「おもっ(とても重い)」など、程度が大きいようすをいうとき、基本形「i」を省略し、促音化していう。この言い方はすでに定着している。
基本形の発音も変化していく。形容詞の例。「ちいさい」→「ちっちゃ」「ちっちぇえ」、長い→なげえ、痛い→いてえ、やばい→やべえ つらい→つれえ 寒い→さみい 明るい→あかりい、のように、母音が変化した発音の語、現在は俗語表現だが、将来はこちらがメインになるかもしれない。
イ形容詞は二種類ある。属性形容詞(形状、形態やもののありさまを形容する。大きい、長い、重い、黒い、丸いなど)は、語尾がイ。感情形容詞(人の感情や感覚を形容する。寂しい、悲しい、苦しいなど)は、主として語尾がシイになる。
省略形容詞は、「うっとうしい→ウザイ」「めんどうくさい→メンドイ」など、感情や感覚を表わす形容詞であっても、語尾が「シイ」にならず、「イ」になる傾向がある。
それから類推すると、これまで使われてきた感情形容詞の多くが「シイ」ではなく、「イ」の語尾に短く省略されることが予想される。
「悲しい→かない」「寂しい→さびい」「楽しい→たのい」「うつくしい→うつくい/うっくい」「やさしい→やっさい/やしい」
未来日本語予想があたるかどうか、ウォッチングを続けていこう。
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2005年に「違って」→「ちがくて」が優勢になるだろうという未来予想を出したのだけれど、20年近くたって、ついにおおやけの場で若い人が「ちがくて」を使うようになっている、というYokoちゃんの「違和感」報告に、こうして言語は変化していく、という現場を見せていただき、予報的中の気分。むろん、60代70代以上の「ちがって」世代は、「ちがくて」を使う必要はないし、私のように「見れる出れる」のラ抜き可能形は、話し言葉では言うこともあるが、文章では使えない、という世代がいていいと思っています。
Yokoちゃん、どうぞ、「ちがくて」は公共の場では使いたくない、という言語感覚を大切になさってください。ただし、我ら世代なきあと、確実に「違う」という「状態を表す動詞」は形容詞化していくだろうと思います。
エドゥアール・ベネディクトゥス「ヌーベル・ヴァリアシオン新しい多様性」1920年代
<つづく>