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ぽかぽか春庭「東大医学研究所と港区立郷土歴史館」

2023-12-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20231226

ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2023拾遺(2)東大医学研究所と港区立郷土歴史館

 港区郷土歴史館(旧公衆衛生院)は、1923(大正12)年に建築家内田祥三の設計により、隣に立つ東京大学医学研究所と対の建物として完成しました。公衆衛生院の埼玉県移転により、建物は港区に移管され、2018年に修復され港区立郷土歴史館として一般公開されました。

 一般公開されたのは報道で気づきましたが、港区の郷土や歴史ならば期間限定の展示と異なり、いつでも見にいけると思っていて、地下鉄の白金台駅すぐ前という立地なのに、なかなか訪問せずにいました。娘が誘ってくれたので、2022年2月いっしょに港区郷土歴史館の建物(旧公衆衛生院)を訪れました。  

 となりの内田祥三ふたご東大医学部研究所を眺めたのは、郷土歴史館が一般公開される前で、歴史館はずっと修復工事中でした。2022年2023年、庭園美術館を観覧して時間があるときには郷土歴史館に立ち寄ることもありましたが、今度は東大医学研究所が入れなくなっていました。2023年2月に白金台駅側の正門から東大医学研究所に入ろうとしたら、正門の守衛さんに「東大医学研究所に御用の方ですか」と怖い顔で問いただされ、ブロックされました。コロナの入場制限の時期でしたから、守衛さんはやたらに入門させないように指令を受けていたのでしょう。

入門不許可になった東大医学研究所の門  東大医学研究所正面
 

 内田ふたご建物を一度に眺めたいと思っていました。2023年11月にはコロナの制限もなくなったので、正門からも入れたのだと思いましたが、松岡美術館から庭園美術館へ向かう途上、東大医学部研究所西門から中に入りました。おとがめなし。
 
 せっかく用もないのに東大医学部研究所に入ったので、すれ違う人の顔をながめて「なんやらウチらとはちゃう、かしこそうな顔つきやなあ」と思いながら、ついでに生協食堂でカツカレー600円を食べ、北里柴三郎記念博物館の中を眺めました。コロナの間は閉館していた伝染病研究の展示も久しぶりに眺め、医学研究に興味のある人みたいになることができました。

東京大学医学研究所
  

医学部の出入口(2013)と(2023)
 

港区立郷土歴史館
 

 

 

 



 港区立郷土歴史博物館、隣の東大医学研究所とツインだからこその存在感。おんなじ建物が並び立っているのを遠くから並びで見たいけれど、通り道から少し遠くに離れないと、ふたつを同時に見ることはできませんでした。もう少し離れた場所で、高いビルなどがあったら、上に登ってふたつ並べて見たいです。

 オマケ。小石川植物園(東京大学大学院理学系研究所)本館。
 内田祥三作品の中で、この本館の外観は、医学部研究所の重厚とは一味違い、バウハウス風モダンテイストになっています。

 内田作品の中で、この植物園研究所がいちばん親しみやすい。
 ただ、東京大学の建物には重厚さが求められた時代だった、ということもわかります。医学研究所で外地の伝染病研究などがなされているということは、兵となって見知らぬ土地へ出かけていく者に、国が病気の研究もしているという国家の威信を示す建物である必要があったのだと思います。

 その点植物学園の柴田記念館の中に展示されていた牧野博士の標本展示などを見ても、重々しくはなく、この植物園本館の両翼を広げる軽やかさのイメージと響き合う展示でした。牧野博士も東大在籍中に何度も追い出し運動を受けるような存在だったことが知られていますが、今から見ると、柴里記念館の中に、伝染病研究用に飼われていた馬の剥製展示などに比べると、さまざまな植物の標本は平和な気分がしてきます。表向きには「お国の役に立つ薬草発見の研究」とか飾っていたでしょうが、ただただひたむきに植物を追い求めた標本展示、柴田研究室でも軽やかでした。

<おわり>
コメント
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