20231207
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばで遊ぶ(4)おとなとややこ
動詞の形容詞化の話をしました。「違う/ちがいます/ちがって(動詞)→違い/ちがいです/ちがくて(形容詞)」
形容詞の造語法について、本編に書いておらず、コメント欄に書いていたことを、再録します。
形容詞には、形状形態の表現を本務とする赤い、長い、丸いなど「い形容詞」があります。そして、心に感じる感覚感情の表現を受け持つのが「しい形容詞」です。「面白い話」などの「い形容詞」にも、心の中の感情感覚を表現できるものもあります。
物そのものも状態を表すときと心理的なものを表すときと両方に使える形容詞、寂しい、苦しい、激しい、悲しい、惜しい、楽しいなど。「寂しい田舎」という表現は、田舎そのもののようすを表現していると考えられますが、「恋人に会えないから寂しい」というと、主体の心理的な感情と言えます。主語以外のひとの感情をあらわすときは「がる」をつけます。「彼女は
恋人に会えないので寂しがっている」
形状形容詞には、丸→丸い、四角→しかくい、黄色→きいろいなど、もともとの名詞が形容詞化しているものあります。
ウェブ友すみともさんからの質問に答えた「ややこしい」についての回答です。
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2017-06-19 16:00:37
「ややこしい」
野村萬斎がNHKのこども番組「にほんごであそぼ」の中で「ややこしや、ややこしや」と言っていたので、てっきり狂言の中に出てくることば、室町以来のことばと思ったら、萬斎がシェークスピア劇を狂言アレンジにしたときに使ったことばなのだそうです。「NHKのアナウンサーが使っているから標準語」という思い込みもダメですが、狂言師が使ったからといって、古語ではない、ということですね。
大人→おとなしい(分別があり落ち着いている)
からの類推で、ややこ(赤子)→ややこしい(幼い思考のまますじみちだっていなくて、混乱している)という造語らしい。私の持つ古語辞典には「ややこしい」は、ありませんでした。
野村萬斎がNHKのこども番組「にほんごであそぼ」の中で「ややこしや、ややこしや」と言っていたので、てっきり狂言の中に出てくることば、室町以来のことばと思ったら、萬斎がシェークスピア劇を狂言アレンジにしたときに使ったことばなのだそうです。「NHKのアナウンサーが使っているから標準語」という思い込みもダメですが、狂言師が使ったからといって、古語ではない、ということですね。
大人→おとなしい(分別があり落ち着いている)
からの類推で、ややこ(赤子)→ややこしい(幼い思考のまますじみちだっていなくて、混乱している)という造語らしい。私の持つ古語辞典には「ややこしい」は、ありませんでした。
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上記に追加情報。「ややこしい」が使われ始めたのは幕末からという(出典不明)。
「騒がしい」という形容詞は「騒ぐ」という動詞に由来することは推察できますが、では「騒々しい」という形容詞はどうでしょう。騒騒は万葉集の中に用例があります。
読み方:さいさい(さゐさゐ)
[副詞]物が揺れ動いてさわさわと音を立てるさま。
「玉衣(たまぎぬ)の騒騒しづみ家の妹にもの言はず来にて思ひかねつも」〈万・五〇三〉
別読み:さえさえ〔さゑさゑ)
[副詞]「さいさい(騒騒)」に同じ。
「あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来(き)にて思ひ苦しも」〈万・三四八一〉
万葉集は、各地各家に伝わった歌をまとめた歌集ですから、異伝もさまざまにありますが、万葉集No.503(相聞歌)「さゐさゐ」と、No.3481(東歌)「さゑさゑ」に、騒々のふたつの読み方が出ています。現在も東北地方では「い」と「え」の発音はその中間的な音で、母音の数は4母音です。「さゐさゐ」「さゑさゑ」のふたつは、元は同じ発音で、東歌として伝わった歌が、相聞歌の部類にも採用されたのかと思います。
「騒騒」は、現代中国語での発音は、「Sāo sāo」なので、おそらく漢詩の中に記述された「騒騒」を日本語が取り入れた語がもとになっているのかなあと思われます。出展などを調べる余裕はありませんが、東歌に「さゑさゑ」が出てくるということなら、かなり早くから日本語に取り入れられたに違いなく、東歌に入っている漢語由来のことばを調査するのも、思い白いテーマと思います。
日本語研究をするとき「日本語の起源」と「語源調査」をテーマにすると、一生かかっても結論が出ず、研究を成就することができない、と日本語研究科の師匠たちは口々に学生に注意をしていました。短い人生を結論の見えない果てしない研究に使うべきではないと。東歌における「さゑさゑ」を調べた人がいるなら、教えてほしいです。
語源がはっきりわかる語もあるけれど、わからない語はわからないまま使っていけばよい。ある語に新しい意味が付与されたときは、新しい意味を使うか使わないかは、個人の自由。「やばい」と言う語を、若者が使っているように誉めことばとして使いたくない「大人」は使う必要はない。
「ややこ」たちは、どんどん言葉を変えていくし、言葉の意味も変容させていく。ややこしい言葉が生まれ、日本語の局面を変えていきます。私は大人しく言葉の変化をウォッチングして楽しみます。
草光信成「成長・母子」1936
<つづく>