春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉 in 大倉集古館」

2023-12-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

20231210
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩ぐるっとパス使い倒し(2)偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉 in 大倉集古館

 11月25日、大倉集古館の「偉人たちの邂逅」展は、大倉集古館を設立したの大倉財閥の喜八郎喜七郎が、内外の偉人たちと交流して収集した書を中心としたお宝の展示です。明治から昭和にかけて、政界財界の大物や中国の政治家の書が大倉家に贈られました。

 大倉集古館の口上
 今から150年前の1873(明治6)年10月、大倉喜八郎によって大倉組商会が設立されました。大倉組商会は後に15財閥の一つに数えられる大企業に成長します。本展では大倉組商会設立から150年を数えた本年、創設者・大倉喜八郎と、嗣子・喜七郎による書の作品とともに、事業や文雅の場で交流した日中の偉人たちによる作品を展示し、詩作や書の贈答によって結ばれた交流の様を展観いたします。
 大倉集古館には、大倉喜八郎と交流をもった中国清時代や、明治大正の偉人たちの書が所蔵されています。彼らは折に触れ歌を詠み、それを贈り合いました。また、喜八郎自身は、光悦流と称する自らの書風によって歌を書きあげ、嫡子の喜七郎は、松本芳翠に書を学び、友とともに漢詩を作り軸に仕立てました。大倉財閥150年をめぐる偉人たちの交流の跡を示す書の数々を展示いたします。

 ぐるりと展示室をながめわたし、書をしたためた伊藤博文、渋沢栄一、勝海舟とか、歴史的な名前はわかる。それぞれ雄渾な字であるなどの、文字の形の美しさは感じる。大倉喜八郎喜七郎が幅広い交友関係によって支えられていたこともわかる。


 

 応募していた講演会が14時から大倉集古館地下1階の講堂ではじまりました。大倉財閥の歴史を、東京経済大学名誉教授村上勝彦(大倉文化財団理事長)先生がレクチャーするということで、応募しました。14時から15時半までの予定でしたが、最初から「予定時間は超過します」というイクスキューズで始まりました。

  講演の内容は。1873(明治6)年に設立された大倉商会が150年商売を続けて、ホテルも経営しいろいろ稼いできたけれど、三井住友や三菱と違うところは銀行業に関わらなかったことで、そのため戦後の財閥解体の際は他の財閥に比べてえらい苦労してしまったけれど、なんとか会社組織を保つことができたという企業自慢話をいろんな資料のレジメも配られてつらつらと語り、最初の言い訳通りチラシに出ていた時間より30分以上オーバーしておわりました。
 私はぐるっとパスのついでに聞いたのですが、聴衆の半分くらいは村上先生のかっての教え子らしい高齢者が多く、講演後は「じゃ、〇〇亭は何人プラスで」と、ゼミ同窓会っぽい集りがあるようでした。

 私はそもそも経済にはうといし、もうけ話には縁もなく、歴代の社員優秀で会社を支えたと言う大倉財閥の栄枯盛衰にも興味が薄い。喜八郎と喜七郎の間に父と息子の軋轢でもあれば興味持てるのに、けっこう親子仲はよかったみたい。渋沢栄一の跡取りがダメ息子で経済活動そっちのけで趣味に生き、華族出身の妻を捨てて芸者と暮らし廃嫡されたとかいうような話なら面白いのに。喜七郎は長唄から西洋音楽まで得意、スポーツはカーレース、スキーなど、あらゆる趣味をつくし、経営は番頭にまかせて破綻なく生涯をすごしたという、やっかみひがみの庶民には面白みのない一族でした。やはり一族の中にひとりやふたりは道を踏み外してほしいというのが、庶民のこころもち。

 喜八郎喜七郎は、光悦流と名付けた書をよくしていたため、光悦の書も所蔵されていました。


 光悦の書、美しい文字でした。よいものに出会えば、その日はよい日になります。光悦の書に会えて、9月25日はよい日になったと思って、六本木一丁目駅から帰りました。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする