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ぽかぽか春庭「倉庫の記録」

2013-08-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(1)倉庫の記録

 峠三吉の「原爆詩集」より、「倉庫の記録」をコピーして読みます。
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「倉庫の記録」峠三吉

 その日
 いちめん蓮の葉が馬蹄型に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。
 足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋の跡片付に出ていた女学校の下級生だが、顔から全身へかけての火傷や、赤チン、凝血、油薬(ゆやく)、繃帯などのために汚穢(おわい)な変貌をしてもの乞の老婆の群のよう。
 壁ぎわや太い柱の陰に桶や馬穴(ばけつ)が汚物をいっぱい溜め、そこらに糞便をながし、骨を刺す異臭のなか
「助けて おとうちゃん たすけて
「みず 水だわ! ああうれしいうれしいわ
「五十銭! これが五十銭よ!
「のけて 足のとこの 死んだの のけて
 声はたかくほそくとめどもなく、すでに頭を犯されたものもあって半ばはもう動かぬ屍体だがとりのける人手もない。ときおり娘をさがす親が厳重な防空服装で入って来て、似た顔だちやもんぺの縞目(しまめ)をおろおろとのぞいて廻る。それを知ると少女たちの声はひとしきり必死に水と助けを求める。
「おじさんミズ! ミズをくんできて!」
 髪のない、片目がひきつり全身むくみかけてきたむすめが柱のかげから半身を起し、へしゃげた水筒をさしあげふってみせ、いつまでもあきらめずにくり返していたが、やけどに水はいけないときかされているおとなは決してそれにとりあわなかったので、多くの少女は叫びつかれうらめしげに声をおとし、その子もやがて柱のかげに崩折(くずお)れる。 灯のない倉庫は遠く燃えつづけるまちの響きを地につたわせ、衰えては高まる狂声をこめて夜の闇にのまれてゆく。

 二日め
 あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、腕が太股なのか太ももが腹なのか、焼けちぢれたひとにぎりの毛髪と、腋毛と、幼い恥毛との隈が、入り乱れた四肢とからだの歪んだ線のくぼみに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くとろけ残る。
 ところどころに娘をみつけた父母が跼(かが)んでなにかを飲ませてい、枕もとの金(かな)ダライに梅干をうかべたうすい粥が、蠅のたまり場となっている。
 飛行機に似た爆音がするとギョッと身をよじるみなの気配のなかに動かぬ影となってゆくものがまたもふえ、その影のそばでみつけるK夫人の眼。

 三日め
 K夫人の容態、呼吸三〇、脈搏一〇〇、火傷部位、顔面半ば、背面全面、腰少し、両踵、発熱あり、食慾皆無、みんなの狂声を黙って視ていた午前中のしろい眼に熱気が浮いて、糞尿桶にまたがりすがる手の慄え。水のまして、お茶のまして、胡瓜もみがたべたい、とゆうがた錯乱してゆくことば。
 硫黄島に死んだ夫の記憶は腕から、近所に預けて勤労奉仕に出てきた幼児の姿は眼の中からくずれ落ちて、爛(ただ)れた肉体からはずれてゆく本能の悶(もだ)え。

 四日め
 しろく烈しい水様下痢。まつげの焦げた眼がつりあがり、もう微笑の影も走ることなく、火傷部のすべての化膿。火傷には油を、下痢にはげんのしょうこをだけ。そしてやがて下痢に血がまじりはじめ、紫の、紅の、こまかい斑点がのこった皮膚に現れはじめ、つのる嘔吐の呻きのあいまに、この夕べひそひそとアッツ島奪還の噂がつたえられる。

 五日め
 手をやるだけでぬけ落ちる髪。化膿部に蛆がかたまり、掘るとぼろぼろ落ち、床に散ってまた膿に這いよる。
 足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔で蠢(うごめ)き、傷にたかる蠅を追う。高窓からの陽が、しみのついた床を移動すると、早くから夕闇がしのび、ローソクの灯をたよりに次の収容所へ肉親をたずねて去る人たちを、床にころがった面(めん)のような表情が見おくっている。

 六日め
 むこうの柱のかげで全身の繃帯から眼だけ出している若い工員が、ほそぼそと「君が代」をうたう。

「敵のB29が何だ、われに零戦、はやてがある――敵はつけあがっている、もうすこし、みんなもうすこしの辛棒だ――」

 と絶えだえの熱い息。

 しっかりしなさい、眠んなさい、小母さんと呼んでくれたらすぐ来てあげるから、と隣りの頭を布で巻いた片眼の女がいざりよって声をかける。
「小母さん? おばさんじゃない、お母さん、おかあさんだ!」
 腕は動かず、脂汗のにじむ赧黒(あかぐろ)い頬骨をじりじりかたむけ、ぎらつく双眼から涙が二筋、繃帯のしたにながれこむ。

 七日め
 空虚な倉庫のうす闇、あちらの隅に終日すすり泣く人影と、この柱のかげに石のように黙って、ときどき胸を弓なりに喘(あえ)がせる最後の負傷者と。

 八日め
 がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空地に積みあげた死屍(しし)からの煙があがる。
柱の蔭から、ふと水筒をふる手があって、
無数の眼玉がおびえて重なる暗い壁。
K夫人も死んだ。
――収容者なし、死亡者誰々――
門前に貼り出された紙片に墨汁が乾き
むしりとられた蓮の花片が、敷石のうえに白く散っている。


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<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年夏のホームページ」

2013-08-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/08
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年の夏(11)ホームページビルダー

2003年の夏日記つづき
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2003/08/21 木 曇り
日常茶飯事典>LLサイズ衣装

 久しぶりにミシンを出す。ダンス発表会『監獄ロック』の衣装として渡された迷彩柄ジャケットを、MサイズからLLサイズにお直し。衣装担当から、「Mサイズしかないから、サイズが合わなかったら、自分で直して」と言われたのだ。
  似たような迷彩柄の布を足しておデブ用に。外出用にはちょっと変だが、5分間ジャズダンスを踊る時に着るだけなら大丈夫。はじっこで半テンポ遅れて回転し、左右逆に足をあげてしまう太っちょの衣装が少々変でも、誰も気にしない。

本日のはさみ:布地を幅10センチずつ切って両脇に縫い足す

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2003/08/22 金 薄曇り 
トキの本棚>『フラジャイル正剛と田中ミンの踊り』

 一日中『フラジャイル』をごろ寝で読む。
 『分母の消息』にも、フラジャイルにも、人名がわんさか出てくる。

 たくさん出てくる人名のなかで、たとえば、田中ミンが事務所に現れて「正剛さんに踊りをみてもらいたい」と言った、という話を読むと、ひがみそねみで生きている私は、すぐに「田中ミンは私のためには踊らなかった」という20数年前のうらみつらみが思い出されてしまう。

 市川雅から情報を得て、三鷹だったか吉祥寺だったかの公民館集会室のような場所に迷い迷いやっとたどり着いたときのこと。
 観客としてやってきたのは、私のほかはだれもいなかった。「場所が間違いだったのか」と、うろうろすると、今日公演がある、というポスターも貼ってあり、間違いではない。

 田中のほかに部屋には女性がひとりいるのみ。(木幡和枝だったかも)時間がすぎ、いくら待っても踊りは始まらない。
 「ポスターに書いてある開演時間は過ぎているが、何時から始まるのか」と聞くと、女性の返事「今日はやる気がしなくなったので中止。ダンサーにはインスピレーションが大切で、今日はインスピレーションがない」というような解説だった。
  
 集会室で気まずい思いをしながら待ち続け、何時から始まるのかと質問するのさえ勇気をふりおこして声を出した「一般ピープル」たる私の存在は、観客としてはまったく無視されたのだった。

 正剛という「文化最先端ランナー」には「踊りを見て欲しい」と願った田中にとって、ただただ踊りが好きで、田中が踊るのを舞台じゃなく、集会室のような小さなところで目の前で見てみたいと思った一般ピープル観客は「やる気がでない」存在だった。

 まあね、一般人の扱いはこんなもの。「あなたがダンサーとして生きているその同じ時を、私も一期一会の時間を持つための観客としてここまで2時間かけてやってきたのだ。」そんな一般人は「インスピレーション」にはなりえず、田中は私のためには踊らなかった。

 その後、何度か舞台で踊る田中を見た。私は舞踏系はあまり好きではない。みんな土方亜流に見えてしまうから。でも、ギリヤーク尼崎と田中ミンは好きなほうだった。

 鍵の置き場所とか、カードの暗証番号とか、大事なこと忘れちゃいけないことはどんどん忘れるのに、どうしてこんな些末なうらみつらみは忘れないのだろう。

 だれからも「あなたがここに存在することに意味がある」と、認めてもらえない人間のひがみが、私の体重の50%を占めているからだ。残りのうち40%は脂肪だから、筋肉や血液はたった10%しかないことになる。脳の重量が足りないのはしかたあるまい。

本日のひがみ:こわれもの注意!ただし、一般ピープルの心は壊れても注意されない

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2003/08/23 土 晴れ 
日常茶飯事典>HPビルダーその1 日記公開動機

 ホームページビルダーでいろいろページを作ってみる。わかっている人には何でもないことなんだろうが、わからない人にとってはクリックひとつおっかなびっくり。もしこれで変なことをしてしまい、またパソコンが起動しなくなったりしたらどうしようかと、おそるおそる画像をいれたり水平線をいれたり。何度かページの見栄えを練習。途中、保存エラーが出たので、こわくなってやめた。エラーがでたあとクリックするとガリガリという音が本体の中から聞こえるのだ。恐怖のガリガリ音。

 54歳の誕生日から55歳までの1年間にやりたいこと。
 姉が死んだ54歳、母が死んだ55歳。その年齢になったら、自分の人生をまとめておこうと思ったのだ。墓銘碑代わりにHPを持ち、遺言代わりに日記サイトを公開するという計画。

 「とりたててほめられもせず苦にもされない、平凡な人生の愚痴っぽい女の日記なんて誰が読むのか」とヒメは言うけれど、ま、いいじゃないか。

本日のせみ:おくればせでベランダにせみのぬけがら

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2003/08/24日 日 晴れ 
日常茶飯事典>夏休みバイト

 昨日、今日は暑い。いつもの夏なら7月8月ずっとこうだが、今まで涼しすぎたので忘れていた。

 娘は朝から模試監督のアルバイト。高校大学を通して、夫の事務所以外でバイトをするのは初めて。場所も大学に近いし、試験監督といっても特別むずかしいことを要求されるわけではない。7時50分から1時20分まで、およそ5時間半の拘束で、5000円稼いできた。

 座ってはいけなくて、ずっと立っている監督で、足が疲れたという。事務所でメッセンジャーして、おこずかいをもらう感覚でやるのと、本当に人様のもとで労働するのは緊張感が違う。働くことのたいへんさを少しでもわかったなら、5千円の価値は大きい。娘の感想、「ずっと立ちっぱなしなんて、毎日はできないなあ」
 明日からは一日中立ちっぱなしかも知れない介護体験がはじまる。

 息子はお昼から水泳部OBとの集まり。いっしょに泳いで、そのあと夕ご飯(毎年かつどん)を食べながら昔話を聞く。今年は40代50代の先輩が来るという。かつどんでも何でも、よそで食べてくれれば親は楽。

 ふたりとも家にいないという日、夏休みになってはじめて。一日中HPビルダー。

本日のつらみ:書くよりずっと時間がかかるドラッグやコピーやリンク貼り付け

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2003/08/25 月 晴れ
日常茶飯事典>エスニック料理

 娘は教職課程の介護体験。老人保健施設なので、食事介護や入浴介護がある。
 きのうバイトでいっしょだった友だちは、デイケアセンターでの体験。老人の昔話を聞いてやるとか、センターイベントの夏祭りでいっしょに楽しむ、というのが介護体験だったそうだ。「私も夏祭りがよかった」と文句を言いながら出かける。

 息子は文化祭のクラス全体練習。ふたりとも朝から家にいないので、また一日中、HPビルダー三昧と思ったら、夫から電話。

 事務所のパソコンコンセント抜いたあと起動しないので、見てくれという。しかたがないので出かける。事務所に用足しだけいくのも出かける気にならないので、はじめにブックファーストへ。

 このまえ買い込んだばかりなので、買いたい本も見あたらず、『日本語教師になる本』を買う。10月の日本語教育能力検定試験の全面改定新試験予想分析が載っているので、秋学期の授業のネタ用。

 息子とランチするつもりだったのに、またも「文化祭の練習、午後も続けるから」と、ふられた。回転寿司を食べるつもりだったが、ひとりだったら、普段娘といっしょのときは行くことができないエスニックにする。

 娘は、辛い味いっさいダメ人間。「日本人向けにアレンジしてあるから、本国の料理に比べて、ぜんぜん辛くない」という代物でも「とにかく辛くて食べられない」二十歳すぎてもお寿司サビぬき。

 「アジアの味」という店。2階のテーブル11卓。椅子20脚の小さい店、店構えの感じはよかった。女主人は日本語をしゃべれるけれど、ウェイターの男の子、タイ文字のTシャツを着ていて「いらっしゃいませ」「おまちどうさま」もいっさい言わない。だまって運び片づける。

 だまっているのが悪いのではない。日本語が話せないなら、中国語やタイ語でもベトナム語でも「いらっしゃいませ」を言えば、サービスの心は伝わる。声が出せない人なら、手話やジェスチャーでも伝わる。
 客は「お客さんがこの店に来てくれてうれしい」という店側の気持ちを感じたい。「歓迎光臨」の気持ちを伝えるのは、どの店もいっしょ。

 私になかなか料理がこない。ようやくきたと思ったらデザートが先に出てきた。「あの、お料理まだなんですけど」と言う。それからやっと作り始めたらしく、またしばらく待たされた。

 ベトナム風麺ランチを食べた。麺の上に、揚げ春巻きを切ったものと野菜の千切りがのっている。ランチセットのスープはコンソメの素に人参と竹の子が少し入っている。デザートはタピオカココナツミルク。

 私や隣の席の人がコップをもちあげて、お水おかわりを催促しても、持ってこない。エスニックで辛いのだから、客のコップを注意して見ていて、コップの水が少なくなったら、おかわりをつぎにくるくらいのサービスはすべきだ。20席しかないのだから、店全体が見渡せる。しかし、コップをかかげて「おひやおねがいします」と言っても、持ってこない。だったら、大衆ラーメン屋みたいに、最初から水のはいったピッチャーをテーブルに置いておくほうがマシ。
 味もサービスも「もう一度食べてみたい」というものではなかった。
 
 事務所のパソコンは、別にどうもなっていなくて、ただ、夫も四街道さんも立ち上げ方が分らないだけだった。四街道さんは台湾製のパソコンを買ってきてセットアップに四苦八苦している。パソコンに強くない人はサポート体制がちゃんとしているメーカーの方がいいのにと思ったが、私が使うんじゃないから、よけいなことは言わない。

本日の辛み:ワサビが一番 by一條裕子

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2003/08/26 火 晴れ
日常茶飯事典>HPビルダーその2 老後の遊び

 朝から暑い一日。
 一日何もせずにHPビルダーで遊ぶ。切ったりはったりしているうちに、たちまち時間が過ぎる。これじゃ、いつになったらオンラインになるのか分らないが、老後の遊びにはもってこいだと分る。NPO設立講座でパソコンを習っているスモモも、これからの時代、老人にこそパソコン講座が必要だ、と言っていた。ただ、一日画面を見つめていると、さすがに老眼に悪い。

本日のつらみ:中年老いやすく、HPなりがたし

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2003/08/27 水 朝雨、午後晴れ
日常茶飯事典>火星大接近

 午前中Aダンス練習。午後、HPビルダー。
 夜、息子と火星を見た。次の小接近は17年後、今回のような大接近は6万年後、といっても、小接近と大接近の差なんて肉眼や倍率の低い双眼鏡で覗いただけでは区別がつかない。それでも、どうして天文ショウは、ハーレー彗星接近とか流星群とかが人をひきつけるのだろうか。
  自分という存在もまた、宇宙の永遠の輪廻の中のひとつと確認するためなのだろうか。

本日の負け惜しみ:6万年後は無理ですが、17年後に会おうね、マーズ

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2003/08/28 木 曇り972
日常茶飯事典>HPビルダーその3 日記公開理念

 ネット上に日記サイトは星の数ほどあるとしても、ひとりの女の数十年にわたる日記を全公開しているサイトは、まだ見ていない。少なくとも私の網にはひっかかっていない。だから、還暦までに、10歳から60歳までの50年間の日記すべてを公開するという計画は、少しは意義があるかもしれない。質は悪いが量で勝負、みたいな。

 全集第二期29巻のほとんどが日記という野上弥生子とか、小説作品以上に日記が文学作品である一葉とか、文学者の日記は出版もされる。一般人の日記でも、戦争とか、震災とか、歴史的な出来事を記録した日記には資料的な価値がある。戦争中の個人記録を残そうとする自分史資料収集の会やサイトも出てきた。だが、今のところ、市井一般の女の平凡な日記など、文学的にも歴史資料にも、省みられることはない。

 しかし、20世紀と21世紀を生きたひとりの平凡な女が、日常をどう過ごし、毎日どんなよしなしごとが胸に去来したのか、ということを記録しておくことが、もしかしたら何らかの役にたたないとも限らない。

 将来、日本学研究者のなかに、「日本語教師自己形成史」なんてのをテーマにしてみよう、という奇特な留学生がでるかもしれない。そのときに、ひとりの教師が小学生の時から、どのように言葉を身につけ、言語作品から影響を受け、自己形成をしていったのかをトレースする材料になれば、こんな日記でも残す意味がある。

 留学生の中に、明治期に海外留学した女性の自己形成史をまとめている人もいるし、明治大正女性の自己形成を調べるため、女性受刑者の裁判記録を調べている人もいる。調書の中に、幼少のころの話がでてくるからだ。

 「日記のメインコンテンツは、妬み嫉み僻み、恨みつらみに負け惜しみ、悩み半分。ふみ読み半分」という開き直りキャッチコピーをつけた。
 「他人の愚痴ぼやきを誰が読むか」というヒメの評は正しいが、しかし、文学者の日記でも、滝沢馬琴の日記など、毎日金計算の記録ばかりというではないか。なんでも記録すること。トリビアに神やどる。

 また、何の役にたたないとしても、私のお葬式をするとき、読経のかわりに参列者に一日分づつ日記をマイクの前で朗読してもらい、それが焼香献花のかわりでもある、という「おわかれ会」にしてもらうことにする。娘息子に遺言を残しておくから、坊さんに渡す読経料お布施の節約にはなる。  銀の匙などくわえずに生まれ、家土地残さず金も残さず生涯を過ごすひとりの女が、たった一つ残すものが「ぐちぼやきの日記」である。この日記は私の人生と等価なのだ。ま、安上がりな人生だったな。

 惜しむらくは、日記を書くようになって以来、7歳8歳9歳の「絵日記」を引っ越しのときなくしたことだ。昔住んでいたアパートの押入の天井裏に画用紙の束を置いておき、忘れてしまった。あのアパートはとっくに取り壊して、絵日記は押入のふすまといっしょに燃えるゴミになったろう。小学校4年生からはノートに書くようにしたので、残っている。

 「学校卒業後、数年お勤め。結婚、出産。子ども二人を育てながらパート勤め」という人生の女の10歳から44歳までの日記が段ボール一箱の中に入っている。
 45歳から10年間は、キャノンワープロフロッピーと、パソコンフロッピーに入っている。保存に失敗して消えてしまった分もあるが、フロッピーに最大記憶量入れると、だいたい1年で1枚。平均すると、一日分は400字詰め原稿用紙なら3~4枚分。最近の分は、1999年9月からの5年間で5枚のフロッピー。

 仕事を週5日間、週1日ジャズダンスレッスン、忙しくて視覚障害者の朗読ボランティアが最近できなくなってしまったが、朗読が好き。毎日愚痴をこぼしているが、戦争や災害や事故事件のまっただ中にいる人から見れば、可もなく不可もない生活。どうということもない人生。

 そういう生活の記録に何か意味があるのか。いや、無意味でもかまわない。高い能力と効率の良い時間の使い方が「勝ち組人生」にとって必須であるなら、負け組の愚痴やぼやきも必須である。

 たった一枚の葉っぱも、海の底で人知れず生まれて死ぬ深海魚も、宇宙輪廻の中の必須の存在。なーんてね。火星が6万年に一度の大接近すると、私も50年に一度は、教祖様のようなことを言うね。お布施を集めたい。 

 還暦を無事迎えたら、50年分の日記を本にするつもりだったが、自費出版するお金もたまりそうにないので、HP公開するのだ。

 一日中、HPビルダー。
 始めると、止まらない。目に悪い。ワープロで書いた日記をコピーするだけだから、簡単にできると思ったら大間違い。
  なぜなら、子どもたちは「お母さんが自分の趣味で日記公開するのは、自分の人生なんだから好きにしたらいい。でも、ぜったいに子どもを巻き込まないで。日記の中に、子どもを登場させないで。子どものプライバシー保護で迷惑をかけないで」と言う。

 娘が1歳半から半年に一度、親せき向けに発行していた家族新聞も、私が子どもと離れて半年間過ごした中国単身赴任を終え、帰国したという報告を最後に休刊した。娘が「自分のことを書かれるのはイヤ」と、言ったからだ。

 子どもたちの成長エピソードをおもしろおかしくつづるのは、私にも親せきにも楽しみだった。お寺で、お墓参りのろうそくに火をつけたら、2歳の娘が「ハッピバースデ、ツーユー」と歌い出した、などなどのエピソード、親せきに「笑い話」として好評だったのだが、子どもにしてみると、「自分が直接知らせたのではない情報」によって、笑いのネタにされることがいやだったのだろう。

 しかし、「ぜったいに子どもを登場させないで」というのは、いささか無理がある。私の生活、人生の大半は「子どもにかかずりあうこと」で成り立っているからだ。子どもの話を抜いたら、私の生活ではなくなってしまう。

 「花火を見に行った」と書くのも、私にとって、花火がきれいなことに意味がある以上に、子どもといっしょに見て、時間をともにすごしたことに価値があるのだ。
 それで、日記を読み返して、子どもたち登場シーンはできるだけカットして、名前の出る部分は仮名にした。それでも、子どもの話は多い。

  日記のうち、2001年ゴールデンウィークと2002年ゴールデンウィークのものは、子どもの名前が娘息子としか書かれていないことがわかっているので、コピー。日本人クラスの学生に配布した際、名前を削ったからだ。

 去年、一昨年ゴールデンウィーク期間中、全学休校となるので、日本人学生に宿題を出した。レポート1「私の異文化体験、または、私が受けた語学授業の思い出」、レポート2「レポート1をもとにして考えた理想の授業」

 学生に作文を提出させた後、必ずひとりひとりにコメントを書いて返却する。そして教師の側も学生に自分の作文を配布する。ゴールデンウィーク中に、日本語教育やことばについて考えたこと、異文化体験、日本文化などについて、書いた日記を配布したのだ。学生は成績に関係ない文であれば、読みゃあしないのだが。学生にレポートを要求したら、こちらもノルマを果たすというポリシー。
 今年は同じタイトルのレポートを「期末レポート」にしたから、私からの作文配布もなし。

 8月上旬と中旬の分をコピーしただけで、この作業がいやになった。結局全部読み返すことになり、読み返すと、自分の日常がどれほど「どうでもいいこと」の連続であるか確認することになる。ぐちと、ぼやきと嘆きといやみ。「どうでもいいこと」の集積が私の日常なんだから、しかたがないけれど。

本日のひがみ:読まれないとなると、まだひがむのだろうな、うらやましいぞ人気サイト

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2003/08/29 金 晴れ 973
日常茶飯事典>HPビルダー3 ステップバイステップ

 「ステップバイステップ日本語教授法」をHPビルダーにコピー。私自身のシラバス授業進行に合わせて編集したものだから、私にとっては価値のある編集だ。しかし、すぐれた編集の日本語教授法の本が山ほどある中、私が書いたものなど出版するほどのものではない。

 自費出版で100部印刷しても、年に20人30人の学生に強制的に買わせて売り切れるまで5年もかかる。
 だが、「日本語教授法」の本を買おうとまでは思わないけれど、HPで無料で見られるなら、「日本語教育」というものがどんなことをやるのか、ちょっと覗いてみよう、という人に役にたつかもしれない。

 名前を仮名に変える必要はないが、一太郎で作ったページは、罫線がコピーされないので、表を作り直すのがめんどうだ。分っている人には、もっと効率のよい方法があるのだろうが、ことばを打ち込む以外はわからないので、実にたいへんだ。ワープロ機能以外で使うのは、インターネットとメールだけ。HPビルダーが、はじめてのワープロ以外のソフト導入なのだ。

 夫の事務所パソコンに一太郎をインストールしたいというので貸したかわりに、エクセルを借りてこよう。エクセルを覚えるのもたいへんそうだが。

本日のふみ読み:自分で書いた日本語教授法、いいと思うよ、ただならば

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2003/08/30日 土 曇り
日常茶飯事典>松岡正剛トーク

 「たべてるとき、ねてるとき、おふろに入っているとき以外、お母さんはパソコンの前にいるね。お母さんが仕事もしないでパソコンであそんでいるんだから、ぼくだって、宿題よりゲームだ」と、息子。
 こんなふうに寝る間食べる間を惜しんで取り組める、夢中になって遊べる「遊び道具」が見つかったことは、老後の計画にいいと思うよ。でも、それが夏休みの宿題をやらないことのいいわけになるのか?ならん。

 夕方池袋へ。ジュンク堂で松岡正剛トークショウ。4階喫茶店の狭いスペースにぎっしり椅子を並べて、60人くらい入っていた。思いの外、若い人たちも多かった。編集学校の生徒たちかな?皆、好奇心旺盛な顔をしている。しかし、私の隣にすわったお嬢様は、最初から最後まで居眠りをしていた。せっかくの面白い話なのに、もったいない。

 松岡と本の関わりについて。編集者として『遊』や『全宇宙史』を作ったときのエピソード、読者として本に対する姿勢、千夜千冊のこと。著者として本にかかわるときのこと。

 著書の中や、インタビュー記事などを注意深く読んでいるコア読者にとっては「周知のように」なことかもしれないのだが、私にとって初めて知ったトリビアがいくつかあって、とてもおもしろかった。松岡が脳内圧力が高くなって入院したことは『フラジャイル』や他の本に書いてあるが、その原因は早稲田時代に議長を勤めていたころのこと。デモに出て逃げ遅れ、機動隊にしたたか棒で後頭部を打ちのめされた。そのときの怪我の後遺症がでたものであったと。

 また、生い立ちについて、京都呉服屋のぼんぼん育ちかと思っていたのだが、実は大学4年生のとき父親が当時の金額で500万ほどの借金を残して死去。その借金返済を遺産として受け継いでの社会人生活スタートだったこと。などなど。

 デモで逮捕され、留置所刑務所を経験した者、政治活動によって怪我を負った者、自分を原因としない借財を背負う者に対して、私は無条件で「私よりエライ」と尊敬の念を持つ。私は怪我もせず親の借金も負わなかった。松岡は、すでに2つの点でソンケー。

 もうひとつ、私が無条件でエライと思う人は、ハンディキャップを持っていてもそれにうちのめされることなく生きている人。ハンディキャップを持つ人に寄り添っている人。「頭と性格と顔」が悪かったことは私にとってハンディだったが、手足目耳などのハンディは、今まではなかった。

 『山水思想』のサイン本を売るというので、ミーハー心が動いたが、4700円の本はすぐには買えない。図書館で読んでから、どうしても手元におかなければ、と思ってから買おう。

 門前小僧の先生が来ていたので、あいさつした。今期は申し込まない、来期にするといったら「正式な申し込みは締め切りましたが、まだ、間に合いますからメールだして」と言われた。まさか「電子レンジがこわれたので買い換えねばならず、圧力鍋もこわれてしまい、自分のための10万円が用意できません」なんて理由は言えないから「はい、じゃあ失礼します」なんて曖昧な笑顔で会場を出た。

 トイレに行ったら、隣の席のいねむりお嬢様たちが眠気覚ましにであろうか、鏡の前でメーク中。関西弁のおしゃべりを聞いていたら、彼女たちは(たぶん)手○○学院大学の学生。「あいさつせんと、このまま帰っちゃってええんやろか」「ええやん。けど、ほかの人ら、うちらと違うな」「あの人たちにとっては、センセー特別な存在なんやろね」「うちらにとっては、フツーにセンセーなんやけどね」というような会話を交わしている。

 「フツーに先生」というのは、授業中話したり課題を出してレポートを書かせたり、成績をつけて単位をくれたりする、他の教授たちと同じ、という意味だろう。松岡の考え方や著作に惹かれて集まった他のファンとは、どうも印象の違うお嬢さんたちだと思っていたら、松岡ファンではなく「フツーに女子学生」の人だった。もしかしたら、、夏休み中東京に遊びにいく者がジュンク堂でのトークを聞くと、前期の出席が不足した分を穴埋めして出席回数に含める、というワケアリだったのかも知れない。
 
本日のつらみ:自己開発より圧力鍋

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2003/08/31 日 曇り、夕方少し夕立 
日常茶飯事典>HPビルダー4 個人情報保護

 一太郎のマニュアルを探したら、ある語全部を別の語に一括変換する方法がわかった。だんだんマスターしていく。日記作成キットを取り入れれば、もっと簡単にできるのかもしれない。

 しかし、私の日記サイトは、毎日のことをリアルタイムで公開するのでなく、一ヶ月ごとにまとめてアップするという方法をとるつもりなので、今まで通り一太郎ワープロで書いてから、あとでHPビルダーにコピーという方法でいいのじゃないだろうか。そのうち日記作成キットのことも調べてみよう。
 プレビューで見ると、行間がつまっていて、見にくい。もっと行間をゆっくりとりたいが、どうしたらいいのか、わからない。一太郎設定なら簡単なのに。

 単位制高校情報科で20単位分、情報理論やパソコン実習の授業をとった娘、情報処理資格やワープロ検定に合格した。大学でも去年1年間情報基礎論を受講した。それで、私の日記公開にあたって、「個人情報保護」レクチャーをヒメから受ける。

 HPを読んだ人に、匿名者がだれかわかるような情報は絶対にダメ。地名人名は公的なものだけ載せ、私人の情報はすべてカットする。
 HPを公開している人の名は、そのページで使用している名にする。たとえば、義姉の夫は、ハンドルネーム「翻訳者O(オー)」、姪たちは、くらげん、ひつじなど。実名を仮名にするときは、まったくかけ離れた仮名にすべきで、英子さんの仮名がA子さんだったりするのはダメ。

 個人情報のうち、自らがHPで公開しているもの、著作に書かれて公になっていることはOK。たとえば、ひつじは自分のHP日記に結婚式場下見について書いているから、私がいっしょに行ったことを書いてもOK。

 それ以外のことは、たとえ仮名にしてもオフレコード。
 たとえば、Aダンス内で、だれがセンターポジションで踊るかをめぐって確執があった事件。だれがどんなことを言ったか書くなら、言った全員に「このことをHPに載せてもいい?」と聞いて、OKをとらなければいけない。そんなの面倒くさいから、自分はセンターで踊りたくないってことだけ載せることにした。話はまったく面白くなくなってしまうが、しょうがない。主婦のケンカって、面白いのに。
 授業のことも、個人名が特定されないよう、要注意。

 でもそうやって削っていくと、「どうでもいい日常」が、ますます干からびた面白くとも何ともないものになっていく。自分の日常が、いかに個人がすべったころんだケンカしたという些末情報でなりたっているかがわかる。
 些末情報トリビアが私の日常なのに、中身が半分以上なくなってしまうのだ。

 たかが個人のHPで、これだけ気を遣って個人情報を保護しようとしているのに、住基ネット個人番号制では、たぶん個人の記録は、何らかの漏洩が問題になるだろう。将来、健康保険年金などが一本化されてカードになれば、病歴職歴などすべて国家が個人情報を把握できる。SF小説で何度もネタになってきた管理社会は目前だ。
  
本日のなやみ:キーボード腱鞘炎になりそう
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2013/08/08
 2003年の夏、ホームページビルダーと格闘しながら自分のHPをUPしました。それだけでずいぶんな大仕事をなしとげた気分でいた8月。
 それから10年、あきもせず、1週間に7千字から1万字という分量で書き続けてきました。ほんとうに些細な日常茶飯事。読み返してみれば、10年前も今年もまったく同じことをやっている。花火見て、映画見て、古本屋で百円本買って、本屋のトークショウを聞いていました。

 ただ、10年前はホームページビルダーを使って作ったHPは、パソコン買い換えたときから放置。2003年9月からはじめた無料HPサイトのほうは長続きしています。
 ネット友達ブログ友達も何人かできました。続けられたのは、コメントをいただくのがうれしくて、だれかによんでもらうことが励みになったからです。

 たぶん、これからも、娘むすこに「くだらないことをぐだぐだと」とけなされながら、書き続けていくことでしょう。
 2003年の夏日記、「ブログをはじめた初心に戻る」みたいな感じで、コピー&ペーストもちょっとは自分に意味のある作業でした。

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2013/08/08
 こうして春庭は、2003年の夏休みに四苦八苦してホームページを立ちあげ、以後の10年間、ブログ更新が最も重要な日課となっております。今夏は、ネットカフェやら図書館パソコンコーナーから更新中。

 8月6日、ようやく息子が出かける気になったので、秋葉原にいっしょにいきました。息子は、壊れた液晶画面の修理依頼。5万くらいかかるといわれました。私のは、2008年から使っているノートパソコン、ウィンドウズXP。起動しなくなって早一ヶ月。ウィンドウズ8の評判がイマイチなので躊躇っていましたが、息子が使っているのと同じウィンドウズ7は、もう中古市場で探さないと見つからないというので、ウィンドゥズ8を交わされるはめになりました。買い替え戦略にはめられている気がします。
 月末に届くという格安パソコンが届くまで、図書館利用がんばります。ネットカフェのパソコンより遅くていらいらしますが、ただなので。

 暦のうえでは秋になり、暑中見舞いは使えないということなので。
残暑お見舞い申し上げます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「2003年夏のふるさと」

2013-08-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/07
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年の夏(10)お盆帰省のふるさと

 2003年日記コピーつづき

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2003/08/14 木 雨 
日常茶飯事典>お盆帰省

 坂下のアパートに泊る。「自宅に盆棚をつくるのはめんどうくさいから」と、自宅からアパートへ移動している両親と姉の位牌にお線香。たしかに、母にとっては、この坂下の家が自分の家だったのだし、姉にとっても結婚後に何回か引っ越した家より、子ども時代をすごしたこの地に両親といっしょに帰るというのは納得。出窓を盆棚がわりにして、写真と位牌、お花、お供え。

 「お寺に盆迎えに行ったんだけど、盆提灯を持っていくの忘れたから、たばこに火をつけて、ママ、この火に入っておいでって、迎えてきた」と、蜜柑の弁。お線香立てに、たばこがささっている。最期は肺ガン併発の母にしてこの娘あり。

 蜜柑の子どもたち4人、相変わらずにぎやか。かわいいけれど、うるさい。5歳の末っ子ジュジュはますますパワーアップ。ミニチュアダックスフントの2匹、うるさい。かわいいけれど、うざい。

 伯母が入所しているグループホームへ。自宅に残してあった写真を伯母に渡すと、自分が持っていたアルバムなのに「あらぁ、こんなにちゃんと写真をまとめてくれてありがと。まあ、こんな昔のも。なつかしい」と、初めて見るような顔で見ている。今朝のことは忘れるが、昔のことは覚えているのだから、写真があれば、当分昔の思い出にひたれるだろう。

 伯母を連れ「やすらぎの湯」に入る。温泉につかり、休憩所でお茶を飲む。「ねぇ、おまんじゅうを食べようよ」と伯母がいうので、買ってくる。ホームでは、きまったおやつの時間のほかに買い食いをすることはできない。しかし、もう88歳になっていろんなことを忘れていく人に対して、健康に悪いから甘いものばかり食べてはだめ、なんて禁じることもない。ホームの職員には、老人の健康を管理するという職務があるが、私たちはたまに会うだけなので、伯母を甘やかす。

 私とスモモは「おまんじゅうが好きなら、好きなだけ食べればいい。夕食があまり食べられなくなって栄養が片寄ったとしても、好きなもの食べられるだけ食べて残り少ない余生を過ごしたほうが、食事管理して長生きするより幸福じゃないか」と、話す。健康管理するホームの人から見たら、迷惑なことかもしれない。
 近くのそばやで夕食。伯母と私はてんぷらそば。伯母はおまんじゅうを食べたあとでも、おそばも全部食べる。

 スモモは毎月ホームへ顔を出し、服を買ってやったり、誕生日に花やプレゼントを届けたりしているが、いくたびに「まあ、なつかしい。何年ぶりで会うんでしょう」と言われるのだと。今日はついに「おまえ、名前なんだったっけ」と聞かれていた。
  自分のアルバムを眺めて、あんなに贔屓にしていた「露子」「ゆきみ」の写真を見ても「どこの人?」と聞く。私のこともしだいに忘れていくのだろう。」

 ただ、最愛の柿実さんが早死にしたことも、普段は忘れているようなので、その点はよかった。アルバムを見て、「今日は、柿実は来ないんだねえ」と伯母が言うから、「柿実さんは去年死んじゃったでしょ」と、話すと「そうだねえ、なんで死んじゃったんでしょ」と、思い出す。思い出すが悲しみに浸る前に忘れる。一昨年のきんこおじさんの死は比較的覚えているのに、去年の柿実さんの死は、もはや霞がかかった状態で受け止めたから、衝撃が少なくてすんだのだろう。

 NPO設立講座に通って、痴呆老人問題にも詳しくなっているスモモ、「年寄りにとって、自分がだんだん物事を忘れていくという現実はとても怖い、不安な出来事なんだから、その不安をしずめるように接してやらなければならないと教わったけど、目の前で惚けたことをしでかされると、腹が立つんだよね」
 現実にぼけ老人を抱えている人は、毎日たいへんだろう。たまに会うだけだから、やさしくしてやれるのだ。

本日なやみ:いつか私も「私はだれ?」
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2003/08/15 金 雨 
ニッポニアニッポン事情>2チャン鶴余波

 2チャンネルの折り鶴は、60万羽に達する見込みとか。
 くらげん日記に気になる記述。「今日は、いろいろ平和とか戦争について考えた」とあるので、日頃はそんなこと考えたこともない2チャンネラーの若者何人かが、8月15日について意識する結果になったのなら、折り鶴オフ会も意味があったとは思う。しかし「靖国神社にでも行ってみようとおもったのだけど、雨がふったから行かなかった」と、ある。雨じゃなかったら、靖国へ行ったのかも知れない。

 ヒロシマで鶴に慰められる霊があるとしたら、その人たちの中には靖国への参拝を喜ばない人も混じっているかも知れないとは、つゆほども思わない、靖国も原爆ドームも全部いっしょくたに「なんか、戦争で死んだ人に関係するとこ」としか思わない人たちが確実にいる。

 「2チャンネルを利用しよう」と企む利口者が現れないことだけを願う。2チャンネルのウェブ上での先駆的役割はすでに終わっている、という評価もあるが、現実に影響力を持ち得ることは、今回の折り鶴で証明されたように思う。2チャンネルで煽られれば、「平和のために参戦しよう!武器をとれ、戦おう」という呼びかけに応じる者がでないとは限らない。触法未成年の顔写真をさらすことや覗くことを喜ぶ人もいれば、煽りにのる人だって確実にいる。

本日のたみ:無辜のたみも戦犯もヤスクニで同居

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2003/08/16 土 雨 
日常茶飯事典>山東省出征記録画集

 息子は文化祭の練習で午前中、学校。待ち合わせをして、姑訪問。
 仏壇を買ったというので、お線香を立てに来たのだが、姑は案の定「お寺にお迎えなんかに行ってないのよ、でも、同じでしょ」と、気にしていない。盆迎えも盆送りも、生きている人の心を平安のためにする行事だから、姑が「いつもいっしょにいるから、わざわざ迎えに行くことなんかないのよ」と思っているのなら、それが一番だ。

 二階で、舅が描いた「山東省出征記録画集」のアルバムを見た。戦争中に中国でスケッチしたものを元に再画し、色鉛筆彩色したもの。個人の記録だから、資料的な価値はないかも知れないが、姑には保存をすすめる。画集出版が一番いいのだろうが、姑はしきりに「おじいちゃんの入院で蓄えを全部使ってしまったから、お金残っていないのよ」という。

 免疫療法という健康保険のきかない治療を続けたからだ。入院しているホスピスから、免疫治療を受ける病院まで、タクシーでの往復、一回の治療代が何十万とかかる。それを半年以上続けたのだ。ホスピスに入るとすぐに亡くなる人が多い中、半年も余命を延ばせたのは、治療のおかげと姑は満足している。

 「孫たちの学資保険にと積み立てていた分も全部治療費に回してしまったから、入学祝い金は出せない」と、去年言われていたから、もうお金がないことはわかっていたが。

 姑の気持ちに「できる限りの治療はした」という満足感があり、心残りなく舅を送り出せたのだから、お金が残らなかったことを云々することはできないし、出版しましょうとは提案できない。家のかたづけと事務所のパソコンの接続がすんだら、とりあえず、ウェブで保存公開をするつもり。

 嫁の立場から言うと、治癒の見込みがない病気に高い免疫療法を続けてお金を使い切るより、姑の老後のために余裕を残しておくほうが、舅は安心して旅立てたのではないかと思う。でも、舅が免疫療法を続けている間、私は姉のホスピス転院の方にかかりきりで、姑になにひとつしてやっていないのだから、何も言えない。

 「テレビで『大地の子』再放送してたから、見たの。よく写っていたわね」と、姑。私の出演場面がちゃんと放映されたようだ。
 『大地の子』の最初の放映では、満州墓参団シーンがカットされていた。「エキストラで出演しているっていうから、ずっと見てたけど、どこに出てたの?」と、あちこちから言われた。中国から帰ったあと「『大地の子』にエキストラ出演したから、ぜったいにドラマ見逃さないで」と、大宣伝したのに、うつらなかったのだ。

 しかし、拡大版放映のときは墓参りシーンがあり、ビデオ録画して、めでたく「ほんとに出演したんだってば」という証明ができた。
 姑はビデオを持たない人なので、今回やっと、墓参りシーンを見た。仲代達矢の後ろに立てばカメラワークに入ると計算して、涙ふくハンカチの脇からカメラ目線でレンズ位置を確かめている笑えるシーンを見たのだ。満州に倒れ伏した人々を思って泣くシーンなのに、「あのカメラ目線は笑える」と、親せき中の評判をとったエキストラ演技。

 主役脇役でもなく端役チョイ役ですらなく、ワンシーン、ワンカットのエキストラで、しかもカメラ目線というのが、「私の存在モード」を象徴しているので、気に入っているシーンだ。

 姑は「詩吟とお習字と童謡を歌う会に入ったから、毎日忙しくて」という。78歳にして生まれて初めての一人暮らしを楽しんでいるらしい。一人暮らしで元気でいられるうちは心配ない。声を出すのは健康に一番。

本日のつらみ:仲代達矢にサインもらいそこねた

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2003/08/17 日 雨 
アンドロメダM31接続詞>風野春樹という本名

 雨続き。で、一日片づけもせず、ウェブサーフィンでぐだぐだとすごす。

 「喜多哲士ぼやいたるねん」のリンクぺージに、「サイコドクターあばれ旅・風野春樹」は本名だと書いてあったので、びっくり。絶対にペンネームウェブネームだと思っていた。SF批評家の名前ならありだけど、精神科医の名前としたら「うそっ」と思う心理は、これいかに。ただし「本名」というのもネタかもしれないが。
 SFセミナー世話人の風野満美が奥さんと思うから、やっぱり本名なんだろうな。

 ぐるぐる回っていると、何から飛んでも「ことばリンク」と「SFリンク」に出てしまう。自分の興味がせまいことがわかる。青木みやが更新復活していた。ぜんぜん見たことも会ったこともない人なのに、更新にほっとするのも「ネット心理学」でありましょう。青木みやは、SFにまったく関係ないドクター西村の頁から飛んでいった人なのに、SFセミナーの人だった。

 私がSFを夢中になって読んだのなんて、ふた昔以上も昔のこと。60年代70年代のSFしか知らなくて、近年のSF小説の進化ぶりもまったくわからない。それでもSF小説が好きっていう人の日記は面白く読める。ぐるぐる回って「ヘビメタビジュアル系が好き」とか、「死体写真コレクター」とかいう人の日記にたどりついたとしても、読み続けることができない。私という人間の感性感覚はきわめて幅狭いもんなんだろうな。

本日のひがみ:精神科医にして、SFにぴったりの本名、うらやましいぞ

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2003/8/18 月 曇りのち雨 
ことばの知恵の輪>ハーレクイン

 夕方雨の中を買い物に。自分の買い物なら雨の中わざわざ出かけはしないが、うさぎタイムのトイレシートが一枚もなくなったので。商店街でトイレシートと干し草を買う。ヒメがホームセンターで買った干し草は割安だったが、タイムのお好みにあわず食べ残す。こんな草にも味のよしあしがあるんだ。ベジタリアンはベジタリアンなりに、なかなかグルメなのだとわかり、あと2キロも安物が残っているけれど、高い方の干し草を買うことに。飼い主の倹約生活もうさぎ様には関係ない。

 タイムの種類ハーレクインとは、フランス語でいうとアルルカン。顔の半分を黒く半分を白く塗っておどけていた道化師に由来する種名とか。フランス語のアルルカンは、絵画のタイトルで見ていたから知っていたが、アルルカンとハーレクインは同じことばってことを初めて知った。へぇ×20。

 ハーレクインシリーズを読んだことがなかったので、今までハーレクインのハーレは、ハーレー彗星とかハーレーダビットソンのハーレーと同じで、クインは、女王さまのことかと思っていた。ラブストーリーにひたって、ハレばれし、女王様気分になるのかと。以上、うさぎサイトで見つけた、トリビアでした。

 うさぎサイト画像の純血ハーレクイン種ブラックジャパニーズ色は、本当に顔の半分が黒、半分が茶色。背中の黒と茶色はきれいな縞模様。このブラックジャパニーズというのは、「うるしの黒色」ってことだろう。ハーレクインはオランダでブリーディングされた種だというが、黒い色といえば、ジャパンすなわち漆の色だったのだ。

 我が家のタイムは顔半分が黒、半分は黒茶まじり。背中は黒と茶のまだら。大きさも純血ハーレクインの半分。たぶん、ミニうさぎが混ざっているのだろう。まあ、純血ならば公園に捨てられることもなかった。とりあえず、人様にペット自慢するときは「自慢じゃないが、れっきとしたハーレクイン種の、なんだかよくわからない混じり方の雑種!」自慢になっていないが。

 タイムは、我が家に来て、ハーレ女王ではなく、はればれキングとして君臨している。先代うさぎアスカの反応から感じる家庭内序列は「ヒメ、母、アスカ、ワカ」だったが、雄のタイムは「タイム、ヒメ、ワカ、母」と思っている様子。いいんです私、最下位でも。

本日のひがみ:人間様は「無農薬天日乾燥魚沼郡こしひかり」じゃなく、「生協無洗米」を食べている

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2003/8/19 火 曇り 
トキの本棚>『猫とみれんと』

 午後、事務所に行く。夫が「パソコンをとりあえずワープロとして使う」というので、一太郎をインストールする。
 
 文鳥堂で飯間浩明『不思議な日本語、遊ぶ日本語』購入。
  『不思議な~』は、先月新刊が出たときに本屋で見かけて、どうしようかなって手に取った。日本語というタイトルがついていれば一応見る。タイトルが平凡なのと、目次の感じから「ありがち日本語うんちく」と思って買うのをやめた。でも、ネットサーフィンでyeemar's homepageに出て、面白かったので、買う気になった。

 本屋はしご、芳林堂で寒川猫持『猫とみれんと』を買う。
  猫持も、単行本が出たときにさんざん迷ったが「文庫になってから買う」と決めたもの。本を目方で買っている私にとって、歌集というのは、コストパフォーマンスが贅沢すぎる。
 
 三十一文字の一字一句、行間も味わえとか言われても、1頁に2首しか配列してなければ、300頁の本でも、文字数は1800。ページの白さがもったいなくて、歌集は文庫か古本でなければ買えない。猫持、やっと文庫になったので買えた。

 単行本出版時の評判通り、面白い。笑えた。歌集で笑えるというのは確かに貴重である。これが短歌か?という評もあるだろうが、31文字コピーが短歌昇格したサラダ以後、何でもありだ。しかるに、文庫になってまだ、1頁2首だと、ページの余白がもったいない気がしてしまう。
 ちなみに、『サラダ記念日文庫版』は1頁3首、啄木歌集は8首、茂吉歌集は20首。1文字いくらで換算する私は、短歌批評家にはなれないでありましょう。

 さて、猫持の文庫186頁と187頁の4首はこんな歌
 すうどんはネギにカマボコ二切れに七味無料で三十五円」「すうどんに揚げが入ればキツネなりこれは一杯四十五円」「かけそばに揚げが入ればタヌキなりこれも同じく四十五円」「昼下がり自転車で来る紙芝居つんと鼻つく酢こんぶ5円」

 文庫一冊530円見開き2ページあたり5円なり。たった5円で、昭和30年代大阪のうどんや酢こんぶ、味もにおいも130円分味わえるなんて、超お買い得。とはいうものの、うどんすすって酢こんぶかみしめながら、いつもの3倍ゆっくり読んでも30分で終わってしまった。

 関西では、キツネにいれる油揚げもタヌキに入れる揚げ玉も、両方とも揚げというのか。紙芝居のおまけは酢こんぶだったのか、など思いめぐらすうちに、50年前がよみがえる。

 お稲荷さんの境内で見た紙芝居のおまけは水飴だった。必ず割り箸の先につけた水飴を練りながらおっさんの話を聞き、最後に一番白っぽく練り上げた子におまけが与えられた。3,4歳の私は一度もおまけをもらえたことがなく、二本目の水飴を得意そうにくわえる小学生がとてもうらやましかった。

 お稲荷さんの隣の家から坂下の家に引っ越した5歳以後、紙芝居を見た記憶がない。
 姉が幼稚園に通うようになって、紙芝居自転車が巡回する場所まで連れて行ってくれる人がいなくなったからなのか、自分で絵本を読めるようになってからは部屋で本を読むほうがおもしろくなったからなのか。

本日のねたみ:もう一本のおまけ水飴ほしかった
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2003/8/20 水 曇り 
日常茶飯事典:フラジャイル読書

 午前中、Aダンスィング、レッスン。
 図書館で正岡正剛の本を借りる。フラジャイルほか、高くて買えない本ばかりなので予約しておいたのだ。午後、グダグダ借りてきた本をながめて一日終わり。

本日のおもみ:『フラジャイル』、寝っ転がって読むには重すぎ、腕がつかれた


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年夏の誘拐」

2013-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/06
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年の夏(9)夏の誘拐

2003年の夏日記つづき
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2003/08/11 月 晴れ 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『誘拐』 (ネタバレ主犯の名記入

 夜、テレビ放映の『誘拐』を見た。内容を全然知らなかったが、永瀬キョンキョン夫刑事が「いつ三億円バッグがすりかわったのか」と疑問に思ったのと同時に、渡哲也が主犯と気づいた。ポイントは「生きていれば26歳になっている息子の写真」。ゴミ公害事件が26年前に起きたというのとつながったら、すぐに主犯がわかった。娘と息子は「渡哲也主犯説」に「うそっ、まさかそんな!」

 で~も、やっぱり渡哲也が犯人でした。だけど、目撃証人や喫茶店経営老夫婦までが共犯とは気づかなかった。推理ものの「犯人を自分で割り出す楽しみ。最後まで作者にだまされる楽しみ」両方が味わえて、なかなか楽しめた映画でした。

 三人でドラマや映画放映を見るときには、ギャグにつっこみを入れたり、ラスト予想をしたりしてワイワイと見るのを常とする。
 娘が映画館で映画を見るのが嫌いなのは「途中でおしゃべりしたくても、しゃべれないで、じっと黙って見ていなくちゃならないから」

 推理ものの謎解きも「絶対、こいつが犯人」とか「トリックはこう」という推理を話し合いながら「探偵学園Q」「名探偵コナン」「金田一少年の事件簿」などの漫画を読み、テレビアニメを見るのが娘と息子の「観賞法」。
 わかった時点で「犯人はおまえだ」とテレビ画面に向かって指さすのが我が家の流儀。

 被害者側弁護士が、はめられて弁護士資格を剥奪されたとか、偽証した男に再証言を求めたら、その男は三日後に「交通事故」で死んでしまった、などのエピソードは「絶対に現実にこういうことが起きている」という程度には娘息子も「現実社会」を理解できる年頃になった。『誘拐』には悪役として企業側しか出てこなかったが、現実社会では政治家法律家が絡んでくるだろうとも。

 水俣病の存在が世に出てから勝訴まで長い時間がかかったことも、この映画の背景にあるだろう。手塚治虫の『キリヒト賛歌』も思い出す。

本日のつみ:公害を出す企業
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2003/08/12 火 雨のち曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター『戦場のピアニスト』

 三人で『戦場のピアニスト』を見た。

 ユダヤ人の悲劇は、繰り返し映画化されてきた。この映画の中でも、ワルシャワの町が壊滅し、町中のユダヤ人家族がみな収容所へ送られてしまう。
 ユダヤ人ゲットーで飢えて死んだ人、地下組織を組んでゲリラ戦を行って死んだ人、強制収容所への「二度と戻れぬ旅の列車」に押し込められる人

 そんな中、生き延びたピアニストは本当に運がよかった。ユダヤ人を匿えば自分にも死の危険があるとわかっていても、彼を助け、かくまおうとする人間がたくさんいた、という事実。ピアノの音に心を動かされ、敵のドイツ将校さえ、彼をかくまったという事実。人間性と音楽へのオマージュ。

  ロマン・ポランスキーの画面。廃墟になったワルシャワの町をシュピルマンが歩くシーン。戦火によってダメージを受けた町とわかっているが、廃墟好きにはたまらない「美しい」画面なのだ。私のような「廃墟写真集」があると必ず眺めてしまう「廃墟美」観賞家にとって、これはまた、廃墟映像の傑作といえるものが残ったな、という感じ。

 ポランスキーは、自分自身の体験とシュピルマンの自伝を合わせてこの映画をとったというのだが、まあ、それは本当なんだろう。しかし、この廃墟の映像をとりたいがために、廃墟となったワルシャワが出せる話を選んだんじゃないか、ってゲスのかんぐりをしたくなるくらい、ポランスキー美学が伝わった。

 バブルはじけて経営難で放棄されたホテルなんていうチンケな廃墟でも、廃墟となるとそれなりの趣が出てくる。それが、戦火による廃墟なれば、死屍累々ががれきの下にあることが幻視され、廃墟度完璧。

 人はこのようなカタストロフィを必要とする。江戸の華のひとつである「火事」。燃えさかる炎の美しさ、木と紙でできた家が完全に燃え尽きた焼け跡のくろぐろとした空虚。これを江戸市民は見物した。

 今の世で「神戸地震の跡地を見物しよう」とか「北海道台風被害をながめるツアー」なんてのを企画したら、非難囂々になるだろう。本音ではみんな見たいからテレビワイドショウが垂れ流す映像に見入るのに、実際のツアーをするとなると、「被害者の気持ちをうんぬん」の建前があって、だれもやろうとはしない。

 うれしそうに、台風後増水した川を流れていく家をながめていたのは、ちびまる子と友蔵じいちゃんのみである。

本日のひがみ:私がひけるのはバイエルまで

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8月13日 水 晴れ 957
アンドロメダM31接続詞>千夜千冊

 『千夜千冊』の8月8日付け『鬼の日本史』の中に「午頭天王」と表記されていたので、「ごずてんのう」のことだったら、午ではなく牛、「牛頭天王」ですよ、というメールを編集部あてにおくった。編集部から「誤植をなおした」という返事が来た。きちんとした応対とことばづかい。

 8月8日の門前小僧のときに応対した新人君が「ものすごく気をつかって、きちっとお茶を用意しています」という風だったのと同じく、社内教育が徹底していると思った。社員のお茶の出し方ひとつ、ことばづかいひとつで「その会社の内容がわかる」と、何かのビジネス本に書いてあったのをみたことがあるが、なるほど、社員をみれば会社がわかる、というのはこういうことかと思う。

 これまで、一般の会社と何の縁もなく、まずまずの応対をしていたのは、『地球の歩き方校正紙』を届けに行ったD社の受け付けくらいしか知らない。
 それにしても、私がこれまで出かけた先というのが、このような応対ひとつできないような場所ばかり。自分の周辺の程度を知る。まあ、私に相応の周辺だったのだと思うが。

 二十数年前『アルジェリアノート マグレブ・ノバ』という本の帯に「南アフリカの記録うんぬん」というコピーがついていたので、「アルジェリアやマグレブ地方なら、南じゃなくて北アフリカじゃないですか」と編集部に電話を入れたことがあった。腰巻きのキャッチコピーとしてはおそまつだし、北アフリカで起きた地震のため、瓦礫の下敷きになって亡くなった著者に失礼だ。しかし電話に出たおっさんは「いやあ、アフリカといえば、南の方の暑い国と思ったので、ハハハ」という程度の応対だった。

 マグレブ地方が北アフリカか南アフリカか、というのは大きな差だが、ごずてんのうが「午頭」か「牛頭」か、というのは、見のがしても『鬼の日本史』書評内容読解には差し支えないようなことだ。なんだか、重箱のすみをつっつく小姑のような気がしないでもなかったが、編集部がどういう対応をとるのか、という興味でメールをおくったのだった。編集工学研究所は、きちんとした会社である。

 片づけをはじめようと一瞬は思ったが、松岡正剛『編集工学』を読む。おもしろい。『遊』誌上で、門下生を募集し、応募書類がわんさか来た中から300人を選び、さらに60名を木曜塾日曜塾門下生にして、1979年4月から無料講座として松岡が1年間講義をしたのだということを、今知った。なんで、なんで、募集があったときにまったく気がつかなかったのだろう。

 まあ、応募したとしても書類選考で落とされていたと思うが、このときの松岡の講義を聴くことができたらよかったのになあ。1979年4月から、私はスワヒリ語講座に通い、79年と80年はケニアにいた。20数年ずいぶん遠回りして編集工学研究所にたどり着いたんだなあ。台風の中、たどり着いたが、遅すぎた。私の脳はごちゃごちゃのままで錆つき固まってしまっている。

本日のかみ:千夜千冊の紙に神やどる


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年夏の編集学校」

2013-08-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/04
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(8)編集学校

 2003年の夏、つづき。
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2003/08/09 土 台風
日常茶飯事典>編集学校に参加

 1時からの「編集学校・門前小僧篇(入門講座)」の申し込みをしたので、出かける。青山一丁目から徒歩10分とあったが、方向音痴だから早めに着いて探しながら歩こうと思っていた。

 しかし、青山一丁目の地下鉄出口の外はすでに暴風雨の様相。歩くのをあきらめて、目の前にきたタクシーに乗る。赤坂6丁目の所番地や、コロンビアの近くなどの情報を出し、ホームページからプリントアウトした地図も運転手に見せたが、運転手も「いや、わからない場所ですね」という。地図をみると、ランドマークとして「リキマンション」というのが出ているから、「とにかくリキマンションが見えたら止めてください」という。へんな曲がり具合の道をくねくねとすすみ、「はい、あそにリキマンションって見える」と言う場所で、適当に下ろされた。

 周囲を見回す。こういうとき、ぜったいに違う方向へ行ってしまうのが私のこれまで人生だった。落ち着け。とにかく雨がすごい。とりあえず一番近くのビルの軒下に入って、地図をひろげようとしたら、ビルに人が入っていく。ドアの表示を見たら「編集工学研究所」だった。

  これは、私の「方向音痴人生」の中でベストテンに入るくらいの「ラッキーな出来事」である。こんな幸運はめったにない。たいていは、ものごとが私の意図しない方にころがって、悪い方へ悪い方へと進む。

 1番ラッキーな出来事は、「'79年7月。ナイロビに着いた初日に市内で迷子になったとき、道案内をしてくれた人と、2年後に結婚したことだ」と公言しているが、それはまた、人生で1番アンラッキーな出来事だったと言えなくもない。(お互い様と夫は思っているだろう)今回の「ラッキー」が実は「地獄の一丁目」にならないという保証はないが、とにかく、めざす場所に迷わずたどり着いたことは、ここ20年間なかったことなのだ。
 「ふた昔前、ナイロビで迷子になって愛を拾った、今では愛が迷子になってる」というのが、最近娘が作った、私のためのキャッチコピー。

 1階の「スタッフ用ブレーンストーミングルーム」みたいなところで待つ。「千夜千冊」の書庫兼用の部屋。時間まで「手にとって見ていていいですよ」と案内されたので、本を見てすごす。台風の中、来る人がいるのかな、と心配していたら、門前小僧篇開始時間には私のほかに女性一人、男性一人。開始後、男性があと二人来た。

 受講生の女性は、テクニカルライターだという。コンピュータ関係の本をたくさん書いているそう。ものごし風貌が「知性のかたまり」みたいな感じだが、「つん」としたお高いかんじではない。「ひなた水につかって頭が錆ついているひがみ人間」である私は、ちょっと萎縮。

 彼女の子どもは7歳と1歳。7歳の子は、4月に「某有名小学校」の「お入学」を果たしたとうれしそうに話していた。子どもの入学が「母のアイデンティティ」になるという感覚、フッフッ、わかるよ。私も、息子が中学入学したときは夢のようなうれしさでした。いまじゃ「中高一貫して落ちこぼれの母」ですが。
  彼女はすでに編集学校の基礎編「守」講座を終えて、「破」へ進むところ。男性は、広告代理店勤務、フリーグラフィックデザイナー、eラーニングデータ分析の仕事をしている人、という3人。そんなに「切れ者!」という感じではないが、「これから先の方向性を探している」という感じが伝わる。

 「守」の講座で行われている基礎的訓練の一部を練習する。「コップ」という言葉を他の表現に置き換える。1年間に買ったもののリストを出して付箋に書き、さまざまな情報別に並べ替える。いくつかの対のことばに対照的な形容のことばを付け加える。思考訓練としておもしろいし、言葉を商売道具とする者にとって、興味がもてるものだった。

 しかし、なんと言っても問題は私にとって受講料が高いこと。それだけの価値がある講座であることは承知しているが、電子レンジも壊れてしまったし、圧力釜も買い換えなければならないのだ。

 井上はね子さんが大阪でやっている実践的編集学校「アミ編集塾」は、週1回のリアル講座で一ヶ月の講習料が1万円。9月開講24回の講座で3月修了式まで全6万円。
 編集学校は、ネット利用のeラーニングで、46回の「お題」出題に「会議室システム」を利用してネットで回答し、師範代がそれに講評を加える。それで全8万5千円。分割払いだと月2万円X5回で10万円。内容は10万円分の価値がある講座だと思うし、たぶん、受講すればそれ以上のものを得ることができると思う。でも、私に払う余裕があるのは、一回限りの門前小僧体験講座のみ。

 楽しそうな自己開発ではあるけれど、明日食う米の心配がとぎれることない者が関わっていけるとも思えない。何事も「分を知れ」である。自分の脳を柔軟にするために必要な遊びとは思うけれど、「金の切れ目が縁の切れ目」の世の中なれば、金のない人間には縁のない高尚な遊びなのだろう。門前小僧編を体験できただけでも、私にとってはとても得るところがあった。

 門前小僧講座が終わって、ジュンク堂へ。松岡正剛の本フェアをやっていると聞いたから。編集工学研究所ビルのドアを出て、こっちにすすめば駅にいきそう、と思う方へ歩いていった。来た道をもどって青山一丁目の駅へ向かうつもりだったが、タクシーで曲がりくねってきたのだから、わかるわけがない。

 それで、赤坂で粋筋の仕事をしていますっていう雰囲気の浴衣年増の後をついていった。おもしろそうだから。その人が路地へ入ってしまったので、「駅へ向かって歩いています」という雰囲気の人のあとをくっついて歩いていったら、TBS前というのを通り、一ツ木通りに出た。ああ、これが昔「一ツ木あたりじゃ、あたしもいい女」とかって、梓みちよが歌っていた一ツ木なのか、と思ったが、青山1丁目方向とまったく反対に歩いてきたのだった。

 さらに、丸の内線赤坂見附の方へ曲がらずに千代田線赤坂駅へと曲がってしまったから、千代田線から丸の内線へ乗り換えねばならず、国会議事堂前でながいこと歩いた。どうしていつも思わぬ方向にすすむのか。謎だ。

 ジュンク堂の椅子に座り読みで、『分母の消息三・風景と景気』を読む。一と二は、セロファンがかかっていて、読めない。仕方がないから、分母の消息三冊セットを買った。三冊セットで、一般の新書一冊分の厚さになるが、セットで2400円。いつも古本屋の駄本文庫新書コーナー三冊200円を愛用している身には、すぎた散財である。駄本ではなく極め付きな本であるにしても、2400円を高いと思わずに買えるようでなければ、一期10万円の遊びはやはり分不相応と思う。

 7時までジュンク堂にいたので、もう夕食作る時間はないと思って、塩ラーメンを食べた。あと、西武の地下食品売り場で、100円値引きの出来合いお総菜をいくつか買って帰る。デパ地下食品も、値引きしてない時間帯には買ったことがない我が家の夕食である。

本日のひがみ:自分のための10万円が投資できないパート母

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2003/08/10 日 晴れ
日常茶飯事典>ハウスウェディング下見

 代々木公園駅で待ち合わせして、ひつじの結婚式場下見に同行する。単なる好奇心。
 式場は、ふたりの希望の「ひとつの家をまるまる一日借り切って行うハウス・ウェディング」という条件でインターネット検索した「Oハウス」「Yハウス」という所。Yハウスは、コンクリートうちっぱなし設計のビル。Oハウスは住宅街の中の個人の家だったところを改装したところ。

 雰囲気はOハウスのほうがいいが、招待客の人数を考えるとYにしないと入りきらない、ということで、ビルの方を来年の5月15日に仮予約する。予算は見積もり分がとりあえず200万円というところらしいが、結局予算オーバーするのが結婚式だろう。

 そのあと、新宿へ出て、デパートの8階「新宿つな八」で、「創業80周年フェア、888円てんぷら定食」というのを食べた。結婚式場下見というおめでたいことをしたあとなんで、末広がりでちょうどよい。

 テーブル席満席で、カウンター席になってしまったが、目の前でてんぷらをあげているのを見ながら食べられて、これはこれでおもしろかった。
  板さんたちは、食材をさばきつつ客への目配りが見事で、客が湯飲みのお茶を飲み終えたと見ると「カウンター○番さんにお茶を」と客席係りに指示を出す。茶碗のごはんが残り少ないと見ると「ごはんのおかわりはいかがですか」と、声をかける。しにせのサービスとはこういうもんかと、感心。

 いつも「て○や」の粗雑なサービスの天丼しか食べていないから、この程度の客あしらいでも感心するのだ。て○やのてんぷら定食は、666円くらいだけれど、200円の差は大きい。もっともつな八は、いつもなら888円では食べられないのかもしれないが。

 シェパードササニシキが「高いところへ行くのが好きなのに、都庁に行ったことがない」というので、都庁南展望台へ行く。ササニシキの会社は、前は三鷹で、今は青梅なので、新宿に来ることも多いけれど、都庁には用がなかったから展望台に来たことがなかったそう。私は無料スポットが大好きだから、新宿西口に来たときはたいてい寄る。

 すでに入籍を6月におえているふたりは、手をつないで歩く。ササさんは9歳年下のひつじがかわいくてたまらない、という様子。ササさんは「じゃがいも系、クラスに一台小太りパソコンおたく」という風貌。「誠実そうだし、いいお婿さん」と、スモモは気に入っている。

 スモモは「NPO設立講座」でくたびれていて「眠い」というので、都庁から出て駅で別れる。スモモ実は子どもの頃から体が丈夫ではなかった。それでも、「丈夫自慢」だった姉が54歳で早世したのだから、反対に、スモモは「体が弱い弱い」と言いつつ長生きするだろうと思う。そうでないと困る。

本日の負け惜しみ:て○やも普段はうまいと思って食べている


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年夏の千羽鶴」

2013-08-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/03
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(7)夏の千羽鶴


 2003年の夏日記つづき。
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2003/08/06 水 晴れ
ニッポニアニッポン事情>2チャン千羽鶴

 くらげんは「広島へ送る千羽鶴作り」を友だちとやっているそう。平和記念館の折り鶴が焼かれたあと、2チャンネルに「かわりの鶴を折って送ろう」という板が立ち上がり、くらげんも参加することにしたんだって。

 一人分で千羽はいくという。たぶん、全国規模で、焼かれた折り鶴より多い数が集まるだろう。ちょっと前であるなら若い世代にとって「平和を祈念して鶴を折る」なんて、ダサイ行為の代表のように思われていたのに、2チャンネルが呼びかければ「若者の流行現象」となる。2チャンネルの効用の大きさに、年寄りが気づかないといいのに、と思ってしまう。

 「折り鶴つくって広島に送ろう」に賛同した若者の大多数はこれまで「ヒロシマ?ゲンバク?しらねーよ。平和運動?かったりいよ。運動は、跳び箱も逆上がりもしたくねえ」という人たちだったと思う。だから、今回の折り鶴作りに参加して、ヒロシマやナガサキについて知ることができた人が少しでも増えれば、2チャンネルの有用性を生かすことができる。

 逆もまた真。千羽鶴作りに参加した人の何割かは、まったく何も考えず、ただ「2チャンネルのイベント、楽しめそうなことならとりあえず参加」という者もいる。
  うまい具合に誘導すれば「イラクへの義勇兵募集、平和維持活動に参加しよう」でも、「北朝鮮の不法核兵器を摘発するためのボランティア募集」でも、可能になるだろう。つられる若者は必ずいる。
  
 個人を誹謗中傷した板の存在についての責任をひろゆきがおわされることはあっても、どんな板を立ち上げるか、基本的には自由なのだから。

 古い体質の政治家が多く、いまだに有権者の前で土下座パフォーマンスをしたり、おばさんに握手責めでいけば、当選できると思っているうちはいいけれど、ネット利用の世論操作の方法がもっと巧妙になったとき「思考停止、寄らば大樹、付和雷同」の我が同胞たちは、どのように操作されていくのだろうか。
 ネットはおもしろいけれど、その使い方について、私たちはあまりに無知だ。

本日のwebSurfなみ:ニッポニアニッポンはひろゆきと2チャンネラーを応援しています

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2003/08/07 木 薄曇り
トキの本棚>『4TEEN』

 息子は午後1時に起きてきて、天王州アイルのアートスフィアで、演劇サマーフェスティバルを見るのだと、出かけた。電車の中で読む本用に『4ティーン』を渡す。自分の名前の献辞入り作家直筆サイン本を、気がなさそうに受け取る。

 ゲームの攻略本以外の読書はかったるいと思っているのだ。レポートを提出しなければならない夏休みの課題図書は「数学に関連した本」と、英語の「シャーロックホームズ」だけだ。ホームズはドイルの原作ではなく、中高生対象くらいにリライトされたものだが、息子にとっては「日本語で読めばいい小説をなんでわざわざ英語で」ということになる。英語科の宿題なんだから、しかたあるまい。

 『4TEEN』あまりの健全さにめまい。もうちょっと毒があるかと思ったのに、「ぜってぇアリエネー」という中坊ジュブナイルファンタジー。ま、息子に読ませるには教育上よろしい本である。夏休みの清涼飲料水。毒入りカクテルなんかで酔うことを覚える前に、必要な読書。石田衣良は『スタンドバイミー月島版』をやりたかったのだと思う。そして、それは成功している。ケ~ンゼンなのに面白いというのは、とてもむずかしいことだけど、ちゃんと面白い。

 スタンドバイミー観音寺小学生版が『松が枝町サーガ』月島中学生版が『4ティーン』なのだな。『夏の庭』は3人組だったけど。時と場所を変えれば、バリエーションは無限だ。その中で、飛び抜けるかどうかだけど。で、この話はきっちりとおもしろい。ストーリーテリング、キャラ設定、トポロジーまで全部うまくできている。

 スタンドバイミーも4TEENも、「あの時、ぼくのそばに君がいた」という人生でもっとも貴重なひとときのシーンを与えてくれる。自身の過去にこのひとときを持つことができなかった大勢の大人たちも、いま、現実の中でひざを抱えて壁と向き合っている中学生も、まあ、読んでみてくれ。

 心地よく運ぶストーリー。月島、新宿というスポットの描写、エピソードの数々、どれもすらすらと気分良く読める。たぶん、自分の息子が14歳じゃなかったら、もっと楽しめたのだと思う。

 今現在14歳中3の息子を抱える親として現実と照らし合わせてみると、読み終えたとたんに「夢から覚めた」みたいな気持ちになってしまうのだ。あまりに現実から遠いゆえ。ファンタジーをファンタジーとして楽しめなくて、どうする、とは思うが、これはハリーポッターではなく、1999年から2001年の東京を舞台とする「現代ジュブナイル」として書かれているのだ。2003年ジュブナイルの現実はひりひりと痛い。小学生女の子は1万円につられて監禁されるし、中1男子は4歳の子をビルから突き落とすし。

 PTAママたちから「これは中学生に読ませられない」なんていう文句がでることはない、と保証する。摂食障害不登校生ルミナと主人公テツローの中学生カップルはAで踏みとどまるし、DV人妻を夫から救い出す成績優秀ジュンくんは、その人妻から「男として感じられない」なんてこと言われちゃって、ディープAどまり。
 4人して新宿のストリップ見に行っても、踊り子のつまらん踊りは見ても、生板本番など踊り子と客がからむようなシーンは見なかったようだし。もしかしたら、もぎりのおっちゃんは4人が中坊と気づいて、4人が退席するまでは過激演出をひかえるようにというお達しを踊り子に出したのかもしれない。教育的配慮にとむストリップ演出だ。

 自分では超平凡な中2と信じ込んでいるテツローの語り。ウェルナー症候群という早老病をかかえ、白髪やしわという外見のほか老人性の糖尿病や高血圧も発症している金持ちの坊ちゃんナオト。(ウェルナー症候群患者の平均寿命は30代という)頭がよく機転もきくジュン。大食漢のふとっちょダイ。もう「これ以外の組み合わせはこの世にはない」というくらいに典型的な4人組の中学2年生の1年間。

 住んでいる所はナオトが月島・佃の超高層39階の億ション。ジュンとテツローが中程度のマンション。ダイが古い3軒長屋。月島というロケーションが絶妙。東京で、このように超高級マンションと古長屋が並んでいる設定にするにはちょうどいい場所なのだ。区立月島中学に通う4人の仲間の結束力と行動力。IQでなく、EQではかるなら、これもまた「ぼくは勉強ができない」と同じく、超エリート中学生のお話なのだ。

 この作の中で、ダイの親だけがストーリーにからむ。あとの親はまったくからんでこない、というのも意図してのプロット展開なんだろうけどね。親がからむとファンタジーが成立しなくなる。ナオトの親だけがお茶とおやつを出しにちょこっとだけ顔を見せる。
それにしても、ナオトの病気のことを考えたら、ナオトの親はいくらでも金をつぎ込んで、息子を幼稚園から私立エスカレーターに乗せようとする階層であるが、それをしなかったのはなぜか、という疑問は残る。教育に関して特別な信念でもある親かと思ってしまう。「なにがなんでも地元の公立中」という教育的信念を持っているというナオトの親からのメッセージがないと、現代の東京で、億ションに住む階層の息子が地元公立中に進学するのは不自然な設定になってしまう。首都圏中学受験生5万人という時代なのだ。

 ナオトが小学校受験や中学受験をしたかしないかは書かれていないが、地元の公立中へ進んで、テツロー、ジュン、ダイという希有な友人を得ることができたのは、本当に現代東京では幸運なことである。今の東京でこのような友情が成立するのは『金八』の中だけと思っていたら、月島にも友情ファンタジー成立。

 クラスの担任はサラリーマン的で、教え子のことより、趣味のフィギュア集めのほうが大事。リーマンというあだ名が付けられているが、リーマン程度のあだ名なら、まだ教師としてまし。毒にも薬にもならないタイプは、毒よりましと感謝すべき。「命をそまつにしてはいけない」なんていう馬鹿みたいなお題目並べるしか能のない、ありがちな教師。しかし、毒タイプにあたらないという保証はないのだ。
 
 我が娘は、生徒会長の仕事をひきうけ、生徒会を「教師による生徒管理の下請け」としか考えていない生徒指導の教師と対立してしまった。「おまえなんか高校へ行けないようにしてやる」などの言葉の暴力を受け、中学後半の1年半は不登校だった。

 もし、テツローやジュンと仲間になれなかったら、ナオトの小学校中学校生活は悲惨な状態であったことは間違いない。
 「ばいきん」扱いか「完全無視、この場にいない者とみなす」だ。金持ちであるだけ、公立中では始末が悪い。「金がすべて」とインプットされている公立中坊社会の中で、親が金持ちであることに対する嫉妬と、本人が病気であることに対する蔑視がからまって展開する陰湿なイジメが、必ず生じてくる。

 サラリーマン担任には、表向きは平穏な中で進行する陰湿イジメを防止することはできない。そういう子ども社会の構造があるからだ。イジメを生じさせないためには、教師生活すべてを教育に注ぎ込み、自分の家庭は犠牲にするくらいでないと、学級経営はできない。現代の公教育の現実に想像力が及ばなかったとしたら、ナオトの親はのんきすぎる。

 よい友だちと宝くじは、いつもあたるとは限らない。3億円あたりくじがまったく存在しないともいえないのだが、200万分の1の確率だからね。今、中2は全国で100万人くらいだから、確率から行くと、このような友情にめぐりあえるのは1学年100万人の中で0.5人?

 月島中4人組は、1年の間につぎつぎとすごい「人助け」をする。まず、仲間同士。早老症のナオトに対して病気を気遣いながら、病気を苦にしない友情。なまじっかの頭悪い中坊にはとてもできない芸当である。

 父親殺しの汚名を着たダイが不良グループにからめとられそうになっても、機転で友情を取り戻す。仲間に対するこの友情だけで、この4人が、現代中学生の中で、特権的な地位を持つことがわかる。こういう友情を持ち合えないことが、現代中学生にとって一番根の深い問題なのだ。こんな友だちとつるみあえるのなら、あとは全部たいした問題ではなくなる。表面上はワイワイにぎやかに仲間友だちといっしょにいながら、本当に自分の内面や深刻な悩みをうち明ける人がいないというのが、21世紀ジュブナイル共通の問題なのだ。

 DV人妻玲美を暴力夫から救う話。死に際に病院から抜け出した赤坂一真に人間らしい個人の尊厳ある死を迎えさせてやる話。ゲイカミングアウトしたカズヤが「デブ専ゲイ嗜好」であることを理解してやり、カズヤがクラスの女子に受け入れられるようすを見てほっとする話、などなど、これだけ人助けをしたら、表彰モノである。

 「月の草」過食拒食をくりかえすルミナにテツローは「体重25キロから57キロの間をいったりきたりするルミナが好き。ふたりの女の子とつきあっているみたいで、太っているときとやせているときの抱き心地がちがう」と脳天気なことを言っている。
 こういうところは、やっぱり考え足らずの中坊であるからして、許さなければならないのだろう。過食と拒食をエレベーターしているときの女の子がどれほどのダメージをうけているのか、摂食障害についての認識が甘すぎる。
  
 ルミナは体重が増加するところをみると「嘔吐を伴わない過食」であるので、「口内酸化によって歯が全部だめになる」などの症状はないようだが、急激な体重増減に伴う生理停止や女性ホルモン異常などの症状についても中坊は思い至らず、単に「太りすぎとやせすぎの繰り返し」としか思っていないところが問題。

 摂食障害は病気なのだ。ルミナは「どういう状態であれ君が好き」とテツローに思われることで、「自分が好きになれない症候群」から、一時的には脱皮できるだろうが、リバウンドも激しいだろう。なぜなら、ストーリーの中で、「月の草」以外では、テツローはルミナと行動を共にすることはなく、4人組と行動をともにしているからである。「つきあう」ことに決めたふたりなのに、ガールフレンドより、男グループの仲間を大事にするなんて、女の子として認めがたい。年に一度の「東京湾大華火」なのに、ゆかたを着てボーイフレンドと花火をみたいであろうルミナは、テツローから誘われもしない。
 
 こんな仕打ちを受けて「全く省みられず大事にも思われない自分」を感じたら、ルミナはたちまち、不登校再発で、摂食障害重症化の道をまっしぐら。テツローは「つきあう」ことに決めたのなら、ギャングエイジを抜けて、ルミナに専念すべきだった。

 「ステディな関係になる」というのは、「他のクラスメートその他とは、異なる二人だけの濃密な人間関係を結ぶという約束」をかわすことではないのか。濃密な人間関係というのは、キスをしたとか性交したとかは関係なく、他者を交えない1対1の関係ということ。ルミナとの関係を「おれたち、つきあっているんだ」と宣言するなら、「つきあう」とは、人間関係形成において、「お互いに拘束を伴う1対1関係」を構築するという意味なんだと思うのだけど。これってオバサン思考?

 花火を男グループで見に行きたいなら、ルミナに対して「つきあう」という関係でなく、単純に仲のいいクラスメートとして遇すべき。相手への責任を伴わずにステディになってはいけない、というのが、teenにわかっていないから、問題頻発するんだな。

 塾の帰り道におしゃべりタイムをとるくらいの仲でいいのなら、「1対1のつきあい」には持ち込まない方が賢明だろう。それとも「つきあう=ステディになる」という言葉の意味がすでに変化しているのだろうか。

  ルミナ救済の解決法。章立てを変える。この章は「東京湾大華火」や「15歳への旅」のあとにつけて、ルミナとテツローが仲良く中3、受験へ向けていっしょに塾にでも通うことにするところで終わるべきだったと思うね。

 「飛ぶ少年」のユズルへの関心がこの章以後テツローにあらわれないのは、まあ、仕方がないとしても、ルミナに対しては「この章以後無関心」であることが、どういう結果を引き起こすか、という現実路線を「中学生の母」は考えざるをえない。「不登校」や「自分を好きになれない」ことや「摂食障害」という病を「小説中のすてきなエピソード」と扱っても文句を言われないファンタジーと、現実との間の大きく深い溝。

 ジュンがDV人妻玲美を救う話は、相手が34歳の大人だから、ルミナのエピソードよりは点を甘くして読める。ただし、玲美は、自分をDV夫から救い出してくれたジュンに「男とは感じない」なんて甘ったれたこと言っていないで、さっさと最高級ホテルのスィートにジュンを招いて、一泊二日くらいの礼遇はすべきである。ただし、「離婚が成立したら本気でつきあいたい」なんぞと、中坊に思い詰めさせないように。

 ストーリー全体のクライマックスは「空色の自転車」にもっていきたかったのだろうから、終末におくしかないとして、私が章立て構成をするなら、
1,びっくりプレゼント(中2の春) 2,飛ぶ少年(初夏) 3,ぼくたちがセックスについて話すこと(つゆ~夏) 4,大華火の夜に(8月上旬) 5,15歳への旅→夏休み終了の旅(8月末の三日間。ダイの自転車はママチャリ) 6,14歳の情事(秋) 7,月の草(冬休み) 8,空色の自転車(冬) 9,おまけ(春休み)

 春休みに、ナオトはリカと、ジュンは玲美と、テツローはルミナと一泊二日のお泊まり会挙行です。ダイはどうする。カズヤと?ちょっと展開苦しいか。でも、巨乳から微乳へと趣味をシフトしたダイなら、ヘテロからのシフトもあり?ないか。カズヤの恋はシャボン玉!byモーニング娘。

 って、いうか、ダイは父親を故意にではないものの死に至らしめるという、オイディプス直系正当派直接法の父親殺しをすませているんだから、お泊まり会をしなくても、イニシエーションは終えている。
 ナオトは、平均寿命30代の病気と死を常に見つめているのだから、お泊まり会をしなくても、死と再生のイニシエーションは通過できる。ジュンとテツローのふたりにこそイニシエーションが必要なんだけど、問題は現代の中学生にとって一泊二日のお泊まり会なんて通過儀礼として機能しないかもしれないというところ。

 童貞あるいは処女喪失が少年少女時代の終わりを意味できるのは、性交が妊娠と直結していたればこそ。現代のお利口な中学生が、避妊を完璧に実行して行うなら、それはディープAよりちょびっと深めのCにすぎない。接触面積の差にすぎないのですな。もしかしたら妊娠、もしかしたら出産と育児を引き受ける社会的人間として踏み出さなければならないかもしれないという可能性を持っていたからこそ、たとえ吉原の筆卸であろうとも、それが少年期からの脱出になったのだ。

 避妊が完璧なら、BとCの差は限りなく小さくなるだろう。だから、ジュンが玲美とどれだけ「大人のプレイ」をしたとしても、斉藤美奈子が『妊娠小説』で笑いとばした程度の「男の子の通過儀礼」にさえならないかもしれない。やれやれ、男の子たちはどうやって男になったらいいんだ。成人式会場で「お子ちゃま丸出し」が増えている今だから、しかたないんだろうね。

 ま、そんなこんなで、ささやかながらお泊まり会で一歩踏み出した春休みが終われば中三。公立中だもの、受験だよね。もちろん、受験などしたくなければしなくてもよろしい。15歳から20歳までいろんな成長の方法があっていい。大検もこれからは「高卒資格認定」に変わるらしいし。働くのもあり。ひきこもりもある。(本音を言えば、20歳すぎたら、自立して自分で稼いで生きていって欲しいよ。親としてはね。細いスネなんだもの)。

 ダイは働きながら定時制へ行くことに決めた。いい結論だ。今時の定時制で、昼間働く高校生は貴重だ。ただし、定時制は統廃合が進んで数が減ってしまった。月島から通えるところはどこだろう。

 ナオトは当然私立を受験するだろうが、都立ならチャレンジスクールがいいと思う。検査入院などによる出席日数不足や体育授業見学オンリーになることを考えると、一般の普通科では単位が不足する可能性がある。単位制高校チャレンジスクール。設立されて最初の卒業生が今春出たと思うから、教育実践報告が出ていたら読もうと思っている。ジュンはもちろん、私立都立のトップ校をねらうでしょう。日比谷ねらい?テツローはどうする?と、頼りないリーマンに変わって受験指導までしてしまう親切な読者なのでした。

本日のいたみ:5年前、私は不登校中学生の親だった

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2003/08/08 金 晴れのち台風
日常茶飯事典>怖いビデオ

 午前中は青空がみえていたのに、お昼から風が強くなり、ときおり強い雨が降ったりやんだり、大気の状態が不安定になった。
 息子も『4ティーン』を読了。ワカは「お母さんには、この本の中に出てくる中学生が使うような言葉、読んでもわかんないでしょう」と言う。残念でした。中坊用語も2チャンネル用語も把握済み。

 夜、ビデオにとっておいた『世にも奇妙な物語・映画版』を見て、「これじゃ怖くて夜中にひとりでトイレにいけない」という状態に。
  第1エピソードの雪山での遭難で、雪の中に頭だけ出して体を埋められた女の首に、シャベルを突き刺すシーンがこわかったのだ。三人して「見なきゃよかった」

 でも、おバカバラエティ番組を見て、いっしょに笑うのも、ホラーを見ていっしょに「トイレに行けない」と連れションするのも、三人で同じ本を回し読みするのも、「同じ時の流れを生きている」家族の貴重な時間と思う。

本日の負け惜しみ:3人よればトイレの友


<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の夏の庭」

2013-08-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/08/01
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(6)夏の庭


 コピー&ペースト日記、10年前の夏の続きです。「夏の庭」は、何度かセルフコピーしている、自分が書いた「昔の思い出」の中ではお気に入りのエピソードです。50年60年昔のころ過ごした夏の庭の光景がよみがえってきます。

 10年前の夏も、2013年の夏も、ぐうたらぐうたらであるのはまったくかわり映えなく。
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2003/08/01 金 曇りときどき小雨 
日常茶飯事典>夏の庭

  5時すぎ、車で迎えに来てもらい、よう子さん宅へ。
  よう子さんのお父さんは東京から移り住んで畑を開いたが、事業の失敗で土地はほとんど人手に渡ってしまった。今では、お母さんが住む母家、よう子さんの仕事用離れと、家庭菜園と果樹の庭だけが残された。仕事用離れと言っても、洋室2室にキッチンがあり、団地2DKの我が家と同じくらいの広さがある。

  いつもジャムを分けてもらう庭の木々。ゆず、みかん、キウイ、柿、いちじくなど、木を見たり、タイム、ローズマリー、フェンネル、オレガノなどのハーブについて教わったり。私には、ローズマリーとタイムの区別もよくわからないのだが、野菜や果物やハーブに囲まれている生活、いいなあ。

  よう子さんが夕食の準備をしてくれている間、一人で庭を眺めながら、なんだか子どものころを思い出して、胸いっぱいになる。

  子どもの頃の庭。縁側のぶどう棚、玄関脇の柿の木、裏庭のいちじく。 口いっぱいにほうばった坪山のユスラゴ。ぼたんきょう(はたんきょう)の木は、アメリカシロヒトリがたかるようになり、お父さんが切ってしまったっけ。(うちのあたりでユスラゴと呼んでいたのは、ゆすら梅のことで、ボタンキョウは牡丹杏のこと)
 あんずの木は父が子どものころ食べて育った木を接ぎ木した。ついに実がならないままだったが、切ろうとはしなかったのは、子どもの頃の思い出が実となって、父の目に見えていたからだろう。いま、よう子さんの庭を見て、私がこどものころを思い出したように、父は杏の木を見て、自分の子ども時代を思い出していたのだ。

  子どものころは、うちの庭が不満だった。絵本の中にでてくる、天使像のラッパの先から噴水があふれ、白い大理石の泉にそそぐような、珍しい花々の間をお姫様が散歩をするような、洋風の庭のある家だったらどんなにいいだろうか、と我が家の雑草半分の庭を見ていたのだった。

  私が幼稚園小学校の頃、庭の西側は夏になるとダリアの花でいっぱいになった。庭の手入れなどしていないが、球根から毎年花が咲いた。ままごとにダリアをつかうときは「花粉に毒があるから、手につけないように気をつけて」と、注意を受けた。ダリアの花は、夏のままごとのごちそうだった。私たちがままごとをしなくなったら、いつのまにか、ダリアは庭から姿を消してしまった。球根にも寿命があったのかもしれない。

  夏の庭。お母さんが洗濯物を干している。姉が「料理やさん」で、お料理を作る。私は「やおやさん」で、庭から花や葉っぱを集めて、料理やさんに売る。まだ幼い妹スモモはお店やさんになれないから「しんよきんこ」になってお金をあずかる。
  料理屋さんが開店すると、私と妹が食べに行く。何回か食べるうちに、最初に均等にわけたはずのお金は、いつのまにか料理屋の独占になって、お店やさんごっこは終わりになる。
  野菜の値段より料理の値段の方が高くなるのは納得できたが、信用金庫はお金を預かって、利子を付けて返したら絶対損をするとおもうのに、なぜお金を集めにくるのか、さっぱりわからなかった。

  スクーターで「きんこおじさん」がやってくる。今月の預金を集めに来たのだ。母は洗濯物を干し終えて、信用金庫勤めの弟に麦茶を出す。私たちはままごとをやめて、止めてあるおじさんのスクーターにまたがり、運転ごっこをはじめる。姉と私と妹を乗せて、スクーターは夏の庭から飛び出し、お日様の向こうまで走り回る。夏の陽は、そろそろ西に傾いてくる。

  長じて料理好きの姉、柿実さんが開いたレストランは借金を残してたちまちつぶれてしまった。ままごとではいつも一番お金持ちになるのに、実際の経営ではつけを回収することができなかった。食材や内装にお金をかけ、料金設定は低くしたから、少しも儲からない店だった。料理上手だったけど、金儲けの才能が欠如している我が一族のわくを越えることはなかった。

  坂下の土地は木も全部切り倒し、庭はコンクリートで固めたアパートにしてしまった。新しく建てた自宅のローンとアパートのローン両方をかかえて、スモモはずっと、ヒィヒィ言っている。
  お母さんが死んで30年、母の弟きんこおじさんが死んで2年。姉が死んで1年3ヶ月。夏の庭は瞼の中に遠い。

  よう子さんのお母さん丹精の野菜を使ったトマトサラダとグリーンサラダ(ルッコラがおいしい)。自家栽培のジャガイモやハーブを使ったカレーをごちそうになり、最後は「今年のはよくできた」というスイカ。朝収穫して、冷やしておいたのだって。
 カレーもスイカも野菜もとてもおいしかったし、お母さんもとてもいい人。1924年の生まれというから、1925年生まれの姑より1歳年上の79歳。足が弱くなって、犬の散歩ができなくなったというが、ほとんどひとりで畑の世話をしていて、お元気。畑や果樹の世話も健康法のひとつなのだろう。野菜をご近所に分けてあげて「おいしかった」と言われるのが楽しみ、と言う。

  夏野菜のおみやげまでいただいて、駅行きのバスに乗る。家に10時半についた。
  さっそくトマトを冷やして食べた。とてもおいしいので、トマトぎらいの娘にも「すごくおいしいから、トマトじゃないと思ってたべてごらん」と勧めたら、「おいしい、おかわり食べる」と言うので、もうひとつ食べた。「わたしは、トマト嫌いじゃなかったんだ、まずいトマトが嫌いなだけだった」という娘の感想。

本日のねたみ:うらやましいぞ広いお庭

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2003/08/02 土 晴れ 
日常茶飯事典>花火

  4時出発。ピザや焼鳥を買い、川沿いの土手を歩く。去年より人出が多いが、打ち上げ場所近くにスペースがとれた。5時すぎにはもうぎっしり周囲がうまってきた。小学校のうらのコンビニへ、飲み物を買いに行く。戻ってきて6時。
  娘と息子は、かき氷を食べたりして「こうやって待っている分には退屈しないね」と言っている。私も退屈しのぎに宮部みゆきの推理小説を持ってきたが、たいしてページは進まなかった。青空にうかぶ白い雲、夕日に染まる雲、そんな雲の変化をのんびりと親子で眺めているだけで、時間がたつ。

  7時から打ち上げ開始。江戸開府400年記念の「和火」の打ち上げも含め、最後のナイアガラ、スターマイン連発まで楽しんだ。

本日のうらみ:ダイエット中につき、缶ビール2本でがまんした
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2003/08/04 月 曇り
日常茶飯事典>ぐうたら夏休みその2

  午前中は『東京下町殺人暮色』を読む。花火大会の時間待ちにちょうどいいかと推理小説を持っていったが、結局たいして読めなかった。たいして読み進めなかったけれど、事件がおきて、捜査がはじまったところまでは読んだので、読み始めれば最後まで続けて読んでしまわなければ気がすまない。
  だから、推理小説は老後の楽しみにしておいたのに。と、文句を言ってもはじまらない。宮部みゆきの本も、ほとんどを「先の楽しみ」にしてこれまで読まずに我慢してきたのになあ。

  「まだ、成績を提出していないのは先生だけ」という、おしかりの電話。「もうしわけありません。明日持参します」と、締め切り日をさらに一日あとまわしに。締め切りがあしたとなれば、もう、今日は勝ったも同然。と、またぐうたら。

本日の負け惜しみ:あしたのことはあした考える

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2003/08/05 火 晴れ
日常茶飯事典>石田衣良にサインをもらう

 午前中、なんとか「指導案」のABCをつける。課題レポート、指導案、模擬授業へのコメント、授業中活動ポイントの総合で、最終ABC。

 なんとか午前中に教務課に提出した。「遅れてすみません。ご迷惑をおかけしてしまって」と平謝り。どうしたら公平できちんとした成績がつけられるかなんて悩んでいないで、さっさと適当につけて提出した方が、教務の人からは受けがいいのだろうが、優柔不断な性格だから、人にランクをつけるということがとてもとてもいや。できれば、全員優でも私はかまわない。しかし、「おおむねAは受講学生の2割程度、Bは5割程度Cは2割」などと、割合まで基準があると悩む。
 いろいろ悩んで結局最終的にはBが2割で、あとはAという甘い採点。ま、そんなもん。

 午後、「これで前期の仕事は全部終わったあ」という開放感をどこで味わおうかと思ったが、映画、美術館、本屋という選択肢しか思いつかない人間だった。

 「ブックファースト」へ。
  文庫になってから買おうと思っていた『4ティーン』を買った。「本日、石田衣良先生来店。サイン会は6時半から」という店内ポスターを見て、ミーハーの血が騒いだので。
 6時15分から列にならんだ。私の整理券番号は56番。いくらミーハーな私でも「ため書き」を自分の名前にするのは気恥ずかしいので「14歳の君へ」として、息子の名前を書いてもらうことにした。

 石田衣良は気さくな感じで、ファンのひとりひとりに話しかけていた。私は「今までの作品で好きなのは『娼年』です」と言った。
  池袋ウエストゲートパークはテレビドラマで見ただけだし、単行本を読んだのは『娼年』ただ一冊だけだから。読んだ本が一冊だけだもの、その一冊がベストワンに決まっている。
 そしたら石田さんは「えっ、珍しいですね。あんなエッチな本を」と言う。男娼の話ではあるけれど、わたしにとって「エロスではなくタナトス死と再生」の香りが強い本だったし、リョウのビルドゥングスとして気分良く読める本だった。でも、そんな感想を述べる余裕はなく、ただ、「ありがとうございました」だけ言って、サイン会場を出る。握手したりいっしょに写真を撮ったりしているファンもいたのだから、もうちょっと話をしてみたかったけれど、まだ、ミーハー道の修行が足りない。

本日のそねみ:私もいっしょに写真とりたかった


<つづく>
コメント (2)
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