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ぽかぽか春庭「トルコ展in東洋文庫」

2014-08-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

トルコのスルタン

20140811
ぽかぽか春庭アート散歩>オリエント(2)トルコ展in東洋文庫

 今期、担当したクラスの留学生のうち、トルコから来た学生には、4人と出会いました。男性1人、女性3人。
 全留学生のうち、中国韓国ほど多くはないですが、モーリタニア、シオラレオネというような、25年の間に出会った留学生は一人だけ、というほど少なくもない。

 今年のトルコ人、女性3人組は「日本の大学の教育学部で英語教授法を研究するのだけれど、最終レポートも英語で書くし、ゼミの先生も英語話せるから、日本語できなくても問題ない」と、日本語教育受講を軽視していて、日本語教師たちは「あの、物見遊山感覚の留学では、英語教授法の論文もろくな仕上がりにならないだろう」と、あきらめムード。

 日本語を熱心に学習した留学生たちの経験談。たとえば、日本の小学校中学校に見学に行くチャンスがあったとき、子供たちと日本語で会話し、先生方に日本語で質問をして答えをもらったことで、レポートのテーマについて大きなひらめきを得て、とても良い論文が仕上がった、ということも多いのです。英語教授法の論文を書くのに、英語だけ話していればよい、という考え方では、語学教育の成果はおぼつかないでしょう。

 まあ、日本への国費奨学金に応募したら合格したから、仕方なくアメリカではなく日本にきたのかもしれないけれど。
 トルコ3人娘は、毎回の単語テストも零点つづき。まったく単語も文型も覚える気が無し。

 ほんとうは、彼女らにとって、アメリカで「第二言語としての英語教授法」を習うより、日本で習うほうがずっと有意義なはずです。なぜなら、トルコ語は、日本語と同じ、SOV語順の膠着語なので、朝鮮韓国語、モンゴル語と同様に、日本語と文法構造がほとんど同じ、という言語だからです。

 トルコ人学生のうち、男子のN君は、既婚者の大学院生で、日本で就職したいという希望を持っているために、日本語習得に熱心です。こちらが教えることをいっしょうけんめい吸収しようとする学生に対しては、教師も熱心に教えます。それは人情としていたしかたない。

 N君、トルコのエルトゥールル号遭難事件について、熱く語っていました。彼によると、トルコ人が決して忘れずに語り継いでいる「明治のトルコ軍艦難破に際して、日本人がいかに親切であったか」という事件を、ほとんどの日本人が知らないでいると言うのです。

 私は、明治時代にそのような遭難事件があったこと自体は知っていましたが、「すべてのトルコ人は、エルトゥールル号が受けた恩義を100年たっても、決して忘れない」ということを彼から聞いて驚いてしまいました。N君によれば「トルコ人は、受けた恩を決して忘れない」
 よくよく調べてみれば、トルコ国内の調査で、エルトゥールル号遭難事件を知っている人は国民の3割ほどで、N君がいうように「すべてのトルコ人は知っている」ということでもないようです。

 だた、N君のように、日本に留学しているような人にとっては、日本トルコの友好関係の始まりとなった事件として、決して忘れることはない、ということなのでしょう。
 N君に言わせると「私は来日以来、日本の人に親切にしてもらってきた。これはエルトゥールル号遭難者を救助したその精神が、日本人の中にそのまま生きているのだろうと思う」と、なるのだと思います。

エルトゥールル号の模型


 7月26日、仕事帰りに東洋文庫によりました。(トルコ展2014年4月23日~8月10日)
 日本とトルコが国交を樹立して90年になるのを記念しての展覧会。エルトゥールル号の模型も展示されており、トルコと日本の友好の歴史が理解できる展示でした。


 東洋文庫ミュージアム1階オリエントホールの展示は、突厥やウイグルなどトルコ系の民族のさまざまな文化について、でした。フラッシュは禁止ですが、撮影は自由という東洋文庫ミュージアムの方針、私にはうれしい措置です。

 1階のオリエントホールの展示から。
 ウイグル族の王侯たちの肖像(ベゼクリフ千仏洞)各人物ひとりひとりの名前がウイグル文字で書かれています。


 日天子(クムトラ石窟壁画)日輪の化身であり、観音菩薩の変化した姿のひとつ。


 クムトラ石窟は、中国新疆ウイグル地区にある仏教遺跡です。シルクロードのオアシス都市国家として栄えた亀茲(きゅうし)国の石の断崖に千の穴がうがたれ、ひとつひとつに石仏が彫刻されており、現在は112の石窟が残されています。
 5~8世紀仏教遺跡。ペルシャのガラス椀が日本に運ばれ、古墳の副葬品となったそのころの遺跡です。日天子の壁画も東西の文化融合がよく示されている絵なのだそうです。

 2階の展示から。
  トルコ語で書かれた日本地図。1732年、オスマントルコの学者キャーティブ・チェレビは、世界地理の冒頭に日本地図を書き表しました。アラビア文字でミヤコ(京都)、ワカサ(若狭)、カズサ(上総)、シモツセ(下野)アワ(安房)などの地名が書き込まれています。

 『東方見聞録』がヨーロッパに日本を紹介して以来、「黄金の国ジパング」は、はるかなあごがれの異国でした。元朝時代の中国語では「日本国」の発音は、「ジーベングオ」でした。それをイタリア人マルコ・ポーロが「ジパング」として伝えたのです。
 マルコ・ポーロ(1254 - 1324)『東方見聞録(イル・ミリオーネ (Il Milione)』のイタリア語版写本の現存するもっとも古い版


 一方、日本で「トルコ」という国名が文献に現れるのは、江戸時代です。江戸時代以前、日本が国名として認識していたのは、朝鮮、中国、印度くらいで、あとはその他ひっくるめて南蛮と西戎(せいじゅう)でした。

 トルコという国名についての初出は、1715年刊行の『西洋紀聞』。新井白石がイタリア人宣教師ジョバンニBシドッチと面談して聞き知った西洋についての知識をまとめた本に、トルコについて書かれた部分があります。日本の人が「トルコ」という国名を初めて記した本です。18世紀初頭、トルコ帝国は、オーストリア・ヴェネツィアと戦争をしていました。イタリア人シドッチにとっては、侵略者トルコですが、白石に対しては、冷静に国情を語ったと思われます。白石は伝え聞いたトルコについて、以下のように書き残しました。
 現代語訳はムハンマッド・ムスタファ小林不仁男による。小林はイスラム教伝道者。(『日本イスラーム史』より)



 トルコはまたはツルコという。アフリカ、エウパエロ、アジアの地方につらなり、国都はコウスタンチンィ・またはコウスタンチノプール。(現イスタンブール)のことである。
その風俗はタルクーリャすなわち韃靼国にひとしく勇敢敵すべからず、丘ハ馬の多きこと二十万エウパエロの地方はその侵略に堪えずして各国相援けてこれに備う。アフリカ地方ことごとくトルカに属し、東北はゼルコニア(ゲルマンすなわちドイツ)に至り東南はスマアタラ(現スマトラ)に至るという。


 16世紀末に制作されたトルコ製の草花文様皿の複製品


 西洋からオリエント世界へ、そしてシルクロードを通って東のはずれ、日本へ。
 ミュージアム本館からレストランへ行く途中、東洋各地のことば各地の文字でさまざまなことわざ格言や偉人のことばが書かれていて、文字を見比べるのも楽しいです。

 文物と知識とが行き交ったはるかな道のりに思いをいたしながら、レストランマルコポーロで、カレーライスを食べました。(カレーが一番安かったのでね)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「オリエントの切り子ガラス腕」

2014-08-09 00:00:01 | エッセイ、コラム

新沢126号古墳出土のペルシャ製ガラス椀(口径約8cm)

20140809
ぽかぽか春庭アート散歩>オリエント逍遙(1)オリエントの切り子ガラス腕

 オリエント世界とは、古代に栄えた東方文明の地を指します。古代エジプト、メソポタミア(現在のイラクとその周辺)、古代ペルシア(現在のイラン、アフタニスタンとその周辺)。
 
 古代オリエント文明が栄えたのは、紀元前4千年前ごろから、アレキサンター大王(アレキサンダー3世)が東方遠征を行ってオリエント世界を統一した紀元前4世紀頃まで。

 西欧から東に向かう急行列車が「オリエント急行」と名付けられたように、西欧の人々にとっては、オリエントということばは、東へ向かう異世界へのロマンをかき立てる名でもありました。

 しかし、「東方」のいちばんはずれに住む民にしてみると、オリエントとは「はるか西方にある異文化の世界」であり、シルクロードを西へ西へと進んでいくと現れる世界でもあります。
 私も、オリエントということばを聞くと、古代文明への遙かなあこがれをかき立てられます。

 先日、古代史の一端を解明する実験が行われました。
 奈良県橿原市の新沢千塚古墳群の126号墳(5世紀後半)から出土した円形の切り子ガラス碗(重要文化財)。1963年に青いガラス皿とともに出土し、現在は東京国立博物館に収蔵されています。

 新沢千塚のガラス碗はそっくり同じデザインのものが、ササン朝ペルシャのガラス製品にあるので、従来からペルシャ由来と言われてきましたが、ガラスを破壊して成分分析することなどできませんでした。今回、蛍光X線分析という方法で、科学的な分析が行われ、このガラス椀がペルシャ製であることが立証されました。

 この古墳からみつかったガラスの器は、ササン朝ペルシャ(226~651年)の遺物と同じ成分を持つことが、分析化学の成果によって明らかになりました。
 古代ペルシャで5~7世紀に流通した高級ガラス製品のかけらが、イランなどから出土しています。日本の古墳から発掘されたガラス器は、これらのイラン出土のガラスとほぼ同じ化学組成だということが、蛍光エックス線分析で解明されたのです。

 実験を行った東京理科大の阿部善也助教(分析化学)によると、ガラスの化学組成は原料や採取地を反映しており、不純物として含まれる微量元素を比べると産地がわかるそうです。

 正倉院にもペルシャ伝来と伝わるガラス器が残されていますが、正倉院が建てられたのは、8世紀。しかし、橿原新沢千塚古墳126号墳は5世紀後半の築造なので、ササン朝ペルシャで製造されてすぐに出荷され、はるばるシルクロードを越えて伝わってきたことがわかります。

 この、同じ色同じ形のガラス腕で、ペルシャの姫君が葡萄酒を入れて飲み干したのかもしれず、大和の豪族の妃が、氷室から運んだ氷を器に入れて甘蔓の汁をかけて口にはこんだのかもしれません。
 5世紀後半という、今から1500年も昔の東西を行き交った人々は、ラクダの背にこの椀を積み、雪降る高原や岩と砂の砂漠を越え、怒濤の波をかいくぐって船を東に走らせて、日本の海岸にたどりついたのでしょう。

 1500年、2000年の歳月を旅してきたオリエントのガラスのうつわ。
 悠久の月日を思ってしばしオリエントロマンに浸りました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ペリパトス」

2014-08-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140807
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索キーワード(4)ペリパトス

 わからない語に出くわしたら、すぐに検索です。近頃では辞書には載っていないような新語流行語のたぐいでも、すぐに検索で意味がわかり、ありがたいことです。むろん引用元の信頼度には注意を払わなければなりません。一般には、実在の公的機関、実名を出している研究者などは信頼度が高いとされるので、実名を出していない春庭サイトなど、「日本語についてもっともらしいことが書いてあるけれど、信頼度は低い」とされるだろうと思います。

 私自身が行う最近の検索は、カタカナ語が多いです。
 無料でもらえて、良質なエッセイが多い「図書」、電車の中での細切れ時間の読書に最適ですが、ときどき知らない語があります。図書2014年4月号の巻頭エッセイのタイトルが「体調管理のペリパトス」しかし、本文の中に出てくるカタカナ語は「メビウスの輪」のみで、本文にはペリパトスという語は書かれていません。で、前後の文脈から推測することもできず、ペリパトスの意味がわからないままになりました。

 検索すると、ペリパトスで出てくるのはカフェの店名として。そうか、カフェの名前になるくらいポピュラーな言葉なのかもしれないのに、私はこの年になって、はじめて出会ったのだわ。まったく意味がわかりません。さらに探すと、東京工業大学の図書館蔵書に「ペリパトス文庫」という名がつけられており、意味が書かれていました。

 「Peripatos (英語では “Peripatetic” ) とは,ギリシア語で散策路,遊歩道を意味しています」。
 そ、そうなのか、ギリシャ語、知りませんでした。

 こんなふうに、年をとっても毎日新しいことば新しい出来事に出会えるのはうれしいことです。むろん、悲しいことつらいこといやなことにも毎日新たに出会います。でも、こうやって毎日が更新されていくのを感じているだけでも、人は生きている意味があるのだと思っています。

 長期入院患者や刑務所入所者が日に日に元気を失ってしまうのも、今日が昨日の繰り返しに過ぎず、新しいことに出会う喜びが失われてしまうことが原因と聞きます。逆に、戦時中の捕虜収容所や独裁政権下の政治犯収容所で生き延びることができた人は、毎日のささやかな「新しい出会い」を失わなかった人たちだと。

 格差社会の低辺に暮らし、ときに何の才も能もない自分にいやけがさし、それでも、2014年の8月には、きっと今月の出会いがあるに違いない。どんなことば、どんな出来事に出会うのか。
 そうそう、8月6日には、新しい洗濯機が届きました。節水タイプというなかなかのすぐれものです。ふたが壊れてしまったためにお別れとなった古い洗濯機には、ねんごろに引導を含め、お別れをいたしました。付喪神にもしてやれず、無念の廃品処理施設行きです。よく働いてくれました。ありがとう。
 さて、今日一日は、新しい洗濯機との出会いを今日一日楽しみましょう。えっと、このボタンを押すと「節約コース」だわね。
 洗濯がすんだら、散歩にでも出かけましょう。ペリパトス、散策路でまた何かとであえるかもしれません。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「原爆詩集」

2014-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140806
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索キーワード(3)原爆詩集

げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる
(坂本はつみ 作詞当時小学校3年生)

 今日の検索は「原爆詩集」です。
 「峠三吉 原爆詩集」と、検索すれば、青空文庫が出てきますので、どの詩でもいいですから、読んでください。忘れないために。

 今年も8月6日には、峠三吉「原爆詩集」を朗読して一日を始めます。一人で朗読しても、世の中の動静になんの影響もないのは、わかっています。でも、毎年、やらずにはいられない。それじゃ、元日の初詣のようにじゃないか、単なる習慣さと揶揄されれば、そうなのかもしれないと答える。

 8月6日に失われた数十万の命を振り返ることもせずに、また下々の命など一銭五厘だと思っている「国益を守る」立派な方々が、平和平和と言いながら戦争へ向かっていく。
 ときに無力感に襲われますが、私は私のやり方で、亡くなった人々を追悼し、平和を祈念します。

峠三吉「八月六日 原爆詩集より」
八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦こげた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重った河岸の群も
灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光かこうの中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠の床の糞尿ふんにょうのうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭いしゅうのよどんだなかで
金かなダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!


 忘れませんとも。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「アクセス解析」

2014-08-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140805
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索キーワード(2)アクセス解析

 招待券で行くコンサートや美術展。なんでも無料で楽しむのが私の方針。あとは、無料もしくは低料金で入場できる公園での散歩。まあ、お金がないので、有料のコンサートチケットなんぞは買えない、行けない、というだけのことですが。

 アクセス解析は有料サービスですから、申し込みをしたことはありません。ときどきお試しの無料アクセス解析のお知らせがあるのに、私はたいてい「本日でアクセス解析は終了です」というお知らせのときに気づくのです。いつもぼうっとして生きていますから。
 でも、今回は、10日間のお試し解析に最初から気づきました。

 毎日ほんとうにごくわずかな常連さんが読んでくださるだけの春庭サイトと思っているのですが、たまにアクセスが普段より多い日があるので、いったいどういう理由でこんな辺鄙なさびれたお店に来店するのか、という興味はありましたので、10日間、検索アクセスキーワードをコピーしてみました。

721昨日1番多かった検索キーワードは伊藤若冲動植綵絵向日葵雄鶏図でした
723昨日1番多かった検索キーワードは風兄宇内でした
724昨日1番多かった検索キーワードは鍋島侯爵 明治神宮 献木でした
726昨日1番多かった検索キーワードは藤原武 射精でした
727昨日1番多かった検索キーワードは藤原武 射精でした
729昨日1番多かった検索キーワードはルイーズスクエア 久保田一竹でした
730昨日1番多かった検索キーワードは熟字訓 おもしろでした
730昨日1番閲覧が多かったページはぽかぽか春庭「日本フィル&ダンスinサントリーホール

 二日続けて「藤原武 射精」という検索でご来店なので、わあやっぱりH関連のキーワードというのは興味を持たれるんだなあと思いました。こういうキーワードで検索してきた人は、知りたかったことが書いてないので、がっかりしたでしょうし、二度とこないでしょう。興味が異なるお方とは、ご縁ができなくてもいいんですけれど。
 
 「鍋島侯爵 明治神宮 献木」というアンド検索でやってきた人も、がっかりしたことでしょう。私は「明治神宮・献木」なんでいう話題で執筆したことは一度もないからです。どうしてこういうキーワードで、春庭サイトが検索にひっかかるのか、不思議です。鍋島侯爵というのは、明治のおやしき見物の話題で出したきりです。

 「風兄宇内」は、水族館劇場を見に行ったときのリポートで、名前を書き留めました。この役者の個性が好きなので、名前を出したのです。といっても、風兄を「ファニー」と読むのだ、ということすら知らなかったファンですが。水族館劇場がまだ名前がメジャーになっていない劇団ですし、風兄も一般に知られていない役者ですから、検索で我が店がひっかかるのはわかります。

 伊藤若冲はメジャーもメジャーですから、若冲だけなら、我が店がひっかかることはなかったのでしょうが、「伊藤若冲動植綵絵向日葵雄鶏図」まで細かく指定すると、春庭サイトも検索にひっかかるのだ、とわかります。

 私もよく検索をかけます。検索によってわかったことを引用することはありますが、引用には必ず引用元を書いておきます。どの辞書からの引用なのか、どのサイトを参照したのか。また、引用元明記の場合は、そのままコピーしますが、参照の場合、書かれていることをそのままコピペすることはありません。
 しかし、春庭サイトに書いたことをそっくりそのまま他の人がコピペして「日本語の質問への回答」として掲載しているページを見つけたことがあります。

 他者の文章をそっくりコピペして、「日本語について、教えてやろう」というページに仕立てて、それで満足している人もいるのだなあと、私とは異なる趣味嗜好なのだろうと思うのみですが、気分はよくないです。

 「熟字訓 おもしろ」で飛んできた人。先生に「熟字訓についてレポートを提出せよ なんていう課題を出された学生なのかなあなんて想像します。

 春庭が書いた日本語学に関する文章は、春庭が責任を持っていますが、春庭と私の本名の両方を知っている人は、Off会などで顔を合わせたことのある人だけです。

 春庭を知っている人が信頼してくれればいいと思っているので、このサイトに本名勤務先を明記することはありませんが、書いたことに関して、春庭は「責任は私が負う」と思っております。春庭サイトに書かれたことを信じるか信じないかは、読んだ人が判断すればよいことですけれど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「アッパッパ」

2014-08-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140803
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索キーワード(1)アッパッパ

 私が、よく検索をするのは、「ぽかぽか春庭 ○○」というアンド検索です。なぜなら、自分がその話題について過去ログに書いたことがあるのかどうか、知りたいとき、とても便利だからです。

 今回、「アッパッパ」について書きたいと思って、まてよ、ずいぶん前にアッパッパの語源について書いたことがあった気がする、と検索をかけました。「ぽかぽか春庭 アッパッパ」という検索で出てきたのは、7月に書いた「人形愛」シリーズで、私が人形にアッパッパを作ってやった、という文章だけでした。そうか、まだ、アッパッパの語源について書いたことはなかったのだ、とわかりました。で、今回書きます。どうも年をとると同じことを繰り返して述べるようになってくるので、こうして検索をかけておけば、過去ログで書いたことがあるかどうか確認できます。
 まあ、読んでいるほうだって、昔読んだことなんて忘れているのだから、何度同じことを読んでも、新鮮な気分でよめるんですけれどね。少なくとも私は、何度同じのを読んでも楽しめます。

 私は年寄りが繰り返し同じ昔語りをすること、とてもいいことだと思っているのです。私も、姑の昔話を何度でも聞きます。このコラムでは、できるだけ異なる話題で日本語についてメモしておきたい、という方針だ、というだけです。

 ことばのあれこれについて新しく知ることは、私にとって趣味でもあり商売道具のおまじないでもあります。日本語学や日本語教授法を講義する上で、ことばについて、どんなことでも知っておきたい。

 学生時代には「日本語学研究者は、語源学と教え子に手を出したら、身の破滅」と戒めを受けてきたので、語源探索については研究対象としたことはありませんでしたが、単なる好奇心の対象としては語源を知ることはとてもおもしろいものです。

 さて、アッパッパについて、一般に流布している語源でをチェック。
 コトバンク世界大百科事典 第2版に掲載されている一説では。。
http://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%91
語源は裾がパッとひろがるという大阪言葉に由来する。」
 ウィキペディアには
歩くと裾がパッパと広がることから付いたという説がある。元は近畿地方での俗語である」「マザーハバードドレス(ハバード母さんドレス)のハバード(Hubbard)が訛ったものとの説もある」と、両説並記。

 しかし、別の説があります。ウィキペディアのアッパッパにも「up a parts」という語がかかれています。出典がはっきりしないので、確かなことがいえないのですが「図書(岩波)」とか「UP(東京大学出版会)」のどちらかの出版広報冊子で読んだエッセイの中に出てきたのだと思います。
 「アッパッパは、Up a partsが語源」と書いてあったのを記憶しています。これを読んで、「裾がパッパと広がるからアッパッパ」という語源説に納得できなかったのが、一気に「長年の疑問氷解。なるほど」という気分になりました。

 ただし、ひとつながりの洋服がワンピース、スカートと上着が分かれている洋服がツーピースというファッション用語に比べると、上から下までズドンとしたワンピースである衣服を、どうしてUp a parts、というのか、についての解説を見たことがありません。なぜ、この形をUp a partsと呼ぶのか、西欧のファッション用語でも、ある一定の時期Up a partsという用語が使われていたのか、調べるには膨大な資料精査が必要です。

 明治時代にに真っ先に西洋服を日常着として採用したのは、明治天皇の皇后美子(昭憲皇太后)を中心とする皇族の女性でした。しかし、看護婦が西洋服を制服に取り入れたほかは、ほとんどの一般女性は、昭和になるまで和服以外の日常着を持ちませんでした。多くの女性がたしなみとして和服を自分で仕立てられたのに対して、洋服は複雑な裁断と縫製が必要な特殊技術で、ミシンという高価な道具も必要だったという理由もありました。

 一般女性が洋装するようになったのは、昭和時代に入ってからのこと。
 1923(大正12)年の関東大震災以後景気は後退し、昭和金融恐慌、さらに1929年は世界恐慌。おりしも1929年の夏は猛暑で、簡易ワンピースが「清涼服」と宣伝されて普及しました。この簡単服は、めんどうな裁断もない直線裁ちで、ミシンがなくても直線に縫うなら手縫いでも形が整います。こうして1920年代から1930年代にかけて、一般の女性が洋服=アッパッパを着るようになったのです。

 語源探索は趣味としてはおもしろいけれど、厳密な学問としては成立しがたく、複数の語源を発見しても、その確かな出典を探すうちに一生がおわってしまう、ので、「語源学に手を出すな」という戒めです。
 アッパッパについても、いくつかの語源を並べておもしろがるうちはいいですが、では、up a partsが服飾用語として掲載されている文献ファッション雑誌の初出はどれか、など探すのはたいそう手間暇かかることであり、結局は突き止められない、という結果もよくあること。

 だから、アッパッパ探索も、これくらいでやめておきます。アッパッパを着ることによって、女性はひもや帯で身体を締め付ける衣生活から解放されたのだ、という論、さもありなんと思います。私も締め付ける衣服は何より嫌い。ブラジャーも嫌いです。冬はノーブラ。夏場はインナーに薄手のパットを貼り付けたタンクトップを愛用。
 夏場は、もっぱらゆるゆるのチュニック、すなわちアッパッパ現代版を愛用しています。チュニックはほんとに私向きのスタイルで、チュニックの太っ腹なデザインに甘えて、私のおなかは、際限なく太っ腹になっています。アッパレなこの腹、アッパッパです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2014年7月 目次」

2014-08-02 00:00:01 | エッセイ、コラム


20140731
ぽかぽか春庭 2014年7月 目次

07/01 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(1)同音異義語について
07/02 質問に答えて(2)あなたは、かわいそうです
07/03 質問に答えて(3)スープを飲む薬を飲む息をのむ
07/05 質問に答えて(4)ぜんぜんいい
07/06 質問に答えて(5)ろりめく・ラ行の和語
07/07 質問に答えて(6)桃太郎のお話を話して
07/09 質問に答えて(7)ひらがなカタカナと変体仮名
07/10 質問に答えて(8)白米ごはんライス
07/12 質問に答えて(9)教えられつつ

07/12 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ユリーカ!!(1)マロニエの花とドーパミン
07/15 ユリーカ!!(2)イスカンダルへ
07/16 ユリーカ!!(3)コロンブスの卵につけるめりはり
07/17 ユリーカ!!(4)かき氷

07/17 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>人形愛(1)私のにんぎょうはよい人形
07/20 人形愛(2)四谷シモン人形展
07/22 人形愛(3)her/世界にたったひとつの彼女vs南極1号そして、バッテリーはビンビンな雨上がりの夜
07/23 人形愛(4)生人形その他
07/25 人形愛(5)土偶、人形、フィギュア

07/26 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記7月(1)おひとり様花火
07/27 十四事日記7月(2)猛暑日散歩in六義園
07/29 十四事日記7月(3)打ち上げアジア料理in井の頭公園
07/30 十四事日記7月(4)日本フィル&ダンスinサントリーホール
07/31 十四事日記7月(5)買い物ランチ&チョコレートフォンデュ
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