新宮城址は、喜多方市役所の南西約6kmのところ
県道336号線沿いに城跡碑が建っています
城址碑の南側に広い駐車場が用意されています
県道沿いに幟が出ています
新宮城址の碑が有ります
草の植えられている部分が南側の堀跡です
県道沿いの段差が、郭と堀の段差でしょうか
駐車場に説明版が有ります
会津新宮城跡
会津新宮城跡は、福島県西部、会津盆地北西部位置しており、南北朝時代~室町時代前期に会津北部から
新潟県の東蒲原郡方面に勢力を持っていた有力武士、新宮氏の城館跡です。新宮氏は平姓の武士で、鎌倉時
代の初め頃会津に所領を与えられた関東御家人佐義連の子孫とされます。鎌倉時代の末頃には当地の地頭と
して土着しており、新宮熊野神社には新宮氏一族が寄進した銅鐘が残されています。室町時代に入ると後に
戦国大名となる黒川(現会津若松)の蘆名氏とたびたび争い、城も合戦の場になりました。応永22年(1
415)に城を落されて越後に逃れ、最後は永享5年(1433)に小河荘(現新潟県東蒲原郡阿賀町津川)にお
いて蘆名氏により滅ぼされえいます。
城跡は、周囲に幅15~20mの内堀と土塁を方形(ロ字状)にめぐらした東西100~120m、南北120~130
mの主郭と、その外側を天然の谷を利用した外堀で広く囲む外郭からなり、城跡全体では東西約480m、南
北約440mの規模となります。この城跡のように、平坦な場所に方形に堀をめぐらす形態の城館跡は平地式
の方形居館と呼称されていますが、14世紀から15世紀前半、戦国時代以前のものとしては東北地方でも有
数の規模になります。
発掘調査では、礎石建物跡や、国内最大級の方形木組遺構が見つかり、中国・朝鮮産の磁器、国産の珠洲
系の陶器や古瀬戸、かわらけが出土しました。外国産の磁器には高麗象嵌青磁や象の青白磁など、出土事例
の少ない高級品を含んでいます。かわらけは当時の儀式などに使用されていた素焼きの皿類で、主郭からた
くさん出土しており、かわらけを大量に使用する儀式がおこなわれていたことがわかります。礎石建物跡、
方形木組遺構など通常の城館跡には見られない遺構や、高級品を含む陶磁器類、東北地方の中世城館跡では
まとまった出土事例の少ないかわらけなどは、新宮氏の財力、勢力の大きさを知ることができます。出土し
た陶磁器類は、12世紀から15世紀前半のもので占められており、文献資料から知られる新宮氏の盛衰と一致
しています。
会津新宮城跡は、その規模や出土遺物から城の具体的な在り方がうかがえるとともに、全体の保存状態も
極めて良好であり、文献資料からも来歴をあとづけられることができる貴重な遺跡です。
*城跡の範囲は私有地となっていますので、畑地内への立入はご遠慮ください。
喜多方市教育委員会
図面や発掘調査の写真です
では、次は熊野神社に行きましょう
県道336号線沿いに城跡碑が建っています
城址碑の南側に広い駐車場が用意されています
県道沿いに幟が出ています
新宮城址の碑が有ります
草の植えられている部分が南側の堀跡です
県道沿いの段差が、郭と堀の段差でしょうか
駐車場に説明版が有ります
会津新宮城跡
会津新宮城跡は、福島県西部、会津盆地北西部位置しており、南北朝時代~室町時代前期に会津北部から
新潟県の東蒲原郡方面に勢力を持っていた有力武士、新宮氏の城館跡です。新宮氏は平姓の武士で、鎌倉時
代の初め頃会津に所領を与えられた関東御家人佐義連の子孫とされます。鎌倉時代の末頃には当地の地頭と
して土着しており、新宮熊野神社には新宮氏一族が寄進した銅鐘が残されています。室町時代に入ると後に
戦国大名となる黒川(現会津若松)の蘆名氏とたびたび争い、城も合戦の場になりました。応永22年(1
415)に城を落されて越後に逃れ、最後は永享5年(1433)に小河荘(現新潟県東蒲原郡阿賀町津川)にお
いて蘆名氏により滅ぼされえいます。
城跡は、周囲に幅15~20mの内堀と土塁を方形(ロ字状)にめぐらした東西100~120m、南北120~130
mの主郭と、その外側を天然の谷を利用した外堀で広く囲む外郭からなり、城跡全体では東西約480m、南
北約440mの規模となります。この城跡のように、平坦な場所に方形に堀をめぐらす形態の城館跡は平地式
の方形居館と呼称されていますが、14世紀から15世紀前半、戦国時代以前のものとしては東北地方でも有
数の規模になります。
発掘調査では、礎石建物跡や、国内最大級の方形木組遺構が見つかり、中国・朝鮮産の磁器、国産の珠洲
系の陶器や古瀬戸、かわらけが出土しました。外国産の磁器には高麗象嵌青磁や象の青白磁など、出土事例
の少ない高級品を含んでいます。かわらけは当時の儀式などに使用されていた素焼きの皿類で、主郭からた
くさん出土しており、かわらけを大量に使用する儀式がおこなわれていたことがわかります。礎石建物跡、
方形木組遺構など通常の城館跡には見られない遺構や、高級品を含む陶磁器類、東北地方の中世城館跡では
まとまった出土事例の少ないかわらけなどは、新宮氏の財力、勢力の大きさを知ることができます。出土し
た陶磁器類は、12世紀から15世紀前半のもので占められており、文献資料から知られる新宮氏の盛衰と一致
しています。
会津新宮城跡は、その規模や出土遺物から城の具体的な在り方がうかがえるとともに、全体の保存状態も
極めて良好であり、文献資料からも来歴をあとづけられることができる貴重な遺跡です。
*城跡の範囲は私有地となっていますので、畑地内への立入はご遠慮ください。
喜多方市教育委員会
図面や発掘調査の写真です
では、次は熊野神社に行きましょう