ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県下郷町、円福寺の大ケヤキです!!

2017-08-30 06:37:03 | 巨樹・大木
円福寺は、下郷町役場の南西約3kmのところ

国道121号線沿い東側に参道入り口が有ります

円福寺は楢原宿の中ほどに在ったようです

入り口に楢原宿の説明版が有ります
   楢原宿
     幕藩体制下での輸送方法は、宿駅から宿駅へ荷物を継ぎ送る「馬継ぎ方式」
    が原則でした。
     輸送された物資の中で、その量からみても筆頭にあげられるのが会津藩米の
    江戸輸送です。年間10万俵にも及ぶ廻米が、江戸在住の藩士の扶養米、ある
    いは藩財政操作の資材として送られています。
     各宿駅は、当時の物資輸送にとって大変重要な役割を果たしていたのです。
     楢原宿の宿駅整備を知る資料としては、本寺圓福寺所蔵の「楢原宿古絵図」
    があります。
     絵図は、旧街道を挟んで東町22戸、西町22戸の町割りがなされ、寛永17
    年(1640)2月24日の墨銘があることから、寛永年間には楢原宿も宿駅と
    して機能していることが伺え知れます。
     正保4年(1647)には、会津藩から宿駅の管理体制についての掟が公布
    され、寛文7年(1667)には街道に一里塚等が築かれました。
     このようなことから、下野街道の宿駅や道路が完全に整備されたのは17世
    紀中頃と考えられる。
                     下郷町教育委員会
国道反対側に車を止めさせて頂きました


円福寺入口です

山門です、光林山 圓福寺・比叡山延暦寺直末の文字が見えます


円福寺説明版です
   光琳山 圓福寺
     1、由緒
        本寺は嘉祥元年(848年)慈覚大師円仁により開山され、延寿寺(
       若松城内にあったが戊辰戦争で焼失)の末寺であった。現在は比叡山延
       曆寺を本山とする天台宗山門派で、以前は聖観音を祀っていた。明和7
       年(1770年)に現在の本尊阿弥陀如来三尊が安置された。
     2、文化財(下郷町)
       (1)木造聖観音座像 古本尊で像高87cm。南北朝時代の作と推定
          される。
       (2)木版無量義経 延寿寺豪仙から曼荼羅と共に寄進されたもの。法
          華経の最初の「開経」と呼ばれる部分。松平下野守奉寄進の墨書
          銘がある。
       (3)紙本着色胎蔵金剛両界曼荼羅 大日如来を中心とした仏衆の組織
          図。若松城主蒲生忠郷公(1618年~1627年)が城内に東照宮
          を造営の折寄進された。延寿寺は以後東照宮の別当となる。
       (4)楢原宿古絵図 寛永17年(1640年)に宿の様子を幕府に報告の
          ため作られた絵図の控え。
      3、緑の文化財(福島県指定)
       (1)圓福寺の大ケヤキ 胸高幹回り6m、樹高31m、推定樹齢550年
       (2)圓福寺のシャクナゲ アズマシャクナゲで樹高3m、推定樹齢170年
         

境内へ入りましょう


鐘楼です

本堂です

本堂前に大ケヤキは在ります

福島県緑の文化財としての保護が行なわれています

北側から

南側から

本堂前から見上げました

では、次へ行きましょう





ここまで、2017年8月6日に取材したものです
コメント
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