会津若松市役所の西北西約3kmのところ
中四合集落の北の端に
小さな祠が東向きに建ち、鳥居が南に並んだ
二本木稲荷神社が在ります
境内に車を止める事が出来ました
赤鳥居が並んだ境内にケヤキの巨木が在ります
二本木稲荷神社です
南東側から
東から、祠の後ろ側のケヤキが立派です
説明版です
二本木稲荷神社由緒
創祀年代は詳かでないが、口伝によれば、文治5(己酉)年(西暦1189年
今より785年前)会津の守護佐原十郎義連は奥羽平定の祭源頼朝に従って平泉
の役に勲功あり、その恩賞として会津を賜り、この地に来り、油幕を張って仮の
城郭としたところから村名を幕之内と名付けたと伝えられている。当時稲荷社の
側には幹囲7尋もある老槻の神木2株が在ったが、この枝を伐り油幕の幕串にす
る細柱として用いたというから随分古い社である。
公は、敬神の念篤くこの社をこよなく崇敬しており、後葦名7代目の会津若狭
守平直盛が康暦元(己未)年(西暦1379年今より595年前)鎌倉より会津
に下向、幕之内新城寺に三年居住し至徳元(甲子)年(西暦1384年今より5
90年前)小高木城(鶴ヶ城)を築城のときこの稲荷社に祈願し薄雪が鹿子斑に
降った満願の朝、夢のおさとしがあって使いの白狐が参詣道を一路東に進み足跡
を印して城郭の導をつけたといわれ今の御城稲荷は二本木稲荷の分神とも伝えら
れている。
現在残っている一本のケヤキは、目通り幹周り5,3mの巨木です
では、次へ行きましょう
中四合集落の北の端に
小さな祠が東向きに建ち、鳥居が南に並んだ
二本木稲荷神社が在ります
境内に車を止める事が出来ました
赤鳥居が並んだ境内にケヤキの巨木が在ります
二本木稲荷神社です
南東側から
東から、祠の後ろ側のケヤキが立派です
説明版です
二本木稲荷神社由緒
創祀年代は詳かでないが、口伝によれば、文治5(己酉)年(西暦1189年
今より785年前)会津の守護佐原十郎義連は奥羽平定の祭源頼朝に従って平泉
の役に勲功あり、その恩賞として会津を賜り、この地に来り、油幕を張って仮の
城郭としたところから村名を幕之内と名付けたと伝えられている。当時稲荷社の
側には幹囲7尋もある老槻の神木2株が在ったが、この枝を伐り油幕の幕串にす
る細柱として用いたというから随分古い社である。
公は、敬神の念篤くこの社をこよなく崇敬しており、後葦名7代目の会津若狭
守平直盛が康暦元(己未)年(西暦1379年今より595年前)鎌倉より会津
に下向、幕之内新城寺に三年居住し至徳元(甲子)年(西暦1384年今より5
90年前)小高木城(鶴ヶ城)を築城のときこの稲荷社に祈願し薄雪が鹿子斑に
降った満願の朝、夢のおさとしがあって使いの白狐が参詣道を一路東に進み足跡
を印して城郭の導をつけたといわれ今の御城稲荷は二本木稲荷の分神とも伝えら
れている。
現在残っている一本のケヤキは、目通り幹周り5,3mの巨木です
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