後半です
長床は、熊野神社の拝殿にあたる建物で国の重要文化財です
大銀杏と同じ平面境内に建ちます
長床です
説明版です
国指定重要文化財(建造物)
熊野神社長床
所有者 新宮熊野神社
指定年月日 昭和38年7月1日
長床は熊雄神社の拝殿で、9間×4間、茅葺寄棟造りの建物です。
直径1尺5寸(45、4cm)の円柱44本が5列に並び、各柱の間は10尺
(303cm)の等間隔で全部吹抜けです。外廻り1間通りが化粧屋根裏の庇の
間として区切るように並べてあり、中央桁行7間、梁間2間のところは天井を張
った身舎となっています。
各柱の上には、平三斗の組物がのり、中備には間斗束を用いている。
前身建物は、各所に残る部材の様式手法から考えて、鎌倉時代初期のものと推
定されます。慶長16年(1611)の大地震で倒壊し、同19年に再建されま
したが旧材を再使用したため柱間寸法が縮み身舎9尺(272cm)庇8尺(2
48cm)となり、また組物や天井等を廃したり、軒はせがい造りに改められた
りしていました。
そこえ昭和46年から49年にかけて解体修理が行なわれた時、調査の結果旧
規を知る箇所が数多く判明したので、できる限り当初の姿に復元しました。
中央の系統をひく鎌倉時代の遺構として、東北地方では他に類をみないものと
なりました。
喜多方市教育委員会
南側からの全景です
北東側から
境内南側には鐘楼が有ります
県指定文化財の銅鐘です
鐘楼の西側の建物は文殊堂です
本殿へ行きましょう、正面に見えているのは新宮の本殿です
説明版です
福島県指定重要文化財(建造物)
熊野神社本殿 三棟
昭和42年12月8日指定
所在地 喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
所有者 熊野神社
国指定重要文化財熊野神社長床を拝殿とし、石段をのぼった山の中腹に、玉垣を
めぐらし三殿が並列し、東を向いて建っている。中央から本社新宮証誠殿、左が末
社那智山飛龍権現、右が末社本宮十二社権現である。
三社とも一間社奥行二間、妻入り向拝付の同じ規模であるが、各社各部に手法や
細工の程度に相違がみられ、同じ棟梁でないだけでなく、修理のあとも多い。
中央の新宮殿は、両末社より手法・細工とも入念であり、基壇はなく、礎石の上
に地長押を置き、縁長押も設けて床を高くいている。向拝には特に浜床に相当する
部分はない。向拝の三つ斗・つなぎ虹梁・木鼻などが洗練されている一方、主屋の
木鼻や懸魚は鈍いので、向拝は修理にあたって変更を受けているとも考えられる。
一見して春日造りの形をとるが、ここでは向拝を入母屋の妻屋根の延長として扱い
平行二重の重棰は隅木を入れて前面にも巡らし、縁も両側面に延長して脇障子をた
てるなど、本来の形式よりは進化している。
この種の本殿形式は紀州熊野神社社殿がそうであるところから、熊野造りの名称
もある、東北地方の神社本殿はほとんどが流造りである中で、わずかの熊野神社の
みが妻入りの系統を伝えているのは興味深い。建立時期についての記録はないが、
形式伝播や同種の例から推定して、主屋は室町末期以降、向拝などには慶長年間(
1600年ころ)に、山上から現在地に移されたとき大修造があったと考えられる
。
なお、熊野造りが三社併置されている大規模構造は、県下に当社以外例を見ない
。
福島県教育委員会
福島県指定重要文化財の標柱です
石段を登って新宮右手に本宮本殿です
左手には那智殿本殿です
三社本殿が同一平面上に並んでいます
本殿前石段上から拝殿である長床を見下ろしました
では、次へ行きましょう
長床は、熊野神社の拝殿にあたる建物で国の重要文化財です
大銀杏と同じ平面境内に建ちます
長床です
説明版です
国指定重要文化財(建造物)
熊野神社長床
所有者 新宮熊野神社
指定年月日 昭和38年7月1日
長床は熊雄神社の拝殿で、9間×4間、茅葺寄棟造りの建物です。
直径1尺5寸(45、4cm)の円柱44本が5列に並び、各柱の間は10尺
(303cm)の等間隔で全部吹抜けです。外廻り1間通りが化粧屋根裏の庇の
間として区切るように並べてあり、中央桁行7間、梁間2間のところは天井を張
った身舎となっています。
各柱の上には、平三斗の組物がのり、中備には間斗束を用いている。
前身建物は、各所に残る部材の様式手法から考えて、鎌倉時代初期のものと推
定されます。慶長16年(1611)の大地震で倒壊し、同19年に再建されま
したが旧材を再使用したため柱間寸法が縮み身舎9尺(272cm)庇8尺(2
48cm)となり、また組物や天井等を廃したり、軒はせがい造りに改められた
りしていました。
そこえ昭和46年から49年にかけて解体修理が行なわれた時、調査の結果旧
規を知る箇所が数多く判明したので、できる限り当初の姿に復元しました。
中央の系統をひく鎌倉時代の遺構として、東北地方では他に類をみないものと
なりました。
喜多方市教育委員会
南側からの全景です
北東側から
境内南側には鐘楼が有ります
県指定文化財の銅鐘です
鐘楼の西側の建物は文殊堂です
本殿へ行きましょう、正面に見えているのは新宮の本殿です
説明版です
福島県指定重要文化財(建造物)
熊野神社本殿 三棟
昭和42年12月8日指定
所在地 喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
所有者 熊野神社
国指定重要文化財熊野神社長床を拝殿とし、石段をのぼった山の中腹に、玉垣を
めぐらし三殿が並列し、東を向いて建っている。中央から本社新宮証誠殿、左が末
社那智山飛龍権現、右が末社本宮十二社権現である。
三社とも一間社奥行二間、妻入り向拝付の同じ規模であるが、各社各部に手法や
細工の程度に相違がみられ、同じ棟梁でないだけでなく、修理のあとも多い。
中央の新宮殿は、両末社より手法・細工とも入念であり、基壇はなく、礎石の上
に地長押を置き、縁長押も設けて床を高くいている。向拝には特に浜床に相当する
部分はない。向拝の三つ斗・つなぎ虹梁・木鼻などが洗練されている一方、主屋の
木鼻や懸魚は鈍いので、向拝は修理にあたって変更を受けているとも考えられる。
一見して春日造りの形をとるが、ここでは向拝を入母屋の妻屋根の延長として扱い
平行二重の重棰は隅木を入れて前面にも巡らし、縁も両側面に延長して脇障子をた
てるなど、本来の形式よりは進化している。
この種の本殿形式は紀州熊野神社社殿がそうであるところから、熊野造りの名称
もある、東北地方の神社本殿はほとんどが流造りである中で、わずかの熊野神社の
みが妻入りの系統を伝えているのは興味深い。建立時期についての記録はないが、
形式伝播や同種の例から推定して、主屋は室町末期以降、向拝などには慶長年間(
1600年ころ)に、山上から現在地に移されたとき大修造があったと考えられる
。
なお、熊野造りが三社併置されている大規模構造は、県下に当社以外例を見ない
。
福島県教育委員会
福島県指定重要文化財の標柱です
石段を登って新宮右手に本宮本殿です
左手には那智殿本殿です
三社本殿が同一平面上に並んでいます
本殿前石段上から拝殿である長床を見下ろしました
では、次へ行きましょう