滝沢石器時代遺跡は、渋川市役所の東北東約4kmのところ
赤城山の南西側裾野近くに在ります
国道353号線を赤城山へ登って行くと
途中に案内板が出ています
遺跡面を見上げました下の道路脇に駐車スペースが有ります
遺跡面です
史蹟 滝沢石器時代遺跡の石碑です
説明石碑です
滝沢石器時代遺跡
指定年月日 昭和2年4月8日
説 明 滝沢石器時代人は、縄文期の人々で、縄文早期から晩期にかけて
数千年の間、高台下の湧玉の泉を中心に生活を営んでいたが、その
竪穴住居や生活用具は長い年月の間土砂の下に埋まっていた。
大正15年(1926)発掘調査が行われたが、住居跡群や巨大
な石棒・岩版・精巧な耳栓その他数多の土器・石器類の出土は、よ
うやく縄文文化の科学的研究が行なわれ始められた当時において、
多大な学問的成果を収め、縄文文化研究に大きな影響を及ぼしたこ
とにこの遺跡の意義がある。
注 意 遺跡は発掘終了後、当時のまま地下に保存してあるので、発掘・破
懐・遺物の採取等は禁止され、地形の改変は許可を必要とする。
昭和43年11月3日 文化庁・赤城村教育委員会
下の面に説明版が有ります
説明版です
国指定史跡 瀧沢石器時代遺跡
瀧沢石器時代遺跡は、名峰、赤城山の西麓に広がる舌状台地上に立地する
旧石器・縄文早期~晩期・弥生・古墳・平安時代にかけての複合集落遺跡で
る。
旧内務省考査官の柴田常恵や群馬県史跡名勝天然記念物調査委員の岩澤正
作らの指導のもと、大正15年(1926)い実施された発掘調査によって
、長さ1m、重さ60kgを越える大石棒・炉跡を中心とした住居跡・配石
遺構などが発見され、昭和2年(1927)に約13haの用地が国指定史跡
とんる(平成16年に追加指定あり)。東に赤城山、西に榛名山、北に子持
山と小野子山の山体を望む遺跡の北東の隅には”湧玉”と呼ばれる湧水が現
在も豊富にわきだし、縄文時代の景観をしのばせる。
瀧沢石器時代遺跡は周辺の住環境整備事業の実施と関連して、平成9年(
1997)から平成11年(1999)かけて、旧赤城村教育委員会による
保存整備のため調査している。
現在までに縄文時代前期から晩期の住居跡15軒、後晩期の大規模な配石
遺構(環状列石)、中後期の集石遺構、盛土遺構、土坑、平安時代の住居跡
7軒などが確認されている。
発掘調査により、遺構中心部から出土した縄文時代後晩期の配石遺構は東
北地方の環状列石と肩を並べるほどのもので、直径30m以上の大規模な環
状列石であることが確認されており、この環状列石の西端部では大石棒をと
もなう祭祀の様子をうかがえる場所が見つかっている。
この石棒祭祀跡を中心に岩版、石棒、石剣、土偶などの祭祀用具や土製耳
飾、凹石、石皿、打製石斧、磨製石斧、石匙、石鏃などの石器が数多く見つ
かっており、縄文人の信仰の姿をうかがうことができる。
また、環状列石の外側に広がる縄文時代の住居跡や土坑からは、前期の諸
磯式土器や中期の焼町類土器、加曽利E式土器、後期の高井東式土器、晩期
の安行式土器などの深鉢のほか、打製石斧、石匙など様々な出土品が見つか
っている。
渋川市教育委員会
指定年月日:昭和2年4月8日
所在地:渋川市赤城町滝沢・見立
出土品保管先:渋川市赤城歴史資料館
では、次へ行きましょう
赤城山の南西側裾野近くに在ります
国道353号線を赤城山へ登って行くと
途中に案内板が出ています
遺跡面を見上げました下の道路脇に駐車スペースが有ります
遺跡面です
史蹟 滝沢石器時代遺跡の石碑です
説明石碑です
滝沢石器時代遺跡
指定年月日 昭和2年4月8日
説 明 滝沢石器時代人は、縄文期の人々で、縄文早期から晩期にかけて
数千年の間、高台下の湧玉の泉を中心に生活を営んでいたが、その
竪穴住居や生活用具は長い年月の間土砂の下に埋まっていた。
大正15年(1926)発掘調査が行われたが、住居跡群や巨大
な石棒・岩版・精巧な耳栓その他数多の土器・石器類の出土は、よ
うやく縄文文化の科学的研究が行なわれ始められた当時において、
多大な学問的成果を収め、縄文文化研究に大きな影響を及ぼしたこ
とにこの遺跡の意義がある。
注 意 遺跡は発掘終了後、当時のまま地下に保存してあるので、発掘・破
懐・遺物の採取等は禁止され、地形の改変は許可を必要とする。
昭和43年11月3日 文化庁・赤城村教育委員会
下の面に説明版が有ります
説明版です
国指定史跡 瀧沢石器時代遺跡
瀧沢石器時代遺跡は、名峰、赤城山の西麓に広がる舌状台地上に立地する
旧石器・縄文早期~晩期・弥生・古墳・平安時代にかけての複合集落遺跡で
る。
旧内務省考査官の柴田常恵や群馬県史跡名勝天然記念物調査委員の岩澤正
作らの指導のもと、大正15年(1926)い実施された発掘調査によって
、長さ1m、重さ60kgを越える大石棒・炉跡を中心とした住居跡・配石
遺構などが発見され、昭和2年(1927)に約13haの用地が国指定史跡
とんる(平成16年に追加指定あり)。東に赤城山、西に榛名山、北に子持
山と小野子山の山体を望む遺跡の北東の隅には”湧玉”と呼ばれる湧水が現
在も豊富にわきだし、縄文時代の景観をしのばせる。
瀧沢石器時代遺跡は周辺の住環境整備事業の実施と関連して、平成9年(
1997)から平成11年(1999)かけて、旧赤城村教育委員会による
保存整備のため調査している。
現在までに縄文時代前期から晩期の住居跡15軒、後晩期の大規模な配石
遺構(環状列石)、中後期の集石遺構、盛土遺構、土坑、平安時代の住居跡
7軒などが確認されている。
発掘調査により、遺構中心部から出土した縄文時代後晩期の配石遺構は東
北地方の環状列石と肩を並べるほどのもので、直径30m以上の大規模な環
状列石であることが確認されており、この環状列石の西端部では大石棒をと
もなう祭祀の様子をうかがえる場所が見つかっている。
この石棒祭祀跡を中心に岩版、石棒、石剣、土偶などの祭祀用具や土製耳
飾、凹石、石皿、打製石斧、磨製石斧、石匙、石鏃などの石器が数多く見つ
かっており、縄文人の信仰の姿をうかがうことができる。
また、環状列石の外側に広がる縄文時代の住居跡や土坑からは、前期の諸
磯式土器や中期の焼町類土器、加曽利E式土器、後期の高井東式土器、晩期
の安行式土器などの深鉢のほか、打製石斧、石匙など様々な出土品が見つか
っている。
渋川市教育委員会
指定年月日:昭和2年4月8日
所在地:渋川市赤城町滝沢・見立
出土品保管先:渋川市赤城歴史資料館
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