ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県会津若松市、如来堂のイチョウです!!

2017-08-28 07:19:43 | 巨樹・大木
神指町如来堂は、会津若松市役所の西北西約4kmのところ

「高瀬の大木」の南西約400mの所にあります

神指城跡の南側土塁上に如来堂が建っています

土塁の坂道を登って如来堂入口に車を止めさせて頂きました


南から見ました、神指城跡の南端です

入り口の坂(神指城土塁へ上る坂道)の途中の案内板です

境内入口です、大イチョウが境内に見えています

史蹟 新撰組殉難地の石柱が入口にあります

境内入口には、石仏や石塔が並びます

東向に如来堂が在ります

説明版です
   如来堂
    慶応4年(1868)9月4日、山口次郎こと斎藤一ら新撰組隊士が守備
   したここ如来堂が、新政府軍によて襲われ、隊士が全滅したとされる場所で
   ある。
    近藤勇亡き後、会津に入った土方歳三率いる新撰組は、母成峠防衛の任と
   なるが、西軍の攻撃の前に敗退いた。庄内へ援軍を求めて会津を離れようと
   する土方に対し、山口は会津藩主・松平容保への恩義から「今、落城せんと
   するのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」と、会津に残留して徹底抗戦
   を主張した。
    会津を去った土方とは対照的に、山口は20名(十数名とも言われている
   )ばかりの隊士とともにこの地に宿陣していたが、西軍の襲撃を受けて全滅
   したとされている。しかし数名の隊士が乱戦の中を脱出し、生存していた。
    ここ会津で隊長として新選組を率いた山口においては会津藩が降伏開城し
   た後、藩士とともに斗南藩に移り、苦渋をともにしたのち、大正の世まで生
   き抜いたのであった。

南側から

自然景観指定緑地の案内板です

如来堂の前から見上げました


では、次へ行きましょう
コメント
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