本丸南地区は、東根市役所の北北東約1.5kmのところ
市役所の東側の県道304号線を北へ、龍興寺沼公園の東側高台に東根市立東根小学校が有ります
かつての東根城跡です、南北朝時代に正平2年(1347)に小田島氏によって築城され、その後斯波氏の一族坂本頼高が城主となら7代続き、天正12年(1584)の天童合戦の後最上氏の支配下になり、寛文8年(1661)廃城となった。
東根小学校の玄関先に巨大なケヤキが在ります(国の特別天然記念物:ケヤキとしては唯一)
西側県道脇に見学者用

駐車場が有りますので利用させて頂きました

城跡の西側道路を上がって行くと右手に目的のケヤキが見えて来ました

小学校入口です

校門前から見ました



校庭に入って南側から見ました

天然記念物石碑です、碑面には「内務省指定 大正15年10月20日 天然記念物大欅」です

説明板です
東根の大ケヤキ
この地は、正平2年(1347)、小田島長義が築いた東根城(小田島城)の本丸跡にあたる。
その昔、「雄槻」「雌槻」と呼ばれた二本の大槻があったが、明治18年雄槻が枯れてしまい、雌槻だけ現在に残っている。これが「東根の大ケヤキ」である。
山形県立林業試験場場長大津正英氏(農学博士)によれば樹齢1500年以上で、地上1.2mの幹周は16mあり、さらに直径は5mである。主幹は、地上5.5mの高さで大きく二股に分れ、西南側のものがやや直上して枝を分け、東側も大きく三枝を分けて天空をおおい、その高さは約28mに達する。
平成元年5月、植物学の権威者である金沢市の里見信生氏が大相撲の番付表を模した「日本欅見立番付」を発表したが、「東根の大ケヤキ」は東の横綱に位置し、名実ともに日本一である。
東根市教育委員会
昭和32年9月11日 国指定特別天然記念物
昭和61年 山形新聞社・山形放送主催 「グリーン山形110景」選定
平成2年6月 読売新聞社と国際花と緑の博覧会協会主催 「新・日本名木100選」選定

「東根の大ケヤキ」讃
希有なる大樹として聳え、誰にでもこよなく愛されつづけている、「東根の大ケヤキ」よ。あなたは春夏秋冬と季節がめぐる歳月を、じっとこの場所で幾度経験したことだろうか。
あなたの凛とした姿を前にすると、わたしたちは優しく抱かれるだけでなく、いつも勇気と希望を与えられ、豊かな気持ちに包まれてしまう。やはり、あなたの存在が、何にも替えられない、わたしたちの精神の拠り所となっていることは疑いない。
時に、あなたは、時空を自由にあやつり、わたしたちそれぞれの、夢のような月日が流れた少年時代の記憶を呼び起こしてくれる。また、何十万何百万もの、あなたの揺れ動く葉をじっと見つめていると、強くあなたに引き込まれ、いつしか宇宙の仕組みさえも教えられている気がしてくる。それ等を捉えても、やはりあなたは不思議な力を備えている大樹なのだろう。
「東根の大ケヤキ」よ、いつまでも、いつまでも、わたしたちの大切な宝物として、あなたが存在し続けて欲しいと願わずにはいられない。〔2006年1月〕
国指定特別記念物「東根のケヤキ」シンボルマークデザイン〔平成3年作成〕+文:
矢萩喜従郎
東根市立東根小学校 昭和38年度卒業
東根市六田出身〔東京都在住〕



南東側から



東側から




北東側から

北側の校庭入口から


北北西側道路から



北西側から



西側から



南西側道路から見ました
一周して見ました、では、次は駐車場近くのイチョウに行きましょう}