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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県山形市、津金沢「津金澤(熊野神社)の大スギ」(県指定)です!!

2021-05-17 18:15:51 | 巨樹・大木
津金沢地区は、山形市役所の南西約8kmのところ

蔵王半郷地区は、山形市役所の南南西約8kmのところ

国道112号線南へ、国道13号線の交差点飯田信号で国道13号へ、約1km蔵王成沢信号を右(西)へ県道170号蔵王成沢長谷堂線です、JR奥羽本線を潜って次の信号を左(南)へ県道51号線のバイパスです、東北中央自動車道の手前、最初の信号を右へ入ると津金沢集落です、道なりに進むと住宅の切れ間に「津金沢の大杉」の案内板が出ています、間もなく神社入口の駐車スペースに入りました


案内板です


参道脇に駐車場が有ります

参道入口です

村社 熊野神社です(大正5年3月15日に津金沢青年会によって建てられたものです)

鳥居です

鳥居脇のサクラが満開です

参道から桜を見ました

参道を進みます

石段の右手に太い杉の幹が見えて来ます

幹の根元が見えるところまで上がって来ました

もう少し上がりましょう

根際の高さまで来ました


天然記念物標柱です(昭和30年3月15日建設)「津金澤之大杉」となっています

説明板です
 山形県指定天然記念物
(昭和27年4月1日指定)
  津金澤の大スギ
 むかしから熊野神社の神木とあがめられ、西南方にもう一株の老杉があって、ともに雌杉、雄杉とたたえたという。
 弘化のころ、その一本を切り倒したところ村内に疫病が大流行したため神罰の致すところとして碑を建てて供養を行ったと伝え、弘化2年建立の「大杉大明神」の碑が残っている。
 現存するのは雌杉の方で、根元の回り9.3m、目通りの幹囲8.8m、地上3.3mの部分が最も太く周囲10.5mに達する。幹は大小多数に分枝するが特に5本の大幹が並立直上し、高さおよそ33mにおよぶ、県内有数のスギの巨木であり、樹齢は約千年と推定される。
 平成12年6月
山形市教育委員会


真横から

境内に上がります

狛犬です

鐘楼です

境内南側から見ました

大杉大明神の石碑です、ここに説明板に有ったもう一本の大杉が在ったようです

手水舎です

社殿です

社殿前から

社殿脇北側から

左殿前東端から見下ろすように見ました

では、次へ行きましょう
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山形県山形市、桜田東「桜田熊野神社のケヤキ」(保存樹)です!!

2021-05-17 06:48:45 | 巨樹・大木
桜田東地区は、山形市役所の南南西約4kmのところ
 
 国道122号線を南へ、国道3号線にでる手前でコンビニ前の信号を右(西)へ入ります、広面公園の南側道路です

 公園の次の通りを南へ、次の通りの南右側、住宅地の中に熊野神社が東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました、住所は桜田東1丁目9番です



鳥居から拝殿です

村社 熊野神社です

手水舎です

説明板です
 桜田熊野神社由来
 熊野神社の発祥について、250年程前に神社の南西に住む「甚右エ門」が、紀州の熊野三山から分神して祭ったのが始まりとか、御神体は黒い石と云われているが定かではない。
 昔、神社の前通りは元木に通じる作場道で、神社前を馬が通ると馬が暴れ、また、肥桶を担いで此処を通ると桶が大ゆれして肥がこぼれる。そこで、これは神の怒りであろうと、御神体を菰に包み、熊野堂の下に7尺(2m100mm)の深い穴を掘り、そこに埋めてから異変が起こらなかった。
 境内の面積は、230㎡(70坪)ある、内213㎡(65坪)は小林五郎氏以下50名の共同所有で、他の17㎡(5坪)は、昭和15年、戦時中、出征軍人の壮行会はこの熊野神社の社前で行なっていたが、狭いので社殿を奥の方へ移すため塩野友吉氏から寄附された土地で宗教法人熊野神社の所有になっている。
 奥の院に日露戦争で使ったといわれる砲弾と軍用スコップが保存されている。また奥の院の壁に大正15年3月15日祭典祈念として、遠藤茂次郎氏が松を献木した際の歌が書かれた標札が掲げてある。その歌は「千早振熊野神社の庭の松、千歳かわらぬみどりなるらん」
 明治41年の古書によれば、村民14名が金6円70銭を拠出し、祭典用の三宝と八ツ足机を寄進している。
 従来、阿弥陀堂は村社として崇敬されてきたが、明治元年の神仏判然令の発布により、一村一鎮守と定められたためこの時から熊野神社を村社に格付けされたと云われている。しかしこれまでの習慣から阿弥陀堂に対する愛着の念を拭い去ることができず、阿弥陀堂を熊野神社の拝殿とし、祭礼の際には熊野神社の幟を阿弥陀堂の前に立てることとなりその風習は今も残っている。
 境内の欅の大木は、山形市の保存木に指定されている。古書によれば、50数年前までは、この欅の根元に大きな藤の木が生えており、その蔓は欅の頂上まで延びていたので、子供達はこの蔓に伝わり登ってよく遊んだものである。
・・・・
2001年(平成13年)11月吉日
・・・・



境内北側のケヤキです

参道入口から見ました

石灯篭です

狛犬です

善光寺如来の石塔です

社殿の南側に目的のケヤキです

南側道路(南東側)から

保存樹標識です

本殿です

南西側から

西側から見ました、目通り幹囲5.7mの巨木です

では、次へ行きましょう
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