上蕨岡地区は、出羽一之宮の三つある社の一つ、鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮のあるところ
遊佐町役場の南東約4kmのところ
国道354号線を南へ、県道373号線を東へ進み、天狗森の上り坂を西から東へ登りヘアピンカーブを東から西へ向きを変えて昇って行くと、上蕨岡(上寺)入口の案内板が有ります(参道が上がってきたところです)
もう一段上の鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮前の

駐車場に入りました

上寺案内図です

由緒書き説明版です
出羽国一之宮 鳥海山大者忌神社 由緒(略記)
御祭神 大物忌神((稲倉魂命・豊受姫神と同神)
由緒 社伝によれば、第12代景行天皇の御代当国に現われ、神社の創祀は第29代欽明天皇25年(564)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火など異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行なわれた。本殿は山頂に鎮座し、麓に「口ノ宮」と呼ばれる里宮が蕨岡と吹浦の二ヶ所に鎮座する。
大物忌神社は、貞観4年(862)11月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座月山神社と共に収載されている。後に出羽国一之宮となり、朝野の崇敬を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。
中世、神仏混清以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治3年(1870)神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治4年(1871)5月吹浦口ノ宮が国幣中社に列したが、同13年(1880)7月に山頂本殿を国幣中社に改め、同14年(1881)に蕨岡・吹浦のさy殿を口ノ宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。昭和30年(1955)に三社を総称して現社号となる。山頂の御本殿は、伊勢の神宮と同じく20年毎に建て替える式年造営の制となっている、現在の御本殿は平成29年(2017)に造営された。
平成19年(2007)当神社の社殿及び随身門・神楽殿が国の登録有形文化財に登録され、平成20年(2008)には、山頂本殿から口ノ宮にいたる広範な境内が、国の史跡に指定された。
主な祭日(蕨岡口ノ宮)
1月 7日 御種蒔神事
5月 3日 例大祭 蕨岡延年舞奉納
6月25日 五穀豊穣祈願祭・稲荷神社祭
10月 2日 荘照居成神社祭
11月12日 新嘗祭
平成23年3月吉日復元
鳥海山大物忌神社
NPO法人遊佐鳥海観光協会
令和3年1月 一部修正

境内入口鳥居です

随身門は国の登録有形文化財です

国幣中社 大物忌神社です

随身門を潜ると説明版があります
国指定史跡 鳥海山
鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮境内
平成20年3月28日指定
鳥海山は、その雄姿と度重なる火山活動から、不安定な治安と相まって古代から神階奉受が繰返され、大物忌神として崇敬されてきた信仰の山である。中世には修験道の霊場としてその地位を確たるものとした。鳥海山を取巻く各地には、修験宗徒がそれぞれ活動拠点を設け、霊峰への登拝口とした。なかでも蕨岡の衆徒は、龍頭寺を学頭として、鳥海山表口、順峯・蕨岡33坊と称して、登拝口の中でも最も強大の勢力を誇った。
本境内は、「大泉坊長屋門」(国登録有形文化財)など、宿坊集落の面影を残す上蕨岡地区(通称「上寺」)のほぼ中央に位置する。庄内藩主酒井忠器公の寄進による「出羽一之宮」の扁額のかかる随身門(かつての仁王門)を潜ると右手に朱塗りの神楽殿が見えてくる。神楽殿では、5月3日の例大祭 (「大御幣祭」)にあたり、山伏の修行・通過儀礼と一体を成す芸能である「蕨岡延年」(山形県指定無形民俗文化財)が奉納されている。
さらに、参道を進むと、三の鳥居を経て、広い前庭をおいて、本殿が南面して建っている。かつての蕨岡口の隆盛のありさまが偲ばれる豪壮な社殿である。この他、境内には、酒田の豪商本間光丘寄進の宝篋印塔(遊佐町指定有形文化財)や天保年間の三方領地替騒動に関わる矢部駿河守定謙を祀る末社荘照居成神社(遊佐町指定有形文化財)があるほか、約400段ある石段を上がった、松岳山中腹には、峯中修行の紀念碑である「峯中碑伝」や、海抜150m程の低地に奇跡的に残されたブナ自然林(遊佐町指定天然記念物)がある。本史跡は鳥海山の信仰、文化遺産を代表するものである。
遊佐町教育委員会
(訪問日は5月2日で例大祭の前日でした)

手水舎です

宝篋印塔です

説明版です

参道を進みます

参道右手に朱塗りの建物が神楽殿です




スギの大木が並びます

三の鳥居です


狛犬です

大きな社殿です

社殿前庭右手に風神社荘照居成神社です

町指定文化財標柱です

さざれ石です

末社火鎮神社です

末社松ヶ岡神社です

末社白山神社です
次は、すぐ西側にトチノキを見に行きます