山王地区は、鶴岡市役所の北東約1kmのところ
JR羽越本線つるおか駅へ南から向かう県道350号の山王信号の西側に山王日枝神社が鎮座します
すぐ南側の郵便局の駐車場を利用させて頂きました
参道入口の鳥居です
縣社 日枝神社です
日枝神社の祭日案内です
ちょうど祈念祭日(4月11日)です
説明板です
山王日枝神社御祭神
鶴岡市山王町鎮座
本殿 日枝神社
一宮 大己貴命
二宮 山末之大主大神
三宮 市杵島姫命
境内末社 厳島神社
八幡神社
稲荷神社
古峯神社
複鎮霊社
沿革年表
1、当神社は創建の年月不詳・・・
1、慶長16年(1612)最上出羽守義光・・造営
1、元和8年(1622)旧藩主・・・
1、文化13年(1816)・・・
1、明治2年(1869)・布告により日枝神社と改称す、当社は古くから「山王様」・・・
・・・・薄くなってしまって読めませんね~
手水舎です
狛犬です
拝殿です(祈年祭が終わって提灯の片付けを行っているところでした)
本殿です
境内北側の境内社の間に目的のケヤキです
右側の境内社は複鎮霊社です
説明板です
複鎮霊社
徳川家康の長男岡崎三郎信康が、天正7年(1579)9月15日、織田信長より、十二か条の罪状を示され、父、家康の命によって、生母築山殿と共に非情の死を遂げた。この事件に酒井忠次(庄内藩酒井氏の祖)が徳川の重臣としてかかわりをもっていたため、庄内藩では、後年、貞享2年(1685)一社を建て、その霊を弔ったものである。「複鎮霊社」と称したのは、幕府をはばかったためであろう。
*ここで境内の男性から声を掛けられました、複鎮霊社について説明を頂きました、かつて例祭のたびに御神輿がこの複鎮霊社の前から出ていたと言われていました
西側の境内社は古峰神社です
境内北側の弁天様です
東側から見あげました
鶴岡市の天然記念物標柱です
説明板です
木名 ケヤキ
樹齢 約350年
樹高 20m
根周り 約7m
幹周り 約6m
昭和45年鶴岡市文化財指定
鶴岡市山王日枝神社所有
南西側から、目通り幹囲6.0mの巨木です
本殿南側の境内社のお稲荷様です
境内拝殿南側のケヤキの大木です
では、次へ行きましょう
JR羽越本線つるおか駅へ南から向かう県道350号の山王信号の西側に山王日枝神社が鎮座します
すぐ南側の郵便局の駐車場を利用させて頂きました
参道入口の鳥居です
縣社 日枝神社です
日枝神社の祭日案内です
ちょうど祈念祭日(4月11日)です
説明板です
山王日枝神社御祭神
鶴岡市山王町鎮座
本殿 日枝神社
一宮 大己貴命
二宮 山末之大主大神
三宮 市杵島姫命
境内末社 厳島神社
八幡神社
稲荷神社
古峯神社
複鎮霊社
沿革年表
1、当神社は創建の年月不詳・・・
1、慶長16年(1612)最上出羽守義光・・造営
1、元和8年(1622)旧藩主・・・
1、文化13年(1816)・・・
1、明治2年(1869)・布告により日枝神社と改称す、当社は古くから「山王様」・・・
・・・・薄くなってしまって読めませんね~
手水舎です
狛犬です
拝殿です(祈年祭が終わって提灯の片付けを行っているところでした)
本殿です
境内北側の境内社の間に目的のケヤキです
右側の境内社は複鎮霊社です
説明板です
複鎮霊社
徳川家康の長男岡崎三郎信康が、天正7年(1579)9月15日、織田信長より、十二か条の罪状を示され、父、家康の命によって、生母築山殿と共に非情の死を遂げた。この事件に酒井忠次(庄内藩酒井氏の祖)が徳川の重臣としてかかわりをもっていたため、庄内藩では、後年、貞享2年(1685)一社を建て、その霊を弔ったものである。「複鎮霊社」と称したのは、幕府をはばかったためであろう。
*ここで境内の男性から声を掛けられました、複鎮霊社について説明を頂きました、かつて例祭のたびに御神輿がこの複鎮霊社の前から出ていたと言われていました
西側の境内社は古峰神社です
境内北側の弁天様です
東側から見あげました
鶴岡市の天然記念物標柱です
説明板です
木名 ケヤキ
樹齢 約350年
樹高 20m
根周り 約7m
幹周り 約6m
昭和45年鶴岡市文化財指定
鶴岡市山王日枝神社所有
南西側から、目通り幹囲6.0mの巨木です
本殿南側の境内社のお稲荷様です
境内拝殿南側のケヤキの大木です
では、次へ行きましょう