作手清岳中ノ坊地区は、新城市役所の北北西km、新城市作手総合支所の南西約2kmのところ
新城市作手総合支所前から南へ国道301号線を進みます
間も無く左手に「道の駅つくりで手作り村」が有ります
地域の観光案内板です、周辺には小さな城跡が数多くあります、案内板の左端③のところに善福寺が見えます
道の駅つくりで手作り村の直ぐ先交差点を右(北西)へ県道37号線です、約400mで右に
善福寺参道入口です
北へ入ってまっすぐに進むと、右手に県指定天然記念物の「イヌツゲ」と「仏頭岩と雲龍ガシ」を見て直ぐ先です
道路左側に文殊山城址見学者用の駐車場が有ります
(文殊山城址には少し後で行きますのでご期待ください)
山門の仁王門が見えます
金輪山 善福寺です
説明版です
金輪山善福寺の由来
本尊 十一面観世音菩薩
宗派 真言宗御室派(京都市総本山仁和寺末)
当山は推古天皇御代「田源山善福寺」の勅号を賜った。
中興開基は、真言宗2世真済、天長元年伽藍を建て、山号を「金輪山」に改める。
当時は七坊(大坊・岩本坊・池ノ坊・松本坊・中ノ坊・下ノ坊・杉本坊)あり、それぞれの名は現在も字名として残っている。真済僧正が仏像の手を修理されたことから「作手」の名が村についたとも伝えられる。
村上天皇御代、天徳2年勅願所となり、以後200有余年全盛を極めるが、久安3年伽藍、宝物の大半を野火により焼失する。
後、開山は建久6年東大寺再興に尽力のあった俊乗坊重源上人が伽藍を造営するが、天正元年8月勝頼の兵火にてまたも焼失する。
乱後、領主奥平美作守貞能が現在の観音堂を建立し、徳川家の帰依もあり仁王門、鐘楼堂と共に現在の伽藍となる。
奥の院・文殊堂の参道は八十八ケ所の石仏が明治期に奉納された。
巴川その水上はあさくとも 寿ゑは大悲の福衆海なり
参道石段の上に仁王門です
阿形像です
吽形像です
説明版です
新城市指定文化財
●種別・名称(彫刻)善福寺の仁王像(金剛力士像)
平成9年5月1日指定
●所在地 新城市作手清武中ノ坊29
●由来 金輪山善福寺の参道に鎮座する仁王尊は、阿吽両像からなる木造寄木造りである。
比較的損傷も少なく、やや誇張的ではあるが写実的で力感と重量感を漂わせている。
両像の顔面部分は、目に水晶が使われるなど、材質・造りとも首から下の部分と異なり、鎌倉時代の作(一説には運慶作と伝えられる)と思われる。
作者・製作年とも不詳だが、仁王門の創建は文録4年(1595年)で久安3年(1147年)の野火や天正元年(1573年)の戦火により寺が焼失した際も、仏具類は難を逃れたと伝えられる。
●大きさ 身の丈2m80cm
新城市教育委員会
防獣網を開けて、参道石段を進みます
石段途中にはお不動様です
参道西側の広場です、伽藍が有った所の様です
目立た樹木はボダイジュかもしれませんが、目的のものではないようです
石段最上段の両側にスギの大木が並びます
境内右手には鐘楼です
本堂です
本堂前から二本のスギを見ました
石仏が並びます
本堂左手の文殊山城址への登城口
目的のボダイジュです
珍しい単幹です
南西側から
天然記念物の立札です
北側から見上げました
では、次へ行きましょう
新城市作手総合支所前から南へ国道301号線を進みます
間も無く左手に「道の駅つくりで手作り村」が有ります
地域の観光案内板です、周辺には小さな城跡が数多くあります、案内板の左端③のところに善福寺が見えます
道の駅つくりで手作り村の直ぐ先交差点を右(北西)へ県道37号線です、約400mで右に
善福寺参道入口です
北へ入ってまっすぐに進むと、右手に県指定天然記念物の「イヌツゲ」と「仏頭岩と雲龍ガシ」を見て直ぐ先です
道路左側に文殊山城址見学者用の駐車場が有ります
(文殊山城址には少し後で行きますのでご期待ください)
山門の仁王門が見えます
金輪山 善福寺です
説明版です
金輪山善福寺の由来
本尊 十一面観世音菩薩
宗派 真言宗御室派(京都市総本山仁和寺末)
当山は推古天皇御代「田源山善福寺」の勅号を賜った。
中興開基は、真言宗2世真済、天長元年伽藍を建て、山号を「金輪山」に改める。
当時は七坊(大坊・岩本坊・池ノ坊・松本坊・中ノ坊・下ノ坊・杉本坊)あり、それぞれの名は現在も字名として残っている。真済僧正が仏像の手を修理されたことから「作手」の名が村についたとも伝えられる。
村上天皇御代、天徳2年勅願所となり、以後200有余年全盛を極めるが、久安3年伽藍、宝物の大半を野火により焼失する。
後、開山は建久6年東大寺再興に尽力のあった俊乗坊重源上人が伽藍を造営するが、天正元年8月勝頼の兵火にてまたも焼失する。
乱後、領主奥平美作守貞能が現在の観音堂を建立し、徳川家の帰依もあり仁王門、鐘楼堂と共に現在の伽藍となる。
奥の院・文殊堂の参道は八十八ケ所の石仏が明治期に奉納された。
巴川その水上はあさくとも 寿ゑは大悲の福衆海なり
参道石段の上に仁王門です
阿形像です
吽形像です
説明版です
新城市指定文化財
●種別・名称(彫刻)善福寺の仁王像(金剛力士像)
平成9年5月1日指定
●所在地 新城市作手清武中ノ坊29
●由来 金輪山善福寺の参道に鎮座する仁王尊は、阿吽両像からなる木造寄木造りである。
比較的損傷も少なく、やや誇張的ではあるが写実的で力感と重量感を漂わせている。
両像の顔面部分は、目に水晶が使われるなど、材質・造りとも首から下の部分と異なり、鎌倉時代の作(一説には運慶作と伝えられる)と思われる。
作者・製作年とも不詳だが、仁王門の創建は文録4年(1595年)で久安3年(1147年)の野火や天正元年(1573年)の戦火により寺が焼失した際も、仏具類は難を逃れたと伝えられる。
●大きさ 身の丈2m80cm
新城市教育委員会
防獣網を開けて、参道石段を進みます
石段途中にはお不動様です
参道西側の広場です、伽藍が有った所の様です
目立た樹木はボダイジュかもしれませんが、目的のものではないようです
石段最上段の両側にスギの大木が並びます
境内右手には鐘楼です
本堂です
本堂前から二本のスギを見ました
石仏が並びます
本堂左手の文殊山城址への登城口
目的のボダイジュです
珍しい単幹です
南西側から
天然記念物の立札です
北側から見上げました
では、次へ行きましょう