ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県結城市、小森「大桑神社の欅」(市指定)です!!

2023-01-07 18:34:19 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年1月4日、今年最初の茨城取材分です

 小森地区は、結城市役所の東約3kmのところ

 駅南中央通りを南へ、文化センター南信号を左(東)へ、国道50号線結城バイパスです

 結城市街地を貫けた健田信号を右(南)へ、約300mの十字路を左(東)へ

 県道15号線との交差点に「ここは小森」の文字が有ります、右(南)へ出ると

県道左側に大桑神社が南向き参道で鎮座します

 大桑神社です

 神社前には駐車スペースが無いので、「ここは小森」の案内板のそばに車を止めさせて頂きました

 結城百景です

 手水舎です

 説明版です
 結城市指定文化財
  有形文化財〈建造物〉大桑神社本殿
     (平成4年3月31日指定)
  天然記念物 大桑神社の欅
     (昭和51年2月5日指定)
 流造、銅板葺、三面を彫刻で荘厳化した本殿は、1722年(享保7)に建てられ、当初は檜皮葺で、数回の葺かえの後、1848年(嘉永元年)銅板葺になったことが、棟札により確認されています。
 彫刻は、東西二面が中国の故事(東・虎渓三笑、西・光子甕割)、北面は日本神話(天の岩戸)を題材にしています。
 また、棟札には、建造にあたった小森村の彫物大工や番匠、この地方の棟梁の名等が記されています。
 大桑神社の成立については、古代、東国養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が、養蚕・農業の神、稚産霊尊を祭神として、北方の大氷河原に創建、この辺り一帯を大桑郷と名付けたことに始まり、その後、洪水により流失、1479年(文明11)今の地に移ったと伝わります。
 そして、南北朝時代には、結城家7代直朝が、関城攻略に際し、戦勝を祈願した結城七社の一つに数えられています。
 小森という地名は、阿波斎部の伝えた蚕種を守り、養蚕・織物が盛んであったことから、いつとはなしに、この辺には「蚕守(このり)」と称され、中世結城氏の時代には、合戦に備えてこの地に兵を篭らせたことから。「篭(こもり)」と称されたことに由来すると伝わります。
 また、境内の欅群は、大きいものは、目通り直径1.7m、根回り8mを超え、樹齢350年以上と推定される、市内でも最大級の欅で、天然記念物に指定されています。
    (結城市教育委員会)


 参道左手にケヤキが並びます

 一番手前のケヤキの大木です

 目的のケヤキを南側から

 南東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 北東側から

 西側から

 南西側から見上げました

 拝殿です


 本殿です

では、次へ行きましょう
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茨城県下妻市、黒駒「黒駒のケヤキとハゼノキ(下妻の木々)」です!!

2023-01-07 06:37:03 | 巨樹・大木
 下妻市は、真壁郡下妻町が1954年(昭和29年)に 真壁郡騰波ノ江村、大宝村、上妻村、結城郡総上村、豊加美村、筑波郡高道祖村を編入、市制施行し、2006年(平成18年)には 結城郡千代川村を編入して現在の市域となりました。
 
 黒駒地区は、下妻市役所の北北西約5kmのところ

 下妻市役所から県道357号線を北へ道成りに進み、関東鉄道常総線の踏切を越え約1kmの信号を左(西)へ

 突き当りの信号を右(北西)へ、約1.4kmで左からの県道15号線に合流します

 約1,7kmの上妻郵便局先の信号を左(西)へ

 間も無く右手に長屋門を背に目的のケヤキです

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から長屋門です

 東側から

 南東側から

 南側から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 南西側から

 長屋門を南西側から

 南西側道路南から


 ケヤキの東側にハゼノキの大木です

 南西側から

 南側から

 案内板です
  ふるさと下妻の木々巨木・名木
 樹種名 /ハゼノキ〈ハゼノキ科〉
 胸高幹周/322(cm)(市内 第1位)
 樹高  /約16.0(m)
 所在地 /黒駒1036
 所有者(管理者)/飯村太一
 調査年度/1995年調査
   下妻の木調査会 下妻市教育委員会
   (下妻市史編さん事業関連)


 枝先にハゼの実が沢山付いていました

 では、今日はこの辺で埼玉に帰ります
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