下町は常陸大宮市役所の北東約1.5kmのところ
国道118号線の上町信号を東へ、県道21号線です
JR水郡線の踏切を越えて、上町東信号を過ぎると国道293号線です
間も無く左手に甲神社参道が南西向きに開いています
鳥居脇から境内に車を入れることが出来ました
参道入口です、二つの鳥居が並んで建っています、右が 甲神社の鳥居で、左が境内摂社である素駕神社の鳥居です
村社 甲神社の社號標です
説明版です
甲(かぶと)神社
所在地 常陸大宮市下町221番地
祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)熯速日命(ひはやびのみこと)甕速日命(みかはやひのみこと)
創建は大同2年(807)と伝えられます。甲神社の所在する地域の旧村名「部垂(へたれ)」は、久寿年間(1154~56)の鹿島社神領目録に「辺垂」とあることが確認できる古い地名で、当社もかつては「辺垂大宮大明神甲宮」「甲明神」「辺垂大明神」、また「鹿島明神」と呼ばれていました。
平安時代後期に佐竹郷(現 常陸太田市天神林町周辺)に来住した佐竹氏の初代昌義が、源氏の祖 源経基の兜を奉納したことが社名の由来となったという説もあり、以来、太田に本拠を構えた佐竹氏に祈願社として崇敬を受けました。
とりわけ、近接する佐竹一族の居城 部垂城の鎮守的役割を担ったことから、部垂城主の義元(佐竹氏17代義篤実弟)は、能面、源氏系図、備州長船師景銘の刀、二股竹を奉納したと伝えられます。部垂の乱で敗れた義元父子が天文9年(1540)に討伐されると、その鎮魂のために18代義昭は甲神社の大修理を行い、その折の奉加帳が伝えられています。
また部垂周辺の12ケ村、部垂(現 大宮旧市街)、宇留野、樫(現 富岡)小倉、塩原、辰ノ口、岩崎、上根本・横瀬(現 鷹巣)、八田、菅又(現 若林)、引田の総鎮守として、徳川光圀の命により一村一鎮守制となるまで、地域の信仰の中心となっていました。
部垂村は天保14年(1843)に「大宮村」と改名しますが、鎮守である「甲大宮」にちなんだものです。
毎年4月第一日曜日(もとは4月1日9)に行われる例祭は、明神ばやし(市指定無形民俗文化財)の奏楽とともに華やかな八角胴神輿が町内を巡行し、当地に本格的な春の訪れを告げる祭礼となっています。
素駕神社
境内にある摂社 素駕神社は、勇壮な裸神輿で名高い大宮の祇園が行われる神社として有名です。
御祭神の素戔嗚尊は神仏習合時代から祇園天王とか牛頭天王と言われ疫病退散の神として崇められて、祭礼は夏の猛暑の時期に行われます。
もと姥賀、高渡、東富の鎮守として姥賀の天王原に鎮座していました。坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途上延暦21年(802)、戦勝を祈願したと伝えられ、凱旋の折も立ち寄って寄進したと伝えられる剣が社宝となっています。
文化財
県指定文化財
佐竹義昭奉加帳 弘治3年(1557)
能面 室町時代
市指定文化財
源氏系図 室町時代
刀 銘備州長船師景 室町時代
剣 坂上田村麻呂奉納
木造狛犬 安土桃山時代
二股竹
甲神社御神木
令和3年(2021)3月
常陸大宮市教育委員会
まずは、甲神社の鳥居です
素駕神社の鳥居です
素駕神社手水舎です
素駕神社拝殿です
素駕神社本殿です
拝殿東側にスギの切株です、直ぐ後ろ側に成長している杉の木が一体となって見えています
東側から、幹の傷跡には何故か大石が詰め込まれています
北側から
西側から、かつては目通り幹囲約5.0mの巨木だったようです
甲神社への参道です
手水舎です
参道右手にもスギの大木です
西向きに、常陸大宮交通神社です
社號標もあります
小学生の作った交通安全標語ですね、充分に気を付けて車の運転を行いましょう
交通神社社殿です
北側から、目通り幹囲約4.5m程(目測)の大木です
北東側から見上げました
交通神社の北側に並んで境内社です、右が稲田神社、左が天満神社です、また石の祠が点在します
少し長く成りましたので、続きにさせて頂きます
国道118号線の上町信号を東へ、県道21号線です
JR水郡線の踏切を越えて、上町東信号を過ぎると国道293号線です
間も無く左手に甲神社参道が南西向きに開いています
鳥居脇から境内に車を入れることが出来ました
参道入口です、二つの鳥居が並んで建っています、右が 甲神社の鳥居で、左が境内摂社である素駕神社の鳥居です
村社 甲神社の社號標です
説明版です
甲(かぶと)神社
所在地 常陸大宮市下町221番地
祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)熯速日命(ひはやびのみこと)甕速日命(みかはやひのみこと)
創建は大同2年(807)と伝えられます。甲神社の所在する地域の旧村名「部垂(へたれ)」は、久寿年間(1154~56)の鹿島社神領目録に「辺垂」とあることが確認できる古い地名で、当社もかつては「辺垂大宮大明神甲宮」「甲明神」「辺垂大明神」、また「鹿島明神」と呼ばれていました。
平安時代後期に佐竹郷(現 常陸太田市天神林町周辺)に来住した佐竹氏の初代昌義が、源氏の祖 源経基の兜を奉納したことが社名の由来となったという説もあり、以来、太田に本拠を構えた佐竹氏に祈願社として崇敬を受けました。
とりわけ、近接する佐竹一族の居城 部垂城の鎮守的役割を担ったことから、部垂城主の義元(佐竹氏17代義篤実弟)は、能面、源氏系図、備州長船師景銘の刀、二股竹を奉納したと伝えられます。部垂の乱で敗れた義元父子が天文9年(1540)に討伐されると、その鎮魂のために18代義昭は甲神社の大修理を行い、その折の奉加帳が伝えられています。
また部垂周辺の12ケ村、部垂(現 大宮旧市街)、宇留野、樫(現 富岡)小倉、塩原、辰ノ口、岩崎、上根本・横瀬(現 鷹巣)、八田、菅又(現 若林)、引田の総鎮守として、徳川光圀の命により一村一鎮守制となるまで、地域の信仰の中心となっていました。
部垂村は天保14年(1843)に「大宮村」と改名しますが、鎮守である「甲大宮」にちなんだものです。
毎年4月第一日曜日(もとは4月1日9)に行われる例祭は、明神ばやし(市指定無形民俗文化財)の奏楽とともに華やかな八角胴神輿が町内を巡行し、当地に本格的な春の訪れを告げる祭礼となっています。
素駕神社
境内にある摂社 素駕神社は、勇壮な裸神輿で名高い大宮の祇園が行われる神社として有名です。
御祭神の素戔嗚尊は神仏習合時代から祇園天王とか牛頭天王と言われ疫病退散の神として崇められて、祭礼は夏の猛暑の時期に行われます。
もと姥賀、高渡、東富の鎮守として姥賀の天王原に鎮座していました。坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途上延暦21年(802)、戦勝を祈願したと伝えられ、凱旋の折も立ち寄って寄進したと伝えられる剣が社宝となっています。
文化財
県指定文化財
佐竹義昭奉加帳 弘治3年(1557)
能面 室町時代
市指定文化財
源氏系図 室町時代
刀 銘備州長船師景 室町時代
剣 坂上田村麻呂奉納
木造狛犬 安土桃山時代
二股竹
甲神社御神木
令和3年(2021)3月
常陸大宮市教育委員会
まずは、甲神社の鳥居です
素駕神社の鳥居です
素駕神社手水舎です
素駕神社拝殿です
素駕神社本殿です
拝殿東側にスギの切株です、直ぐ後ろ側に成長している杉の木が一体となって見えています
東側から、幹の傷跡には何故か大石が詰め込まれています
北側から
西側から、かつては目通り幹囲約5.0mの巨木だったようです
甲神社への参道です
手水舎です
参道右手にもスギの大木です
西向きに、常陸大宮交通神社です
社號標もあります
小学生の作った交通安全標語ですね、充分に気を付けて車の運転を行いましょう
交通神社社殿です
北側から、目通り幹囲約4.5m程(目測)の大木です
北東側から見上げました
交通神社の北側に並んで境内社です、右が稲田神社、左が天満神社です、また石の祠が点在します
少し長く成りましたので、続きにさせて頂きます