下山地区は、入善町役場の南南東約6kmのところ
入善町役場前の国道8号線入善黒部バイパスを南西に進みます
約1kmの「上野(中)」信号を左(南南東)へ、県道327号新屋上野線です
約2.3kmで北陸自動車道の高架を潜ります、更に約700で北陸新幹線の高架を潜り
約1.6kmで県道が左にカーブして東へ向かいます、約500mの諏訪社前で左からの道路に合流(南へ)します
すぐの交差点を左(東北東)へ、約800mで丁字路を右(南東)へ
約200mで案内板が建っています(南側から)
下山八幡社の大藤と境内林 富山県指定天然記念物の標柱です
そばに説明版があります
富山県指定天然記念物
1,名称 下山八幡社の大藤と境内林
2,指定年月日 昭和40年1月1日
3,説明
社殿は段丘斜面の中段に建てられ、大藤はその社殿右後方の下斜面の林の中に生えている。
3m位横ばいししてから右巻きしながら直立し、高木のウラジロカシに巻上がり、広く枝葉が繁茂して社殿の大半をおおっている。
よって西側の田園よりよくその開花が眺められ、附近の農民は昔から田植時の花として親しみ、その花の多い時は豊作であると言い伝えられている。
富山県教育委員会・入善町教育委員会
ここを東側の山裾?段丘の崖下へ向かいましょう
右手に駐車場がありますので利用させて頂きました
境内入口?にも藤蔓が見受けられました
北西向きに下山八幡社が鎮座します
村社 八幡社の社號標です
手水舎です
左手(東側)には「八幡滝」の禊場のようです
右手に「富山県指定天然記念物 下山八幡社の大藤と境内林」の標柱と説明版です
所有者 八幡社
大藤
根周り2.78m、根元より1mの高さで2.219m、根元より3mの高さで1.9m。
社殿の右後方下、斜面に生え根元より横臥して3mの高さで立上がり、紫藤の特長を示して右巻きしながら枝を分かち、ウラジロカシを中心として絡み付き繁茂して社叢の大半を被う。
田植え時期の花と親しまれ、例年開花の多い年は豊作であると言い伝えられている。
境内林
黒部川扇状地の旧河岸段丘の浸食された断崖の脚部に出来た狭い付属段丘で、この大藤と共にウラジロカシ・シロダモ等の常緑林で、幅10m、奥行き54m程あり、黒部平野の開墾前の自然林の代表的なものである。
*大藤の説明文は、西側の道路脇の説明版と同じものです
また、安心しました標柱の所に枯れている木が目的の藤ではありませんね
拝殿です
本殿覆い屋です
拝殿の右て(南側)から下へ降りて行けます
金属製の藤棚が組まれています
目的の大藤ですが、説明版に有ったほどの太さは無くなっていました
南側から見ました
東側にも藤が横たわって崖面の木々に絡み付いて登って行っています
境内へ戻りましょう
鳥居西側に五輪塔が並んでいます
説明版です
下山八幡社石塔群
下山八幡社の神域と、北隣する現在池底になっているあたりは、古い寺院の跡と考えられる。
中沢にある本龍寺の旧地といういい伝え、仏像をご神体とする現八幡社や小字名の「地蔵」、さらに、出土した多数の石塔類がそれを証する。
石塔類は、現在のところ、南北朝時代の関東製青石塔婆(武蔵型板碑)1基、南北朝から室町時代中期にかけての五輪塔地輪7ケ、同水輪5ケ、同火輪11ケ、空風輪10ケ、それに室町時代後期の板石塔婆1基などである。
寺院は西面しており、西からの参道があり、石塔は寺院のすぐ背後の松丘中腹に、南北に配列されていあっと考えられる。
今後もまだまだ出土する可能性がある。
青石塔婆には「キリーク」「サ」「サク」つまり弥陀三尊の種子が、五輪塔の水輪すべてに「バン」つまり金剛界大日の種子が、さらに室町時代後期の板石塔婆には、「ウーン」おそらく阿閦如来の種子が、それぞれあって内容は多様である。
なお種子とは、古代インドの文字による仏菩薩のイニシャルをいう。
*奥が深いですね~
では、次へ行きましょう
2024・4・11・10・20
入善町役場前の国道8号線入善黒部バイパスを南西に進みます
約1kmの「上野(中)」信号を左(南南東)へ、県道327号新屋上野線です
約2.3kmで北陸自動車道の高架を潜ります、更に約700で北陸新幹線の高架を潜り
約1.6kmで県道が左にカーブして東へ向かいます、約500mの諏訪社前で左からの道路に合流(南へ)します
すぐの交差点を左(東北東)へ、約800mで丁字路を右(南東)へ
約200mで案内板が建っています(南側から)
下山八幡社の大藤と境内林 富山県指定天然記念物の標柱です
そばに説明版があります
富山県指定天然記念物
1,名称 下山八幡社の大藤と境内林
2,指定年月日 昭和40年1月1日
3,説明
社殿は段丘斜面の中段に建てられ、大藤はその社殿右後方の下斜面の林の中に生えている。
3m位横ばいししてから右巻きしながら直立し、高木のウラジロカシに巻上がり、広く枝葉が繁茂して社殿の大半をおおっている。
よって西側の田園よりよくその開花が眺められ、附近の農民は昔から田植時の花として親しみ、その花の多い時は豊作であると言い伝えられている。
富山県教育委員会・入善町教育委員会
ここを東側の山裾?段丘の崖下へ向かいましょう
右手に駐車場がありますので利用させて頂きました
境内入口?にも藤蔓が見受けられました
北西向きに下山八幡社が鎮座します
村社 八幡社の社號標です
手水舎です
左手(東側)には「八幡滝」の禊場のようです
右手に「富山県指定天然記念物 下山八幡社の大藤と境内林」の標柱と説明版です
所有者 八幡社
大藤
根周り2.78m、根元より1mの高さで2.219m、根元より3mの高さで1.9m。
社殿の右後方下、斜面に生え根元より横臥して3mの高さで立上がり、紫藤の特長を示して右巻きしながら枝を分かち、ウラジロカシを中心として絡み付き繁茂して社叢の大半を被う。
田植え時期の花と親しまれ、例年開花の多い年は豊作であると言い伝えられている。
境内林
黒部川扇状地の旧河岸段丘の浸食された断崖の脚部に出来た狭い付属段丘で、この大藤と共にウラジロカシ・シロダモ等の常緑林で、幅10m、奥行き54m程あり、黒部平野の開墾前の自然林の代表的なものである。
*大藤の説明文は、西側の道路脇の説明版と同じものです
また、安心しました標柱の所に枯れている木が目的の藤ではありませんね
拝殿です
本殿覆い屋です
拝殿の右て(南側)から下へ降りて行けます
金属製の藤棚が組まれています
目的の大藤ですが、説明版に有ったほどの太さは無くなっていました
南側から見ました
東側にも藤が横たわって崖面の木々に絡み付いて登って行っています
境内へ戻りましょう
鳥居西側に五輪塔が並んでいます
説明版です
下山八幡社石塔群
下山八幡社の神域と、北隣する現在池底になっているあたりは、古い寺院の跡と考えられる。
中沢にある本龍寺の旧地といういい伝え、仏像をご神体とする現八幡社や小字名の「地蔵」、さらに、出土した多数の石塔類がそれを証する。
石塔類は、現在のところ、南北朝時代の関東製青石塔婆(武蔵型板碑)1基、南北朝から室町時代中期にかけての五輪塔地輪7ケ、同水輪5ケ、同火輪11ケ、空風輪10ケ、それに室町時代後期の板石塔婆1基などである。
寺院は西面しており、西からの参道があり、石塔は寺院のすぐ背後の松丘中腹に、南北に配列されていあっと考えられる。
今後もまだまだ出土する可能性がある。
青石塔婆には「キリーク」「サ」「サク」つまり弥陀三尊の種子が、五輪塔の水輪すべてに「バン」つまり金剛界大日の種子が、さらに室町時代後期の板石塔婆には、「ウーン」おそらく阿閦如来の種子が、それぞれあって内容は多様である。
なお種子とは、古代インドの文字による仏菩薩のイニシャルをいう。
*奥が深いですね~
では、次へ行きましょう
2024・4・11・10・20
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます