東区香椎地区は、福岡市役所の北東約9kmのところ
JR香椎線香椎神宮前駅で降りて北側に進むとすぐに香椎宮参道が西南西向きに開いています
香椎神宮前駅です
境内入口に大きな「愛つなぐ、香椎宮」の説明版が有ります
むかしむかしのお話。英雄ヤマトタケルの子、仲哀天皇は、強く美しい神功皇后と夫婦になり、香椎でひとときを過ごすことになりました。
ある日、仲哀天皇は神の怒りに触れ亡くなってしまいます。神功皇后は悲しみをこらえて、天皇のかわりに男装をして海を行き交い、そして愛する夫のために香椎にほこらを建てました。
その後、ご夫婦に男の子が生まれます。生まれつき弓の名手であったこの男の子は、おじいさんとお母さんの血を受け継いでたくさんの勝負に勝ち、お父さんの意志を引き継いで応神天皇となりました。
武芸にすぐれ、日本文化の基礎を築いたこの天皇は、いつしか八幡神と呼ばれ、全国の八幡宮という神社の神様になります。
そして時は流れ、愛する夫のそばにいたいと願った神功皇后のお宮も、香椎の地に築かれました。
こうして夫婦は再びご一緒になり、この地は香椎宮と呼ばれるようになりました。愛つなぐ香椎宮。あなたも大事な人々の幸せを祈って、愛をつないでください。・・・と書かれています
参道は西鉄香椎宮前駅まで続いています、境内入口鳥居です
参道を進みます
参道勅使道の説明版です
香椎宮参道は頓宮から香椎宮へ約1kmの参道です。
香椎宮は天皇の名代として勅使が派遣され、神前に御幣物を奉納して御祭文を奏上します。そのとき、厳粛、盛大に執り行われるのが「勅祭」です。大正14年(1925年)からは10年毎に行われてます。
香椎宮参道は、大正14年(1925年)の勅使の参向を機に大改修を行い「勅使道」と名付けられました。
2年に1度開催される春季氏子大祭の御神幸行列は、本宮での「御発輦祭」にて踏歌や獅子楽が奉納され、頓宮までの楠並木の参道では三基の御神輿を中心に、稚児、鎧兜行列など華やかに「お下り」神事が執り行われ、御神輿は頓宮に一泊され翌日「お上り」の神事の御神幸が執り行われます。
大正15年(1926年)、福岡県の各団体により165本の楠の楠木祭が行なわれ、今では見事な緑の大木となり道行く人を和ませてくれています。
参道は福岡市のアメニティ百選にも指定されています。
境内案内板で確認しましょう、綾杉は社殿前に在るようです
香椎緑地保全地区標識板です
境内には多くの福岡市保存樹があるようです
楼門です
綾杉です
社殿前北側から見ました
案内板です
神功皇后が「とこしえに本朝を鎮め護るべし」と祈りをこめられてお植えになった杉で、紀元860年(西暦200)のことであります。
御神木 綾杉
ちはやふる香椎の宮のあや杉は 神のみそきにたてる成りけり 読人不知 新古今和歌集
秋立つや千早ぶる世の杉ありて 夏目漱石
綾杉 神功皇后三韓より御帰還の節、三種の神宝を埋めてその標(しるし)に杉の小枝を挿し神霊をこの杉に留め給ひ仲哀天皇の御側近く永仕祈られ大和にお帰りになられた。昔からこの杉の葉に守り札と不老水を添えて朝廷に奉っている。この杉は普通の杉と異なり葉は海松の如く大小の葉恰も(あたかも)綾の如く交互に出ているので綾杉と称し、樹齢千八百年根の直径5m若芽根より生じ、古来植継ぐことなしと伝わる。
(香椎宮御由緒略記の一部です)
南側から
特徴的な西側に飛び出した大枝です
6本ほどの幹が玉垣の中に立ちあがっています、植えられて1800年ということですが何代目かなのでしょうか
鶏石神社です
鶏石神社前のケヤキです、多いな傷は雷に打たれたのでしょうか
香椎宮社殿へ行きましょう、社殿は南向きに建っています
境内左手の杉です
右手にも杉の大木です
本殿北側のクスノキの大木です
.
神楽殿脇のケヤキです
では、香椎宮を見て行きましょう
JR香椎線香椎神宮前駅で降りて北側に進むとすぐに香椎宮参道が西南西向きに開いています
香椎神宮前駅です
境内入口に大きな「愛つなぐ、香椎宮」の説明版が有ります
むかしむかしのお話。英雄ヤマトタケルの子、仲哀天皇は、強く美しい神功皇后と夫婦になり、香椎でひとときを過ごすことになりました。
ある日、仲哀天皇は神の怒りに触れ亡くなってしまいます。神功皇后は悲しみをこらえて、天皇のかわりに男装をして海を行き交い、そして愛する夫のために香椎にほこらを建てました。
その後、ご夫婦に男の子が生まれます。生まれつき弓の名手であったこの男の子は、おじいさんとお母さんの血を受け継いでたくさんの勝負に勝ち、お父さんの意志を引き継いで応神天皇となりました。
武芸にすぐれ、日本文化の基礎を築いたこの天皇は、いつしか八幡神と呼ばれ、全国の八幡宮という神社の神様になります。
そして時は流れ、愛する夫のそばにいたいと願った神功皇后のお宮も、香椎の地に築かれました。
こうして夫婦は再びご一緒になり、この地は香椎宮と呼ばれるようになりました。愛つなぐ香椎宮。あなたも大事な人々の幸せを祈って、愛をつないでください。・・・と書かれています
参道は西鉄香椎宮前駅まで続いています、境内入口鳥居です
参道を進みます
参道勅使道の説明版です
香椎宮参道は頓宮から香椎宮へ約1kmの参道です。
香椎宮は天皇の名代として勅使が派遣され、神前に御幣物を奉納して御祭文を奏上します。そのとき、厳粛、盛大に執り行われるのが「勅祭」です。大正14年(1925年)からは10年毎に行われてます。
香椎宮参道は、大正14年(1925年)の勅使の参向を機に大改修を行い「勅使道」と名付けられました。
2年に1度開催される春季氏子大祭の御神幸行列は、本宮での「御発輦祭」にて踏歌や獅子楽が奉納され、頓宮までの楠並木の参道では三基の御神輿を中心に、稚児、鎧兜行列など華やかに「お下り」神事が執り行われ、御神輿は頓宮に一泊され翌日「お上り」の神事の御神幸が執り行われます。
大正15年(1926年)、福岡県の各団体により165本の楠の楠木祭が行なわれ、今では見事な緑の大木となり道行く人を和ませてくれています。
参道は福岡市のアメニティ百選にも指定されています。
境内案内板で確認しましょう、綾杉は社殿前に在るようです
香椎緑地保全地区標識板です
境内には多くの福岡市保存樹があるようです
楼門です
綾杉です
社殿前北側から見ました
案内板です
神功皇后が「とこしえに本朝を鎮め護るべし」と祈りをこめられてお植えになった杉で、紀元860年(西暦200)のことであります。
御神木 綾杉
ちはやふる香椎の宮のあや杉は 神のみそきにたてる成りけり 読人不知 新古今和歌集
秋立つや千早ぶる世の杉ありて 夏目漱石
綾杉 神功皇后三韓より御帰還の節、三種の神宝を埋めてその標(しるし)に杉の小枝を挿し神霊をこの杉に留め給ひ仲哀天皇の御側近く永仕祈られ大和にお帰りになられた。昔からこの杉の葉に守り札と不老水を添えて朝廷に奉っている。この杉は普通の杉と異なり葉は海松の如く大小の葉恰も(あたかも)綾の如く交互に出ているので綾杉と称し、樹齢千八百年根の直径5m若芽根より生じ、古来植継ぐことなしと伝わる。
(香椎宮御由緒略記の一部です)
南側から
特徴的な西側に飛び出した大枝です
6本ほどの幹が玉垣の中に立ちあがっています、植えられて1800年ということですが何代目かなのでしょうか
鶏石神社です
鶏石神社前のケヤキです、多いな傷は雷に打たれたのでしょうか
香椎宮社殿へ行きましょう、社殿は南向きに建っています
境内左手の杉です
右手にも杉の大木です
本殿北側のクスノキの大木です
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神楽殿脇のケヤキです
では、香椎宮を見て行きましょう
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