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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県上田市、平井「霊泉寺の大ケヤキ」(元市指定)です!!

2019-08-15 06:48:43 | 巨樹・大木
平井地区は、上田市役所の南西約15kmのところ

県道65号線の平井寺トンネルを貫け

国道254号線を西へ約3kmで左に入ると

霊泉寺川に沿って遡ります

霊泉寺前に駐車スペースが有ります


説明版です
   霊泉寺温泉の由来
 その昔平維盛が独鈷山に於いて鹿狩りのおり、侍女数人を
連れ、紅葉狩をしている美女に呼び止められ、酒を勧められ
た、酔ってうたたねをしていると夢の中に白山大権現が現れ
て「お前の相手を女は鬼女であるぞ」とのお告げを受け驚い
て目をさますと間一髪鬼女が維盛に襲いかかろうとするとこ
ろであった、維盛は剣をとって立ち向かいついに鬼女を討ち
とったが疲れがひどく急に体力が衰えて来た、そしてこの地
にさしかかると世にも不思議な音楽が聞こえ、七彩の虹が山
の間に見えるので近寄ってみると、岩の間から温泉がほとば
しり出ていた、さっそくこの湯を浴びたところ、みるみるう
ちに元気が出て体力が回復したので維盛は、ここに白山神社
と寺を建立した、そして寺僧が浴場を作り、近所の人々に入
湯させたところ霊泉の効きめはすばらしく、弱い体を金剛の
様に強くなり、不治の病も霧が晴れる様に治ったので、寺号
を金剛山霊泉寺と名付けたと云い伝えられている。
 其の後、温泉は寺湯として数百年続きやがて寺の手を離れ
て、近在近郷の人々の湯治場として賑わう様になった。
 明治38年4月に火災により58棟全部焼失したが、現在
保養温泉として、多くの人々に親しまれている。


霊泉寺への入り口です


入り口のすぐ西側に大きな切株が有ります

南側から

南西側から、かつては目通り幹囲9,4m巨木だったそうです

(平成20年に倒壊のため伐採されました)

鐘楼です

本堂です

軒下の額です


では、次へ行きましょう
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長野県上田市、東内「法住寺虚空蔵堂のカツラ」です!!

2019-08-14 06:32:11 | 巨樹・大木
東内地区は、上田市役所の南南西約12kmのところ

県道65号線を南へ、平井寺トンネルを貫けて

国道254号線を西へ

間も無く国道沿い右手に仁王門が見えて来ます

左手仁王門の南側には駐車場が有ります




国道に面して仁王門が有ります

説明版です
  重要文化財
   法住寺虚空蔵堂
 虚空蔵堂は入母屋造りで、桁行(正面)三間、梁行(側面)
四間である。奥行が長い長方形となっているのは、本尊の安置
されている内陣に参詣者の参拝する外陣がつけられているため
で、内陣と外陣の間は格子戸でしきられている。屋根はこけら
葺で、棟の両端に鬼面がつけられている。
 堂全体は和様で造られているが、懸魚などに見られるように
禅宗様を取り入れているところもある。
 この堂には、文明18年(1486)に再建されたという棟
札が残っており、室町時代後期に建立されたものと考えられる

 また、堂内の厨子も同時代に造られたものと推定され、虚空
蔵堂とあわせて重要文化財に指定されている。
  指定年月日 大正11年4月13日  
                上田市教育委員会




参道を進むと・・・

虚空蔵堂前に出ました

右手には本堂への山門です

中には大きな本堂が有ります

左手には御堂です

特別保護建造物虚空蔵堂の石柱です

詳しい説明版があります
  重要文化財
    法住寺 虚空蔵堂   1棟
    棟札         3枚
    厨子         1基
      指定 大正11年4月13日
         文部省告示第367号
 法住寺は天台宗の寺で棟札には貞観年間、慈覚大師円仁によっ
て創建されたとある。その後、室町時代の文安年間(1444~
1449)に兵火により焼失、文明18年(1486)に再建と
あり、この堂はその際の建立であり様式も一致している。
 本尊の虚空蔵菩薩は、虚空蔵求聞持法という修行の本尊である
。この修行は強大な記憶力を獲得することを目的とする行法で、
山林修行の一環として行われていた。
 堂は基壇を設けず、雨落を廻し自然石の礎石の上に建てられて
いる。桁行三間梁間四間の入母屋造で、こけら葺で周囲に切目縁
を廻し、前に一間の向拝を設けている。
 堂は全体として和様を基調とし、細部には唐様も用いられてい
る。唐様の斗供は太割が大きく荘重であり、屋根の妻が深く入っ
ているので輪郭が奇抜である。
 堂内の厨子も同時代の作であり、棟札とともに重要文化財とな
っている。また、近年の調査では、本尊の木造虚空蔵菩薩坐像も
同時期の作と推定されている。
  平成26年4月13日  上田市教育委員会

参道左手のモミの大木です

虚空蔵堂前の石段です

石段の左手境内に目的のカツラです

虚空蔵堂前から

虚空蔵堂脇から、目通り幹囲5,7mの巨木です


境内の杉の大木です

東側には神社の社殿の様です

では、次へ行きましょう
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長野県上田市、古安曽「大六のけやき」(市指定)です!!

2019-08-13 06:57:27 | 巨樹・大木
古安曽地区は、上田市役所の南西約8kmのところ

国道143号線から県道65号線を南へ

東塩田小学校の手前に児童センターが有ります

児童センター入口に大六のけやきの案内板が有ります

児童センターの駐車場に車を止めさせていただいて

案内板に従って児童センターの建物の裏側に回ります




上田市東塩田児童センターです



大六のけやき入口の案内板です

児童センターの北側ですので行って見ましょう

まず、説明版が住宅の脇に立っています(ケヤキの南側)
  上田市指定文化財
名称  大六のけやき
種別  天然記念物
所在地 上田市大字古安曽字大六2047番地
指定年月日平成4年5月13日
管理者 石神自治会
 このけやきは、高さ約30m、目通り(人の目の高さ)周囲
約12m、枝張りが東西で24m、南北で30mある。
平成2年6月16日現在の環境庁の調査によれば、長野県内全
ての樹木の中では二位、けやきの部では一位の巨木である。
 全国レベルで比較すると、国指定天然記念物のけやき17本
平均樹高は30m、目通りは10,2mであり、これらと比べ
ても遜色のない樹勢である。
 伝説によれば、文治元年(1185)、源頼朝が諸国に命じ
て植樹を奨励し、その材をもって神社を修理させたとき、当地
を治めていた吉沢民部之介義綱が、当地の安曽神社を修理し、
けやきを植えて神社が保護に勤めたときに植えられたものであ
るという。
 木の根元には「大六天」が祭られ、石神の地域住民の手によ
り、現在も大切に守られている。
    平成5年1月25日    上田市教育委員会

説明版の脇からケヤキを見ました

説明版の建てられてるお宅の方々がいらっしゃったので

「見させてください」と御声をかけたら「ごゆっくりご覧ください」

との声が帰って来ました

南南西側から



東側に東向きに祠が有ります

石碑です・・・大権現か?読めませんね~

北東側から見上げました

北西側から

西側から

南西側から見ました

では、次へ行きましょう



南東側の溜池の脇から

東側の道路から

北東側の道路からそれぞれ見てから次へ行きました
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長野県上田市、本郷「飯綱大明神のケヤキ」です!!

2019-08-12 06:21:50 | 巨樹・大木
本郷地区は、上田市役所の南西約8kmのところ

国道143号線から県道65号線を南へ

東塩田小学校の南で県道82号線を西へ

青龍寺の先を北に入ります

まもなく御堂が見えて来ます

御堂前の道路脇に車を止めさせて頂きました




御堂が有ります

御堂の右手に大きなケヤキが在ります

鳥居です

飯綱大明神

参道になっています

御堂の東側に祠が有ります、その後ろ側に目的のケヤキです

蔦に覆われているため幹が良く解りませんねでも幹囲は7,5mの巨木です

では、次へ行きましょう
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長野県上田市、仁古田「諏訪神社のケヤキ」です!!

2019-08-11 08:13:27 | 巨樹・大木
仁古田地区は、上田市役所の西南西約7kmのところ

国道143号線を西(青木村方面)へ進みます

仁古田信号を南へ県道171号線を入ります

緩く左にカーブした家並みの切れた所を右(西)へ

先の交差点を右(北)へ向かうと正面に赤い鳥居があり

諏訪神社が鎮座します

境内東側に車を止めさせて頂きました


南側から近付きます赤い鳥居が見えて来ました

鳥居の額には「諏訪神社」の文字が見られます

鳥居脇のケヤキが目的のケヤキです

上田市指定保存樹木第42号の標識です、幹囲513cmの巨木です

東側から見ました、フェンスの蔭になっているせいか、大きさを感じられませんね

境内内側から見ました、傷みが目立ちます

すぐ東側のケヤキです

鳥居前南側道路から見ました

上田市指定保存樹木第44号、幹囲363cmのケヤキの大木です

さらに東側には、屋根を掛けられたケヤキの巨木の幹が有ります、注連縄が掛けられた御神木です

大きさは不明です(市の保存樹ではありません、枯れてしまっていますからね~)

拝殿です

西側から本殿です

本殿西側の境内社です

東側から本殿です

本殿東側の境内社です

境内西側のケヤキです

上田市市指定保存樹木第43号のケヤキです、幹囲390cmですが、根際の瘤が特徴的ですね

北側から

拝殿前から、境内南端に並ぶケヤキ群です、鳥居脇が第42号で真中が第44号そして注連縄が巻かれた御神木です

境内西端第43号のケヤキを拝殿前から見ました


境内東端の立派な建物ですが、何に使われているのか不明でした

では、次へ行きましょう



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長野県上田市、吉田「神明社のケヤキ」です!!

2019-08-10 06:20:59 | 巨樹・大木
吉田地区は、上田市役所の西南西約5kmのところ

国道143号線を西へ市立第六中学校の辺りです

国道北側の市道を進み住宅地北側の丘の麓に神明社が鎮座します

神社南側の道路脇に車を止めさせて頂きました



神明社が見えて来ましたが、境内に黄色いテープが張られています


境内真ん中のケヤキの大枝が折れています

近付いてみました

落ちた大枝です

西側から見ると折れた枝が隠れて見えなくなります

上田市指定保存樹木の標識です、幹囲735cmの巨木です

鳥居側のケヤキです

上田市指定保存樹木第40号の幹囲380cmの大木です

東側から見上げました

拝殿前石段の左手に境内第二位の巨木が在ります


上田市指定保存樹木第39号のケヤキです、幹囲495cmのほぼ巨木です

拝殿を石段の下から見上げました

玉垣の中に本殿です

説明書が有ります
6、「神明社、しんめいしゃ」
 文禄3年、西暦1594年以前に仙福寺の守護神として鎮座。
社格は「無格社」である。
 幹回り7,35m(上田市指定木)の大欅を始め鬱蒼とした木
々類は、いつしか園児たちに「トトロの森」と呼ばれ親しまれて
いる。
 神社は古くより仙福寺と共に地域村人たちの拠り所であり、重
要な節目には大きな祝行事を行ってきた。
 その名残りで拝殿に向って左の石灯篭は、宝暦10年(176
0年)に奉納されている。
 右は明和9年(1772年)の奉納である。これは枡池の竣工
(明和8年に完成)を祝ったものと考えられることから、左の灯
籠は古池の工事に関し奉納されたと推察される。そして大欅の根
元にひっそりと「天神様」の祠がある。学問の神様であるり、か
つて子供たちが主体となり神前で奉納相撲を行った名残が今日の
「 のお祭り広場」に伝承されている。
 このように塩田平に隣接する吉田も水不足に先人たちは苦しみ
、水の確保がいかに切実な課題であったかが伺える記念碑となっ
ている。
     平成26年上田市わがまち魅力アップ応援事業


拝殿脇から石段脇のケヤキを見ました

拝殿の西側木々の間から境内最大のケヤキを見ました

境内への入り口は西側からです

西側道路から境内最大のケヤキを見ました

では、次へ行きましょう
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長野県上田市、前山「龍光院のケヤキ」です!!

2019-08-09 06:29:16 | 巨樹・大木
前山地区は、上田市役所の南西約9kmのところ

国道143号線から県道65号線を南へ

約5km塩田小学校の南で県道82号線を西へ進みます

南側の独鈷山北麓に龍光院が有ります

目的のケヤキは、参道入口の山門前に立って居ます

山門(黒門)前の駐車場にまず止めさせて頂きました


龍光院参道入口山門(黒門)です

杉とケヤキが門になっていますね

曹洞宗 龍光院です、黒門前に目的のケヤキです

南西側から

南東側からです

上田市指定保存樹木幹囲702cmの巨木です

黒門前左側には杉の大木です

上田市指定保存樹木幹囲279cmの大木です

黒門を入ります

参道が奥まで続いています

案内板が有ります

では、上の駐車場に移動しましょう

参道を上り切ったところ(上の駐車場の入口)に龍天護法大善神の祠です


境内入口です

塩田北条氏菩提処の碑です

宝珠山 龍光禅院沿革です
   沿革
 当院は塩田北条二代国時によって父義政公の
菩提を弔うために建立されました。

左に観音堂です

右に八角形の羅漢堂が有ります

右手に鐘楼です

左手の選佛場です

正面に本堂です

では、次へ行きましょう


  
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長野県上田市、中之条「宮川神社の社叢」です!!

2019-08-08 07:38:12 | 巨樹・大木
中之条地区は、上田市役所の西約2kmのところ

県道77号線の上田橋で千曲川を左岸に亘ります

国道143号線との赤坂交差点の手前を北に入ると

道路脇にケヤキの巨木が在ります

そのまま直進すると宮川神社が鎮座しています

コンビニの駐車場に車を止めさせて頂きました


道祖神のケヤキから真っ直ぐ北へ進みましょう鳥居が見えます

宮川神社です

大鳥居再建記念碑です
 明治26年立派な欅材をもって建設された大鳥居は
約百年の風雪に耐えてきたが、近年老朽が甚だしく、
昭和63年春この補修、或いは再建の議が宮係を中心
に検討され、その為の準備が進められた。
 翌平成元年3月愈々その事業の為の再建委員百一名
選任され、別記の如く設計の基本を決定し、7月上旬
募金活動を始めた。8月上旬には予想を遙かに超えて
四百余名の方々から総額千三百万円に近かい高額のご
寄付を頂いた。
 この尊い浄財を鳥居再建のために心して使わせて頂
き余剰の分は、宮川神社の維持管理の費用として宮係
が主体となって運用することに決定を見た。
 ここに大鳥居再建の経緯を略記し、ご芳志を頂いた
方々のご氏名を碑に刻して大鳥居再建事業の紀念とす
る。



上田市指定保存樹林の表示板です、指定番号第9号です、ケヤキとエノキが指定されているようです

境内入って直ぐ右手のケヤキです

参道右脇のエンジュです

エンジュと注連縄で繋がった参道左脇のケヤキです

境内南端鳥居の並びのケヤキです

手水鉢が参道右手脇のエンジュの根元に有ります

正面に拝殿です

覆屋の中に本殿が覗きます

本殿右脇のケヤキです

本殿東側に境内社の祠が並びます、左が秋葉社、右が疱瘡神社です

境内北東端のケヤキです

拝殿東側のエノキは幹の半分がなくなっています

南側には枝を無くしたケヤキの太い幹だけが残ります、これが境内で一番大きな幹囲5,6mのケヤキです


境内南西隅から境内社が並びます、まずは金刀比羅社です

新しい祠です

境内西端の石垣の上にもケヤキの下に祠が有ります

立派な鳥居のある天満社と

左側には蚕影社です

天満天神社と石垣の外側にもケヤキです

拝殿西側の石垣の上にも点々と祠が並びます

本殿西側には笠森稲荷大明神です

本殿との間のケヤキです

笠森稲荷大明神の後にもケヤキです

陰陽石の御神体が有ります

直ぐ左には日尻社です

本殿後ろ側のエンジュです、こちらが境内で一番太い幹囲3,8mのエンジュでしょうか

拝殿脇から鳥居側に並ぶ3本を見ました

では、次へ行きましょう
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長野県上田市、中之条「道祖神のケヤキ」です!!

2019-08-07 06:53:36 | 巨樹・大木
中之条地区は、上田市役所の西約2kmのところ

県道77号線の上田橋で千曲川を左岸に亘ります

国道143号線との赤坂交差点の手前を北に入ると

道路脇にケヤキの巨木が在ります

そのまま直進すると宮川神社が鎮座しています

コンビニの駐車場に車を止めさせて頂きました

(お昼のおにぎりとコーヒーを買って来ましたよ)

道路左側交差点の所に目的のケヤキが立ちます

上田市指定保存樹表示板です、指定番号第24号です

東側から目通り幹囲5,1mの巨木です

(保存樹表示板の大きさは幹周424cmですが昭和50年から43年も立って居ますからね

北向きに道祖神の石碑が建ちます、ケヤキの名前の由来ですね

北側から見ました

では、宮川神社へ行きましょう
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長野県上田市、常田「科野大宮社のケヤキ樹叢」(市指定)です!!

2019-08-06 06:44:18 | 巨樹・大木
常田(ときた)地区は、上田市役所の南東約1kmのところ

国道141号線に科野大宮社前信号が有ります

国道沿い南西向に参道入口を開いて

長い参道の先に南向きの科野大宮社が鎮座します

社殿の西側境内内に車を止める事が出来ます

国道141号線沿いの参道入口です

参道を進みます

鳥居です

縣社 科野大宮社です

常田の説明です
  常田(ときた)
 常田の名は古く、鎌倉時代の初め常田庄と呼ばれて
いた。その後天正11年(1583)真田昌幸が上田
城を築いたあと、城下囲八邑(村)の一つとして重視
し、科野大宮社近くに屋敷割をして造ったのが、常田
のはじめである。     真田十勇士

鳥居脇右側のケヤキです

北東側から


参道左手境内中央のケヤキです

北東側参道から、境内最大の目通り幹囲6,7mの巨木です

更に西側境内の大イチョウです

大イチョウを北側から見ました

手水舎です

参道右手社務所前のケヤキです

東側から

拝殿前から

拝殿の幕にも描かれている神紋の図柄の「殻ノ木」です


境内東側の社は子安社です、御祭神は木花咲耶比売命です



天然記念物説明版です
  市指定記念物(天然記念物)
<文化財保護条例第五条の規定により左記のとおり指定する。>
   記
・種別     記念物(天然記念物)
・名称     科野大宮社の社叢
・所在地    上田市大字常入字上常田723-1番地
・指定年月日  昭和44年5月9日
 科野大宮社は、大巳貴命と事代主命を祭神とする。延喜式
にはないが、それ以前からの古社で、国分寺との関係も考え
られ、あるいは信濃国府の総社であったかとも思われる。境
内は、東西49m、南北38m、面積2、142㎡で、社叢
の三十余本のうち主なものは、ケヤキ4本(枯れ死した神木
1本を含む)、杉3本、むろ2本、大いちょう1本などがあ
る。
  昭和47年3月10日  上田市教育委員会


拝殿です

軒下の額です

本殿です

西側には神明社です、御祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)ですね


更に西には城中稲荷社です、御祭神は保食神(うけもちのかみ)【倉稲魂命】ですね

狛キツネですね


更に西側には、右に駒形稲荷社(御祭神は城中稲荷社と同じ)と左に天神社・御祭神は菅原道真公です

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長野県上田市、古里「広野辺神社のケヤキ」です!!

2019-08-04 10:56:08 | 巨樹・大木
古里地区は、上田市役所の東約3kmのところ

古里地区の北東端、神川の段丘上集落の中ほどに

広野辺神社が鎮座します

鳥居前に車を止めさせて頂きました


野竹公民館(野竹生活改善センター)です

神社入口です

広野辺神社の鳥居です

説明版です
  広野辺神社
 古くは諏訪社と呼んでいたが、当時の地積が古里村広野
なので、明治3年広野辺神社と改称された。
 祭神は建御名方命、八坂刀売命である。創建年月は不明
だが、境内の御手洗石に宝暦11年(1761)と刻まれ
ている。また境内には木造の熊野社、石造の雷神社、阿夫
社、天満社(2社)がある。明治6年古里村社となる。本
社、拝殿、鳥居をもち、境内は面積156坪である。
    平成29年11月  神科まちづくり委員会

石造りの境内社ですが、御名前が解かりませんね

一番大きな建物の鯱鉾の立つ屋根の棟に「廣野神社」の文字が有ります

左右から本殿です

丸と方形の水盤です、説明版の宝暦11年の御手洗石がどちらか解りません

大きな建物の右側の建物の道路脇に目的のケヤキが在ります

こちらにも水盤が有ります、説明版の御手洗石はこちらかもしれません

南東側から、根本に境内社が並びますが、やはり祀られているのが何方が解かりませんね

上田市指定保存樹木 指定番号第17号の標識です

(表示の所在地「上田市広野」では住所がないようです、正しくは古里、神社から西側が古里になり南北東側は野竹になるようです)

目通り幹囲5,2mの巨木です

北東側から

公民館前から振り返りました

では、次へ行きましょう
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長野県上田市、芳田「大日霎(おひるめ)神社のケヤキ樹叢」です!!

2019-08-03 07:06:04 | 巨樹・大木
芳田地区は、上田市役所の東南東約5kmのところ

国道18号線を東へ、大屋信号で県道176号線を北(真田方面)へ

県道79号線を過ぎて約1kmのところに芳田信号があります

手前で東側の道路に入って坂道を登って行きます

丁度県道の一本東側の道路です、で目印は「稲倉の棚田↑」です

上へ上へと登って行くと道路右手に大日霊神社が鎮座します

鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました



右手に神社が見えて来ました

「大日孁神社」となっています

丸い川原石が並べられた参道です

水盤です

鳥居の右手にケヤキの大木です

南東側から

拝殿です

左側からの本殿です、幣殿部分が門のような構造になっています

右側から本殿です、玉垣の中に本殿を囲むようにケヤキの巨木が在ります

離れて南東側から本殿玉垣の中のケヤキの大木です

本殿右手の境内社の祠です

更に右手にケヤキの合体木が在るようです

境内社の祠の間に4本のケヤキが並んで根元が窪みになっています


上田市指定保存樹林のプレートです、指定番号第7号でこちらも大日孁神社になっています

道路に出て、本殿裏側に回ってみましょう

本殿裏側玉垣の中にケヤキの巨木が在ります

斜めに伸びた幹が特徴的な目的のケヤキ、目通り幹囲6,7mの巨木です

では、次へ行きましょう



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長野県上田市、真田本原「出早雄神社のケヤキ群」です!!

2019-08-02 07:43:28 | 巨樹・大木
真田本原地区は、上田市役所の北東約6kmのところ

国道144号線を北(菅平方面)へ

西友真田店の先を東へ、県道175号線の出早信号手前で

右手の先に出早雄神社が鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口です

安産守護神・出早雄神社盬竃宮です

まず一の鳥居です

鳥居の額には「出速雄神社」となっています

一段上がって二の鳥居です

石燈籠です

水盤です

説明版です
  上田市指定文化財
    出早雄(いずはやお)神社の社叢(記念物)
 この神社は古くから水を配る出配神社と呼ばれていた。
明治2年出早雄神社と改め、明治43年当時の同村内の皇
太神社(下原)十二神社(番匠)を合併した。
 社叢は、欅の巨木を主体としたもので樹齢約800年と
推定される。真田町では天然記念物としてきわめて貴重な
ものである。
 (かつては5本あった樹叢も、現在残っているのは1号と5号のみ)
    昭和51年3月 上田市教育委員会




二の鳥居をくぐった左手のケヤキ(5号)です

拝殿です

拝殿の軒下に掲げられた社名額です

由緒記です
  由緒  出早雄神社
祭神  出早雄神
    木花之開耶姫
    塩土老翁神
由緒  この地は、古く、いづはや、といわれ豊富な水源地で
   あった。
    古書三代実録の、清和天皇貞観2年(西暦860年)
   大変高い位に叙せられており、この地方の由緒深き古社
   である。
    出早雄神社は、農耕五穀豊穣の神であり、木花之開耶
   姫は、容色端麗天孫瓊々杵尊の妃で三人の御子を生み、
   又塩土老翁神は、海の潮と又その満ち引きを掌られた神
   であり、これが出産に深く関係があったため、安産の守
   護神とされる。
神拝詞  祓へ給へ  清め給へ
     守り給へ  幸へ給へ
            昭和60年9月吉日

拝殿前から5号ケヤキを見ました
   
   

本殿です



本殿東側のケヤキ(1号)です

南東側から、目通り幹囲8,6m(昭和51年には7,3m)の巨木です

では、次へ来ましょう

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長野県上田市、住吉「東條健代神社のケヤキ樹叢」です!!

2019-08-01 07:41:24 | 巨樹・大木
住吉地区は、上田市役所の北東約3kmのところ

上信越自動車道上田菅平インターチェンジの北側の地区です

県道18号線から市道を北へ高速道路の高架を潜って間もなく

道路左手に東條健代神社が鎮座します

神社入口を入って鳥居前に車を止める事が出来ます



神社入口の鳥居です

鳥居です

鳥居の額です

鳥居右手のケヤキの大木ですこのケヤキが境内で一番太いようです

更に右奥の2本です

鳥居左手のケヤキ3本です

上田市指定保存樹林、指定番号第15号の表示版です

水盤です

拝殿です

本殿です覆屋根のしたに華麗な彫刻を見る事が出来ます

説明版です
  東條健代神社(とうじょうたけしろじんじゃ)
 古くは諏訪大明神といい、嘉永元年4月現在の名に改称。
 祭神は建御名方命、八坂刀売命である。由緒・創建年月と
も不明。境内社に天満社、端津姫社、稲荷社、駒形社、子安
社がある。明治6年4月村社となった。大正4年4月秋葉社
、熊野社、白山社、蚕影社、皇大神社、山神社2社を合祀し
た。本社、拝殿、祝詞殿、社務所、鳥居を備え、長島・金剛
寺両の中間に位置し宮山を背に904坪の境内は欅の巨
木が何本もあり、幽寂なたたずまいである。元和9(162
3)年長島村と金剛寺村に分かれ前は東條村であったため両
村の神社となっている。現本殿は寛政8年(1796)完成
、総欅造り。彫刻の華麗さは神科地区に類がない。
   平成29年11月  神科まちづくり委員会



社殿の右手の建物は神楽殿(舞殿)でしょうか

拝殿前から最初のケヤキ(鳥居右手)を見ました

同じケヤキの南東側からです、目通り6,1mの巨木です

境内右端(更に奥の二本の右側)のケヤキです

神楽殿の右側のケヤキです

では、次へ行きましょう

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