常田(ときた)地区は、上田市役所の南東約1kmのところ
国道141号線に科野大宮社前信号が有ります
国道沿い南西向に参道入口を開いて
長い参道の先に南向きの科野大宮社が鎮座します
社殿の西側境内内に車を止める事が出来ます
国道141号線沿いの参道入口です
参道を進みます
鳥居です
縣社 科野大宮社です
常田の説明です
常田(ときた)
常田の名は古く、鎌倉時代の初め常田庄と呼ばれて
いた。その後天正11年(1583)真田昌幸が上田
城を築いたあと、城下囲八邑(村)の一つとして重視
し、科野大宮社近くに屋敷割をして造ったのが、常田
のはじめである。 真田十勇士
鳥居脇右側のケヤキです
北東側から
参道左手境内中央のケヤキです
北東側参道から、境内最大の目通り幹囲6,7mの巨木です
更に西側境内の大イチョウです
大イチョウを北側から見ました
手水舎です
参道右手社務所前のケヤキです
東側から
拝殿前から
拝殿の幕にも描かれている神紋の図柄の「殻ノ木」です
境内東側の社は子安社です、御祭神は木花咲耶比売命です
天然記念物説明版です
市指定記念物(天然記念物)
<文化財保護条例第五条の規定により左記のとおり指定する。>
記
・種別 記念物(天然記念物)
・名称 科野大宮社の社叢
・所在地 上田市大字常入字上常田723-1番地
・指定年月日 昭和44年5月9日
科野大宮社は、大巳貴命と事代主命を祭神とする。延喜式
にはないが、それ以前からの古社で、国分寺との関係も考え
られ、あるいは信濃国府の総社であったかとも思われる。境
内は、東西49m、南北38m、面積2、142㎡で、社叢
の三十余本のうち主なものは、ケヤキ4本(枯れ死した神木
1本を含む)、杉3本、むろ2本、大いちょう1本などがあ
る。
昭和47年3月10日 上田市教育委員会
拝殿です
軒下の額です
本殿です
西側には神明社です、御祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)ですね
更に西には城中稲荷社です、御祭神は保食神(うけもちのかみ)【倉稲魂命】ですね
狛キツネですね
更に西側には、右に駒形稲荷社(御祭神は城中稲荷社と同じ)と左に天神社・御祭神は菅原道真公です
では、次へ行きましょう
国道141号線に科野大宮社前信号が有ります
国道沿い南西向に参道入口を開いて
長い参道の先に南向きの科野大宮社が鎮座します
社殿の西側境内内に車を止める事が出来ます
国道141号線沿いの参道入口です
参道を進みます
鳥居です
縣社 科野大宮社です
常田の説明です
常田(ときた)
常田の名は古く、鎌倉時代の初め常田庄と呼ばれて
いた。その後天正11年(1583)真田昌幸が上田
城を築いたあと、城下囲八邑(村)の一つとして重視
し、科野大宮社近くに屋敷割をして造ったのが、常田
のはじめである。 真田十勇士
鳥居脇右側のケヤキです
北東側から
参道左手境内中央のケヤキです
北東側参道から、境内最大の目通り幹囲6,7mの巨木です
更に西側境内の大イチョウです
大イチョウを北側から見ました
手水舎です
参道右手社務所前のケヤキです
東側から
拝殿前から
拝殿の幕にも描かれている神紋の図柄の「殻ノ木」です
境内東側の社は子安社です、御祭神は木花咲耶比売命です
天然記念物説明版です
市指定記念物(天然記念物)
<文化財保護条例第五条の規定により左記のとおり指定する。>
記
・種別 記念物(天然記念物)
・名称 科野大宮社の社叢
・所在地 上田市大字常入字上常田723-1番地
・指定年月日 昭和44年5月9日
科野大宮社は、大巳貴命と事代主命を祭神とする。延喜式
にはないが、それ以前からの古社で、国分寺との関係も考え
られ、あるいは信濃国府の総社であったかとも思われる。境
内は、東西49m、南北38m、面積2、142㎡で、社叢
の三十余本のうち主なものは、ケヤキ4本(枯れ死した神木
1本を含む)、杉3本、むろ2本、大いちょう1本などがあ
る。
昭和47年3月10日 上田市教育委員会
拝殿です
軒下の額です
本殿です
西側には神明社です、御祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)ですね
更に西には城中稲荷社です、御祭神は保食神(うけもちのかみ)【倉稲魂命】ですね
狛キツネですね
更に西側には、右に駒形稲荷社(御祭神は城中稲荷社と同じ)と左に天神社・御祭神は菅原道真公です
では、次へ行きましょう