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出稼ぎ中

2020-07-05 00:58:00 | 雑事つれづれ

▲横浜外人墓地にて

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 2本足になった翌日、久々に会社行った。会社は開店休業中で、従業員の私は特別休暇という自宅待機状態だった。が、その状況が4月から続いており、会社としてもそろそろ何とかしないといけない…という状況に追い込まれていた。今回の呼び出しは、その対策内容を通知するという。

 まぁ、内容は当然のもの。クライアントが業務再開できないので、当然弊社も業務がほとんどない。すなわち収益が全くない状態。だから、お給料カットします。ボーナスもカットします。ちな、冬のボーナスはありません…というもの。
 いつか来るとは思っていたけれど、それでも仕事しないのに給料は出すというのは大変なことだと思う。

 幸か不幸か、たまたま自分は恒例の外部出向時期を迎えるので、給料カット分のほとんどは補填されるのだが、その出稼ぎ期間の日数のみである。


▲横浜のねこちゃーん

 ということで、その翌週、社外出向先へと向かう。
 今回は複数の高層ビルによって構築されたオフィスエリアへ。下層階には飲食店もコンビニも銀行もある。今までの何もないところとは全然違う。しかも、結構な高層階で、海が見えるは新幹線は見えるは飛行機は見えるわ…という環境。
 オフィスのデスクは透明なシールドによって区切られている。

 この仕事、回を重ねるたびに環境が改善されて、どんどんグレードアップされていく。さすが業界1位の会社はカイゼンがきっちりされていくなぁとその強さを知る。

 業務内容は、従来と変わらないものの、やはりコロナ禍の影響はあり、作業量は目に見えて減っていた。この減少分は、いろんなところにさらなる影響を与えることは明らかで、ほんと新型コロナの恐ろしさを経済面でまざまざと感じている。

 現在スケジュールのちょうど半分ぐらい。
 もうしばらくは出稼ぎモードが続く。



▲港の見える丘公園のバラ


抜釘手術、そして二本足へ

2020-07-01 00:16:00 | 雑事つれづれ
 1月末に骨折してから丸4ヵ月過ぎた6月頭、抜釘手術が予定通り組み込まれた。会社はまだほぼ休眠中のため、特に問題なく日付が設定される。ただまだコロナが完全に鎮静化したわけではないので、そのリスク対策としてCTで胸部をスキャンされた。肺炎の有無を確認するためである。その2日後に予定通り入院した。
 さすがに新潟から母や妹を呼び寄せるのは大ごと過ぎるので、今回も一人入院。全身麻酔手術に付き添いなしである(妹は腹腔鏡手術したばかりだったし)
 前回間に合わなかった高額医療費免除書面がまだ有効期限だったため、今回は、保証金を預託し、退院時に精算することになる。まぁ、プラスしても1万円ちょっとというあたり。

 松葉杖つきつき、病室に案内される。病室は以前入院していた大部屋であった。前のベッドの対面側。窓から一番離れている。まぁ、今回は2泊3日だからね。

 荷物を整理し、入院服(持参のTシャツとハーフスパッツ)になると同時に、各部門の医療関係者が書類を持ってわらわらやってくる。前回も聞いた麻酔の説明やら、栄養指導やら、看護方針やら、リハビリ計画やらを伺い、サインをする(一部は事前に渡されていた書類の署名提出)。
 それが終われば完全に暇となる。久々に宮城谷正光を読みつつ、夜を迎え、夕ご飯。翌日は手術日のため絶食。

 9時に就寝、6時起床。
 2日目は手術当日。

 7時に最後の水分補給をして、徐々に手術モードへ。すっ裸になってT字帯をつけ(今回はさらしを使った自作)ガウンを羽織る。9:00になったところで、松葉づえをついて一人で手術室入場である。
 狭い手術台の上によじ登り、また素っ裸にされる。まぁ、その前に麻酔で意識を失っているのだが…。

 次の瞬間は手術終了となっていたw 抜釘手術全行程は約90分であった。
 4人目の主治医が、足から抜いたプレートとボルトを見せてくれた。さすがに血まみれではなく、ちゃんと洗浄済み。そして、抜釘した右足が痛いことに気付く。まぁ、せっかく閉じた傷口を再度切り捌いて金属を取り去ったわけだから当たり前であるが、前回はなかった感覚だ(痛み止めと麻酔を大量に入れられていた前回)。
 帰りは、ベッドで病室へ。この辺り全身麻酔がまだ効いていたので、また寝てしまい、全然記憶はない。2回目なのに、なんてこったい!
 病室に戻って一瞬目覚めたが、また麻酔に引っ張られて寝る。どうせ今日はご飯は食べられない。

 1時間ほどで覚醒。飲み物は15時まで摂取できない。喉乾いた~。
 なのに、尿意はある。めっちゃある。麻酔抜くために点滴で生食入れられているからね
 今回は短時間手術のため、尿管は突っ込まれなかった。とはいえ麻酔が効いている間はトイレに行くことは叶わず、ベッドに簡易トイレを突っ込んで排出するという。看護師さんを呼んで用意をしてもらったが、寝たまま排尿をするというのは意外と難しいものである。便器の位置を少し変えたり、上半身を起こしたりするものの、なかなか出ない、赤ん坊のころには散々していたことなのに、なんてこったい。
 ちょろっとだけ出して、いったん撤退してもらう。
 が、やはり尿意は再び襲ってきて、再度ナースコール。今度はうまくできた。

 ということで、安心して再度残り麻酔の揺蕩いに身を委ねる。

 15時になり、ようやく水分摂取の許可。麻酔も切れる時分なので、トイレも自分で行けることになる。
 とはいえ、歩くための装具をつけると傷に触れるので、結構痛い(>m<)

 本を少し読んだりしながら夕飯を待つ。当初手術日当日は朝から晩まで食事は出ない話だったと記憶していたが、大丈夫そうだからって夕飯OK指示が主治医からあったらしい(先生ありがとう!)

 
 そして3日目。退院日である
 朝食を食べたら、荷造り開始。今回は2泊3日風呂ナシだったので、着替えも不要で最低限の荷物のみ。薬剤師から術後の抗生物質と最低限の痛み止めを受け取る(前回の痛み止めが大量に余っている)。10時前に事務方から請求書を受け取り、窓口で差額を支払う。そして診断書の請求(保険申請用)。すべて終わり、看護師に忘れ物チェックをしてもらい、無事退院となる。
 ただ、手術跡はまだ痛いので今回もタクシーで帰宅。

 自宅療養中、参ったのは抗生物質。翌朝、顔が真っ赤にパンパンに腫れていた。薬名から調べると、副作用らしい。瞼の腫れがひどく、上瞼が1センチも飛び出る状態。目も明けづらい状態で、さすがに週明けに病院に連絡。

▲右目の腫れ。鼻のように高々と瞼が腫れている

 とはいえ、その薬は必要なので、呼吸困難とかでないのならそのまま飲み続けてほしいとのことだった。結局、その薬を飲み続けた5日間はずーっと顔が晴れあがっていた。手足とかのむくみは全然ないのも不思議なものだ。
 幸い、世間はまだマスク全盛であったから、顔が若干赤いのはともかく帽子をかぶってマスクをつけていれば疑われることなく日常の買い出し等はできた。

 薬を飲み切った翌日から、ようやく顔の腫れが引き、3日後には元に戻ってほっとした。あのままではアンパンマンにジョブチェンジをしなければならなかっただろうw



 1週間後再度病院へ。
 レントゲンを撮り、消毒をしたら、「じゃぁ、今日から装具を外していいから」のご神託が下る。

 えっ!? 本当に!?

 予想より早い展開に、上の空状態となり、もう履かなくていい装具を再びつけてしまうぐらいには混乱していたw
 まぁ、当初から「早ければこの日に松葉杖も取れるかも…」って言っていたから、ちゃんと右足用の靴も持ってきていたんだけれどねw

 リハビリルームに行き、松葉杖返却手続きをし、保証金を返してもらう。
 とはいえ、右足の筋肉はすっかりなくなっているので、ピョコタンピョコタンという動きになる。

 それも数日で何とか普通っぽく歩けるようになっていった。

 まだ階段等はエレベーターやエスカレーターがあれば使うけれど、もう、ほぼほぼ大抵のところは普通に歩ける。
 不安もなくなったので、昨日は今年初の飲み会に参加して千鳥足で帰ってきたぐらいである。

5月、そして6月へ

2020-06-02 00:47:00 | 雑事つれづれ

▲5/29のブルーインパルス

 4月末からGWに入り、そのまま5月も会社は完全休業で6月に突入。6月後半から始動予定らしい。

 これを機にいろいろと整理整頓。
 今の部屋に住んでもう14年経っているので、結構、物が増えている。
 使わなくなった家電(加湿器とか空気清浄機とか)も廃棄しないとなぁと思いつつ、皆考えることは同じで、大型ごみ回収を依頼しても、1ヶ月ぐらい順番待ちと聞いて、一旦棚上げ。

 次いで「本の整理」に着手する。
 古い本を取捨選択。小説を中心に単行本を100冊以上廃棄へ回す。
 どうせ廃棄するなら○○OFFにでも出すか…と。ちょうど家まで引き取りに来てくれるサービスがあったので利用する。まだ足が不如意で大荷物が持てないから助かった「。
 1週間後、査定価格連絡がくる。古い本が多すぎて買取価格は総額300円台であったw まぁ、こちらは何も出費していないからありがたい限りである。プラスアルファの登録をしたら、スタバでフラペチーノぐらい飲めるぞ!

 いろいろと保管していた生活書類(電気代とかガス代とかの請求領収書)も、もう何年もファイルを開けてないので処分する。ゴミ袋3つ分。なんでも保管しておけばよいというものではない。
 ということで、蔵書も減ったので重みで崩壊した本棚に慎重に本を戻す。全部本で埋めることはせず、バランスを考えながら再配置。

 その最中に、いろいろと廃棄に値するグッズがまたまた溜まってくる。
 ほんの出来心で〇ルカリを見てみると、「え!? このファン会報誌1万円以上で買ってくれるの!? 自分が持っている方が全ナンバー揃っていて、もっと高値付くんじゃね!?」と金に目がくらむw
 とりあえず、現状は整理しただけでまだメ〇カリには出していない。いざ出すとなると面倒くさいのよね…。某ブランド化粧品のおまけも多数あるから、それらをきちんと整理管理するだけで結構時間がかかりそう。

 皮膚科の病院にも再度行き、アレルギーの薬をもらってくる。
 もちろん、足の方も定期健診。6月の抜釘手術の日程が決まり、いろいろと準備も進む。また、承諾書等にメッチャサインをしまくる。コロナがまだ完全鎮静化していない東京に親族は呼ぶことはためらわれ、今回も全身麻酔ではあるが、単身手術だ。まぁ、プレート入れる時よりは手術時間少ないらしいから、リスクは幾分低いだろう。


▲5/29のブルーインパルス。目の前を通り過ぎ、池袋方面へ。

 5月下旬、ブルーインパルスが東京都内を飛ぶというニュースが…。
 入間から都内進入ということは、それ、多分うちの前を通る。どこで見るかな!? どこで見れるかな!? ってワクワクグーグルマップで見えそうな場所を探してみた。
 結局、当日は集合住宅の高層階共用部におじゃま。自分は低層階住民だから不法侵入ではない。
 テイクオフ時間になり、入間方向を見ると遠くに白煙がちょろっとちょろっと出ているのが見えた。あぁ、まずはスモークテストをしているのね。と理解したが、その後スモークが消えると、機影は全く見えなくなる。何せ30キロ位離れている。
 事前公開されていたルートはこの建物の数キロ前を通るはずで目を凝らしているが、スモークがないと全然見えないw

 え!? ひょっとして後ろの方にルート変えた!? ってあわあわ…。
 (後方上空には朝から報道ヘリ等が大集合していてかなり喧しかった)


▲スカイツリー方面へ

 気が付けば、ブルーは予定通り目の前を通り過ぎ、スモークを出していた。
 そのまま都内を旋回していくブルー。10キロ以上離れたビルとビルの合間から見えるブルーを目で追う。そして、旋回し、北の空に消えていった(スモークが停止しただけ)


▲ちゃんと見せてくれる感がありがたい

 2周目があると知らず、そこで部屋に戻ったのだ(あほ)

 まぁ、それでも何となく撮れるものである。なお、レンズは300mm めっちゃ甘ピンでスマン。


▲ちょっと遊んだ構図


▲5月だというのに、夏っぽい雲が出ていた



 その2日後、1月下旬以来花火不足に陥っている自分に絶好のチャンスがやってきた。

 全国一斉悪疫退散祈願Cheer up!花火プロジェクト
 https://www.cheeruphanabi.com/
 
 新型コロナウイルスによる自粛生活が長引くことにより、日本中の花火が2月半ば以降打ち上げられなくなっていった(観客の密集による感染リスクのため)。
 その流れはだんだんとカレンダーを下っていき、個人的には8月の花火までほぼ全滅状態になっている。

 越後妻有雪花火、山田の春祭り、新作花火コレクション、宇根の春祭り、風まつり、久保寺観音春祭り、篠田の花火、多摩源流まつり、大曲の花火春の章、黒船まつり、古河花火、横浜開港祭…。先々では、長岡まつり大花火大会、ぎおん柏崎まつり海の大花火大会、片貝まつり、諏訪湖の花火、神明の花火…。正式発表ではないが、大曲の花火も中止の方向だと聞く。これ以外にも8月までの花火はほぼ全滅。小さな町の有名ではない花火までもれなく中止である。五輪の混雑を避けるために秋に移動した花火大会も。いくつかはもう中止や延期を決定している。

 すなわちこれは、花火屋(煙火店)さんの存続を危うくするまでに状況は悪化していた。

 この状況を何とかしようと、全国の煙火店さんが「ある1日」に「場所」も「時間」も秘密で一斉に花火を打ち上げようとする企画が、「全国一斉悪疫退散祈願Cheer up!花火プロジェクト」である。

 それが6月1日(月)20時に開催された。

 叶うなら実家の新潟に帰ってその花火を見たかったのだが、まだ松葉杖生活の上に、東京から新潟への移動はまだ全面解禁ではない。それに翌日は抜釘手術前の検査が早朝に入っている。泣く泣く、東京在留となる。

 当日、東京の天気予報は夜は雨☔

 自分の居場所では、とても花火が上がる場所がなさそう。それでも、時間が近づいてきたら、ブルーを見た同じ場所に立っていた。ひょっとしたら埼玉の花火の光だけでも見えるかも、花火の音だけでも聞こえるかも…。
 そんな淡い期待を現実は軽く潰してくれた。
 非常階段で傘をさしながら目を凝らすが、数キロ先のビルすらかすむ雨の降りっぷりで、光すら確認できず、もちろん音も全く聞こえなかった…。ジーザス!
 なお、新潟は予報通り雨は降らず、予想通り数カ所の花火を見ることができたとのこと。帰りたかったよ…。

 その晩、遅くまでネットで花火画像をめちゃくちゃ漁った。


 ということで、明日、抜釘手術で再入院となる(2~3日)。まぁリスクは多くないが(とりあえず今日病院から連絡がなかったので、コロナ肺炎には罹ってないことは確定)、何が災いするか分からないので、一応ここまでのことを書き記して明日に備える。

 
 ~日本の花火「エール」プロジェクト~ https://fan-akita.sakigake.jp/project/detail/639 は、退院後、保険金が降りたら参加するよ。


コロナな日々、引きこもってます

2020-04-23 01:14:00 | 雑事つれづれ

▲お花屋さん、バラの花束2つで500円だったのでお持ち帰り。3つに分けてあちこちに飾った。オレンジのバラ、元気が出る

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 令和2年の激動はまだまだ続く。

 3月上旬に退院し、週明けから職場復帰した。
 久々の職場では急に仕事が振られることもなく(一連の流れの途中からは入りにくい)、ひたすら事務作業。出退勤システムの登録とか、後出し有給申請とか、はたまた医療費還付の申請とかとにかくいろんな事務作業だけで1週間が過ぎる。

 そうこうしているうちにようやく次の業務が始まったので、その流れに組み込まれる。



▲退院後、眼科検診で行った横浜の桜(3月21日)


 だが、世間の状況は悪化していった。

 取引先の営業は自分が復帰する以前から実質ストップしており、弊社にもその影響は出てきていた。スタートしても仕様変更が続く。フィニッシュ直前にも変更指示が飛んでくる。そんな状況を横目に見ながら、次の業務を進める。

 とりあえず各種原稿を投げた翌週、世間はさらに悪化した。
 上の方では終日の会議が繰り返された。

 そして出た結論は、4月からのリモートワークへのシフト。国の要請に応じた対応であった。



▲春の雪に当たったベランダのムスカリも無事咲いた


 幸い、自宅にはPCもネット環境もあり、周辺機器もあるので、即対応可能。無事リモートワークに突入する。とはいえ、クライアントとの打ち合わせや書類の受け渡しもあるため、1日おきには出社していた。
 もともとフレックス制なこともあり、朝はラッシュ無縁で、まだ普通に歩けない自分にとってはありがたい状況であった。


 そんな1週間が終わるころには世間の状況がさらに悪化し、状況は次の段階へ。

 投げた原稿が形になって戻ってきたが、それはそこで打ち切りとなった。世情悪化に伴い、取引先から発行停止の連絡が来たからだ。
 ここで弊社は割と早くジャッジをする。国の雇用調整助成金の特例措置を申請することにし、一般社員を休暇に突入させることになった。
 その日から4月いっぱいまでの特別休暇が降ってきた。とはいえ、世間の外出自粛の要請に従って、自宅引きこもり生活である。

 まぁ、引きこもり大好きだし、ネット繋がるなら別に困らないし、近所のスーパーは開いているから(当初は品薄感がすごかったが4月中旬ごろから復活)と、お気楽休暇に突入である。




▲突然の入院で長期間水を上げられなかったので、アネモネは今年は1輪のみ咲いた



 長期特別休暇となってようやく確定申告(医療費控除)に着手する。
 ずっと入院していたし、その後も会社の書類書きや、保険金の申請やらなんやらでめっちゃ手書き書類を書いて書いて書きまくっていた。
 確定申告の提出期日が4月16日まで伸びていたこともあり、後回しにしていたのである。ひゃー領収書どこだー!!って、必死に探したり、ついでに整理整頓をしたりと地味に忙しかった。

 その合間に通院などもしており、4人目の主治医とご対面。抜釘手術日も決まる。また全身麻酔での手術らしく、事前検査日も設定された。なかなか面倒くさいね。
 世間ではコロナ対応で手術が延期されている病院もあるようだが、自分が行っている病院では完全にその辺りは区分けしているらしく、影響がないのはありがたい。



 
 さて、月末が見えてきているが、この措置はいつまで続くのだろう…。まぁ、GW明けまでは会社の対応も現状のままだろうが、その後の方針は、はっきり言ってコロナ状況次第である。
 傍から見ているとうまく抑え込めているとは思えず、まだ取引先の営業は遠そうな雰囲気。この状況、いつまで続くのか、さすがに心配になる。




▲ストロベリーティー。ネットで見かけたのを見よう見まねで真似してみたが、結構おいしかった


初めてづくしの入院生活(出所編)

2020-04-02 23:24:00 | 雑事つれづれ

▲最後の朝餐。朝ごぱんの多めな病院でした。根っからのお米党としてはかなりガッカリだったのだが、「ジャム職人」としてはだいぶ成長したと思うw

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 「血のバレンタイン事件」から6日目。夕方、装具が納品された。予定より1日早かった。
 
 ……スキー靴!?

 靴タイプとは聞いていたが、メッチャやっすいスキー靴っぽいものが来た。かつてバリバリスキーヤーとしては、こう何というか「上がらない」感が…。おれの金で買ったのだから言ってもいいだろう(この時点では金は1文も払っていない)。

だっさ! 


▲どう見てもやっすいスキー靴にしか見えない装具。でもお高いんでしょう(ハイ( ノД`)シクシク…

 とはいえ、これでリハビリをしていけば退院への道が開ける。すでに当初の入院期間をオーバーしている身としては、もう早く退院したくて(有給残とお仕事方面からのプレッシャーがかなりきつくなってきていた)、久々の前向きなアイテムの登場というわけである。
 さぁ、これでリハビリも…。

 看護師から「先生が見に来るって言ってたよー」と聞かされて、ずーっとベッドの上で待っていた。が、夕飯を食べ終わっても先生が来る様子がない。こりゃ今日は来ないか!? と思った頃に主治医が白衣をなびかせて走ってきたーー。

 装具来たでしょ! ちょっと履いてみて!!

 っていきなり。えぇ!? いきなり!? 
 どうやって履くのかわからない初心者の自分と、実は装具は初めて治療に投入するらしい先生(こっちも初心者かよ!?)。いやぁ、僕もよく分からないんだよね~、これ初めて使うからさぁ~。ここはこうやって通すのかなぁ…と何とも心もとない装着。そしていきなり、片足で立ってみろという。

 えぇ!? 今まで絶対荷重不可の右足でですか!?

 そうそう、ホラホラ早く!とせかす主治医

 こちとら入院以来右足は常に地面から離していて、先生の言う通りに荷重してなかったんで、全然この右足で立つ自信がないんですが…。という私の逡巡なんて聞く耳も持たず、ホラホラとせかす主治医。
 こわーーい!! と叫びながら、右足に荷重して、左足を床からそーーーーっと離す。


 はっ! 立てる!! 痛くない!!!!

 ほんの1秒か2秒、そんなわずかの時間ではあったが、右足を地につけて立った。

 それを見た主治医は満足そうに帰っていった。明日から荷重リハビリだよ~言い残して…。


 そして翌日、朝いつものリハビリの人が来て、装具納品されたんですねって話しかけてきた。そして、だけど荷重許可が出てないんですよね…。

 えっ!?Σ(゚Д゚)

 先生、昨日指示出すって言ってたじゃないですか!? なのに忘れた!? 指示していない!?(この病院、口頭指示ではなくPCで患者情報共有しているので、そこに荷重許可の情報が入っていないと、理学療法士もそのリハビリに移れない)
 ということで、結局装具は病室に置いたままいつものリハビリを行うことになる。

 結局、その翌日にようやく荷重許可の登録がされ、1日遅れて装具付きのリハビリかと思ったら担当リハビリの人が休みでまた1日お預け…。
 結局2日遅れての装具訓練となった。(ちなみに、この日から病院はコロナ禍による面会禁止になった。隣のおばあは面会に来る旦那との会話が声が大きかったので正直助かった)

 装具付きのリハビリを始めて思ったのが、右足の筋肉の喪失。約1カ月右足に荷重をかけていないから、筋肉がなくなっていた。左右の足を比べると右足がかつてないほどのスリムさ。あまりのほっそりさに両足の写真を撮って妹のスマホに送り付ける。
 「姉ちゃん史上最大のほっそりさ!!!!!」とリプが帰って来たw

 以後、地道にリハビリ生活を過ごす。松葉杖の歩き方も姿勢が大事。ちゃんと傾かないようバランスよく歩くことを要求される。装具をはいてる分右足が長くなるので、結構気を遣う。まずは姿勢正しくまっすぐ歩くことをマスター。しかし、ほっそり右足が何とも心もとなく長距離歩くのはなかなか難しい。すぐ疲れる。まぁ病院の中をうろうろするしかなく、コロナ騒動もにぎやかになって病院内も剣呑な雰囲気を感じることもあり。なかなか息苦しい時期になってきた。
 しかし片松葉になったり、階段上り下りなども取り入れられ、退院後の生活も見えてきた。

 幸い、我が家はかなりバリアフリーで、自宅に入るまで玄関の上がり框の段差のみがバリアという物件であった。風呂も手すりが設置され、脱衣場との間もフラット。エレベーターもあるので退院後の自分の生活が見えてきた。
 そうなると早期退院を(すでに予定期間を大きくオーバーしている)と思いを巡らすのだが、なかなか退院許可が出ない。
 どうしてかなぁ…。そろそろ退院しないと会社クビになっちゃうよ~。と泣きそうになったころ、どうやら状況が聞こえてきた。合議制で、えらい先生が渋っているらしいと…。
 入院していた病院、整形外科の評判が良いのは知っていたのだが、その偉い先生が、まだ退院には早いんじゃないかと思っていたらしい。それで、なかなかコトが進まなかったと後になって知る。主治医の思惑ひとつで決まるものではないのね…。財前教授か!? お前が止めていたのか…(違!)

 そうこうしているうちに、栄養士が退院後の栄養指導の予約を入れてきたり、一時外出のリハビリが組まれたりと、これは周りの人(そして私より先に退院した人たち)が辿った道じゃね!? という状況になってきた!よし、今週か、来週には退院したいじょー!って思っていた時、ようやく退院通知が来た! 

 主治医が相変らず走ってやってきて、今週末退院できるよ!って告知\(^o^)/

 って気持ちになったのだが、その日私は臥せっていた。前日の一時外出で1カ月以上ぶりに病院外に出た反動なのか、なぜか発熱して、リハビリも何もできなくベッドに沈んでいたのだ。先生がうれしそうに話すのに、こっちはかぶった布団も動かせず、わずかに顔を出して涙目でうなづくしかできなかった。
 
 先生ごめんよ。一緒に喜べなくてスマン…。

 マジでその日だけ苦しかったんだよ。ごはんは全部食べたけれど(これ家訓だから)。朝の微熱が夜まで徐々に上がり、夕方にはぐったりだったんだよ…。
 熱は一晩寝たらすっかり下がった。

 そして、その週末、ようやく退院となる。


 その前に41日分の請求書を突き付けられて、泣きました。保険が出るまで猶予してくださいって、月2万づつ払う誓約書を書きました。会計のおばちゃん怖かったよ~。

 入院したときと同じく、一人で荷造りして、一人で病院を出て、さすがにタクシーに乗ってようやく帰宅。部屋には奈良から帰って来た荷物がそのままに残り、そしてベランダの花たちが咲いていた。
 時は止まり、流れていた。



▲帰宅した家で約1カ月だれにも世話されなかった花が生きていたことがうれしかった。