夏真っ盛り。
もてぎの花火も終わって、次は赤川だなって思っていたところ、暑さかもろもろの疲れが出たのか、高熱を発した。たまに疲れると熱が突発することがある。とりあえず解熱剤を飲んでおとなしくして見た。
そして、翌朝、発熱の原因が分かった。皮膚が真っ赤にただれている。触るだけでも痛い。いや、触らなくても痛い。
体調が崩れると、皮膚炎症が発生するようになっている(もてぎ帰りの立ち乗りバスが引き金だったのだろうか…)。慌ててかかりつけの病院に予約を入れた。主治医開口1発、「入院しますか…」
「がーーーん」
この週末も花火観覧に行く気満々だった私だが、明らかに赤い炎症を発している痛みを抱えた足では、なかなかにツライ。主治医は、「これは入院で治しましょう」といい、近辺の病院に連携を取って入院口を探し始めた。
が、結局この日は近辺の病院には病床は空いておらず、結局2日後にようやく空いたベッドを見つけてもらった。
これで治療できると、ほっとしたが、どう考えてもまずい事態が…。
この皮膚炎症で3月も入院していた。その時、最短で約1週間で退院したのだが、今回も最速1週間入院と見込んでみたが、そこにひとつ予定が入っていた。「赤川花火大会」である。電車の手配もホテルの手配もできているし、カメラマン席もゲットしていた。直前の羽越本線周辺の洪水情報も何とかなりそうだとなっていたところに、自分の入院騒ぎである。メッチャ患部が痛いので、さすがに山形まで遠征するのは難しいだろうなぁとあきらめモードで、入院用具一式を抱えて病院に向かう。
皮膚科医に診断してもらい、何とか病床も押さえてもらい、その日から入院生活が始まった。
確かに足が真っ赤に炎症を発して痛みもあるのだが、一応歩けるし、身の回りはすべて自分で行える。ここ3年で3回も入院しているから(うち2回は骨折)、家族もびっくりしなくなったか誰も上京して来なかった。
ということで、昼・晩2回の抗生物質の点滴を受け、病床の人となる。
基本、抗生物質を点滴のみの治療で、抗生物質に安静剤も含まれているのだろう、点滴が終わるとそのまま数時間眠りにつくという感じの生活が始まった。
赤川花火は、残念ながら放棄。スマホで配信を少し見た程度だった。
赤川の花火が終わったころ、主治医が「血液検査の数値が下がったから、退院のめどが立ってきた」旨を告げる。これは、大曲の花火には行けるかと一気に希望が湧く。
数値は正常値に近づいているんだが、患部本体はずーっと痛いままなのよね。歩けないほどではないが、常時痛みがまとわりついている。とはいえ、人は希望があれば元気になるものである。主治医の言うとおり、木曜日にめでたく退院となった。
帰宅後、あわてて大曲行きの荷造りをはじめ、翌々日に車上の人となる。痛み止めの薬等を飲みつつ、大曲に到着。
2年ぶりの大曲の花火を見ることができた。
昼花火は何とか天気が持ったけれど、夜花火が始まることには雨が本格的に降ってきた。最初こそ多少撮影したが、上を向けば確実にカメラに雨が当たるという状況で、心折れる。カメラにビニール袋のカバーをかけて撮影をあきらめ、目視モードに。
大会提供花火もそんな雨の中で打ち上げられ、もうもうと花火の煙と水蒸気が立つ。花火!? そんなの目視でも見えませんがな…。
さらに、大会提供後の競技花火では、大会提供花火の煙がまだ残る中で打ち上げられ、真下にいた花火師さんですら自分が作った渾身の花火が開く様子が見られなかったらしい。
こういう状況下で、いくつかの花火は、「審査不能」となったと翌日に聞く。まだ、前の競技花火の煙で見られないというのであれば、多少は分からなくもないが、競技には関係ない余興花火としての「大会提供花火」である。大曲の花火は日本一の花火師を決める競技花火が本分。その本質が余興花火で実施できないというのであれば、本末転倒となる。
今回の件で、大曲の花火は、ひとつのターニングポイントを迎えたのかもしれない。