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雪花火はしご~ほんやら洞まつり

2015-02-22 22:16:00 | 花火

▲山谷・坪野ほんやら洞まつり

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 雪しか祭り終了後は小千谷のほんやら洞まつりへ。

 例年、ほんやら洞まつりは雪しか祭りの前の週に行われていた。それが今年は突然ほんやら洞まつりが1週遅れることになった。
 もともとほんやら洞まつりをまだ見たことがなかったので、個人的にはそちらを見に行くってのが先にあり、後から雪しか祭りが付いてきたのだ。

 問題は、移動手段。
 雪しか祭りからほんやら洞までは、電車だとえらい遠回りになる。かつ、おそらく時刻表的に間に合わない。車なら通常時30分未満の距離なんだけどなぁ…。
 と悶々としていたら、車に乗せていただける方が現れて、ホイホイと乗せていただく。

 もともと車での移動はせず、ましてや冬ということで辺りの景色が変わっている(目印になるものが雪に埋もれているのだよ。豪雪地帯舐めんな)。
 場所はよく分かっているのに、そこに至る道がよく分からない。多分、こっちと誘導しながら、何とか目的の道路に出る。
 カントリーエレベーターのところが駐車場になっていた。
 
 7:00をちょっと過ぎに到着。車の外に出るとほんやら洞が見える。
 カメラ道具を抱えて、会場に向かう。

 ずっと気になっていた「お満ヶ池」の看板の所を入っていく。
 ※お満が渕は小千谷縮の祖、堀次郎将俊の妻・お満が布をさらした池ということが今回判明。もっとも今回その池は雪の下だったので見れていないのだが(笑)



▲7:30の打ち上げに間に合った~

 道を少し入っていくと、夏は田んぼとなっているところに「ほんやら洞」と呼ばれるミニかまくらに明かりが灯っている。
 ほんやら洞はもともとは「鳥追い」という小正月の行事に作られるものであった。本来の大きさは人が入れるほど。秋田のように神棚を祭ることはない。最近は「鳥追い」そのものを行うことが少ないので(賽の神はいまだに続いているが)、もっぱら冬イベントのオプション扱いと化している。
 そもそも、このほんやら洞まつりもいつのまにか始まっていたのよね(1992年に始まったらしい)。何年か前まで知らんかったし…。



▲打ち上げ場所が見えるぐらい近いので、意外と画角が…

 いったんセンターに三脚を据えたものの、写真を撮らない一般の人の邪魔になるかなぁと少し脇にずれる。もともと地元のお祭りだし。そういえば、三脚の数も圧倒的に少ない。
 まぁ、特に大きな花火が上がるわけでもないし、そもそもこの祭りの知名度は雪しかに比べればアリのようなものであるし…。
 ということで、ほどなく打ち上げ開始。
 特にアナウンスも案内もあるわけではなく、いきなり上がる。

 うーん、右横のオッサンのビニール傘が入るんだが…(=''=#)
 


▲雪、ガンガン降ってます。レンズに着いて融けて水滴に

 そしてあっという間に花火終了。
 最後の4号だか5号だかは華麗にフレームアウトして行った orz

 あれ、トラは?

 地元のローカル新聞ではこの祭りも取り上げられることがあるのだが、大抵はトラと錦の一斉打ちの写真が使われる。だからてっきりそれが上がると思ったのだが、あっさりとクライマックスもなく終わった。

 次の打ち上げは約30分後となる。
 雪はずっと降っていて、時折傘を持つ手が重く感じる。

 昔、家から高校までの7分半に何度も傘の雪をバサバサ落として通学していたことを思い出した。そうやって傘で雪を避けていても雪は体に着くもので、学校に着くころには黒いコートの前半分が結局白くなっていて「ペンギン化」していたことまで思い出したよ。



▲8:00の打ち上げはちょっと場所をずらして…

 結局、ほんやら洞のド真ん前で見る人は少ないようなので、堂々と三脚をそちらに戻す。灯りがたくさん入るところにセットして、ちょっと屋台チェック。
 甘酒はサービスらしいが、何人も並んでいるのでパス。そのほかには豚汁とイカ焼きが売られていた。ほかに腹にたまるものは無し。
 まぁ、地元の祭りだしわがまま言ってはいけない。豚汁300円をいただいて、少し暖を取る。

 それにしても三脚族本当に少ないわ~。10人いないんじゃない!?

 ということで8:00の打ち上げ開始である。


▲ひとつだけ染分け

 一応、7:30の打ち上げとは内容が異なる。とはいっても小さいことには変わりないんだけどね。
 今回は、隣で傘をかしげるオッサンもおらんし、そもそも祭り会場の人出がなかなかに控えめである。結構雪が降っているしねぇ…。ほんやら洞の点灯を見て、甘酒を飲んだら帰るな、普通の地元の人の感情としては。



▲なんだか緑づいているこの日

 短い時間の花火であるから、集中である。だけど、小さいくらい玉はさすがにリモートをおすのをためらわれるな…。
 そして、最後は定番のトラ&一斉で終了。あれ、錦じゃないんじゃん! これは最後の最後なのね…。


 ちなみに、この日の打ち上げの小千谷煙火さんはこの山谷という住所に会社がある
 (坪野は、山谷の隣の集落で、小千谷民としては昔話「郡殿の池」が真っ先に思い出される地である。郡殿の池そのものはこの地ではないんだが、物語の冒頭が坪野なのよね)
 


▲あぁ、また水滴が(こまめに拭けよ)


 終了~。


 ここ、車じゃないとなかなか厳しい所で、まだ時間的にバスが走っているところまで送っていただく(その節はお世話になりました)。

 で、バス停で長岡行きの終バスを待てど暮らせど、来ないんですが…。小千谷インター発なので、大幅に遅れることはないはずなんだけど…。屋根はあるとはいえ、アーケードは風通しが良い。時刻を10分過ぎたころ、あきらめて歩き出す。まぁ、ここから実家まで徒歩30分ちょっとで着くんだよね。バスに乗ってもバス停から結局15分ぐらいは歩かねばならないわけだし…。まぁ途中にタクシー待合所があるから、運よくそこに止まっていたら乗るとして…。

 まぁ、結局信濃川も歩いて渡って、結局家まで全徒歩だったわけだけどね。春夏秋ならこれでいいんだけど、冬はちょっと…。雪とか吹雪とかは全然無問題。消雪パイプがというか水と雪の相乗効果で、結構水没しているのだよ、歩道が…。
 かといって、水がない車道寄りを歩くと「ひっぱね」攻撃を受けるし…(ひっぱねは、車などが跳ね上げる水のこと)。
 すでに雪しかまつりで靴の防水エリアの上まで水没していて、じんわりと冷たくなりつつある。帰宅の徒歩で、完全に靴の内側までじっとりとびしょ濡れ状態になってしまった。

 実家帰宅時、真っ先に靴と靴下を脱いだわ。


 そういえば、歩いている間、結局バスに抜かされなかったんだけど、これって間引き運転!? それとも時刻無視で長岡帰っちゃった、終バスなのに…。


 翌日は、遅めの新幹線を取っていた。万が一雪しか祭りが延期されても対応できるようにというものである。今回はそれは杞憂に終わったが、ならば長岡を楽しもう!と



▲長岡の2月の季語(笑)「美松のサンキューまつり」
 シュークリーム1個が税抜き39円で販売される。美松本店は2月はこれ1本しか商わない

 まずは、サンキューまつりでシュークリームを30個ゲット! こんなに大量に買い込んでドーするのーってって感じだけど、全部東京に持ち帰って冷凍庫に突っ込んだ。
 この時期、長岡および近辺の人々はこの赤い箱を何個も抱えている。一箱に10個入っている。みんな10個単位で買うものだから、工場からの納品がすでにこの状態となっている。さらに、2箱3箱あたり前で5箱まであらかじめ紐でくくりつけられているという仕様である。もちろん、店の前に掲げられた料金表は10個、20個と、10個単位の料金表となっている。

 ちなみにひとつからのバラ売りにも快く応じていただけます!



▲フレンドのイタリアン 期間限定の角煮&半熟卵乗せで

 新幹線で食べる駅弁を買おうと思ったら、ほぼ売り切れだったので方針転換。cocoroのフレンドでイタリアンを食べる。ゴロゴロした角煮が意外とボリューミィ。八角の香りがわずかにしかしないのもgj! そして半熟卵の犯罪的ビジュアルよ…。

 ということで、満足満腹で長岡を後にした次第である。



雪花火はしご~雪しかまつり

2015-02-17 23:35:00 | 花火

▲雪野原がキャンバスとなって、花火の色を広げていく

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 週末は新潟でガッツリ雪花火。

 ということで、長岡に到着。悠久山口に出て、花火の駅を訪問。皆さんの花火写真を見る。まぁ、私もそうだけど、人様とだぶらないように出品する作品は珍しい方へ珍しい方へと流れるのよね~。結果、長岡の展示だというのに、三尺玉が一つもないという事態に(笑)
 こちらでお会いした方の車でapitaまで送っていただき、楽々会場入り。

 ところが、なんだか天気がぁ~。
 ♪ぶーりーざ~ど ぶ~りざ~ど♬ と白いカーテンに向かって歌ってみるものの、土手上、激寒っす。まだ、装備付けていないしね。

 とりあえず、いったん屋内退避して、いろいろと吹雪仕様に着込む。その上でもう一度出陣し、土手上、水道タンクの正面に陣取る。
 うーん、2年前のホワイトアウトを思い出すなぁ。お向かいの水道タンクが時折見えなくなるんですが~。

 とかしているうちに、なんだか雪が収まった。その隙にそりゃ上げろー!とばかりにスタート。まぁ、途中からまた振り出しちゃったんだけれどさ…。



▲冒頭の八重芯

 初っ端の八重芯が意外とよい。どこの玉かなぁ~。多分今年も嘉瀬煙火の打ち上げだろうから、玉は他所からの仕入れなんだよね。この緑は下越の方かなぁ…。
 その後、メッセージ花火が2台続く



▲3号、5号、7号、尺の四段打ち。南の国からアローハ~

 あんまり評価されないけれど、私は段打ちが好きだ。
 花火とはこういうものだという「刷り込み」も多分にあるけれど、日本の花火の様式美の一つだと思う。小千谷や片貝ではこういう打ち方が一般的だし、長岡でも番外ではないものは結構こういう打ち上げがされている。他県では長野のえびす講で見るぐらいかな…。
 小さい花火大会をめぐるとあるのかなぁ…。



▲雪も赤く染まる バレンタイン花火

 そうそう、この日はバレンタインということで、私もいくつかチョコを仕込んでいった(今変換で猪口と出て反省している酒飲みである orz)。
 ベルアメールの面白いチョコを仕込んでいったのだ。ビーフジャーキーチョコとか、柿の種チョコとか、カレーチョコとか…。ちなみに個人的当たりとしていたのは、中にソーダを仕込んだものだっただけどね。口の中でシュワシュワする。花火でいえば霞草って感じかな。「ジョワ」って感じが。
 本当は、オリオール バラゲのマスクレーター(花火)を仕込みたかったのだけど、現在の日本では輸入していないらしい。このマスクレーターがパチパチチョコだったのよね…。

 まぁ、おいしいチョコを引いて行ったみなさんも喜んでいただいたからよかったけれどさ…。

 

▲雪だるま花火も
 

 ハートと雪だるまの型物も無事上がり、淡々と進行していく。
 と、再び雪が降ってきた。



▲ベスビアス大スターマイン。この辺り、湿っぽい雪が降っていて、レンズがぁ~(拭けよ)

 ちなみに、このベスビアスというのは、新潟でしか通用しません。というか、ほぼ長岡エリアだけ(笑)



▲白菊とワイドスタート!

 このワイドスターマインは、中越大震災復興10周年記念花火である。

 2014年は、新潟県中越大震災から10年という年だった。2015年にはなったけれど、10年前のこの頃は、まだ山古志や小千谷の塩谷などは全村避難を続けており、そんな中追い打ちをかけるような大雪となった冬。誰も住まない集落の家を守らねばと、無人の村に雪下ろしに出かける人々など、まだまだ大変な時期であった。川口の伯父さんも塩谷の叔母さんもまだ仮設住宅だったし…。
 でも雪は、崩落した崖を白く染め、崩れた家の残骸を包み、一時の心の休息をくれた。

 私の実家は、幸い一部損壊で済んで、その規模もごく小さく、そのまま住み続けることができた。そんな状態で、私が一番ショックだったのは、自然の崩壊。長年営んできた植生が崩れ、地肌がむき出しとなり、巨大な石がゴロンゴロンするのを見た時が、実は一番ショックだった。

 雪は一時期だけど、それを覆い隠してくれて、大雪の中、ホッとする自分がいたことを思い出す。

 


▲ワイドスターマインはなんだか緑一色になっていく


 そして雪は融けるもの。溶けた後には春の草花が生い茂ってくれることを思い出させてくれた。思い返せば、私が山野草に目覚めたのも、この地震がきっかけだったりする。
 翌春、茶色い山に新たな芽吹きがうまれた。
 人間の生活がどんなに崩れたとしても、自然は淡々とその営みを繰り返していくものである。そのことは残酷であり、優しさである。

 そして、崩落した斜面への最初の侵入者は実は山菜だったりする。そしてその新たな山菜ポイントに人々が入り込んでいくという、自然も人間も意外と強いものだと思ったのもその春だった。



▲フィナーレは二尺玉。昇曲導付小割浮模様←ってアナウンスしていたけれど、花火本体の名前がないんかい!? 曲導と後の小割しか言っとらんやん


 そしてフィナーレの二尺。
 なんだか肩の張りが良くないが、スーッとすだれのように落ちていく引き先はこれはこれでなかなか(笑)




 早々に片付けて、次の花火に向かうのであった。