▲としまえん花火。
としまえんが閉園されることになり、この夏久々の花火打ち上げ。自宅のマンションの高層階にお邪魔し、望遠で撮ってみたが、踊り場は揺れ揺れでビヨンビヨン…(;^_^A
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COVIT-19禍で「密」になることが原因で、全国の花火大会が軒並み中止となる中迎えた夏。例年の風物詩を失った各地で、サプライズ花火、個人奉納といった手法で、規模は小さいものの花火が夜空に少しだけ戻ってきている。
収入を失った花火関係者には焼け石に水レベルなのだろうが、花火好きには上げてくださるだけで本当にありがたく、その1発1発を心に刻み付けている。
練馬に住んでいた叔父&叔母に幼少期に連れられて行ったきり、足を踏み入れたことのなかった遊園地「としまえん」の閉園が決まった。
かつては夏には花火を上げていたここもそれが消失して久しい(金曜の夜、帰宅時にバスから見えるのが楽しかった)。
今回の閉園に際し、フィナーレ花火が何回か打ち上げられることになった。集合住宅の我が家の前からも遠くに見えることは過去の経験で分かっていたので、カメラと望遠レンズを担いで高層階へ行ってみた。
予想通りの小型煙火中心(周りに住宅迫ってるしね)ではあったが、数キロ離れたところでもしっかり花火を見ることができた。
まだこの先も何回か打ち上げがあるので、今度は揺れない場所で撮ってみようかと思っている。
そして迎えた8月。
私の故郷である小千谷市には2つの煙火店(花火製造業)がある。それぞれ大玉を駆使する煙火店だ。市内に複数の煙火店があるのは全国でもそれほどは多くないだろう。
小千谷煙火興行は長岡まつり大花火大会など、片貝煙火工業は片貝まつりやぎおん柏崎海の大花火大会などを担当し、そのほかにも県内外各地で花火を打ち上げている。
小千谷は花火の町である。だが、今年はその花火の打ち上げがCOVIT-19のせいでことごとく消えてしまった。
この2社が6月1日にCheerUp花火などの打ち上げなどにも参加してきたが、これらは煙火店の「持ち出し」。決して売り上げが上がっているわけではない、身銭を切っての花火であった。
その後、花火打ち上げに関するクラウドファンディングなども増えてきている。そして、遅ればせながら小千谷市も動き出した。
それが
「おぢや産花火打ち上げプロジェクト」である。
↑上記クリックすると、小千谷産花火を打ち上げられるコースなどが紹介されています。見るだけならタダだから、一度見てみてください!!
その打ち上げが8月1日に行われた。
この日の打ち上げは市内4か所
①19:19片貝(浅原神社裏)
②19:38東栄(信濃川河川敷)
③19:57川井新田(川井本田集会所裏河川敷)
④20:16真人(旧真人小学校東側河川敷)
もともとその時期に新潟に行く予定だったので、ちょっと足を延ばしてみた。なお、実家からは帰ってくるなといわれているから、ホテル泊りである。
信濃川河畔には何人か人がいた。
もともと窓から花火が見える家が多いので、ほんの数分の花火を見にわざわざここまで来る人は多くない。市の観光スタッフが何人かいたが、彼らが整理しなければならないほどの人出ではなかった。土手に入るルートが一部保安距離内になるため、その入り口に通行止めの立て看板を出す程度の規制である(わざわざ目立たないように裏道から入ろうとしてこのバリケードで失敗。めっちゃ遠回りで土手に到着した)
この信濃川の土手から見えるのは①と②だけ。③④は山本山の裏側のため、見ることは能わず。
中にはこの花火を追いかけて車で移動した者もいたらしい(お疲れ様です)
19:19 第一弾の片貝の花火が、まだ暮れ切らぬ空に打ちあがる。信濃川対岸からでは数キロ離れるため、300㎜の望遠レンズで納めた。
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト①(片貝煙火工業)
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト①(片貝煙火工業)
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト①(片貝煙火工業)
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト①(片貝煙火工業)
なお、左下の看板はチャレンジャーという業務用スーパーである。撮っている時はわからなかったのだが、現像して看板の輝度を下げたら店名が出てきたw
19分後の19:38
第2弾として信濃川河川敷で小千谷煙火さんの打ち上げが始まる。間近で見る越後産の大玉花火はやはりいい、腹に響く、心に響く。
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト②(小千谷煙火興行)
3発目にグルグル玉キタ――(゚∀゚)――!!
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト②(小千谷煙火興行)
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト②(小千谷煙火興行)
▲おぢや産花火打ち上げプロジェクト②(小千谷煙火興行)
〆は錦冠で…。
おぢや産花火打ち上げプロジェクトは川井、真人へと続いていく。音のみがかすかに聞こえてくる。
そして20:00
再び片貝で花火が上がる。個人奉納のプライベート花火である。
今年の片貝まつりはCOVIT-19の影響で開催されなくなった。もともと個人の思いや願いで打ち上げるスタイルの片貝は、今年じゃなければ、今でなければ意味がないという花火も少なくない。
片貝煙火協会では、個人の奉納花火の打ち上げを始めた。打ち上げのある日は20時前にお知らせ花火(雷)が上がることになっている。この日は、知人の奉納だったらしく、花火マニアが結構片貝に集ったと後から聞いた。
自分は信濃川河畔から、望遠レンズの向こうに開く花火を眺めていた。
▲20:00片貝のプライベート奉納花火が上がった
なお、この後にいい玉が上がったのだが、手が三脚に触れてしまい、レンズがあらぬ方向を向いてしまったため納めることができなかった…。残念無念。肉眼レフ。
この日はもう一組奉納があり、10分後に再度花火が上がった。
▲10分後、もう一つのプライベート奉納花火が片貝で上がる。銀色の菊、白菊であった。
その後、22:30打ち上げの長岡へ向かう。
8月1日の長岡の花火は白菊3発のみ。
この夜を弔うものであり、平和であることを願う花火である。
昭和20年8月1日夜、長岡の町は空襲で焼かれ、町は灰燼に帰した。この空襲は小千谷にも警報が出され、まだ幼子だった母は防空壕に入った。そしてそこから長岡の方面の空が真っ赤になっているのを見ていた。4歳の子供である。「赤くてきれいだなぁ」と見ていたそうだ。
まだこの空襲の記憶のある人が生きている。この記憶が決して絶えることの無いよう、この日には長岡の花火師 嘉瀬誠次が作り上げた真っ白い花火が上がり続けた。現在、嘉瀬煙火工業は花火製造からは手を引いたが、長岡の空には受け継がれた白菊が手向けられている。
▲22:30 鎮魂の白菊打ち上げ。
実は8月1日の白菊を見るのは初めてであった。
昔から22:30の打ち上げで、これを見ると、家に帰れなくなるというのが単純な理由だ(昔の終電は早かった)。
22:30は長岡空襲が始まった時刻である。
家を焼かれ、道をふさがれた人々が信濃川にそそぐ柿川に飛び込んだものの、あまりの人の多さに水死・窒息死した人がたくさん発生した。
合掌