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【再掲】新懇会ありがとう

2004-11-21 22:07:00 | 新潟県中越大震災
この記事は、2004年11月21日のことを某所に上げていたものをこちらに再掲したものです


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震災後2回目の小千谷入り2日目


 集合場所は総体の裏手の施設。ボランティアの基地になっている。総体の回りの商業施設の駐車場には、全国から駆けつけくれたボランティアの人々が寝泊りしている。車の中で寝る人、テントを張って寝る人などさまざまだ。いくら今年の冬の訪れが遅いとはいえ、さすがに雪国小千谷の外での寝泊りは堪えるだろう。キミたちがエコノミー症候群になってしまうよ。もう、総体の中はだいぶ空いてきているので、中で寝て欲しいと思うのはお人よしの田舎者共通の認識。


 受付を済まして、バスに乗り込む。
 本日は十日町のボランティア団体「新懇会」による無料ご招待。十日町郊外にあるリゾート施設「ホテルベルナティオ」で食事をしたりお風呂に入ったりして元気になってもらおうとの企画だ。

 貸切バス(越後交通)は、47名を載せて十日町に向かって出発する。予報では雨だったのだが、異様に天気がよい。
 国道117号線沿いに走るバス。
 JRの信濃川発電所(東京の電車を動かす電気をここで作っている。現在震災により停止中)前にできた1メートル以上の段差は砂利で仮補修されていた。ガタガタ乗り越え、塩殿地区へ入る。
 典型的な農家が多い地区。古い家に蔵があり、何らかの被害を受けているようだ。そして、ニュースで散々報道された粉々砕けた道路の地点へ。ここも復興中で、山側を削って、片側交互通行の道が作られていた。ただし、まだ砂利道だったので、最徐行で進む。この辺りの山側は、緑の表層が崩れ落地、茶色の土がむき出しになっているところが多い。



 バスは十日町市へ。
 十日町の被害状況は、あっけないほど軽い。少なくても小千谷の人間からはそう取られてしまう。墓もちゃんと建っているし(小千谷の墓はほとんど被害にあっている)、家だって崩れていない。道路の段差もない。がけ崩れもない。少なくても市街においてはもう顕著な被害は見られなくなっている。
 今回のボランティアもはじめは十日町の人々に行っていたのだが、小千谷のほうの被害が酷いということで出張してきたという次第。

 ベルナティオに到着。十日町市街から離れ、山の中に作られた別天地のリゾート施設。山道を登っていると針葉樹に覆われた北欧風な風景が目に入る。山上台地の広大な敷地すべてがリゾートなのだ。あまり有名ではないが、いいホテルだ。金はふんだんにあったから(電源開発が土地収用の代価として出資していたらしい)、作りもいい。スタッフの教育も都心のホテルに劣らない。
 ボランティアスタッフ全員がお出迎え。フォーラムハウスに通される。手作りの「おこわ」がおいしい。今回のボランティアのバックには鹿島建設のボランティアグループもいるらしく、すぐにお風呂に入れないからと、「土に返るコンクリート」で作る植木鉢作りを体験。粘土細工のようなものを童心に返って作る。
 その後、キノコ汁や焼き芋も用意してもらったが、第一目的は「お風呂」なので、それらを置いて入浴にいく。別館最上階の展望大浴場からの眺めは良好!母と貸し切り状態で温泉を満喫する。ここの温泉は、こげ茶色の湯。珍しい。



 頭を洗ってすっきりして後、昼食をいただく。先ほど食べたおこわやキノコ汁で結構おなかいっぱいではあったが、天ぷらそばを食べる。そばは小千谷と同じへぎそば系なのだが、やはり味が違う。うーんやっぱりわたや・角屋のそばが食べたいー。
 食後、今度は本館のお風呂に入る。こちらは露天風呂も完備されている。お湯は別館と同じこげ茶湯。すっかりさっぱりとし、母も(こっちが本来の目的だった)リラックスできたようだ。

 午後、同じバスに揺られて小千谷に帰る。



▲1ヶ月経ち、紅葉の季節となったお宮


▲妹や弟の通っていた保育園と同じ土地内にある神社も被害甚大


▲この年の紅葉はとてつもなく美しかった


▲その紅葉の下、自衛隊テントで避難生活を送る人も少なくない