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年末年始の帰省帰京

2022-01-02 17:07:00 | お出かけ

▲12月30日に最寄り駅にとうちゃこ~。これは吹雪ではない。ノーマルモード


▲主に年始にテレビCMで流れる賀正挨拶広告(めっちゃローカル)
 これ、関東圏では見ないが、ほかの地域でもあるのだろうか…。

 そして越後は正月豪雪に見舞われた。
 帰省当日は、電車が止まるギリギリに新幹線が長岡に着いた。通常23時台まである電車が急に18:59発を持って終電ととなった。新幹線車内でそんなことが突然アナウンスされ、アワアワする。そりゃ大雪が降っていることは認識していたが、まさか自分の帰省ルートに突然終電が現れるとは…。
 まぁ、そんなこともあろうかと路線バス(大雪でも鉄チェーン捲いて基本運行する)のチェックもしていたから、深刻な問題ではなかったんだけれどね。
 翌日は上越線は全面緘黙。実家の裏を走るのだが、静かな1日だった。まぁ、表側は除雪車がバリバリ走っていて賑やかだったけど。


 そして年明け~。あけおめことよろ~。
 越後は安定の雪です、吹雪です!! 小千谷の郵便局は元旦に気合が入っていて、朝7時ごろに年賀状が届く。こっちはまだパジャマだったりするのでビビる。
 そして新年早々、上越線は緘黙…。まぁ、バスがあるから脱出路はあるのだが、今回の帰京新幹線チケットは安く上げようと越後湯沢発の「たにがわ」。上越線が復活しないと、長岡(バスで行ける)からさらに新幹線チケットを買って湯沢に行かねばならなくなる。安いチケットにした意味がなくなる。
 JR東新潟支社のサイトを覗けば、17時ごろに運行再開予定と。それを信じる。午後、駅に運行情報を確認すれば、15:40には運行が再開されたらしい。だが、予約した新幹線に乗るには16時台の普通電車が動くかどうかだが、その運転はまだ未定とのこと。
 とりあえず、完全防備で荷物を背負って実家を出る(雪道ではキャスターバックは使用無理)。


▲小千谷駅に到着。消雪パイプで雪を溶かしているが、融け切っていない

 駅で状況を聞けば、「遅延はしているが、電車は走る」とのことだったので、無事帰京へ。跨線橋で登り方面のホームへ。


▲跨線橋の窓から小型の除雪ローターが見えた。


▲ホームには屋根があるものの、雪が吹き込んでくるため、結構積もる。椅子には座れない(雪をどかせば可能だが、濡れている)


▲屋根は途中までで、その先はないので雪が積もり放題。かつては10両編成の特急も止まったが、新幹線が並走する現状、特急は廃止され、各駅停車の4両編成がほとんど(たまに飯山線から直接長岡に行く2両編成)。
 こちらにも除雪ローターがいる。

 明確な地形的要素があるわけではないが、小千谷と隣の長岡では降雪量が結構違う。小千谷の方が大抵は多いのだが、天地は繋がっているのに、なぜその違いが出るのかは長年の謎である。
 で、小千谷以南は豪雪率がより高いので、いくつかの駅にこういう除雪ローターや除雪車量があるので、見慣れたものである。
 同じような増雪ポイントが上越線にはいくつかある。小千谷から越後湯沢までに約300M上っているだけなんだがマジ不思議(小千谷視点では山本山の上に越後湯沢がある感覚)。


▲上りホームから下りホームを望む。駅務室や待合室は下り側にある。雪の下には線路が2組あったのだが、手前側の線路は現在は使われていない。


▲駅の東側に看板が立っているが、おそらく10年ぐらい(長いのは40年ぐらい)変わっていないと思う。これぐらいの積雪だとまだ豪雪とは言えない。


▲上りの電車が11分遅れで到着。越後湯沢の先、新清水トンネルを通って水上まで運行予定

 約1時間ほどで越後湯沢駅に到着。待ち時間が長いので(1時間以上待機 ※次の電車では間に合わないジレンマ)、駅構内でラーメンなどを食べて過ごす。
 そうやって、やっと予約した新幹線がくる時刻に…。

 だが、ここでまたトラブルが…。

 東北新幹線が架線支障で止まってしまい、復旧に時間がかかってしまっているという情報。上越新幹線と東北新幹線は、大宮駅手前で合流する。つまり、東北新幹線が酷いダイヤ乱れだと上越新幹線にも影響が及ぶということ(北陸新幹線も然り)。しかも、年始の帰省or帰京の臨時新幹線で本数がめっちゃ多い時期だ。
 やってきた自分が乗る1本前のE7系(とき)が、ホームに入ったものの、一向に出発する見込みが立たない。そのうちに30分ぐらい停車するなんてアナウンスが流れる。
 次の新幹線(たにがわ)の入り口に立っていても、目の前の新幹線(とき)は全く動かない状態。

 やがて、アナウンスが流れた。
「今来ている新幹線(とき)が出発した後、次の新幹線(たにがわ)はさらに大幅に遅れることが予想されます。現在停車している新幹線(とき)の空いている席に次の新幹線の乗客もお乗りください」と。

 えー-、そういう新幹線に乗ってもぎゅうぎゅうになっちゃうんじゃない!? って逡巡していたのだが、自由席を見ると結構席が空いていたので、乗せてもらうことにした。
 そうやって乗り込んでさらに30分ぐらいたって、ようやく発車の見込みが立った。この新幹線(とき)、もともと湯沢を出発すると、次の停車駅が大宮という超速達型であった。
 とはいえ、早く行っても順番が来ないと大宮駅に入れないので、ドアは開けなかったけれど高崎に停車して時間調整などは行われた。

 東京に到着したのは、1時間20分遅れ。本来の予定の新幹線(たにがわ)に乗っていたら2時間は遅れただろうと思うと、JRさんも頑張ったんだな。

 おかげで翌日のもてぎ行きへのリュックの中身のトランスフォーメーションができたのであった。


梅雨のお寺巡り

2021-05-23 22:00:00 | お出かけ

▲某有名観光地兼ロケ地

 チマチマとしているお寺巡り。期間限定のものだが、コロナ禍でいつの間にか期間延長となっていた。

 今回は最寄り駅からちょっと遠い寺も少なくなく、バス便も不便極まりない場所であり、また雨も降っていたので、タクシーを何回か利用した。
 最初のお寺へは駅からタクシーでGO! 途中からの山道が寺自身が切り開いた私道のようで、通行料を別途納める。それでも道が狭く、途中下ってくる車との行き違いがなかなかスリル満点だった。
 駐車場から即寺ではなく、20以上ある道しるべをたどって上る。眼下に見える田園地帯は、雨か霧かで霞んでいる。そういえば、梅雨に入ったというニュースを出発前に見ていた。

▲1日目最初のお寺は霧の向こう

 早々に納経してご朱印をいただき、駐車場へ。待っていてくれたタクシーに乗り、同じ道を下って駅へ。



 電車移動して宿を取った駅で降りる。ここもタクシーで移動。本堂の一段下まで一気に上がる。早々にお参りを済ませ下山する。木々の間からいい眺めが広がっていた。晴れていればさぞや絶景であっただろう。
 今日はこの2寺の予定のみ。上ってきた道とは違う、古い道を歩いて下りていくことにした。

▲2つ目のお寺は雨上がりだが、石段が濡れている

 車寄せのところから長い石段を下りていく。最初の内はまだ普通の石段だったのだが、だんだんと石段が崩れてきていて、石段の石そのものも雨に濡れて滑りやすかったり傾いていたりと、かなり神経を使う。もうこの後は急がなくていいからとゆっくりゆっくり下りていくのだが、それでも2度ほど滑って転んだ。幸いけがとかはなかったが、転ぶことでの恐怖感は増す。よりぎこちない動きとなって800段以上の石段を下り切った。
 
 この時点で予定より少し早く着いたので、ホテルへ行く前にちょっと観光も。
 

▲ラストオーダー前に滑り込みセーフ。めっちゃうまかった!! 日曜日なのに空いていた。もちろん名物の洋菓子も和菓子も買った。

 ホテルにチェックイン。毎度おなじみビジネスホテルである。チェーン系ではない。風呂って、寝る。
 翌朝、朝食を食べて(自分以外全員工事関係者だった)、チェックアウト。本日の目的地へ移動。
 
 2日目の最初の寺は、月に1回のこの日にだけ無料送迎バスがあると知ったので、この日に合わせての旅行日程だったりする(基本公共交通手段がない)。
 当日、バス乗り場が分からなくてウロウロしたけれど、白衣を着た人が並んでおられていい目印になった。そのグループには輪袈裟をつけた先達さんがいたから団体なんだと察する。
 バスに乗ってお寺へGO!結構走って山の上へ。普通の大型路線バスで、細い山のくねくね道を上っていく。この日も雨で、標高を上げるにしたがって、車窓がまた白くなっていく。


▲2日目も雨の中参拝
 到着した駐車場には結構自家用車が。この日の特別法要が目当てなのだろう。自分もそちらが気になったが、下りの送迎バスの時間的に長居はできず、お参り後は走ってバスに戻る始末。

 送迎バス、行きは山の寺へ直通なのだが、帰りはもう一つの寺の前を通るルートになっており、そこで途中下車ができるというもの。下りバスに乗った自分を含む4名は、皆そこで降りた。赤の他人だけど、目的は同じだからな…。

▲ここに来るのは中学生以来。確かこれは国宝だったような記憶
 修学旅行以来のこの寺、部分的にしか覚えておらず、中坊では興味もほとんどなかったことだろう。この年齢になれば経験値も増え、興味もわくが、何しろ雨が降っている。そして雨に濡れた石の階段。昨日の転倒ですっかりビビっていて、一歩一歩慎重に歩く。
 本堂で納経して、休憩所で一息ついて駅に向かう。

 平日だからかもしれないが、駅前の門前町もほとんど店を開けておらず、ひっそりとし過ぎ。今もここに修学旅行生は来てるのだろうか…。

 着いた駅は始発駅だった。どこでもICカードが使えるのはありがたい。ここから電車で移動。2両編成のかわいらしい電車の車窓を眺めながら10駅ほどに揺られて、下車。そこはあの有名ポイント。


▲下流の人々に「○○の水止めたろか」というポイント

 この川沿いに奥の山へ向かう。川の両側には桜が植えられている。桜のころはさぞや賑やかだろう。


▲ここから○○の水は山の中の導水路を通って流れて行く。この扉でも止められるのか!?

 水路と別れて山中に入る。目的の観音堂は奥の入り口からとなっており、入山料を払って門をくぐると、またもや長い石段が…。地道に上るだけっす。
 お参りを済ませ、観音堂をぐるりと見物し(檜皮葺の構造模型は非常に興味深かった)、ベンチで一休み。境内の売店は閉まっている。
 この寺の敷地は広く、本堂はまた別なところにある。そちらに足を向ける。


▲朝ドラファンなら見覚えのある所


▲ここがラストシーン

 まぁ、この寺は数々のロケ地になっているから、その看板も要所要所に立っていて、あまりの多さにちょっと笑った。


▲エゴノキの花が落ちて地上の星となる

 それにしても出口が分かりにくい寺で(普通とは反対回りだからなんだけれど)、出口が見えた時はホッとした。昼を大幅に過ぎており、お土産屋兼食堂のそばがおいしかったこと…。それにしても本当に観光客はどこにもいないんだな。

 駅から再度路面電車に揺られて最後の目的地へ。駅から徒歩30分かかるところで、最後のお参り。帰り道の30分が疲労困憊であった。
 そして今回の寺巡りは終了。

 駅でビールでも買って電車に乗ろうとしたが、駅構内ではすでにアルコール撤廃済みであったorz 

花火の前と後~スカーレットとラストサムライ

2020-12-29 06:30:00 | お出かけ

▲信楽駅の賑わいwタヌキばっかりですやん!

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 花火は兵庫で打ち上げられるということで、宿は三宮からポートライナーに乗っていくポートアイランドの高層ホテルに取った。GOTO利用である。
 だが移動の夜行バスは京都で下りた。
 京都観光をするのではない。朝ドラの舞台となった信楽を訪問するためである。

 京都から琵琶湖線で草津へ行き、そこから草津線と信楽鉄道を乗り継いでいく終点が信楽である。「スカーレット」の舞台であり、焼き物の町である。



▲駅前にドーンと鎮座する巨大タヌキ。用途としては、公衆電話w。12月なのでサンタコスとなっているが、おなかの辺りに緑の電話機が…。

 信楽がなぜ焼き物の町となったのか…それは、琵琶湖が動いたから。
 はるか昔、琵琶湖(古琵琶湖)は信楽辺りにあったのだが、地殻変動で今の位置に動いてしまった。そして信楽には古琵琶湖の底に沈んだ土が残され、それが焼き物に適する陶土だったということ。ということは、今また地殻変動が起きて琵琶湖がどこかに移動したら、そこにはまた良質な陶土が大量に発生することになる。
 信楽鉄道に乗ってハッと気づく。
 紫香楽宮跡がある。この辺りは昔から人が住まってきたということ。ドラマでは喜美ちゃんが室町時代の陶片を見つけたが、事実はもっと古い陶片が見つかる可能性のある地であるということである。
 遺跡好きな自分としてはこのことに全然気づかなかったことに懊悩した。
 信楽産業会館のコインロッカーに荷物を預け、館内見物。オート三輪が絵付け火鉢の運搬に使われたことが展示されていたりして、そこに父常治の影を見た。

 そこから少し歩いた旧信楽伝統産業会館で「テレビドラマの世界〜スカーレットの舞台 甲賀市信楽〜」が開催されていた。ドラマの小道具や衣装、セットなどが持ち込まれ、ここに再現されていた。

 かわはら工房はそのまま展示されていた。

▲武志が描いた常治の絵皿


▲武志が取り組んだ水たまりのお皿


 サニーのセットには、ハチが作ったコーヒーカップが並び、奥の展示にはオープニングのクレイアニメのモデルが展示され、と,気分がぐんぐん盛り上がるものばかりがいっぱい!


▲新宮神社は松明担いでいた火まつりのお宮。こちらのサイトによると、紫香楽宮にも関係のある古いお宮らしい。個人的には忘れ柿が気になるw


▲町のあちこちにタヌキの置物があるのだが、中にはこんなアバンギャルドなタヌキも…。ひょっとして奥のはヨーダタヌキですか!?

 他にも大手窯元さんを覗いてみたりもした。
 モデルの方の窯にも足を延ばしてみた。どうやらご不在っぽかったので、敷地外から眺めただけであるけど…。今考えれば小千谷銘菓の「船岡山」を持って行けばよかったかなぁ(小千谷にも窯を作られていた)

 気が付けば昼過ぎで、あわててきた道を戻る。草津からは新快速で京都も大阪も通り抜け、三宮へ一直線。
 兵庫って、尼崎しか行ったことがなく(寺町いいところです)、神戸は初訪問。なお、神戸と三宮の違いとか全然分かってないw。この夜のツアーが三宮発だから、三宮近くのホテルを取ったというぐらいの理解度である。
 

 で、大波乱の花火大会を終えて、三宮に帰ってきたのは24時近く。ホテルにこれから向かう旨を連絡し、24時過ぎのチェックインとなった。
 海が見える眺めの良い部屋で1泊。いやぁ、接客が丁寧で、ビジネスホテルばっかり泊まっている自分にはなかなかこそばゆかった(いいホテルです)。

 翌朝、最上階での朝食に行ったら、長蛇の列。六甲の山々をの望む窓近くで、朝ご飯を食べてチェックアウト。


 三宮から姫路行の新快速で今日の目的地へ向かう。
 停車駅で、三宮と神戸の違いを知り、地震で甚大な被害があった長田の位置を知り、源氏物語の舞台となった須磨に感動した。車窓から見える淡路島が意外とでかいことに驚き、明石海峡大橋をくぐり、明石といえば子午線だなって思いつつ、加古川を渡る。そして本日の目的地の姫路に到着。

 姫路といえば姫路城。だが本日の目的はそこではない。
 駅前から路線バスに乗り、町を抜けて、郊外へ。そこからバスは坂を上って、到着したのが一乗寺。西国札所の寺である。
 兵庫には西国札所の最西端の寺がある。いずれ行かねばならぬのなら、さっさと行っておくほうが良かろうと思って足を延ばした。中々急な階段が3セット…。


 法華山一条寺。きれいな紅葉が残っていました。


 受付の小屋に住み着いているらしいニャンコ。人懐っこく、自分の足の周りをうろうろしてニオイ付けされました♡

 ご朱印をもらって、終点から戻ってきたバスに乗って、姫路の町に戻る。姫路城大手門前でバスを降りる。別に姫路城に用があるわけではない。時間があれば見学しようと思ったけれど、朝食の出遅れなどで時間を食ってしまったので、今回はパス。ここでもう一つの寺行きのバスに乗り換えができるためである


▲一応、姫路城は見たよ記念

 バスを乗り換え、今度は住宅地を縫って、郊外へ。終点からはロープウェイに乗る。このロープウェイ、なかなか眺めがよく、瀬戸内に浮かぶ島々まで見えた。


▲書写山ロープウェイ。確かバス会社の運営。眼下に見える高架道路は山陽自動車道。

 山の上にある書写山圓教寺。西国札所最西端の寺である。ロープウェイで気軽に行けるが、昔は当然山登りしなければならなかったところである。しかし、ロープウェイで上がったらすぐ寺というわけではなく、そこから30分ぐらい歩かないと本堂にたどり着けないというなかなかガチな山寺である。そこはうまくできたもので、志納すればバスで本堂近くまで連れて行ってくれるという。時間が残り少ないので、迷わず課金する。そして本堂の近くまで連れて行ってもらう。
 

▲「西の比叡山」とも称される圓教寺の摩尼殿(観音堂)。春は桜、秋は紅葉で彩られる

 納経を済ませ、帰ろうかと思ったが、先ほどのバスのチケットの半券をこの奥の建物において来いと言われている。今考えれば、ここだけで帰るのは寺側の本意ではなく、ちゃんと主要な建造物等を見て参ってこいという意図だと思う。
 こちらとしても仏罰を落とされても嫌だから、速足で奥の伽藍へ向かう。そこには実に見事な建物が立っていた。よく見ると、ここで「ラストサムライ」や、数々のドラマ収録が行われていたという。そうか、ここにトム・クルーズが立っていたのか…。
 ということで、また速足でバス乗り場へ戻る。バスでロープウェイ乗り場に着くともうすでに満員状態だった。次の便は15分後か…と思っていると、すぐピストンで次の便を出してもらえた。
 おかげで、予定していた電車に乗ることができ、無事東京に帰ることができた。

三鉄ゴトゴト(南リアス線)

2020-11-05 23:35:00 | お出かけ

▲大船渡サンアンドレス公園の展望台より大船渡魚市場方面を望む。
 この命名にはかつての伊達の殿様が絡んでいたらしい。東日本大震災の津波にて一部破損し、修復された。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 三陸花火大会の翌朝は、6時台から朝飯をかっ込み、9時前にチェックアウト。大きな荷物は黒猫さんにおまかせして、リュックと三脚(サイズ外で別料金かかるから自力で持って帰ることにした)を肩にかけて出発。
 
 大船渡魚市場へと向かう。その途中でサンアンドレス公園の展望台をみつける。煙とバカは…ということで上から港を望んだ。港町とはいえ、度重なる津波被害で、防潮堤は高くなり、どこからでも海が見えるわけではない。
 前夜泊まっていたホテル付近は津波で大きな被害が出たエリア。再開発で商業施設は作られたが、この辺りは標高が低いので人が住むことは禁じられているらしい。
 前日車で移動中に、1軒だけ津波被害が残る家がそのまま残されていた。1階は骨組みだけで、2階には大きな穴が開いていた。おそらく権利関係が複雑な建物なんだろう。権利関係が解決すれば取り壊されるのだろうが、これはこのまま保存というのも考えてもいいかもしれないと思いつつ、津波で被害に遭った方には見たくもないものかもしれないんだよなぁという思いが入り混じる。
 災害遺構というものは、なかなか難しい存在だ。
 

 さて、大船渡魚市場についたのはいいが、どうにも開いていない。あれ、水曜休館じゃなかったっけ!? って思ったがどこを見ても入り口が開いていない。すでに開館時間の9時を過ぎているのだが…。
 魚市場の建物にも展望台があり、そこから港を一望しようと思ったのだがどうも入れないらしい。
 あとでネットで調べるとどうやら休業日が変わったみたいだった。古いデータを見てしまったのかもしれない。
 仕方ない、じゃぁ、盛の駅に向かうかと最寄りのBRT駅大船渡魚市場駅に行こうとしたが、なんと、駅への道が工事中で進入禁止。ちょっと待て! 迂回路めっちゃ遠回りだぞ! これ、無理に坂道を上るより、もう一駅先の駅へ向かった方が早くないか!?ということで、ホテル方向へ速足で戻る。ひとつ先のBRT大船渡駅に時刻前に到着。無事にBRTに乗車。この界隈、盛駅まで徒歩で30分ぐらいかかるのよね。

 BRT終点盛駅で三鉄の切符を買ってホームへ。
 三鉄南リアス線の始発駅である。ここから宮古行きの電車が出るが、まずは釜石まで。宮古は一度行ったので、今回は釜石で途中下車する。
 盛で乗り込み、海が見える右側のボックス席に座り、ほどなく出発。座席の8割ほどは埋まっている感じ。
 大船渡の工場地帯をかすめて、山中の小さめなトンネルに入る。そのトンネルの切れ目に時折海を眺めながら北上する。
 リアス式地形の根元を走るから、半島の付け根はトンネル、湾が食い込んできたところは海が見えるという感じの路線だ。



▲綾里駅の忘れ柿
 忘れ柿、前日の福島あたりでも大量に見たが、三陸にもリアル忘れ柿が山ほどあったよ。


▲恋し浜駅にはホタテの絵馬(←恋愛のパワースポットらしいよ)と鉄ダンイケメンが駅舎に…。


▲恋し浜駅からの海の眺め


▲甫嶺駅付近

 陸前高田もそうだったけれど、旧来の防潮堤より高さを出し、津波に押し切られないよう内陸側に三角形の土台を築くというのが三陸一帯の工事基準のようだ。
 確かに、明治大津波を参考に作った防潮堤は、東日本大震災というより大きなパワーの津波にのまれてしまったから、さらに防備力を増すしかないのだろう。
 その結果、かつてそこにあった集落からは海が見えなくなり、防潮堤のこちら側は万が一それが破れた場合を考えて住宅は築かれなくなった。明治大津波の教訓を生かし、高台に築かれた集落は無事なところが多い。
 そして東日本大震災の「津波浸水域はここまで」という標識もいくつかの町で車窓から確認できた


▲三陸駅付近


▲吉浜駅付近
 この辺りは津波が届かない高台。


▲唐丹辺りからの釜石大観音。駅からはちょっと離れていてバス便もなさそうなので見られないなぁと思っていたから、車窓から予想外にバックショットが拝めてよかった。

 釜石でいったん下車。
 三鉄は宮古行きなので、そのまま乗って行ってもいいのだが、都市間バスの接続の問題でここで時間調整。
 なお、駅で前夜釜石泊だった人とすれ違うw



▲釜石の紅葉

 紅葉斜面のすぐそばの釜石市立郷土博物館を見学。
 鉄の街の歴史も釜石の歴史の中ではホンの一時代。
 縄文時代からここに人は住み、生活を紡いでいった。捕鯨の町でもあった。近世では鉄の町として栄え、太平洋戦争時は、海からの艦砲射撃が複数回行われたということを初めて知る。
 遠野からもそれほど離れてないためか、「おしらさま」などの文化も残っていたようだ。それらが飾られていた囲炉裏の間には、クマの皮が敷かれ、新潟でいう「つぐら」(現在のベビーベッドみたいなもの)には赤ちゃんの代わりに某キューPが入っていて、そのコントラストに吹いた。
 明治大津波も東日本大震災も記録が残されており、少しだけ閲覧させてもらった。


 博物館を出て、駅前の旧橋上市場が移転したサンフィシュにて、塩筋子をゲット! 東京だと醤油漬けが多いんだけれど、醤油の雑味があっていまいちなのよね。「筋子は塩漬け」をデフォルトにして欲しい。
 また、パッケージがしっかりしている。ラップでぴっちり筋子をサンドして、筋子がパッケージ内の空気で乾燥しないようになっていた。この筋子の扱いも全国レベルでベーシックにしてほしい限りだ。

 再び三鉄に乗り込み、宮古へと北上する。


▲両石駅手前


▲大槌では防潮堤の後方で子供たちがサッカーをしていた


▲浪板海岸


▲浪板海岸


▲山田町手前


▲津軽石手前

 震災から9年経とうとしているが、まだ防潮堤の整備をしているところが多い。人々は住める地に家を建て、新しい生活に入っている。多くの地で海の近くの集落は無くなった感である。
 防潮堤の工事にはあと何年かかるのだろう。これらが完成した暁には、元の生活が戻ってくるわけではないだろう。その後の各集落の生存戦略が気になるところではあった。

 三鉄は、南リアス線の最北地、宮古へ到着した。この駅から先は三鉄の北リアス線になる。そちらは数年前に乗り鉄したので、今回はここまで。
 宮古の駅前も数年前と少し変化した。駅前の謎鮨を売るスーパーがなくなっていた。

 ぷらぷら歩いて都市間バス乗り場へ行ったら、なんと長蛇の列! え、これみんな盛岡行きのバスの乗客!? 以前夏に来た時なんて7人ぐらいしか乗ってなかったぞ!? え、これ乗れるのかな、自分…。
 とはいえ、これに乗らないと新幹線に接続できないので、乗車券を買って列の後ろに並ぶ。定員に3名足りない状態で密な都市間バスが発車。
 途中のバス停で(都市間バスではあるが、日常のバスも兼ねている)3名乗り込んできて、4名目からは乗車拒否(乗せられない)事態に…。
 
 なお、車窓を彩る紅葉は実に美しかった。バスで移動しているだけで紅葉狩りができた。

 紅葉渋滞でも発生したら困るなぁと思ったが、さすが日本一のローカル路線山田線に並行する国道106号。工事渋滞以外はそういった心配は皆無で。ほぼ定刻に盛岡に到着した。
 盛岡駅で地域共通券を使って稲庭うどんを買い(盛岡でも堂々と売っているの知ってた)、海鮮丼を入手し、さらに紅玉リンゴ(←リンゴで一番好き)をゲットして、新幹線に乗り込む。

 今日1日かけて移動してきた距離を、はやぶさちゃんは、わずか20分チョットで走り抜けた。東北への郷愁を振り切るように。


ドキッ💕天平美女によろめいて蘇我氏に怒られた!?

2020-03-14 21:52:00 | お出かけ

▲宿泊したホテルの前の通りからの眺め。この辺り一帯は「ならまち」と称され、昔ながらの作りの建物が多く残っている

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 夜行バスで奈良への旅に出る。
 上野から乗り込み、横浜経由で西へ向かう。横浜を出た辺りで早くも睡魔に身をゆだね、時々目を覚ましながら夜を走る。
 
 明るくなったので遮光カーテンをそっと開けると一面の霧に包まれていた。さすが奈良はまほろば! 
 ほどなくバスは降車場につき、奈良に降り立つ。高校の修学旅行以来の奈良。バス降車場からホテルまでは細い町屋の間を縫ってどでかいキャスターバッグを引きずりながらやや薄くなった靄の中を進む、ちょっとした異世界感。

 ホテルに到着。荷物を整理してホテルに預け、リュックひとつで観光に出る。

 近鉄奈良駅から大和西大寺、大和八木と乗り継ぎ、南下する。
 明日香の前に初瀬の里へちょっと寄り道。長谷寺へ。
 長谷寺へ向かう路線は、古代の地名が続出してきて、一人盛り上がる。さらにグーグルマップを起動させると、目の前の山が歴史に名を残す山だったり、古墳だったりと、もう古代モードが視覚から全面的に押し寄せてきて、ものすっごくテンションが上がりまくる。えっ!? この駅の裏に古墳群があるの!? あの山が幾多の歌に詠まれた山!? もう脳内は里中真知子や大和和紀、山岸涼子、池田理代子などの絵柄でいっぱいになる。
 叫びだしたい衝動を必死に抑えつつ、メッチャ車窓にくぎ付けになる。

 世間の通勤の波と逆走する空いた車両でよかった。

▲西国三十三観音8番長谷寺。山の斜面に堂宇が立ち、この登廊を4つ上って本堂にたどり着く。比較的段差が小さいので上りやすい



▲西国三十三観音8番長谷寺。本堂の四方につるされている灯篭は夕刻になると火が入れられる



▲長谷門前の商店街。昔ながらのお土産物や飲食店が並ぶ。冬は閑散期。桜やシャクナゲ等の春の時期や紅葉の時期は大勢が訪れるらしい。



▲西国三十三観音番外法起院。長谷寺のすぐ下にたたずむ。


 番外法規院でも御朱印を頂戴する。この寺のある通りは、うだつのある建物が多い。花の時期はここまで混むようだが、シーズンオフのこの時期は札所巡りの数名が足早に通るのみのようだ。面白そうなお店がいくつかあった。

 長谷寺駅から大和八木まで戻って乗り換え、明日香村へ。もうですね、じーさんとばーさんしか電車乗っていないんですよ。みんなリュック背負って歩きやすい靴を履いている。平日だからね、若い方は学校とかお仕事とかよね。
 なお、明日香へ至る車窓でもグーグルマップを見ながら、あ、これ古墳!? あの山は信仰の山!? と一人異様に盛り上がっていた。

 奈良は高校の修学旅行以来(京都・奈良コース)。ちなみに中学の修学旅行も京都・奈良だった。だが、明日香を訪れることはなかった。
 高校の修学旅行ではグループ自由行動があったのだが、明日香はその範疇に含まれず、それでも独断で平城京跡をセレクトした私だったりする。私以外のグループメンバーは全く平城京跡に興味を持たなかったw なお、当時の平城京跡は朱雀門の再現もされておらず、草と礎石のみが点在する正に遺構であり、とてもうら若き女子高校生向けではなかったw(あ、自分が勝手にリーダーになって他の人の希望がないからって勝手に平城京コースにしたんだったりする)

 ということで、明日香に降り立った時点でもう感無量である。

 気ばかり競って、レンタサイクルもバスも無視して、ひたすら歩きだす。もう猪突猛進。800mぐらい歩いてから、ようやく冷静になり、こりゃダメだと思い駅まで戻ってレンタサイクルを借りて再出発する。

 その時に、目に入ってきたのが「国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開」という横断幕。見ると1月24日が最終日。訪れたこの日である。
 実物の天平美女が見られる!? そりゃ行かねば!ということで、一路高松塚古墳資料館へ。平日ということも幸いして、飛び込みで見学が可能となった(しかも無料)。
 高松塚古墳、何年か前に天平美女などの壁画がカビに侵食され、いったん壁画を取り外し、修理を施してきた。今年度はその修理がようやく終わったということ。
 なお、まだ壁画の保存方法が決まっていないため、作業室に置かれた壁画をガラス越し拝見するという。通常はガラス越しですら非公開なのが、平成20年から数日間に限定して作業室が公開されてきた。事前予約制らしいが、平日を中心に空きがあれば当日見学も可能という。
 要は、今年が一番ベストの状態で壁画に(ガラス越しで)お目にかかれるということ。

 1班8名(だったかな)限定で説明を聞いてから修理作業室へ。何も持たされず、カメラ撮影(スマホも)厳禁、渡されたオペラグラスで、ガラスの向こうに横たわる壁画の数々を目の当たりにする。
 壁画は古墳から切り出され、耐震設備が整う修理作業室で何年もかけてカビを除去されてて来た。有名な天平美女はかなり復活していたが、天平美男も実はあり、こちらはかなり浸食が進んでいた。星宿は奥の方に置かれ、少しでも上から見ようと必死に背伸びしてオペラグラスで目を凝らす。四神たる青龍・朱雀・白虎・玄武も息を止めて見入る。カビに侵されて線画すらほとんど見えない部分もあるが、これが古代日本で描かれた壁画実物なんだ。ただただ胸が詰まる。
 そして制限時間の10分が過ぎ、退出。実に素晴らしい体験であった。全く下調べをしていなかった自分がこの場に立ち会えたなんて、本当に奇跡なんだろう。

 

▲ガラス越しでも撮影不可なので、お土産の瓦せんべいで天平美女をw


 高松塚古墳から、明日香にある西国7番岡寺へ。岡寺へ至る道は大変急らしく、レンタサイクル屋のおじちゃんも電動アシスト付きじゃないと無理だよって言っていた。そんな坂を頑張ってレンタサイクルで坂を上って行ったが、あまりの急坂にだんだんと推進力が落ちて、ほぼ停止。次の瞬間、自転車が溝に突っ込む。膝と手をすりむく。
 まぁ、これくらいなら仕方ないなぁと看板に従って、右に曲がると下り道。そしてまたもや坂道となった…。そして別方向から続く道も発見。
 ひょっとして、この道を通ってくれば、先ほどの急坂回避できたのではないか!?(帰路それは事実と確認する)

 まぁ、この手の巡礼には巡礼道というのが昔から定められていて、基本そのルートで歩くのが正式なんだよね…。
 
 さて、じゃぁ、この自転車で上るか!? と思ったら、レンタル自転車組合さんが設置した駐輪場が…。いわく、こっから上はとっても急だから、ここに自転車置いて歩いて行けと…)。えぇぇ! レンタルのおっちゃん、このアシスト付きじゃないと坂上れないよって言っていたじゃないか!? なのに、坂を前に自転車降りろとは…。
 先ほどの転倒ですでに自信喪失状態だったので、速やかに自転車降りましたw そして歩いて岡寺へ。



▲西国三十三観音七番岡寺


 このお寺、厄落としの寺としても知られており、おみくじがあった。納経後そのおみくじを引いたら「大吉」が出た! 初詣で「凶」を引いていただけにこれは幸先が良い!

 この時点で2時過ぎ。とりあえず、石舞台古墳も見たかったので、そちらへハンドルを切る。ほどなく石舞台古墳エリア。さすが有名観光地、道の駅などもあって駐車場も大きい! 自転車の駐輪場を見つけて、そこに入る短い下り道で、思いっきり転倒した。
 右足が痛い。これはかなり酷い捻挫をやっちまったか!? 
 とはいえ、石舞台見ねば…。
 明らかに痛む足を引きずりつつ、中学のころから見たかった石舞台古墳をようやく間近に見ることができた。
 え!? さわっていいの!? えぇ!? 石舞台の下に入れるの!? 妙なテンションで足を引きずりつつ、四方八方から舐めるように石舞台見物。豪族蘇我氏、気前が良いな!
 ※石舞台は蘇我氏の墓所との説アリ

 そして、明日香の駅に戻って自転車返却して終了。
 右足、明らかにイタイ。階段上り下りできず、近鉄の全駅バリアフリー対応に感謝しつつ奈良に戻る。

 近鉄奈良駅からホテルに戻る際、夕飯代わりの柿の葉寿司と固定用の包帯と冷湿布を購入。
 ホテルフロントに翌土曜日に診察してくれる病院がないか、調査依頼をして寝る。

 翌朝、ホテルの前の道をひたすら南に向かって歩く。ホテルが調べてくれた整形外科の病院へ向かうためだ。本来なら10分ほどで着く距離を倍以上の時間をかけて病院にたどり着く。

 昨夜のうちに冷湿布と包帯をぐるぐる巻いてみたが痛みは引かない。
 夜中に何度か目が覚め、痛いよ~痛いよ~って泣いていた。(だったら翌朝歩いて病院に行くなよ…)

 診察室に呼ばれ、レントゲンとCTスキャンを撮られる。医者の見立てとしては、どうやら靱帯損傷らしく、ひょっとしたら骨の方もやられているかもしれないと…。となると手術が必要かもしれないが、自分が東京在住なので、奈良で手術するよりも東京で手術する方がいいよね…と紹介状とレントゲン&CTデータを持たされた。思ったよりも重症であった。隣接する薬局で強い痛み止めと胃薬を処方してもらい、さすがに帰りはタクシーでホテルに戻った。

 寝ても治るわけではないが、明らかに痛みにいろいろ持ってかれて疲労が蓄積していたのでとりあえず体を休める。奈良の友人が、杖を買ってきてくれた。ありがたい。

 そして、夕方、杖を突きつき、奈良公園へ。
 若草山焼きを見るのであった(この旅のメインだよ)。


 花火が終わってホテルに戻る。ロキソニン系すげぇな、2晩目は寝ている最中、痛みほとんどなかったよ。



 そして旅の最終、日曜日。
 まず朝イチは、コンビニATMでお金をおろすこと。直線距離700メートル先のコンビニまで1時間近くかけて往復する。とりあえずシカが暴走してなくてよかった(ならまちはしかが時々暴走するらしい)。それにしてもならまちは趣き深い美しい町だな。

 荷造りをして、ほとんどを宅急便にゆだね、自分は極力軽量化したリュックひとつを背負うのみにする。
 予約してあった新幹線は17時台。本当なら、この日は京都観光をしようと思っていたのだが、足がこのざまではとっても無理! ということで、奈良界隈をうろうろする。


▲国宝・元興寺


▲西国三十三観音9番興福寺南円堂


▲興福寺五重塔と五十二段

 さらに、地ビールなどを飲んで15時ごろにようやく奈良出発。
 奈良から京都まで、結構電車が混んでいて、座席は空きがなく、結局京都までの電車はずっと立ったままとなった。

 京都で弁当を仕入れ、ぷらっとこだまグリーンで東京までゆっくり帰ったのであった。広い席を取っていた良かったよ…。