▲うさぎ@いせはら芸術花火大会
GWなのでやわらか~い感じで。
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GWが始まった。
今年は後半に帰省予定なので、前半は東京お残り組。まぁ、散らかった身の回りを何とかしたり、衣替えしたりということになるだろう。幸いお洗濯日和が続くようだ。
ベランダに出てみたら、原種チューリップが開花していた。
今巷に出回っているチューリップはだいぶ品種改良されたものである。かつてはチューリップの球根は同じ重さの金で取引されたことがあったらしい(チューリップバブル)。
そんなチューリップの故郷の多くは中央アジア。カザフスタン辺りでは多くの原種チューリップを見ることができるらしい。
原種チューリップの大半は非常に小さい。実際、ウチで咲いているチューリップも高さ7センチぐらいとミニマムサイズ。こんなかわいらしいチューリップが見渡す限りの草原に咲いていると思ったら、ちょっと行ってみたい気もするカザフスタン。
▲ブタ@いせはら芸術花火大会
さて、連休初日なので、ちょっとお出かけしてみたりする。
鉄川与助の教会建築 -五島列島を訪ねて- 展
先月初めに仕事で五島に行った際、通りすがりを含めてたくさんの教会建築を目撃した。それらの多くは日本人が手掛け、中でも五島の鉄川与助という大工の棟梁はその先駆者であったと初めて知った。
帰郷してからたまたま知った企画展である。
まぁ、入場無料の企業ギャラリーの展示であるから、たいそうなものが展示されているわけではない(多くは写真パネル)。だけど、五島から遠く離れた東京の地でこのテーマでまとまった展示をするのはめったにないのではないかな。
会場に行って気付いたのは、鉄川与助の孫もまた建築士で長崎に在住しているということ。そして長崎の教会群を世界遺産に登録するために尽力をしているということである。なんだかいいな。
▲ウシ@いせはら芸術花火大会
長崎の教会群にはどうしても「カクレキリシタン」の気配を感じる。
ことに五島にはキリシタンが多かった。歴史のお勉強の中では、キリスト教は激しく迫害されていたんじゃなかったっけという知識どまりだが、実際はそうはいっても無差別に殺害することは労働力の削減となるわけで、その地方の権力者も時々は手を抜いていたようだ。そして、五島や小値賀の開拓・干拓に行くことを条件に、監視の目を緩めてもらっていたという事実もあったらしい。
そういった経緯もあって、五島にはキリシタンが比較的多くいたそうだ。
日本が鎖国を終え、外国人がやってくるようになると、その中に神父も含まれるようになる。神父は、かつて布教した日本にまだ信仰が残っているのではないかという淡い期待を持って日本にやってきたのだが、浦上の信徒を発見できたのは3年も経ってからであった。
その後、五島にも信徒がいることが明らかになる。
▲ウマ@いせはら芸術花火大会
キリスト教の禁教政策は明治時代になっても続けられた。信徒が発見された浦上や五島での厳しい弾圧は、明治時代になっても続けられた。明治政府が外圧に屈して禁教政策を捨てたのは明治6年のことである。
江戸時代から明治初期まで息をひそめていたキリシタンたちは禁教が説かれた後、教会を建てる動きに出る。それは各地での動きとなり、信徒たちが身銭を切り、自ら建築資材を運び、ステンドグラスを描き…と活動したそうだ。
ちなみに、「カクレキリシタン」と一口に言うが、その中はさらに分かれているそうだ。今普通にカトリックの教会に通っている人々は「潜伏キリシタン」。でもって江戸時代に仏教や土着信仰とミックスされて独自の進化を遂げた進行を守り続けている人々が「カクレ」。カクレの人々は表向きは仏教徒で、ひそかに信仰を続けているらしい。
▲スマイル@いせはら芸術花火大会
五島に行ったことでこういった知識を得、さらに遠藤周作の小説でロマンチックさを上塗りされた身には、単なる「建築とデザイン」をテーマにしてこの展示にその背景イメージを添えてしまい、少々感傷的な思いで見学をした。
さて、GW前にチェックして気になっていたところがある。
シュークリー(人形町)
人様のブログでシュークリーム(220円)に一目ぼれ。17時の焼き上がりに合わせて、行列に並んでゲットしてきた。17時の時報と同時に売り切れ看板。
ぎっしり詰まったカスタードクリームのきっちりした甘さとパリッとした皮のうまさのバランスが良いぞ~。
日祝日がお休みということだったから、GWは今日だけが購入チャンスだったんだよね。プリンも買っちゃった。