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初めての四国~真鍋博2020

2020-11-24 23:33:00 | アート

▲真鍋博2020が開催された愛媛県立美術館より、松山城を望む


 イラストレーター真鍋博さんが亡くなって20年の今年、「真鍋博2020」という美術展が開催されることになった。20年前、無くなった年に回顧展があり、東京ステーションギャラリーで見た以来の大規模展示だ。
 20年前の感動を思い出して、見に行きたい!! と思った。

 しかし、今回は東京での開催ではない。出身地である愛媛県立美術館での開催となっていた。こうなれば行くしかあるまい。ということで、愛媛行きを決めたのが9月のこと。まだGOTOは東京は除外されていたころだった。いずれは東京も対象になるだろうと思って、遅めの11月に行くことにした。その予約の2週間後には東京都民もGOTO対象となり、おかげでお得な旅行計画となった。
 なお、この手の美術館鑑賞系は通常一人で行動するものなので、何の迷いもなくひとり旅である。東京界隈の美術芸術鑑賞もいつも一人だからね。


 ということで11月の晴れの日に初の四国フライト。

 松山市街へはバスで移動。
 松山市街に入ると、伊予鉄が並走する。そして伊予鉄って、平面交差するのね。普通に信号待ちしていてびっくりした。
 松山市駅で空港バスを降り、そこから歩いて愛媛県立美術館へ。
 今回は、カメラも持たない1泊2日旅行なので、荷物は最小。街歩きのこぶりのリュックひとつである。

 美術館で手指を消毒し、検温してもらい、拡大鏡を借りていざ美術展へ。
 イラストレーターとして有名な真鍋氏も当然美術大学の時代があり、そのころの油絵の展示から始まった。
 そう、当初は普通のが学生だったのだ。最も賞とか取っちゃうレベルの人だったけれど。卒業後も油絵を描いていたらしいが、その後イラストレータとなる。
 そしてSFと出会い筒井康隆や星新一の仕事をし、さらに、海外の推理ものの装丁も手掛けるように会った。この辺りになると、多くの人が知る真鍋になるのだろう。
 
 挿絵は当初彩色した作品を印刷所で4C分解【C(シアン・青)M(マゼンダ・ビンク)Y(イエロー・黄)K(クロ・黒】し、その掛け合わせでイラストの色を再現していた。
ところが、それでは100%描いたイラストと同じ色にはならない。それが4色印刷の限界ともいえる。
 なお、現在の商業印刷の多くも、この4つの色を掛け合わせるという手法で刷られている。ただ、イラスト自体が絵の具で描くものではなくなってきており、PC等を使って描かれることで、当初から4色に分解されたデータとして印刷物に取り込まれる。紙かディスプレイというデバイスでの色の見え方の違いはあるが、真鍋が感じたほどの違和感はないだろう。
 真鍋は自分のイラストが自分の思い描いた色となって世間に出回らないことに業を煮やし、印刷の手法を身に着けた。すなわち、イラストのカラーをはじめからカラーチップで指定したのである。DICを使っていたかはわからないが、イラスト作品にトレーシングペーパーをかけ、各色の4Cのパーセンテージを具体的な数値で指示するという方法で己の望む色を再現したのである。
 自分が編集職に就いたのも、この頃で、例えばカラーページの背景色などは、カラー見本で色を決め、指定紙にその組成(C40M80Y10=#A64C8F)を書き込んでいたからよくわかる。実は個人的にはこの色決めが楽しかったから、結局今まで紙の媒体に関わってきているとも言えたりする。
 それを真鍋は超人的に細かい指定をした。プロの目から見ても異様なほどに細かい、そして緻密な指定紙であった。受付で大きな虫眼鏡を借りれるのだが、それをもってなお、細かい指定に、目がくらくらする。

 こういう指定紙は、没後東京で行われた20年前の回顧展でも展示されていたのだが、もう、あまりに細かくかつ詳細で乱れない指示書に、制作屋としての襟を正してもらったわけである。
 真鍋は、4cだけでは足りず、特色を交えた美術印刷でも細かな指定をしていた。

 松山市内のセキ美術館では、そういう見本も見ることができた。10版以上のインクを重ねて、作りだした贅沢な印刷物。そのち密さは何度見ても嘆息するが、それを受け止めるスポンサーの気前の良さも古き良き昔である。現在でも美術印刷と呼ばれるものは、4色以上の特色を交えた印刷を行っている。


 現在のイラストはPCのソフトで作られ、印刷向けに最初から色が分解されたデータで納品される。そういうソフトが多く出回っているので、作り手は真鍋のような印刷知識が無くても素晴らしい作品を生み出せる。
 アナログ時代からこの世界に入った自分としては、その辺りがうれしくもあり、さみしくもありといった感じだったりする。


▲愛媛県立美術館の隣の図書館では、真鍋博が手掛けたイラストがカバーとなっている文庫本の展示が行われていた。星新一のショートショートの文庫は自分もかなり持っている


神明の花火 応援企画を見る

2020-11-08 22:07:00 | 花火

▲しょっぱなから、こちらの煙火店らしい色遣いで!


 突然、「神明で花火上がるよ」って聞いたのは、1週間前の東北でのこと。

 詳細は全く分からなかったけれど、とりあえず行ってみるかと各駅停車で出発。
 当初は途中でパフェ食べるんだぁってワクワクしていたんだけれど、スケジュール見たら、歯科医定期通院の予約が入っていて断念orz(歯医者は定期的に通いましょう) このリベンジはまた別途考えねば…。


 東京から身延線に入るのって、JRの管轄が別(JR東とJR東海)なのでちょっと不便になる。SUICA使えないし…。面倒だったので、最寄り駅から身延線までの直通切符をみどりの窓口で作ってもらう。これだと距離足りてなくても、途中下車できちゃうという「おまけ」がつくことが分かった。もちろん、帰りの時分には市川大門の駅に職員がいないから往復切符でオーダーしておく。
 17時前に到着するようにしたのは、歯医者の件もあったが、ぎりぎり筒場状況が見えるであろうから。

 しかし、到着した時には筒はなかった。
 本日は土手下に設置とのことorz そうですか、まぁ、周囲の方々にご説明いただきましたので大丈夫ですが…。


 当初、顔見知りが4・5人しかいなかったが、暗くなってきたら、地元民がわらわらとやってくる。
 自分、この日の花火の主旨がよくわかってなかったのだが、正式名称は
 市川花火の伝統を消さない!「神明の花火応援企画」
                   ~あなたの力が未来を照らす~

というものであった。
 クラファン支援者の中に、懐かしいお顔が…。こちらに移住してきた花火の先輩である。今回のクラファンにも参加されていた。

 天候が若干不安であり、万が一に備えてカメラにビニール袋をかけたり、自身もド派手なポンチョを着たりしてスタンバイ。
 町内放送も流れ、打ち上げ開始でございます!


▲スライド変化と八方冠


▲ブリティッシュ聖礼花


▲相変わらずの発色の主張


▲パステル


▲こちら向かなかったから分からなかったけれど、上のは型物じゃないかと


▲スライド変化も


▲虹色のブーケ


▲虹色のグラデーション


▲全高度カラフル!


▲当たり前に見ているけれど、この発色はそうないものだよね


▲聖礼花


▲フィナーレ

 
 スタート時はぽつぽつ程度の雨だったけれど、クライマックスに向かって少し雨粒が大きくなった。だけど、本降りになったのは全弾打ち終わってから。本当によかった。
 やはり、持っているんだよ、神明の花火は。

 花火終了後、ライトを振っているとまさかの対岸からの赤いトーチの返答。本当にありがとうございました。
 来年は本物の「神明の花火」の開催を首を長ーーーーくしてお待ちしております。

 あ、あとおいしいごちそうさまでした。


悪疫退散!コロナに負けるな!頑張る土浦応援花火

2020-11-06 13:59:00 | 花火

▲初弾は白菊。祈りの花火。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 
 今年土浦全国競技大会も開催が中止され、場所はシークレットで花火が何度か上げられるという情報は公式も出していた。その最終版が11月3日。三陸花火の現場で「3日行くよね」って言われて気付く。何となく場所も分かったし、日帰りできるしってことで、三陸から戻ってきた荷物を切り崩して準備して出発。
 朝のうちに視察した仲間が送ってくれた情報地に行ってみれば、すでに台船は沖に出ていた。まぁ、ここでヨットシルエット越しで撮ろうかと思っていたので、それでもかまわんって思っていたら「この近辺からヨットの写真撮るのダメ🙅」って掲示が出ていて断念。


 じゃぁかぶりつきじゃぁって、霞ヶ浦に突き出す港町地区へ。
 ここ、形状的に元から半島っぽいところを護岸補修しているのかな。霞ヶ浦には津波被害はなかったのかなってちょっと疑問。帰宅後確認したら、3.11の津波は霞ケ浦へも侵入してきて、最奥部の土浦でもで多少被害はあったらしいことを知る。
 ここも三陸とつながる場所であった。
 ※参考資料→https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000041602.pdf

 とはいえ、現場にいたときはそんなこと全然知らなかったんだけれどさw
 水防のために盛り上げられた堤防上には桜が植えられ、この半島に住まう人々はランニングしたり、わんこの散歩をしたりと、この自然を享受している。その先端に到着すると、おるおる。見知った方々が…。
 えっとー、おとといもお会いしましたよねw

 ひと通り挨拶をして、上の桜の木が被らない場所に三脚セット。

 暗くなってから某推進会のあの方が登場なさった。その前にキャンピングカーレッカー事案も発生しており、ただ水面を眺めるだけの時間がずいぶんと慰められたw あ、リンゴ🍎&柿ごちそうさまでした👏


 日もとっぷり暮れて、水上にボートが増えてきて、雷が上がる。
 打ち上げ開始でございます!(マイクもスピーカーもないから!)


▲最初のスターマインは医療従者への感謝を意味するブルースタマ
 …だと思う。プログラムとか玉名とか一切知らされていないから以後テキトーに書きま~す。

※知っている人が書けばいい情報だから、持っている人は隠さずに出すように!!  おれが苦労して調べるのは割に合わん




▲この子はですね~命名「アルクマ」です!長野のリンゴキャラクターさ。目はないけれど…。👀←これつけておけばよろし(機種依存系だから、化けてたらすまん)。


▲5号玉だったと思うけど、きれいにらせんが出たΣ(・ω・ノ)ノ!
 これ、裏からはちゃんと見えていますか?


▲スライド変化のキメラ玉。これやるならもうちょと色が違う方が視認性高くなるね。青は十分出ているから、マゼンダ系がもっと強い方がよろしいかと


▲小幡さんの湖岸の「忘れ柿」ですね。ものすごく安定していますね。


▲八重芯、だよね。同じ系統の変化玉で色を変えて視認性が高くなっている


▲八方系のスライド変化は視認面積が狭いから見る方の能力も試されている気がする(当方絶賛老眼進行形です)


▲大きいは正義!日本海版


▲大きいは正義!諏訪湖版


▲マドンナブルーは、大きいは正義と比較してはいけない


▲写輪眼!?って思ったら真ん中の色が違うから諏訪湖系


▲きれいな青八方。ちょっと小さい!?


▲さて、どっちですかねぇ


▲西の会社さんらしいが、昇フラッシュを見ただけでアニキって思ってしまう体質


▲小割が色合いに引っ張られるのか、とてもやさしく見えるのズルいw


▲ああlそんな低く開いては…って水面ですから安心でんがな


▲ノム〆


 いやぁ、いい玉見せてもらいました。
 自分は、ドカ打ちよりも1発1発見るほうが好みなので、この打ち上げはとても良かった。若干食い気味に上げていた気がするのは、短時間で結構な量を打ち上げなければならなかったためと思っている。
 なにしろ台船4台だそうで…。

 ところで、霞ケ浦って台船常備しているんですかね。このためにどこかの港から持ってきたとしたら、結構お金かかったんじゃないかなぁと、お財布が厳しい身には染みるのであった。


三鉄ゴトゴト(南リアス線)

2020-11-05 23:35:00 | お出かけ

▲大船渡サンアンドレス公園の展望台より大船渡魚市場方面を望む。
 この命名にはかつての伊達の殿様が絡んでいたらしい。東日本大震災の津波にて一部破損し、修復された。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 三陸花火大会の翌朝は、6時台から朝飯をかっ込み、9時前にチェックアウト。大きな荷物は黒猫さんにおまかせして、リュックと三脚(サイズ外で別料金かかるから自力で持って帰ることにした)を肩にかけて出発。
 
 大船渡魚市場へと向かう。その途中でサンアンドレス公園の展望台をみつける。煙とバカは…ということで上から港を望んだ。港町とはいえ、度重なる津波被害で、防潮堤は高くなり、どこからでも海が見えるわけではない。
 前夜泊まっていたホテル付近は津波で大きな被害が出たエリア。再開発で商業施設は作られたが、この辺りは標高が低いので人が住むことは禁じられているらしい。
 前日車で移動中に、1軒だけ津波被害が残る家がそのまま残されていた。1階は骨組みだけで、2階には大きな穴が開いていた。おそらく権利関係が複雑な建物なんだろう。権利関係が解決すれば取り壊されるのだろうが、これはこのまま保存というのも考えてもいいかもしれないと思いつつ、津波で被害に遭った方には見たくもないものかもしれないんだよなぁという思いが入り混じる。
 災害遺構というものは、なかなか難しい存在だ。
 

 さて、大船渡魚市場についたのはいいが、どうにも開いていない。あれ、水曜休館じゃなかったっけ!? って思ったがどこを見ても入り口が開いていない。すでに開館時間の9時を過ぎているのだが…。
 魚市場の建物にも展望台があり、そこから港を一望しようと思ったのだがどうも入れないらしい。
 あとでネットで調べるとどうやら休業日が変わったみたいだった。古いデータを見てしまったのかもしれない。
 仕方ない、じゃぁ、盛の駅に向かうかと最寄りのBRT駅大船渡魚市場駅に行こうとしたが、なんと、駅への道が工事中で進入禁止。ちょっと待て! 迂回路めっちゃ遠回りだぞ! これ、無理に坂道を上るより、もう一駅先の駅へ向かった方が早くないか!?ということで、ホテル方向へ速足で戻る。ひとつ先のBRT大船渡駅に時刻前に到着。無事にBRTに乗車。この界隈、盛駅まで徒歩で30分ぐらいかかるのよね。

 BRT終点盛駅で三鉄の切符を買ってホームへ。
 三鉄南リアス線の始発駅である。ここから宮古行きの電車が出るが、まずは釜石まで。宮古は一度行ったので、今回は釜石で途中下車する。
 盛で乗り込み、海が見える右側のボックス席に座り、ほどなく出発。座席の8割ほどは埋まっている感じ。
 大船渡の工場地帯をかすめて、山中の小さめなトンネルに入る。そのトンネルの切れ目に時折海を眺めながら北上する。
 リアス式地形の根元を走るから、半島の付け根はトンネル、湾が食い込んできたところは海が見えるという感じの路線だ。



▲綾里駅の忘れ柿
 忘れ柿、前日の福島あたりでも大量に見たが、三陸にもリアル忘れ柿が山ほどあったよ。


▲恋し浜駅にはホタテの絵馬(←恋愛のパワースポットらしいよ)と鉄ダンイケメンが駅舎に…。


▲恋し浜駅からの海の眺め


▲甫嶺駅付近

 陸前高田もそうだったけれど、旧来の防潮堤より高さを出し、津波に押し切られないよう内陸側に三角形の土台を築くというのが三陸一帯の工事基準のようだ。
 確かに、明治大津波を参考に作った防潮堤は、東日本大震災というより大きなパワーの津波にのまれてしまったから、さらに防備力を増すしかないのだろう。
 その結果、かつてそこにあった集落からは海が見えなくなり、防潮堤のこちら側は万が一それが破れた場合を考えて住宅は築かれなくなった。明治大津波の教訓を生かし、高台に築かれた集落は無事なところが多い。
 そして東日本大震災の「津波浸水域はここまで」という標識もいくつかの町で車窓から確認できた


▲三陸駅付近


▲吉浜駅付近
 この辺りは津波が届かない高台。


▲唐丹辺りからの釜石大観音。駅からはちょっと離れていてバス便もなさそうなので見られないなぁと思っていたから、車窓から予想外にバックショットが拝めてよかった。

 釜石でいったん下車。
 三鉄は宮古行きなので、そのまま乗って行ってもいいのだが、都市間バスの接続の問題でここで時間調整。
 なお、駅で前夜釜石泊だった人とすれ違うw



▲釜石の紅葉

 紅葉斜面のすぐそばの釜石市立郷土博物館を見学。
 鉄の街の歴史も釜石の歴史の中ではホンの一時代。
 縄文時代からここに人は住み、生活を紡いでいった。捕鯨の町でもあった。近世では鉄の町として栄え、太平洋戦争時は、海からの艦砲射撃が複数回行われたということを初めて知る。
 遠野からもそれほど離れてないためか、「おしらさま」などの文化も残っていたようだ。それらが飾られていた囲炉裏の間には、クマの皮が敷かれ、新潟でいう「つぐら」(現在のベビーベッドみたいなもの)には赤ちゃんの代わりに某キューPが入っていて、そのコントラストに吹いた。
 明治大津波も東日本大震災も記録が残されており、少しだけ閲覧させてもらった。


 博物館を出て、駅前の旧橋上市場が移転したサンフィシュにて、塩筋子をゲット! 東京だと醤油漬けが多いんだけれど、醤油の雑味があっていまいちなのよね。「筋子は塩漬け」をデフォルトにして欲しい。
 また、パッケージがしっかりしている。ラップでぴっちり筋子をサンドして、筋子がパッケージ内の空気で乾燥しないようになっていた。この筋子の扱いも全国レベルでベーシックにしてほしい限りだ。

 再び三鉄に乗り込み、宮古へと北上する。


▲両石駅手前


▲大槌では防潮堤の後方で子供たちがサッカーをしていた


▲浪板海岸


▲浪板海岸


▲山田町手前


▲津軽石手前

 震災から9年経とうとしているが、まだ防潮堤の整備をしているところが多い。人々は住める地に家を建て、新しい生活に入っている。多くの地で海の近くの集落は無くなった感である。
 防潮堤の工事にはあと何年かかるのだろう。これらが完成した暁には、元の生活が戻ってくるわけではないだろう。その後の各集落の生存戦略が気になるところではあった。

 三鉄は、南リアス線の最北地、宮古へ到着した。この駅から先は三鉄の北リアス線になる。そちらは数年前に乗り鉄したので、今回はここまで。
 宮古の駅前も数年前と少し変化した。駅前の謎鮨を売るスーパーがなくなっていた。

 ぷらぷら歩いて都市間バス乗り場へ行ったら、なんと長蛇の列! え、これみんな盛岡行きのバスの乗客!? 以前夏に来た時なんて7人ぐらいしか乗ってなかったぞ!? え、これ乗れるのかな、自分…。
 とはいえ、これに乗らないと新幹線に接続できないので、乗車券を買って列の後ろに並ぶ。定員に3名足りない状態で密な都市間バスが発車。
 途中のバス停で(都市間バスではあるが、日常のバスも兼ねている)3名乗り込んできて、4名目からは乗車拒否(乗せられない)事態に…。
 
 なお、車窓を彩る紅葉は実に美しかった。バスで移動しているだけで紅葉狩りができた。

 紅葉渋滞でも発生したら困るなぁと思ったが、さすが日本一のローカル路線山田線に並行する国道106号。工事渋滞以外はそういった心配は皆無で。ほぼ定刻に盛岡に到着した。
 盛岡駅で地域共通券を使って稲庭うどんを買い(盛岡でも堂々と売っているの知ってた)、海鮮丼を入手し、さらに紅玉リンゴ(←リンゴで一番好き)をゲットして、新幹線に乗り込む。

 今日1日かけて移動してきた距離を、はやぶさちゃんは、わずか20分チョットで走り抜けた。東北への郷愁を振り切るように。


初開催の三陸花火大会

2020-11-02 23:18:00 | 花火

▲1章:オープニング「三陸花火大会が始まる!!」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 三陸花火大会、初めて聞く花火大会の名である。この言葉が目に入ってきたのは8月後半だったかと思う。
 2011年の大震災の被災地で花火を打ち上げるというクラウドファンディング。2004年に故郷が被災地となった自分には、これは協賛しなくては…と心を動かされた。リターンが花火チケットというのも個人的にはうれしいものである。

 会場は、陸前高田。
 奇跡の一本松で知られた大きな被害を被った地である。

 え、そんなところで花火大会出来るの!? 交通アクセスは!?

 調べてみると、かつてのJR大船渡線の鉄路を撤去してアスファルト道にし、そこに定時にバスを走らせるBRTというシステムが公共交通機関としてあることを知った。

 そして、10月末、いよいよ花火当日がやってきた。
 東北の秋、海辺は寒かろうと荷物が膨らんだ。そのまま会場に持ち込むのはどうか思って、気仙沼での鮨をあきらめて宿のある大船渡へBRTで直行する。途中、花火会場となる陸前高田を通る。

 奇跡の一本松のモニュメントが立ち、その脇に崩れた建物が震災遺構として残されていた。奇跡の一本松の周囲は高田松原復興祈念公園となっており、巨大な堤防を上から見ることができるようになっていた。
 
 その背後には津波に洗われたであろう平地が広がっていた。そこにはほとんど建物はない。山沿いには新たな商業地域が出来上がっていた。

 BRTは陸前高田駅で満員だった人々を下ろし、数名のみを乗せて坂道を上る。
 高田高校前駅で制服姿の高校生が乗り込んできた。屈託のない笑顔の学生たち。おそらく、小学校低学年時にあの大震災にあったのであろう。
 この子達、今日、花火上がること知っているのかな…?


 山と海を縫ってBRTは隣町に入る。
 大船渡市街も津波による甚大な被害を受けたらしいが、壊滅した界隈を再整備して、新しい街になりつつあった。まだ新しさを感じる区域の近くに建つホテルが宿泊先であった。荷物だけを預け、BRTで陸前高田に戻る。

 16時ごろ会場へ到着。
 リストバンドを付けて入場。広い会場にまだ人は少なく、入り口辺りでは郷土舞踊などが披露されていた。

 目の前には、そそり立つ巨大な堤防。三陸の海はその向こうにあって、こちらからは見えない。時化の日はともかく、通常は波音も聞こえないだろう。
 花火は、その巨大堤防の手前に小型煙火を、その背後に大型煙火を仕込んでいるらしい。それ自体はまぁ、いいのだが、席の配置が堤防に対して斜めになっているのがどうにも居心地悪い。

 指定席A内はフリーなので、色々見える位置を変えてみたりするものの、こちらの可動域は小さく、巨大な堤防の斜め(見た目右側が遠ざかるのでベースラインが上がり、上空の花火は下がる)を補正するような場所はなかった。会場全体で見ても、そういう箇所はないのだろう。
 今思えば、会場外で見た方が斜めのバイアスは矯正されたのかもしれない。何という皮肉。まぁ、会場外で地元の人が見られればいいのか…。そちらの方がこの花火の本質に近いような気がする。

 ということで、早々にあきらめて(諦めが早い)、フードコーナーで焼きガキとかつみれ汁とかをいただく。カキは殻のまま焼くのが旨いねぇ~。

 暗くなってからもう一つのフードコーナーがあることに気付き、そちらでは湯豆腐(ホヤパウダーふりかけ)をいただく。
 フードコーナー、暗くなる頃には大盛況で、どこも列がすごいことになっていたらしい。

 見えないけれど聞こえるフェスの音楽が止んで、ようやく花火大会が始まる。メインの打ち方は、山梨県のマルゴーさんである。


▲1章:オープニング「三陸花火大会が始まる!!」

 はい、しょっぱなから飛ばし過ぎ(ほめてます)。オープニングもへったくれもないマルゴーワールドが繰り広げられたw



▲2章は全国の花火師さんから提供された名品が挙げられる(全部じゃないです)。
 糸井火工(福島県)4号玉「銀角入青白点閃光」と7号玉「緑芯青紅先白群光」


▲2章:池本煙火店(滋賀県)10号玉「昇銀尾八重芯錦冠」
 テレビで知った池本さんの初生花火。スーッと下りてくる冠の長さがカムロスキーにはたまらん、


▲2章:阿部煙火工業(新潟県)10号玉「晩夏の轟き」
 迫力ある音が好き♡


▲3章:新しい世界へ もちろんマルゴー色が強い。これでもかって強い。


▲3章:新しい世界へ


▲3章:新しい世界へ 通称◎バウム◎がたくさん上がったw


▲4章も全国の花火師さんから提供された名品が挙げられる
 菊屋小幡花火店(群馬県)10号玉「里山の忘れ柿」
 ここに来る前も翌日も三陸の忘れ柿(リアル)をたくさん見ましたw


▲4章:岸火工品製造所(徳島県)10号玉「阿波しじら変化牡丹」
 四国からいらしていたんですね~。しじら変化牡丹、初めて生で見られた!

 阿波しじら織って、綿で作るしぼ入りの織物なのね~。小千谷縮もしぼ入りの織物なんだけど、原材料が苧麻という麻なので、夏着物用の反物なんですよ。何なら小千谷煙火さんに「小千谷縮牡丹」を作ってもらって共演しましょう(〃艸〃)ムフッ!


▲4章:北日本花火興業(秋田県)10号玉「八重芯ステンドグラス」


▲4章:マルゴー(山梨県)10号玉「スタープリズム」
 向きによって見え方が異なるのも難しい花火。


▲4章:響屋大曲煙火(秋田県)0号玉「翡翠をちりばめたペンダント」
 ごく個人的にはこの玉、糸魚川(ヒスイの産地)で上げてほしいのよね



▲5章:フィナーレ「みんなで夢を打ち上げよう」
 今回、和火も結構使っていた。意識して使っていたのかな。和火好きにはたまらん。


▲5章:フィナーレ「みんなで夢を打ち上げよう」
 お得意のえぐい色味のトラが連打され、リズムに遅れると負けるので、必死にシャッターを切る


▲5章:フィナーレ「みんなで夢を打ち上げよう」
 この後、あまりの輝度の高さに真っ白になります。


 はぁ、終わったぁ。終わったというか、駆け抜けた感の花火であった。
  花火終了後、光のエールの交換をし、機材一式を片付けて撤収した。


 しかし、このあともうひと仕事が…。
 駐車場出られない問題…。まぁ、覚悟はしていたんだけれど、本当に駐車場から全然動けない状態で、ただ時間だけが過ぎていった(あ、もちろん知り合いの車に乗せてもらってます)。
 どうも車の誘導員があまりいなかったらしく、出口で動けなくなっていたらしい。誘導員のいるルートだとスムーズに出られた。

 ここは来年以降競技花火とする際には改善していただきたいところだなって思いました。
 あ、あとね、自販機「ぬっき~」版も入れておいてください「はっけ~」ばっかりだと寒すぎました。


 駐車場を出ると、北へ向かう道は快適で、ほどなくホテルに到着。無事チェックインして徒歩10分のコンビニまでビールとつまみを買いに行って杯を上げたのであった。


※当夜のうちに本部に玉名を問い合わせたのですが、翌日に返答いただいて大変ありがとうございました。そこにHPにも掲載予定と書いてあった件はいつごろに実現しますかね…。