▲真鍋博2020が開催された愛媛県立美術館より、松山城を望む
イラストレーター真鍋博さんが亡くなって20年の今年、「真鍋博2020」という美術展が開催されることになった。20年前、無くなった年に回顧展があり、東京ステーションギャラリーで見た以来の大規模展示だ。
20年前の感動を思い出して、見に行きたい!! と思った。
しかし、今回は東京での開催ではない。出身地である愛媛県立美術館での開催となっていた。こうなれば行くしかあるまい。ということで、愛媛行きを決めたのが9月のこと。まだGOTOは東京は除外されていたころだった。いずれは東京も対象になるだろうと思って、遅めの11月に行くことにした。その予約の2週間後には東京都民もGOTO対象となり、おかげでお得な旅行計画となった。
なお、この手の美術館鑑賞系は通常一人で行動するものなので、何の迷いもなくひとり旅である。東京界隈の美術芸術鑑賞もいつも一人だからね。
ということで11月の晴れの日に初の四国フライト。
松山市街へはバスで移動。
松山市街に入ると、伊予鉄が並走する。そして伊予鉄って、平面交差するのね。普通に信号待ちしていてびっくりした。
松山市駅で空港バスを降り、そこから歩いて愛媛県立美術館へ。
今回は、カメラも持たない1泊2日旅行なので、荷物は最小。街歩きのこぶりのリュックひとつである。
美術館で手指を消毒し、検温してもらい、拡大鏡を借りていざ美術展へ。
イラストレーターとして有名な真鍋氏も当然美術大学の時代があり、そのころの油絵の展示から始まった。
そう、当初は普通のが学生だったのだ。最も賞とか取っちゃうレベルの人だったけれど。卒業後も油絵を描いていたらしいが、その後イラストレータとなる。
そしてSFと出会い筒井康隆や星新一の仕事をし、さらに、海外の推理ものの装丁も手掛けるように会った。この辺りになると、多くの人が知る真鍋になるのだろう。
挿絵は当初彩色した作品を印刷所で4C分解【C(シアン・青)M(マゼンダ・ビンク)Y(イエロー・黄)K(クロ・黒】し、その掛け合わせでイラストの色を再現していた。
ところが、それでは100%描いたイラストと同じ色にはならない。それが4色印刷の限界ともいえる。
なお、現在の商業印刷の多くも、この4つの色を掛け合わせるという手法で刷られている。ただ、イラスト自体が絵の具で描くものではなくなってきており、PC等を使って描かれることで、当初から4色に分解されたデータとして印刷物に取り込まれる。紙かディスプレイというデバイスでの色の見え方の違いはあるが、真鍋が感じたほどの違和感はないだろう。
真鍋は自分のイラストが自分の思い描いた色となって世間に出回らないことに業を煮やし、印刷の手法を身に着けた。すなわち、イラストのカラーをはじめからカラーチップで指定したのである。DICを使っていたかはわからないが、イラスト作品にトレーシングペーパーをかけ、各色の4Cのパーセンテージを具体的な数値で指示するという方法で己の望む色を再現したのである。
自分が編集職に就いたのも、この頃で、例えばカラーページの背景色などは、カラー見本で色を決め、指定紙にその組成(C40M80Y10=#A64C8F)を書き込んでいたからよくわかる。実は個人的にはこの色決めが楽しかったから、結局今まで紙の媒体に関わってきているとも言えたりする。
それを真鍋は超人的に細かい指定をした。プロの目から見ても異様なほどに細かい、そして緻密な指定紙であった。受付で大きな虫眼鏡を借りれるのだが、それをもってなお、細かい指定に、目がくらくらする。
こういう指定紙は、没後東京で行われた20年前の回顧展でも展示されていたのだが、もう、あまりに細かくかつ詳細で乱れない指示書に、制作屋としての襟を正してもらったわけである。
真鍋は、4cだけでは足りず、特色を交えた美術印刷でも細かな指定をしていた。
松山市内のセキ美術館では、そういう見本も見ることができた。10版以上のインクを重ねて、作りだした贅沢な印刷物。そのち密さは何度見ても嘆息するが、それを受け止めるスポンサーの気前の良さも古き良き昔である。現在でも美術印刷と呼ばれるものは、4色以上の特色を交えた印刷を行っている。
現在のイラストはPCのソフトで作られ、印刷向けに最初から色が分解されたデータで納品される。そういうソフトが多く出回っているので、作り手は真鍋のような印刷知識が無くても素晴らしい作品を生み出せる。
アナログ時代からこの世界に入った自分としては、その辺りがうれしくもあり、さみしくもありといった感じだったりする。
▲愛媛県立美術館の隣の図書館では、真鍋博が手掛けたイラストがカバーとなっている文庫本の展示が行われていた。星新一のショートショートの文庫は自分もかなり持っている