gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

母もびっくり!

2011-06-28 23:09:00 | 新潟ネタ

▲染め分け芯の輪っかなんだけれど、中央にキラキラもあって…@西枇杷島まつり花火大会 2011/6/4

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 日曜日、スーパーで買い物をしていたら、テレビに見覚えのある風景が…。

 私のふるさと、小千谷だった。

 「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶さんが石田純一さんと小千谷を訪れていた。待ち合わせは、信濃川一望の東屋。信濃川沿いの桜並木のスタート地点である。
 あれ、でもまだ結構雪が残っている…。調べたら4月12日の収録だったようだ。

 例年なら桜の花もほころんでいるころなのだが、大雪&春先の寒気でなかなか雪が解けず、せっかくの桜並木を見ていただけなかったのは残念…。

 日曜日に放映されていたのは、前編の再放送だった。後編が月曜日に放映されるというので、予約録画。昨夜しっかり見た。



 そしたら、そしたらビックリ!  \(@Д@;;)/==3

 私の実家の町内に来ているではないかっ!

 しかも取材先が、私もよーく知っているお豆腐やさんとお人形やさん。
 あのお豆腐やさんは、子供のころからよく鍋を持ってお使いに行かされた。近年、お店を止められたと聞いていたのですが、おじいさんが倒れていらしたんだね。でもたまに奥さんが畑仕事をしているのは見ていたよ。
 このお豆腐やさん、夏は自転車でぱ~ぷ~。冬はそりでぱ~ぷ~とお豆腐を売り歩いていた。「冬はそりで」ってあたりが雪国らしいでしょ。

 そしてこのお豆腐やさん、おうちがどう見ても古い。
 新潟県中越地震後、実家に様子を見に帰った際、この家が何事もなかったかのように建っていたのには、鶴瓶さんではなくても正直驚いたよ。何しろお向かいの立派なおうちは全壊認定されて取り壊されてしまったもの…。


 お人形やさんは、私が小千谷にいたころは床屋さんだった。
 あー、地震でお店を休んでいるんだぁって思っていたら、気が付いたらお人形だらけに。外にはサンタクロースまで張り付いている状態で、あまりの変貌に、思わず口を開けてしまっていた。
 

 お人形屋さんとお豆腐屋さんのある通りには、私が通っていた小学校と高校とがある。
 本当にこの通りは、私が子供のころから何べんも何べんも通った道。まさかこんなところで取り上げられるとは…。

 同じ町内でも知らないことまで突っ込む鶴瓶が素敵だ。
 というか、あまりに爺ちゃんや婆ちゃんの対応がツボにはまって、腹がよじれそうだった。この面白さは地元民でなければ分からないんだろうな。
 寝るどころではなかった~。



 前編で紹介されていた酒蔵の息子さんがブログを書いているのだが、本当に鶴瓶さんたちはアポなしでやってこられるのだそう。
 酒蔵の方には日曜日に訪ねて行ったらしいが、日曜日はお休みだったとか(だから後から女子アナが別途訪問したんだな)。



 ご興味のある方は、後編のみになりますが、日曜日に再放送がありますのでご覧ください → http://www.nhk.or.jp/program/kanpai/


 ちなみに、4月にはまだ総合体育館に避難されていた南相馬の方々は、現在は市内の社宅など空き住宅に入られています。





アサガオが咲き始めたよ

2011-06-26 21:51:00 | 

▲昨日、今年のアサガオの1番花が咲きました。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 例年、アサガオをグリーンカーテンとしているが、今年はまだ天井にまで届いていない。それでもここ最近の暑さに、「早く咲かねば!」というプレッシャーを感じたのだろうか(笑)。

 昨日3輪、今日は5輪。

 これから日替わりでいろいろ咲いていく気満々である。


 ちなみに昨年より4日早く咲いた。例年、1番花はこれぐらいに咲いているようだ。そして、放っておけば11月ぐらいまで花を咲かせるから、強い花である。


 今年は色合いを考えながら、例年より多い16本のアサガオのグリーンカーテン化。先頭組はおそらく月内に天井に到着しそうだが、出遅れ組はまだツルも十分に伸びていない。

 何はともあれ、暑さ本番前に立派なグリーンカーテンになっていただきたいものである。


 以下は、西枇杷島まつりの花火より





フェニックス

2011-06-18 22:02:00 | 花火

▲2005年8月2日 最初のフェニックス
 ただ、ただ、涙した
 

 すでに新潟ニッポーなど新聞が伝えるように、今年の長岡まつり(8/2・3)の初日の2日は、大型花火の1番がフェニックスとなるようだ。
 その目的は、このたびの東日本大震災の犠牲になられた方へ祈りを捧げ、何十万人もの被災者の皆さんに勇気を与えるためとのこと。
 この件で、長岡まつり協議会のブログ(実行委員長が運営)が炎上気味である。その多くは、最初に打ち上げるのは反対という意見。
 「最初にメインディッシュを上げるなんてばかげている」
 「一番すごいものを最初に上げたら、後の花火がショボク見える」
 「最後がフェニックスじゃなければ締まらない。最後にいったい何を上げるの?」
 「今年は平日だから、仕事が終わってから行くと間に合わない」
 「まだ暮れきらない空に上げるなんて、花火師さんに対しても失礼だ」
などなど…。


 うーん、どうにもこうにこういう意見に共感できない。
 それは私が「被災地」小千谷の出身だからかもしれないのだが…。


▲2006年8月3日 フェニックス
 この年のバランスは一番よかったのでは


 もともと、「長岡の花火」の歴史はお祭り騒ぎではない。
 現在の祭りは、1945年8月1日の夜に行われた空襲の1500名弱の被災者の魂を慰め、復興の礎としようとしたことから始まった。
 すなわちこの花火の根底にはずーっと「追悼」の理念が流れているのである。
 それは現在も綿々と続き、前夜祭には灯篭流しが行われ、花火大会の最初には2日間とも「追悼の尺」から打ち上げが始まる。



▲2007年8月2日 フェニックス
 ようやく型物のフェニックスを捉えられるようになった。これは冒頭に上げられるフェニックス


 そして2004年10月23日、新潟県中越大震災が発生。
 長岡は市中こそ甚大なる被害は発生していなかったが(あくまで山間部に比べれば、である)、山間部には深刻な被害が発生していた。
 この地震の被害のシンボル的に扱われるものの一つに、旧山古志村の全村避難が上げられる。旧山古志村は、翌春に長岡市に合併する予定であった。
 山間部を縫うように走る道路は、大規模な地殻変動と田んぼや鯉池が崩壊したことで寸断破壊され、村は完全に孤立した。長島村長(当時)は、余震続く中、現状での復旧は難しいと、全村避難を3日目に敢行した。
 ほんの少しの間、のつもりで最低限の荷物を持ってヘリに乗り込んだ村民たちは、最終的に3年近くの避難生活を送るようになる。
 長岡大手高校の避難所から郊外の仮設住宅に集団で移った村民は、新たに畑を耕し、互いに助け合いながら、村に戻れる日を待っていた。




▲2008年8月3日 フェニックス
 ちょっとマンネリ気味?


 何もかも山を離れ、何もかも慣れない避難生活。
 時に荒れ、時に涙した村民の心の支えとなったのはラジオから流れてきた平原綾香の「ジュピター」であった。歌詞の「ひとりじゃない」に慰められ、助けられたという。
 このエピソードは広く知られ、翌2005年に震災復興花火(フェニックス)を上げる際、そのテーマソングに「ジュピター」が決まったのはごく自然の流れだったのだろう。
 
 なお、フェニックスは実は地震被害だけを復興対象としているのではない。地震以前、2004年7.13水害によっても長岡市は被害を受けており、そして震災後の冬はおよそ20年ぶりの豪雪となった。これらからの総合的な復興の意味をも背負っている。
 追悼で始まった長岡まつりらしい試みである。
 当初から10年限定で上げると宣言している。それは、復興には10年はかかるだろうからということである。


 え、もう復興したんじゃないの? って感じる人も多いだろう。
 確かに日常生活はほぼ元に戻った。でも心は…。
 私の同級生に本当に生死の境を切り抜けた人がいるが、彼女がその時のことを話せるようになったのは5年後のことであった。まだまだ心は思うままにならない。
 それにね、山間部を行くといまだに復興工事の跡が残っているんだよね。しょうがないけれど、本当はこのコンクリートで固められたところには緑の植物が生い茂っていたはずなのに…と思うと、なかなかすっきりしないのだよ。ちょっと心が内向きになっているとあの白いコンクリートは包帯のように見えてきて、思わず落涙してしまうこともある。
 あくまで個人的な意見だが、私はあのコンクリートが旺盛な自然に覆い隠されるその日まで、復興は完了しないのだと心の中で思っている。

 


▲2009年8月3日 フェニックスに二尺玉が組み込まれるようになる
 デジイチでの撮影開始


 だから、あのフェニックスはすべての「被災者」に捧げられたものだと思うんだよね。
 それを今回は、東日本大震災の「被災者」に祈り捧げようという。
 長岡に限らず、新潟県には今、福島などから非難してきている人が何千人もいる。小千谷にもいる。今回は多分長岡市内で避難している人が対象だろうが、そういった避難者を長岡花火に招待して、このフェニックスを見てもらうのだという。
 それは長岡花火の根底にある「追悼」にふさわしい。

 いろんな問題や非難はあるだろうが、それは決して根本的な問題ではないと思う。長岡の花火が長岡の花火である限り、その意義は揺るがないと思う。

 フェニックスを見ると涙が流れてくるという人は多い。
 そのほとんどは感動なんだろうけれど、あそこで見ている人のすべてがその思いだけではないだろう。
 地震の記憶とその後の苦労の記憶、そしてそれでも今こうやって平和に花火を見ることのできる感謝の気持ちがないまぜになって、心からあふれてきたものが涙になっているのではないだろうか。でないと、私の涙の説明は付かない。




▲2010年8月2日 ニューフェニックス(二尺玉6玉中4発)



 真っ暗で無いときのフェニックスが心配という人もいたが、私は実はワクワクしている。
 暮れなずむ空の蒼いキャンバスに咲く花火は、夜の花火とはちょっと風情が異なり、実はとっても好きだったりする。例年、長岡花火はそんな状態から打ち上げ始めるので、最初のウチはわざと長めにシャッターを開けて意識的背景を青くして撮っていたりする。
 当然、花火師もそういう状況を想定してプログラムを組んでくるのだろうから(欽ちゃん頼みますよ)、どんなフェニックスを見せてくれるのか期待している。

 あ、でも二尺(今年は3発らしい)は多分錦冠だからちょっと迫力不足になっちゃうかもね。↑上の画像は、二尺が4発写っているのだが、奥の方が明るい。なんとなく奥の方がO社様のような気がするのだが…。であれば、こちらの色の方が藍空には負けないぞ。
 まぁ、それはそれでいいのだが…。



 だって、6枚のフェニックスはすべて表情が違うじゃないか。

猛暑確定である

2011-06-14 22:36:00 | 雑事つれづれ


▲ヤシ入り牡丹とスターマイン「愛の輪」@西枇杷島まつり花火大会 2011/6/4

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 改めて言うまでもなく、この夏のキーワードは「節電」である。今までは梅雨寒だったのであんまり気にならなかったが(いや、少々蒸すなぁとは感じたけれど)、ここ2日ばかり、尋常ではない。


 オフィス環境が最悪。
 会社は西新宿の高層ビル群の一角にある。管理は某財閥系不動産が行っている。
 その会社は、うちのビルだけではなく都内だけでもいくつも高層ビルを持っている不動産界では大手である。当然、そういう会社には「この夏15%節電」が義務付けられている。達成できないとペナルティが取られるそうだ。
 それだけ夏の電力事情がひっ迫しているということだ。

 震災以来、いろんなものが節電されている。
 温水ストップ、暖房機付き便座もストップ、ジェットタオルもストップ(昨年手拭紙から切り替えられたばかり)、自販機の明かりも落とされ、エレベーターホールなどの共用部は1/3ぐらいの照明しかついていない(おかげで、そこで出会う人はシルエットしか見えず、クライアントが多いビル内の行動は異様なほどの緊張感にさらされる)。エレベーターは1台停止され(待ち時間長っ)ている。
 まぁ、これらはまだ全然許容範囲である。

 本番は夏。館内温度を28度にするという。
 しかし、それが大変。
 何しろ高層ビルであるから(ウチは似非だけど)、窓が開かない。空調が換気にもなるので、それが止まると空気がよどむ。もう、「もったり」とした空気感である。
 そして、今どきのオフィスは「発熱機」で溢れている。
 パソコン(各自に1台)、ファックス、コピー機(高性能機が5台ある)、プリンター、サーバー、デスクライトなどなど…。どれも仕事には欠かせないモノばかり。だけど動作には発熱が付きまとうものばかり…。

 例年の空調でも夏は暑いぐらいのオフィスである。
 それが28度の節電モードにするとなったら…考えたくない。


 すでに昨日の午後には1日働きに働いた機器類の発熱で、室内温度は35度オーバー。猛暑日である。終業間近は、みなドロドロになっていた。思考停止。残業なんてできっこないって、終業時間と同時に飛び出した。
 そして今朝、朝一の室内の温度は31度。外の温度は21度そこそこだというのに、朝から真夏日となっている。夜のうちは機器は止まっているから、排熱が一切できていないということになる。この室温はそこから下がることは決してない、右肩上がりの温度上昇のみが約束されている。せめて窓さえあけば…。
 持ってきた弁当も昼までに腐りそうだ。


 さすがに前日の惨状を目の当たりにした上長が、ビル管理会社に連絡をして空調を少し回してもらう。
 それでも終日30度を切ることはなかった。

 おいおい、室温28度じゃなかったのかい?
 

 節電は分かる。でも窓が開かないガラスの牢獄は拷問場所と化す。同僚はもうすぐ窓ガラスを割りそうである。
 本当に、この夏、大丈夫なのかな…。
 自分の体。

アジサイで花火

2011-06-12 21:58:00 | お出かけ



▲西枇杷島まつりの花火 2011/6/4

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 今日、日中は雨が落ちてこないというので、通勤定期券内で行ける堀之内妙法寺に行ってきた。交通費タダ、拝観料タダである(笑)。


 2年前にも行ったのだが、その時は大雨の押していったので、全身ぬれねずみ。今回は、雨には降られなかったけれど、夜になってから激しい雨雲が近づいている。
 アジサイとはやはりそんな花なんだね。

 アジサイは、まだ4分咲きといった感じだった。咲いているアジサイも色づき始めたという感じで、少々物足りない感じ。
 でもその分、ハナショウブがまだ咲いていて、両方見られてラッキーということか。アジサイ満開時にハナショウブは終わっているのだよね~。

 それほど大きくないからか、はたまた墓地の真隣りという立地からなのか、思ったほど人出はない。
 タダなのにね(そこ強調する?)
 今も檀家さんを多く抱えているようで本堂は建て替え中、花を見ている間も、修行中のぼんさんの声明などが聞こえてくる。ある意味、観光とは一線を引いたお寺さんである。
 明日なら厄除けのご縁日らしいんだけれどね。

 ここは名札が付いていないので、品種名などはさっぱりである。
 ただ、アジサイの方には「墨田の花火」の系統が…。上から見ると、花火の名が冠せられたのも納得である。


 ということで、アジサイとハナショウブはデジブックの方にまとめておいたので、時間があるときに見てみてください(30日限定公開)。
<object width="'460'" height="'335'"><param name="'movie'" value="'http://www.digibook.net/p/95SZUNJ8f7U-GmVb/'"/><param name="'wmode'" value="'transparent'"/><embed src="'http://www.digibook.net/p/95SZUNJ8f7U-GmVb/'" type="'application/x-shockwave-flash'" wmode="'transparent'" width="'460'" height="'335'"></embed></object>