▲気仙沼・鹿折地区に今も残る津波で流されてきた漁船。周辺はまだ更地のままだけに目立つ。
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花火鑑賞士の集いの翌日は、気仙沼に足を向けた。2006年に取材で訪れて以来、震災後が気になっていたところだ。
朝7:33のこまちに乗って盛岡へ。盛岡から東北本線の各駅停車に乗って一ノ関へ(新幹線でも行けるけれど、その先の接続が不便なので時間調整を兼ねての各駅停車利用)。そして一ノ関から大船渡線で気仙沼に12:09到着。
東北本線は途中でやけに混んでいたが、そのほとんどは平泉で下りていった。世界遺産様様ってところだね。その東北本線は踏切に誰かが侵入したのか、電車が5分以上止まってしまい乗り換えがギリギリの私はドキドキしたが、何とか発車1分前に到着。お向かいの大船渡線に飛び乗った。
2両編成のディーゼルカーは藤の花咲く山間を抜けて海を目指す。こちらも途中の猊鼻渓でほとんどの人が降りてしまったが、それでも10人ぐらいは終点まで乗っていた。
▲気仙沼駅。大船渡線の現在の終着点。この先は津波でレールが流されたまま…。
気仙沼では歓迎の横断幕を持ったスタッフが「ようこそ気仙沼へ!!」と出迎えてくれた。うーん、そんなにテンションが高いとこちらが気恥ずかしいのだが…。
観光案内所で巡回バス(100円)のことを教えてもらい、それに乗って出発。
バスには先ほどのスタッフも3名乗りこんで、少しずつ町の説明をしてくれる。ただ、多分本業じゃないんだろうね。突っ込んだ話はちょっと分からないようだった。まぁ、私のマニアックなツッコミは(鹿折地区に転がっていた早池峰山の石碑※の意味。気仙沼からは見えない岩手の山であるのに何故?)、完全に予想の斜め上を行くから仕方ないのだけれどね。
※どうやらもともと早池峰山信仰はこの気仙沼周辺の海辺にも広がっていたらしく、おそらくその関連の石碑ではないかと推察される。明治か大正かの建立ではないのかな。
▲打ち上げられた船の真横を県道46号線・東浜街道が通る。海沿いを走るメインルートのため、鉄道代替のバス(BRT)も観光バスもここを通る。
バスは、市役所前を通り過ぎて、津波と火災の被害で壊滅状態の鹿折地区へ。津波は鹿折川をさかのぼって、川からあふれる形でこの地域を襲ったらしい。石巻と同じ形である。
目の前に巨大な船が打ち上げられているのが見えてきた。ちょうど道路がその脇を通る形となっており、この日も一般の人が車を降りて見物していた。
周辺に何もない中にこの船と「復幸マルシェ」(停留所近く)という仮設の商店街があるのみ。
周辺はがれきを片付けただけで、まだ家を建てることができない。
なぜなら、地盤沈下があって、3メートルほど嵩上げが予定されているから。だけど、まだその工事に手が着いていないような感じなのだよね。こんな状態では人々が戻るのはいつになるのか。
▲鹿折地区の地盤沈下。沈み込んだガードレールの脇に新たにガードレールを設置している
一部の人々がこの船を残してほしいという気持ちは分かるが、本来海にあるべきものを無理に陸に留めておくには莫大な費用がかかる。鉄の腐食を考えると、ドーム型の建物で覆うとして何億もの維持費が必要になるそうだ。その何億の金は今困っている人に先に使う方が本分だと思う意見も強いので、実現できずにいるようっだ。
ちなみに報じられているように船主は解体撤去の方向で考えているらしい。
▲五十鈴神社脇から対岸の魚市場を望む。津波で流された浮見堂の復旧は未定。気仙沼の港まつりの花火はこの辺りから打ち上がる。
▲土台だけを残して失われた家。こんなのが至る所にある
魚市場前でバスを降りた。
もちろん、この魚市場も津波をもろにかぶっている。建築物本体は壊滅的な損壊はなかったようで被災3カ月後に魚市場は再開した。しかし、接岸施設やさまざまな施設は失われてしまって、今も復旧工事が続いている。
ここの魚市場は2階相当位置に見学デッキが設けられており、だれでも見学できる。もちろん日曜日の午後はもうセリもすっかり終わって無人状態であるが、以前朝早くに訪れた時にはそこに並ぶ魚の豊富さに圧倒された。
▲気仙沼の魚市場屋上から望む湾内。本来杭が見えているところも波止場であるが、津波でめくれ上げられ持って行かれたようだ
▲魚市場内部。波止場が持って行かれているのは魚市場正面も同様で、半分以上はまだ復旧工事中のようだ
▲2006年にここを訪れた時は、この辺りには一面にマグロやサメがズラリと並んでいてそれはそれは壮観だったが、こちらもまだ復旧工事中のようだ
魚市場周辺の施設も多く被災しており、その多くはまだ復旧していない。更地も点在している。
▲魚市場隣のリアスシャークミュージアム。気仙沼といえば、フカヒレということでサメの博物館であった。現在も休館中
▲リアスシャークミュージアムの裏は海市場という物産販売所だった。津波はこちら側から侵入し、ミュージアム正面側に抜けて行った
▲サメの模型もどこか寂しそうで…
しかし、確かな復興も確実にある。
▲魚市場の対岸の造船所はフル稼働中。石巻もそうだったが、海の町は船が無ければ復興できないということだろう。
▲造船所の数百メートル右側に民家が残っている一角があった。ブルーシートで覆われているのは寺だろうか。対岸の民家は軒並み流されているだけに、ちょっと不思議な雰囲気がした。
魚市場を離れ、歩き始める。
▲魚市場の近くにヤマオダマキが咲いていた
▲まだまだ復興途上である。後ろに見えるのは私が2006年に取材でお世話になったホテル。気仙沼は海沿いに山がそそり立つ土地のため、崖の上の建物には津波の害は及ばなかった。
▲気仙沼女子高等学校。こちらも高台にあったため、津波被害はほとんどなかったが、津波後の火災を避けるために山を越えて避難したという。この独特の建物が一部マニアには受けていたのだが、震災を機に生徒が集まらないと閉校するらしい。生徒や教職員には寝耳に水の話だったらしい。
港に面した「お魚市場」は魚市場とほぼ同じ時期に再開した物品販売店である。レストランも併設されており、今は団体ツアーも訪れる場所の一つだ。
この日も見覚えのある(クライアント)のツアーが昼食に立ち寄っていた。この団体の用海鮮丼大量作成のために、多くの一般客が待たされていたのは不問にしよう。
▲お魚市場のレストラン鮮で昼食。2日前から上がり始めたという初鰹のお刺し身定食1,300円也。生カツオが甘くておいしい上にボリューム満点!
2日前からカツオが上がっているという話を聞いたのでここは迷わずかつお刺し身定食でしょう。正真正銘、初鰹である。
さらに、「今日中に帰るんだったらこれ持ってって!」の声に惹かれて、未冷凍の生のカツオのたたきを購入。真空パックなうえに氷を付けてくれたので、東京まで無事に持って帰れた(うまかった)。
食後、駅に向かって(少々鹿折地区に寄り道もしたが)再び歩き始める。
気仙沼は港に面して「風待ちの町」作りを進めていた。ここに登録有形文化財の建物がいくつかあったのだが、それらも津波の被害を受けている
▲登録有形文化財の男山本店の現状。下が被災前。3階建てだったのに、下2階はどこに行ったのだ!?
▲同じく登録有形文化財の角星店舗。応急措置はしてあるが、今年度の復旧作業は未定のようだ
▲市内のあちこちに津波到達位置がマーキングしてある
プラプラしていたら、洋菓子屋さんがあったので、ここでお菓子を購入。もちろん2階まで津波の被害に遭ったお店である。
そうこうしているうちに駅に到着。
気仙沼の駅からは今度は特急バスで一ノ関へ。一ノ関からの新幹線はE5系(はやぶさタイプ)ののびのび車両で、前夜3時間睡眠の身には爆眠に最適だった。