針の父親が亡くなって、数えで13年経った。早いもんですなあ!。自分の心の中ではまだついこの間の様だと思っています。で、麻布十番にあるお寺さんに、法要を頼みに行きましたら、玄関先に置いてある傘立になにやら、文字が書いてあります。
あれれ、これ何か見た事あるぞ!。「將進酒」、李白の詩じゃないか!。この白い陶器、李白が斗酒を喰らう器なら分からないではないのですが、傘立になっているのは、ちと寂しい感じもあるのですがね。
で、器をぐるりと回して読む訳にもいかないので、我が家にある、「中華飲酒詩選」を引っ張り出すことに。針も冒頭の「君不見黄河之水天上來、 奔流到海不復回」の一節は知っているが当然全編は知らないね。
將進酒
① 君不見黄河之水天上來、 奔流到海不復回。
君見ずや黄河の水天上より来る。奔流して海に到り復回ら不。
君も見た事があるだろう?。黄河の水は天上を源にして東海に到り再び帰らないじゃないか。
② 君不見高堂明鏡悲白髪、 朝如絲暮成雪。人生得意須盡歡、莫使金樽空對月
君見ずや高堂の明鏡、白髪を悲しむ。朝(あした)には絲の如く暮には雪と成る。 人生、意を得て須(すべからく)歡を盡すべし。金樽をして空しく月に對せしむる莫れ。
君は見た事があるだろう?。高堂の鏡に悲しむ白髪を。朝(若い頃は)には絲(くろいと)の如く黒かったけど、暮れ(晩年)には雪のように白くなったじゃないか。短い人生は心まかせにして、須く歓楽を尽くすべきだ。金樽をただ月明かりに照らしているだけじゃ駄目だぞ。酒を飾って眺めているようじゃだめだ。
③ 天生我材必有用、 千金散盡還復來。烹羊宰牛且爲樂、會須一飲三百杯。
天、我が材を生ずる必ず用いる有り、千金散じ盡(つく)して還(なお)復(また)来る。羊を烹(にて)牛を宰(き)りて且(しばら)く楽しみをなさん、會(まさに)須(すべからく)一飲、三百杯なるべし。
天が我が才能を使う為に自分を産ませた以上、必ず何か用いる処があるにちがいない。千金を使い果たしてもまた元通り金は戻ってくる。羊を煮て牛を割いておおいにやろうじゃないか。一気に三百杯のむべし。
④ 岑夫子 丹丘生、進酒君莫停。與君歌一曲、請君爲我傾耳聽。
岑夫子 丹丘生、酒を進む、君停むる莫れ。君が為に一曲を歌わん、請う君我が為に耳を傾けて聴け。
岑先生よ、 丹丘さんよ、酒飲もうぜ。杯を停めたもうな(杯を置くんじゃないよ)。君の為に一曲歌うから。君よ我が為に耳を傾けてくれたまえ。
⑤ 鐘鼓饌玉不足貴、但願長醉不用醒。古來聖賢皆寂寞、惟有飲者留其名。
鐘鼓、饌玉、貴ぶに足らず。但だ、願わくば長酔して、醒むるを用いざるを。古来聖賢は皆寂寞たり。惟飲者の其の名を留むる有り。
妙音も美饌も貴ぶに足らず。但だ、いつまでも酔うていて、(=醒めたくない)古(いにしえ)より聖賢も死んでしまえば、後はひっそり、ただ、酒飲みだけが名を残している。
⑥陳王昔時宴平樂、斗酒十千恣歡謔。主人何爲言少銭、徑須沽取對君酌。
陳王 昔時 平樂に宴し、斗酒十千歡謔(かんぎゃく)を恣(ほしいまま)にす。主人何爲(なんすれぞ)銭、少なしと言わんや。徑(ただち)に須(すべか)らく沽取(こしゅ)し、君に對して酌むべし。
昔、陳思王平樂観に宴を張り一斗一万銭の美酒を酌んで大騒ぎしたと聞いている。主宰する主人が何で金が足りないなんていえるかよ。すぐさま酒をかってきて、君等と飲もうじゃないか。
⑦ 五花馬、千金裘。呼兒將出換美酒、與爾同銷萬古愁。
五花の馬、千金の裘(きゅう)、兒を呼び將(もち)出して美酒に換(か)え、爾と同じく銷さん萬古の愁。
五花の良馬、千金の皮衣(かわごろも)、千金の裘、子供を呼び持ち出して美酒に換(か)えさせ、貴公と一緒に萬年の積る愁いを打消そう。大事そうろうにいい馬。千金の皮衣を持って自慢なんかしてないで日頃の憂さを晴らそうじゃないか。
飲三百杯:後漢の松に名儒の鄭玄が袁紹の元を辞す時に会席した300人が代わる代わるに杯を捧げたので朝から飲んで暮れるまで、掛かったのだが、少しも乱れなかったんだってさ。そんな事ある訳ないじゃん。でも針の同級生で虎の門の「第一楼」の中国人の友人が飲み方が凄く、強い酒をぐいぐい勧められても平気の平左だったのを覚えています。日本人と酒の酔い方の構造が違うと感じています。
陳思王っていうのは、これも三国時代の魏の曹操の次男の曹植の事ね。あの「豆を煮るに豆殻を以てする・・」の「七歩詩」を歌った人ね。
ま、いろいろ穿れば沢山出てくるけど、要は「酒を飲むのに体裁なんか構っていないで、理屈をこねないで、ガンガン飲もう」なんて、針の勝手な解釈でありました。ジャンジャン!。