ニシンの産卵来襲。 3月1日に、寿都町樽岸の国道229脇の海岸でニシンの産卵があったらしい。 これを「群来・くき」と言います。海藻に産卵しオスが一斉に精子を放出するので海が真っ白になります。 海が盛り上がるほどだと聞いたことがありましたが、このドローン写真ではわからないなあ。 こんな場所に海草(ふつうは昆布らしいが・・)の森があったんだろうかと驚いた。
もう10年くらい昔になるだろうか、あれは6月か7月、子ども等と磯遊びをしていたら、メダカほどの魚がたくさん集まっていて、掬い上げてみると、小さなニシンのようだったので、そのまま生で食べてみたら間違いなくニシン味だったことがあったなあ。 それから逆算すると3月1日の産卵は早すぎるような気もしますが・・・。
ニシンは、春告魚とも書くので、まさしく「今」だな。
明治・大正、昭和初期までの北海道の日本海沿岸は大量のニシン漁でわいた歴史がある。各漁港ごとに何十万石もの水揚げがあったと記録がある。この石(こく)という単位は今ではわかりにくいですが、 江戸時代の武士の給与や藩財政は「石高・こくだか」で表していましたね、加賀百万石などとね。
これは体積の単位で,コメで換算すると 1石=10斗=100升(しょう)=1000合=約180リットルです。時代の変遷もあるでしょうが、広辞苑によると、漁獲高の場合は, 鮭で40尾、和船の積量や材木では10立方尺=約0.28立法メートルとなります。 なんだか量る物によって違いがありそうだなあ・・。まっ、ざっと換算すると、1万石のニシンの水揚げは小学校の体育館くらいの量になりそうです・・・。
ニシンは昭和中期頃より、すっかりと姿を消してしまい、ニシン漁は衰退してしまいました。その理由は潮流や海水温変化などいろいろと推測されているのですが、「まぁー、とりすぎてしまったんだろうな」と私は思うわけです・・・。
ところで、そんなに大量のニシンを人が食するだけは消費しきれない・・、なので、油をとったり(化け猫が行灯の油をなめるわけだ・・)油をとった残りカスも固めて利用していました。燃料として利用するならわかりやすいが、そのカスはどうしたのだろうと思って調べてみると、 なんと、北前船に乗って関西方面に輸出されていたのですね。それは畑の肥料となりました。 それは綿花栽培にとても有効で、木綿繊維の大量生産に結びつき、庶民が木綿着物を着られるように貢献したとの資料を読んで、 あっと驚いたのでありました。
ニシンはめっきり漁獲が減っていたのですが、今朝の市場は何十石もの水揚げで湧いたようです。 みんな上手に産卵ができたあとだったのかなあ・・。