たぶん2月17日の深夜にカトマンズ・トリブバン国際空港からネパール航空の直行便で成田に飛びました。行きと同じように機内はほとんどがネパール人でした。 成田到着は18日の朝9時頃だったか・・。帰国にあたっての検疫通過のための書類を用意していたのと、Msanが車椅子利用者なものですから、入国審査の列に並ばずにすんなりと通過できました。 昼ごろに千葉に住む弟が午後に迎えにきてくれることになっていたので、空港から大荷物を宅急便で送る手配をしたりして、空港内をぶらつきましたが、お店は11時開店ばかりで手持ち無沙汰。やっと開いたレストランで天丼なんぞを食べたりして時間を潰しました。
夜は郷里の千葉西船橋泊りで、地元の親族と懇親をすることにしていました。当初は弟家族と予定をしていましたが、高齢の叔父(亡くなった母親の弟)が、普段はもう出歩かないのですが、「晴光が来るなら会いたい」とのことで、その親族一家、従兄弟夫婦等も集まり総勢10数人の宴会となりました。叔父貴は、我が一族の最高齢者となりましたが、元気そうで嬉しかったです。 帰りがけにハグをしたのすが、その感想を「高校生の頃に晴光を抱いて海に行ったことがあったが、それに比べてずいぶんと大きくなったなあ」と後日弟に語ったそうです。 なんだか妙に嬉しいもんだなあ・・。
夜は郷里の千葉西船橋泊りで、地元の親族と懇親をすることにしていました。当初は弟家族と予定をしていましたが、高齢の叔父(亡くなった母親の弟)が、普段はもう出歩かないのですが、「晴光が来るなら会いたい」とのことで、その親族一家、従兄弟夫婦等も集まり総勢10数人の宴会となりました。叔父貴は、我が一族の最高齢者となりましたが、元気そうで嬉しかったです。 帰りがけにハグをしたのすが、その感想を「高校生の頃に晴光を抱いて海に行ったことがあったが、それに比べてずいぶんと大きくなったなあ」と後日弟に語ったそうです。 なんだか妙に嬉しいもんだなあ・・。
そのご、弟とその婿殿と二次会へ行ったのですが、どうもさらに梯子をして、合計4軒もはしごしたらしいのですが、二軒目以降はさっぱり覚えがありません・・・。「俺、ルピーしか持っていないから」と言っていたのは覚えているので、すべてご馳走になったんだな・・・。 お返しはいずれ・・・。
そして、翌日、再び弟に世話になって羽田へ送ってもらい、19日かな、千歳に到着。 チコチュンズが出迎えてくれました。
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10日間も雪のない暖かで、かつ喧騒な場所にいたので・・、まるで別世界に感じる黒松内でした。
ラディカさんにはもうひとり妹がいるのですが、その結婚式にまたネパールにいけるかなあ・・・。