高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

お~!!! 懐かしや!!!

2018-09-26 20:38:24 | 日記

プリント写真から転写したんだろうか。実に懐かしい写真をデーターで頂いた。

札幌新川にあった複合温泉レジャー施設「ビックシップ」。私の最初の転職だった。30歳頃だったか、新卒で就職した貿易会社で社長とぶつかっちゃって、「もうやってられない」と退職。そんな私を拾ってくれたのが、とある不動産会社。ときはバブル景気の真っ最中。事業開発部という職場に入ってすぐに、この健康レジャー温泉施設の開発計画に携わった。担当役員にスタッフ3名という小隊からスタートして、3年後にはパート・アルバイトを含めて400人規模の施設のオープンから創業期には現場スタッフもした。昭和末期で、オープンするかしないか、その準備が間に合わないと焦ると同時期、昭和天皇崩御と競争だった(不謹慎であったが、重篤でご入院中にはオープンできない、少しでも長生きして欲しいと願った・・・。)

人生のあらゆる体験をさせてもらったような4、5年であった・・。 開業準備室では、あらゆる調度品の見積もり計算をするためにさまざまな業者と接触した。前職の貿易営業も役にたった。 建築屋はもとより、調度品、家具、什器、厨房機器、ユニホーム、スポーツジム機器、入浴資材・・・、 自前のランドリーを作るためにクリーニング屋にも実習に行き、どんな機械が何台必要かの積算もした。 どんな職種役割の従業員が何人必要かのシフトシュミレーションと人件費の算出。求人作業、広告宣伝の企画となんでもやりながら、準備室のスタッフも徐々に増やした。そして、オープン後に責任者となる予定のスポーツクラブのスタッフ・インストラクター・フロントのヘッドハンティング。

めちゃくちゃに忙しかった開業。1週間は泊まり込みで,浴衣・タオルの洗濯・折り畳み、飲食コーナーの皿洗い,いちゃもんつけに来るヤクザの対応、果ては、館内イベントの着ぐるみ劇で被り物つけて舞台にも立った・・・。

健康ランドと称しつつも、スポーツクラブは平日は夜12時まで、祝日前は午前2時までの営業。 10時出勤の明け方帰宅の毎日であった。スタッフにとっては不健康ランドであった・・・な。

あげくのはては、 正しくバブリーそのもので、開業1年半後には、リストラ計画とその実行まで担当した・・・。

激動の数年であった。 一方、この時代に水泳教室に通う子ども対象に、初めて野外キャンプを有償で始めたのであった。

昭和時代の終盤をぎっしりと詰め込んだようなレジャー施設だった。 喜怒哀楽に溢れ、仕事に必要な能力を一気に叩き込まれた数年であった。 

この体験、仕事がなかったら、今のアタシは形成されなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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