高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

テレックス

2021-07-13 11:29:33 | 日記

懐かしい機械の写真を入手しました。

Telex テレックス・・、なんて実物を見たことがある人はもう60代以上でしょうし、これを使う仕事をしていた人以外は知らない、もう博物館級の代物かもしれないなあ。

私が大学を卒業して最初に就職したのは、小さな貿易会社でした。主に農業機械を輸入している会社だったのですが、それは昭和55年位だったかなあ・・。 パーソナルコンピューターもまだない時代。海外とのやりとりは、手紙と緊急の場合はもっぱらこのテレックスという機械でした。 発信するためには、幅2cm弱の紙テープに小さな穴を開けます。穴の位置がアルファベットに対応しているのです。タイプを打つとテープにせん孔されると同時に紙にもタイプされます。英語が不得意(できない)ままに入社した新人のアタシは、文章を作っては上司のチェックを受けました。 スペルを1字間違えれば、テープは最初から作り直さなければなりません。けっこうたいへんな仕事でありました。

今で言うチャットのように、同時双方向の通信もできました。先方からの言葉は印字されて打ち出されて来るので、それに対して打信返信するのです。 当時の最大の仕事は、トワインという牧草収穫で使う麻紐をアフリカタンザニアから輸入する取引でした。 私はデリバリーという輸送と外国為替を担当していました。 一回の船出金額は100万ドル単位でした。為替変動で一円違うと100万円の単位で決済額が変動するので、私のせいではないのに社長はイライラし怒鳴り散らされて胃が痛い毎日でした。(よく耐えたもんだ・・、耐えられなくなり、別の事情もあり社長とぶつかっちゃって7,8年ほどで辞めましたが・・)外国為替決済は先物買いをしているので、ある程度はリスクを低減できるのですが、納期を守ることは至難でした。 なんといっても、常識が違うアフリカのこと・・。 港を出港する時間までに向上から運ばねばならないのですが、 やれトラックがパンクしただの、材料が揃わないなどと次から次へと遅れる連絡がきました。その度に、アタシが社長に「なんとかしろ!!」と発破がかけられるのです・・、たまったもんじゃあありません。 あるとき、このテレックスで先方のデリバリー担当者とやりとりしたことがありました。 そうそう、トラックがパンクしていると言いわけをして来た時でした。

融通のきかない厳つい黒人男性がやりとりの相手だと思っていたのですが、 What your name pls の回答は、Margaret でした。 マーガレットォ!! どんな女性が向こうのテレックスの前に座っているんだろかと想像すると、強引極まりない一方通行の感情だけで文章をやりとりする自分が恥ずかしくなったなあ。

ちょうどその頃、陸上マラソンでイカンガーというタンザニア選手が日本選手と常に競っていたので、彼女の顔はイカンガーを想像していましたが・・。

PS その後、事務所に国際通信もできるFaxが導入されました。昨今のコピー機の半分もあろうかという大きさでしたなあ・・・。 それをもって、図面のやりとりができた時は、驚愕したなあ・・。 外為業務は、ヨーロッパは国ごとに通貨が異なっていた時代ですから、先物買いをする場合は予定する先物金額をそれぞれ計算して合計決済額予想表を作ったのですが、パソコンもエクセルもない時代。つまり手元の計算機を指で叩いて算数をしていたのですが、よくまあ、そんなことを出来たもんだと、数字が苦手なアタシ自身がビックリするなあ・・もう。

との昔ばなしでした・・。

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青桐の家

2021-07-12 14:53:05 | 日記

あっ、ついに無くなった!!  洞爺湖月浦地区の高台にあった宿泊施設です。 ここはもともとは、埼玉で学習私塾をしていた芳賀さんという方が、洞爺湖中学校に通う都会の子供たちの山村留学の寄宿施設として私財を投じて造られたものでした。 山村留学が途絶えて空家になった施設を縁あってその管理を受けたのは、NPOねおすの初期の頃、1990年代後半だっただろうか。 二段ベットの宿舎棟と厨房と今のある本館があり、30名ほどの収容が可能で、洞爺湖を見わたす絶好地でした。 敷地内にはサクランボの木がたくさんあって、時期には取り放題だったなあ。 それは黒松内に移住する前で、夏はいつ来てもいつ帰ってもいいような滞在プログラムをやったりしていました。 週末には誰かが管理にゆくようにして、2年間は預かっていました。 今の黒松内ぶなの森自然学校の前身のようなことを試行錯誤し始めた時期でもありました。 しかし、常駐したわけでなく、札幌からの通いの通年の管理は負担が大きくて契約継続ができませんでした。 その後は、虻田高校バレー部の寄宿舎になったとは聞いていましたが、もう5,6年以上前からは廃屋になっていて、訪ねた時は宿舎の屋根や壁も相当に傷んでしまっていました・・。

昨日(2021.07.02)に洞爺湖を訪ねたおりに久しぶりに現地に行ってみました。 遂に建物は取り壊され更地になっていました。

自然体験活動を仕事にしてゆく初期の段階におおいにその実顕地となった場所であり、感慨深いものがありました。 芳賀さんはずいぶん前にお亡くなりになられたと噂でお聞きしたことがありました。 改めて、感謝合掌・・・。

 





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Numo

2021-07-11 13:46:19 | 震災支援・脱原発・環境問題

隣町寿都町では、核ゴミの最終処分場を建設するための文献調査が町長の独断決裁で開始されています。その実施主体のNUMOとは、原子力発電環境整備機構(NUMO)といい国の機関です。原子力発電所で使い終えた燃料を再処理する過程で発生する高レベル放射性廃棄物等を地層処分する事業の実施主体で、最終処分場建設予定地の選定から最終処分の実施、処分場閉鎖後の管理等、最終処分事業に関する事業全般を行います。

NUMOが主催する(NUMOが主催すること自体が寿都町不在なのですが・・)対話の場が町内で順次開催されています。地層処分の開設説得会でしかないのですが・・、その対話の場の参加者は公募もなく寿都町から委嘱を受けている人たちだけで構成されていること自体も、その場自体が「地層処分ありき」であることがそもそも問題です。 昨日「寿都町の将来を考える会」みたいな集まりへの参加者募集が別途始まったようですが、この主催者もNUMOなのです。

これに対して、町民や北海道全体でこの問題を考えようという組織での対話の会合も始まっています。自分たちの町の将来のことを自分たちで考えてゆこうとの機運が生まれていることに希望を感じます。

秋にある町長選では、核ゴミ最終処分場建設につながる調査をも反対する元町議・元役場職員が立候補を表明しました。私は隣町住民ですので、選挙には直接関われないことにもどかしさをとても感じています。この問題はいち地域、いち町村で決定されるべきことではないのですが、法律の建て付けは、それができるようになっているのです。

しかし、近隣町村だけでなく、北海道民、国民全員が自分ごととして考えて欲しいことです。

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徒然に……、

2021-07-09 14:04:57 | 頭脳の微分積分

やらねばならぬことは、あしたにしよう!! は、けっこうアタシの人生訓なのであります・・。 

頭の中の微分積分。つらつらと思い浮かぶこと、感じることを次々と言語化すると 今の自分が浮かび上がります。

◆静岡で土砂災害、山津波事故があり、今も救出作業が続いています。 上流部の土砂捨て盛土が崩壊したと見られているが、当地でも新幹線トンネル残土が同じような盛土工法で盛土されている箇所がある。その下には人家はないが・・、恐いね。

◆雑草にうもれている小庭をきれいにしたいと、草を刈ってみたが・・、その後が継続できていないな。

◆講演や研修仕事は、講師の賞味期限が切れて来ているので、昨年あたりよりさっぱりとなくなっていたが・・、このコロナ禍ではあるけれど、埼玉と旭川から仕事オッファーが来た。 ありがたいことです。

◆今日は半袖では肌寒い。 長袖のアンダーシャツにさきほど着替えました。

◆なんだか久しぶりに、夢あり有意ある若い人の話しを聞いた。ワクワクしたな。

◆ものごとを10年ぐらいのスパンで考えて目標を描いてタスク型で仕事をして来た我が身をふりかえると、あと10年先が描きにくくなっており・・、それは歳のせいだと言ってしまえば、そうなんですが、もういちど30歳くらいに戻りたいなんて、考えるようになっている。それこそ「年寄りに自分で寄っている」と娘に言われるゆえんだが、でもさ、頑張ってきたんだから、もう、日々、自分の居心地の良さで生きるのもいいんんじゃあない・・とも 思っている・・・な。

◆足元の創りあげて来た自然学校を今後どのようにしてゆくかは、絵を書いたところで、その実行に責任は持てないが、このままでは、ただズルズルとしてしまいそうなので、その方向について考えるための整理ごとを言語化、チャート視覚化することには、責任があるな。

◆私の電動ドリルの収納ボックスに入っているべき物を集めて元に戻しておいて欲しい。アタシが使いたい時に揃っていないぞ!!

◆あちこち豪雨になりませんように・・。

◆私が元気なうちに、また身近に自然大災害があるだろうか・・。

◆朝ごはんの残りで弁当を作って、毎日、車でちょっと出かけて、そこで散歩にでも行くかな。 家から歩いてふらふらと散歩ができるコースがないんだなあ・・。

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夢のミニガーデン

2021-07-04 11:29:04 | 日記

我が家は元小学校の校庭の校門脇にある校長、教頭先生が使っていた旧い元教員住宅を2棟を渡り廊下でつないだ構造になっています。(山村留学生を寄宿させていた時代があったので) つまり建坪はコの字場になっており、中庭みたいな空間があり、雑草が繁茂しています。

ここを居心地のいいミニガーデンにできないかとの小さな夢がありますが・・、私は何か構造物を作ることがたいそうな苦手な人なので、出来上がった時のイメージがつくれないのであります。

とりあえず、草刈だけをしてみました・・・。

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完全自動無人化

2021-07-04 08:50:14 | 日記

倶知安にある えぞ接骨院に毎週金曜日、5回連続で通っていました。 交通事故やら腰痛やらで身体がぎくしゃく、首が痛くて回せなくなっていたのですが、たいそう快方してきました。 一段落つけて、次は2週間後に行くことにしました。

コロナ禍ではありますが、倶知安町には長男や次女一家が居住しているので、たまには一族で会食でもするかと、集まりました。 北海道は蔓延防止措置状況ですが、倶知安町では飲食店の時間もアルコール提供制限はありませんので、ひと泊して飲酒することにしたのですが、意外や意外で宿がお高くて見つからず・・、やっと見つけたのはお店からも近く新しいホテル?なので決めました が・・、

ネットで予約段階で気がつけばよかったのですが、ツインで12㎡。 ビジネスホテルならシングル広さなのです。 案の定カミさんと泊まるには極狭かった。 ちょっとは洒落ているが、二段ベットにキッチンもついているゲストハウスのような個室アパートみたいでした。

フロントには人はおらず完全自動化のチェックイン。機械に予約番号を入力して、お金を投入すると、部屋の鍵の暗証番号を教えてくれます。 非接触はやりの世の中になりつつありますが、ここまで自動化されているのかと驚きました。

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頭脳の微分積分

2021-07-01 17:20:18 | 頭脳の微分積分

徒然に頭に去来すること、感じていることを綴ると・・、今の自分の状態が積分されてくる・・。

・今日は良い天気でしたが、夕方になると肌寒くなる。するとハエがパソコン周りに寄ってくる。それもいつも一匹なのだが、これは「五月蝿い(うるさい)」という古来からの日本語より、最近のウザイがまことにしっくりとするな。

・運営している団体の総会仕事が一段落して、ほっとしています。

・菜園が雑草たちに繁茂されている。野菜組を応援せねば!

・ただいま、事務所にひとりなのだが、みんなどこにいるんだろう。

・長女が帰省休息に来ている。彼女がいると、なにかホっとするな。

・たばこは・・、親父のように死ぬ直前までは止めないと思う・・・

・意外や意外に・・、この周りには良い散歩コースがない。家から周遊できるようなコースがとれない。

・車ででかけて、停車して歩けばいいんじゃあないかい。

・常に目標を持ったタスク型で生きてきたけれど、なにもタスクがなくても、もういいんじゃあないかと思っている。

・が、ガーディニングをやりたいとは常々思ってはいる。

・机にあったコーヒー缶の残りを飲んだら、カビ味だった・・。大丈夫かなあ・・。

・身分証明書とやらを町役場から取ろう行ったら、それは本籍のあるとこでないと証明できないと言われてしまった。面倒なり。 戸籍は移動できるのだが、まだ戸籍がいっしょの娘(札幌在住)に、いろいろとそのために書き換え申請しなければならないので「止めて」と言われて断念した。

・Zoom よりも Meetというシステムのほうが手軽なようだ。

・やっぱ、缶コーヒーは、Tullysが一番だな。

・デスクトップのパソコンがWinowsの古いものなので、買い換えるかを悩んでいる。今更新調せんでも、ノートブック型が新しいので、それでいいかあ・・・。

・ハエがウザったい。 殺虫剤まくぞぉ!!

・夕刻のチャイムが鳴ったので(防災無線が カラスが鳴くから帰りましょのメロディががなる、)家に帰るか。

・事務所と家は、徒歩50mの住職近接。

・では、さようなら・・。

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竜神さま

2021-07-01 16:33:28 | 日記
 
 
自然学校の運営委員総会をやっと開催しました。コロナ禍ですが、新しい委員さんにもご就任頂くので、対面で行いました。 旧来からの三木さんと丸口さんと開催前に長万部方面をドライブ散歩しました。 行き先は静狩湿原。
大きなイチイの木がありました。イチイで建てたらしき古い鳥居があり小さな祠がそばにありました。 祀らえていたのは龍神様と馬頭観世音。 かつてはもっとあちらこちらに龍神さんを祀った神社があったようで、この大きな樹のしたに合祈したと看板に書かれていました。 湿原を水抜きして農地牧草地にした開拓時代あったのでしょう。いまやその面影もない荒地となっていますが、かつては水害で苦しんだ小さな集落がたくさんあり、その村ごとに龍神様が祀られていたのではないかと忍ばれました。
 
 
湿原とはいうものの、すでに湿地はごくわずかとなっていて、どこが湿原なのかわかりにくいです。 そんな中でもトキソウが可憐な姿を見せてくれました。
 
 



三木さんのお手元で、お茶もごちそうになり しばし3Gでの歓談、午後のほどよい時間でありましたとさ。

 
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