2010.2.26(金)雨
拾ってきた石の内磁石に反応するのはどちらかな?
今日は磁石を持たずに河原に行く。自分の目で見て、らしい石を拾い、どの程度石を見る目があるか確かめてみようという試みだ。もっともじょんの散歩のついでだからじっくり観察などしてられないので、直感で拾ってゆく。帰ってから磁石を当ててみると10個中4個が反応し、6個は反応しなかった。見た目はどれも同じ石なのになぜこんな結果となるのだろう。実はこのタイプの石は上林川にはいくらでもある石なのだ。どうも納得がいかないので、反応しない石の内最も大きいものをハンマーで割ってみる。大きく割れた面は茶色の錆び状の断面となっており、かすかに磁石に反応する。割れた破片が磁石に吸い付いてくる。予想通りだ、鉄鉱石には変わりないのだが、磁鉄鉱の含有率が影響して磁石の反応の有無があったようだ。
磁鉄鉱といえば釜石製鉄所が有名である。釜石、遠野近辺は磁鉄鉱の有数の産地で含有率が65%もあるそうだ。幕末に各地に砲台を造る際、従来の砂鉄による鉄では砲身が割れ、岩鉄による銑鉄が求められたということだ。仙人峠の釜石鉱山のある大橋に大橋高炉が築かれ、翌年には橋野に橋野高炉が築かれている。これは日本で初の洋式高炉と言うことだ。大橋にはかつて磁石岩と言われる名所があり、磁鉄鉱を含む大岩が雷などの影響を受け磁性を帯びたもののようだ。この岩が最初の高炉を造る契機にもなっていたようだ。
橋野高炉入口と笛吹峠。(2006.10.17)
さて2006年の自転車旅行の際わたしは宮古をスタートして、仙人峠越えで遠野に入る予定をしていた。(2006.10.17参照)ところがとんでもない南風で、南下するのが難しくなり、大槌町から笛吹峠越えをすることになった。仙人峠には大橋高炉が笛吹峠には橋野高炉があったわけだ。ところがその当時高炉のことなど何も知らないし、鉄に関する興味もなかったから何も気にならなかったわけである。橋野高炉跡の入口も通ったが、高炉っていったい何だろうとさえ思っていた。ただそのことが幸いして旅を続けられたわけで、今のように古代の鉄に興味を持っていたら、この地には相当長期間滞在しなければならなかっただろう。
高炉が出来る以前からも産鉄の地であったことはわたしがたどった道々の地名を見ても解る。大槌、小槌、立石山、青の木、片羽山、笛吹峠、金堀沢、糠前など嬉しくなるほど出てくる。つづく
【作業日誌2/26】
ドッグランどオープン看板づくり