2010.3.1(月)曇
遠野という東北の町と私の住む関西の綾部とは何の縁もゆかりも無いように思うのだが、遠野物語を読んでいてあれっと気付くことがあった。六五から六八まで安倍貞任に関する話が出てくる。笛吹峠から北に権現山、界木峠と見て行くと、貞任高原、貞任山というのが見つかる。このあたりの歴史には疎いので、貞任の本拠地が遠野かどうかよく知らないのだが、義家の伝説も多いので、前九年の役の舞台ではあったようだ。
綾部市の黒谷は黒谷和紙で有名だが、安倍貞任の弟、宗任が追っ手に捕獲されたという伝説がある。そして綾部ではないが、京北の宇津から日吉の世木に越える峠を貞任峠という。MTBで北山の峠を駆っているとき、この峠は随分気になっていたのだが今だ訪れたことはない。この峠には貞任の首が埋められたという伝説がある。何でも貞任の父親である頼時の領地があったと言うことである。奥州の俘囚の長といわれる安倍一族の領地がなぜこのような土地にあるのか不思議な話ではある。安倍氏は蝦夷の出身であるという説も見受けられ、貞任の胴を埋めたという有ヶ谷、現在の高谷の北、浅江町周辺に古夷とか夷ヶ谷とかの地名が残るのも何か関連があるのだろうか。
「鉄と俘囚の古代史」(柴田弘武著)では、蝦夷の俘囚を配置した地が別所であり、主に金属産地であるいう説をとなえており、宗任捕獲の舞台となった黒谷、真倉を少し東に行けば別所の地があることは偶然とは思えない。またこの地は舞鶴鉱山として大正時代まで操業していたという。
遠野と丹波が妙なところで繋がっているのに不思議な感じがする。遠野物語発刊100周年(2010.6月)までにもう一度読み直してみたいし、そうすればまた新たな発見がありそうな予感もするのである。
【作業日誌 3/1】
芝生広場草引き、砂撒き
今日のじょん:今夜も食事時に激しく吠えた。何事かと思えば、向かいの工場に灯りが点いている。残業でもされていたんだろう、それにしてもなんという察知能力だ。向かいといってもじょんからは100m近く離れているからだ。