2010.3.7(日)雨
古代のたたら製鉄の要素は豊富な砂鉄(鉱石もあり)と豊富な木炭(初期には木材)、そして風である。鞴が発明されていつでも送風が出来るようになったが、それ以前は自然風を使って薪を積んで燃やし続けていたのである。いわゆる野たたらといわれるものである。野たたらの遺跡の多くが山腹の東南面に存在している、製鉄に関する神社なども東南向きに建っているものが多いそうである。これは風神信仰に根ざすものもあろうと思うが、自然風の利用という意味が多分にあるのではないかと思う。
じょんのび村は睦合町古川というところに存在している。じょんのび谷といってる谷は正式には鎌谷といい、北北西に向かって登っている。西は才ヶ坪といい、小さな谷を越えて小杉という。その西は十倉名畑町古気良で口上林となる。この付近は大宮と呼ばれ河牟奈備神社が在る。南側は上林川で建田三町に向かって急激に屈曲している部分となる。わたしが終の棲家として選んだこの地はいったいどのようなところなんだろうか。
河牟奈備神社がいわれどおり1300年前のものであれば、近在近郷では最も古い神社だし、その境内に数基の古墳があるという事実からも相当古くから開けている地だと思われる。葛禮本神社の石棒は縄文時代のものといわれているし、古川には弥生式土器の出土もあると聞く。いつかは何か確証のあるものを発見してやろうと思っているが、具体的にどうすればよいのかは解らない。現在に生きている遺跡として地名を少し考証してみたい。
古川、「こがわ」と聞いているが、上林風土記には「ふるかわ」と書いてある。もし「こがわ」と呼ばれていたのなら、茨城県古河市のように水草等の生えた荒れた草原を意味するだろう。コガ、クガ、カガなどはそのような地をいうそうだ。(日本地名ルーツ辞典)そういえば京都市伏見区の久我(こが)のあたりもそれらしい地形だ。
江戸川関宿から古河方面、こんな感じの地形をコガという。(2006.11.14)
「ふるかわ」と呼ぶのなら、宮城県古川市のように古い川の流路という意味かもしれない。(日本地名ルーツ辞典)なお古川市の市街を流れる緒絶川(おたえがわ)は北東部を流れる江合川の古い流路だそうだ。現実に念道から古川あたりまでは上林川の河岸段丘となっており、地中からは円い大きな石が無数に出てくる。古い流路といっても不思議ではない。つづく、前半に野たたらの話を書いたのは次回で説明しよう。
じょんのび村開拓時代(2008.5.2)こんな石がゴロゴロ出てくる。
今日のじょん:連日の雨でじょんの散歩に苦労している。レインコートを着せたり脱がしたり、身体拭いたり乾かしたり、かみさんの苦労は大変だ。ところがじょん自身もコート着るのが大嫌いで、朝な夕なに固まっている。