晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

じょんのびロマン(3) 3/9

2010-03-09 | 歴史・民俗

2010.3.9(火)雪

 じょんのび村の西は才ヶ坪(さいがつぼ)という小字である。実はこの小字名が一番気になっている地名である。サヒというのが鉄の古語で、サビ、サム、ソホ、ソブなどと転化するということを紹介したが、地名として寒河江(さがえ)、祖父江(そぶえ)雑賀(さいが)、寒川、草加などがある。賽の神も本来はサヒ(鉄)の神であったという記述もある。(古代の鉄と神々)
 以前に三和町の上川合上地に伝わる、山の神行事について記したが
(2009.7.13参照)、その際ササノ神にも参る旨書いた。子供達はササノ神と呼んでいたがおそらくそれは賽の神だと思う。その地域に我が家の田んぼがあり、サイノキと呼んだ。登記簿にはその地名が無く、通称の地名だったのかもしれない。そのサイノキから大きな谷が登っている。山は深山といったが谷名は解らない。府道59号線から600mほど入ったところに珪石鉱山のケーブル跡がある。そこから500m程のところに我が家の山林があり、子供の時に小さな水晶を取ったことがある。この谷の鉄分もいずれ調べてみたい。Img_6201

サイノキの田んぼ、谷は田んぼの向こうに流れている。


 さて、問題の才ヶ坪だが、鎌谷以外にもう一本谷が降りている。谷の名は解らないのだが、旧上林街道との出合いに売り物件が在るので見に行ったら、古い祠があって石塔が建っているのだ。末?高金大明神(末は左の”ノ”が無い)と書いてある。この谷も調べてみたいところだ。(2009.11.8参照)Img_3352 Img_3350

例の石塔と置き石、海老の絵かと思ったら刀かもしれない。



 才ヶ坪の坪はというと、よく条里制の残っている地名として○○坪というのがよくあるが、この地に条里制があるとは考えにくいので、小集落とでもいう意味だろう。丹波には条里制に関係なく「坪」というのがよく使われるということだ。(綾部市史上巻)
鉄の集落としたら、ロマンではないか。つづく

今日のじょん:朝になってもじょんの様子は良くなっていない。いつもは起きていくと飛び出してくるんだが、サークルの中でしんどそうにしている。見ると、二回ばかり吐いていた。何も食べていないので透明な吐瀉物となっている。水を飲んで受け付けなくて吐いたものらしい。幸い定休日なのでキャドックさんに連れて行く。おりしも春の雪で、菅坂峠は真っ白である。気温も0℃を指していた。レントゲン撮ったり点滴したり、胃腸炎ということらしい。帰ってきても雪は降り続き、本来なら喜んで走り回るところだが、すっかり元気がなくなっている。明日こそは元気になっていますように。Img_3996 Img_3995




帰ってきても雪は降り積もった。じょんは元気ない。 

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じょんのびロマン(2) 3/8

2010-03-09 | 歴史・民俗

2010.3.8(月)雨、曇

 綾部市における古代の金属精製の中心部は私市、栗町、館町から物部町に至る地域だと思う。遺跡も数多く発掘されているし、赤国神社付近で弥生式土器などとともに鉄滓が発見されていることや、私市古墳出土の鉄製武具などをみると、高度な鉄文化が存在したようだ。この地域を流れる犀川は鉄を意味するサヒに起因するのではないか。この地域は地質学的には舞鶴帯といわれる部分で、舞鶴、大江、夜久野など顕著な鉱山帯である。上林川流域はこれらの地帯ほど金属文化が花開いたとはいえないようだ。古墳などの遺跡も数少ないし、製鉄遺跡なども聞いていない。それが鉱物の含有量の差なのか、狭隘な地域の差なのか、政治的に有力な豪族居住の有無なのかは解らない。ただ上林断層の走るこの地域は地質学的には丹波帯と超丹波帯の境となる構造線であり、鉱物の産する可能性は高い。
 近代に至るまで鉱業が盛んという地域ではないが、古代においては細々と金属採鉱、あるいは冶金が行われていたのではないだろうか。特に畑口川流域、上林川流域でたたら製鉄が行われていたのではないかと予想する。
 地名、祭神、伝承等鑑みて有力な地域がいくつか考えられるが、今回は無理矢理にじょんのび村の存在する地域を考証することとした。それ故にロマンとタイトルづけた訳である。
 鎌谷(かまたに)、上林風土記には確かこのように記してあったように思う。かつて土器を造る釜があったから、かまたにと呼ぶという話を聞いたことがある。土中から様々な破片が出てくるが、何時の時代のものか、どういうものか今のところ解らない。保管をしておけばいつか判明するだろう。カマには窯の意味もあるが、古い朝鮮語で溶鉱炉という意味があるそうだ。(鉄と俘囚の古代史)古代のたたら遺跡にカマの付く地名は数多くある。釜前、釜帰、釜場山、殿釜、釜脇山、稲荷釜、釜ヶ入、釜ヶ谷などいとまがない。仮に、この谷でたたら製鉄が行われていたとしたら、その根拠は、南東向きの斜面であること、風が強いこと、砂鉄を得られるだろう川が近いこと、樹木が豊富なことぐらいだろうか。鉄滓でも出ない限り、証拠は出てこない。この谷にはかつてお寺の隠居があったという話を聞いたことがある。じょんのび村から100m程はえん堤工事のため、かつての様相が変わっている。それ以奥はまだ入っていない。いつかは調査してみたいと思う谷である。つづくImg_3364

じょんのび谷、左方向に登っている。

【作業日誌 3/8】
薪割り、木小屋整理

今日のじょん:食欲が無くなって、おかしいなあと思っていたら、夕方吐いてしまった。いつもなら2回吐いたら後は普通にして居るんだが、今回はどうも様子がおかしい。結局6回吐いて、もちろん食事もとらない。心配だけど致し方ない、朝になれば元気になっていると信じてやすむ。


 

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