晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「鉄と俘囚の古代史」 3/24

2010-03-24 | 雨読

2010.3.24(水)雨

 たたら製鉄や金属鉱山、冶金に関する歴史というのはある程度予測もし、こんな風なものかなと想像も出来る、例えば真弓常忠氏の「古代の鉄と神々」で水生の葦などの根に水酸化鉄が沈着し、いわゆる高師小僧が発生し、それが褐鉄鉱として初期の製鉄に使われたと聞いても、初耳だが納得できるものであった。ところがこの「鉄と俘囚の古代史」柴田弘武著の俘囚と別所に関する著述は衝撃的であった。本は彩流社刊で1987年5月に発行されたもの、現在増補版が発行され、新書で購入することが出来る。
 この本を読む動機となったのは、「鉄の生活史」窪田蔵郎著の中の悲しき捕虜工人のという項で、石上神社に残る刀剣類に「常陸国俘囚臣川上部首厳美彦、睦奥国俘囚臣河上首嘉久留、云々」と銘打ってある記事を読んだことである。俘囚とは一体何か?
Img_4087 表紙の奇妙な写真は悪路王と呼ばれる、蝦夷の王はなぜ悪と呼ばれるのだろう。

  俘囚とは蝦夷征伐による捕虜のことで、それを住まわせたところが別所であり、別所は鉄の産地である、というのがこの本の論旨である。元々菊池山哉著「別所と俘囚」に別所というのは俘囚を移配した地であるという説があり、それを確証した上で、その地が産鉄地であることを論じている。蝦夷征伐の目的は奥州の豊富な金属鉱と優秀な採鉱、冶金技術ではないかということだ。
 東北の古代については野蛮な未開の地というイメージを押しつけられているが、実はそんなことは全然無くて、勝者である征服者の意図であることは言うまでもない。私たちが習った歴史では、蝦夷も熊襲も野蛮で朝廷に従わない制裁すべき民であると習った。蝦夷征伐などというと、悪者を征伐するように感じてしまうが、常套の侵略者のプロパガンダであることは明白である。
 製鉄の技術についても、朝鮮半島経由、南方からの伝播が多く語られているが、北方からの伝播について記してあり、信憑性が高い。釜石の製鉄所などに面々と歴史が生きている。東北を旅していても各地に鉱山跡がある、これは西日本の比ではない。時の権力がこれらを狙って遠征するほど、金属という物が重要であったといえよう。
 さて、刀剣を打って納めるというのは、当時としては最先端の技術者であることは言うまでもない。それが俘囚という銘を打たなければならないとは何と悲しい定めであろうか。つづく

今日のじょん:じょん鳴動して、カメムシ一匹
後から考えると、なーんだこんなことだったのかということがよくある。夕方じょんが吠えて私たちに訴えるのは一体何なんだろうと、ずっと考えていた。かみさんは遠くにでも何か動物が来ているんだろうと考えていたし、わたしは遊んで欲しいから何かが来ていると注意をひいているのかなと考えていた。Img_4093

何かおるでっと訴えているところ。


 室内で、天井などにカメムシがいると凄く吠えて訴える。捕ってやると治まるのだが、これは以前にカメムシを見つけたら褒めてやったのでそのことを憶えているようだ。夕方の吠えは、ベランダに出て辺りを見回して帰ってきたら治まる。この時ベランダの床をやたら覗いているのだ。私たちも何かいるかと見てみるが何も居ない。多分そこにはカメムシがいるのだろう。こんな単純なことになぜ気がつかなかったのだろう。
  

コメント (1)
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