2010.3.14(日)快晴
本格的な春の到来を思わせる好天の一日となった。上林の各地では野焼きが行われており、もうもうと煙が上がっている。この地に越してきた日も野焼きの日であって、この煙は一体何なのだろうと驚いたものである。梅も満開近しとなり、M田さんが桜の花をおみやげに持ってきてくれた。じょんのび村はすっかり春である。
野焼きの煙、右の写真の尾根は上林川の流れを変えている尾根である。
じょんのび村の周辺について地名からロマンを追ってみたが、地形としてこのあたりの特異性を紹介しよう。当ブログではグーグルの地図を掲載しているが、地形図にしてじょんのび村周辺を見て頂きたい。蛇行しながらも概ね南西に向かって流れてきた上林川がじょんのび村のあたりから向きを南に変え、忠町のあたりでは東に向かっている。まるで逆流状態だ。その後南に大きく迂回し忠、佃、武吉のいわゆる建田三町を巡って、十倉名畑町に到り、上林川の元の南西向きに戻るのである。
念道と井根を分け、河牟奈備神社から佃に至る尾根が如何に固い岩盤であるかということである。念道側からこの尾根を見るとき、褶曲が破断して断層となっているように見える。このような山容は上林では珍しい、いづれこの尾根の地層や岩石を調べてみたいと思っているところである。わたしが最も気にするところは、その尾根の最もくびれたところに河牟奈備神社が在ることである。
そしてこの尾根によって流路を遮られた上林川はその屈曲点あたりを中心に直径1Km程度の大きな沼を造っていたのではないだろうか。規模は違うが、京都市南部の小椋池のような感じで湿地帯となっていたのではないだろうか。その中を暴れ川のように上林川が流路を変えながら流れていたとしたら、あちこちに散見する摩耗した岩石や砂利、そこら中に生えている葦や茅といった水棲の植物の存在が納得できる。じょんのび村のある古川はやはり「コガワ」で古河や久我同様水棲植物の生い茂った湿地帯という意味だと思う。つづく
じょんのび谷にも嫌というほど水生植物が生えている。かつての湿地帯の名残ではないだろうか。
【作業日誌 3/14】
薪割り、先日伐採した大櫟を割る。切り立てのものは4回ぐらい斧を降ろさないと割れない。ところが一週間ほど乾燥したものは、中心部にかすかにヒビが入っており、2回で割れる。これは発見で、薪割りは生だから良いってもんでも無さそうだ。
今日のじょん:緑色のうんPを除いて、ほぼ正常となってきた。明日から朝の散歩を開始しようと思う。うんPの色は食事や薬の加減と思うが、明日もつづくようなら先生に聞いてみるべきか。わたしも過去に一度だけ、玉虫のように鮮やかな緑のうんPをしたことがあるが、それは疲労困憊の極みの時であった。新人夏山合宿の最終日、ルートを誤りとんでもない沢を下り、河原で野営した翌朝のことであった。きれいなうんPなんて余り良いものじゃない。
失礼、うんPしてるところ、3月10日は雪の原。