晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

究極のメニュー 「ちりめん山椒」 6/13

2010-06-13 | 食・レシピ

2010.6.13(日)雨

 じょんのび究極のメニューシリーズで自慢が出来るというのか、まともなものは今のところ梅干しと柚子大根とちりめん山椒である。このうち最も歴史があるのはちりめん山椒だ。といっても3回目の作製だが、梅干しは今年は不作で作れないし、柚子大根は昨年一回作っただけだ。
 最初に作ったちりめん山椒はべちょっとしてしかも塩っぽいという欠点があった。昨年はその反省を活かし、ちりめんじゃこの塩抜きをしっかりして、水分を少なく、しかも天日干しをするなどの工夫をし、ほぼ完璧に仕上がった。私は超辛くて、唇のしびれるようなのが好きなので、ゆであがり後の冷水さらしを短くして超辛に仕上げたが、他の人びとには人気が悪かった。今年はややマイルドに仕上げるべく、さらしの時間を一時間としたが、山椒の辛みはどうもそれだけで決まるようでもないようだ。更にいいものをつくろうと、レシピを色々探ってみる。
 わりかし単純な調理だけにまあレシピも千差万別だ。それぞれにうんちくが書いてあって、なるほどなあと思わせる反面どうすればいいのか迷ってしまう。例えば最初の山椒のゆで時間でも、一分以上は絶対駄目というのもあれば、しっかりゆであげるというのもある。どちらも根拠が示されていないので判断のしようがない。ちりめんが高価なだけに失敗は許されない。結局無難に昨年までのレシピに基づいて作ることとする。

【材料】
山椒の実 大さじ8杯
濃口醤油 大さじ6杯
みりん   大さじ3杯
縮緬じゃこ  140g
酒       適当

山椒の実は中身が少し堅くなっていて、黒っぽくなっている。収穫時期が少し遅いようだ。自前で採れるようにならないとこの調節は難しい。昨年までは濃口と薄口を半々に使ったが、薄口醤油が無かったため濃口だけになってしまった。塩気は少なくなるだろうが、色合いは濃いものになりそうだ。みりんはよく見たらみりん風味調味料であった。これはみりんとは全然違うもので、合成の調味料である。本みりんを買うように言ったら、「高いもん」と一蹴された。一度原材料を見て欲しい。
 酒は料理酒というのが購入してあった。酒を飲まない家ならともかく、料理酒をわざわざ買う方が不経済と思うのだが、、、。しかし、安物の、あるいは偽物の材料で旨く作るのが究極の調理人なのかもしれない。

(1)山椒の葉っぱや枝をとる。今回は手でとったが、残った山椒は冷凍して簡単に取れる方法を試しているので、うまくいけば来年はその方法を紹介したい。

(2)ほぐした実を5分ゆで、冷水に一時間さらす。ここのところの時間加減がいろいろあるようだ。

(3)ちりめんじゃこは熱湯をとうして塩気を抜き、汚れを落とす。しっかり塩気を抜いた方がよろしい。

(4)鍋にじゃこを入れ、1/3の水を入れ酒を適当に足す。じゃこをほぐしながら水気が無くなるまでゆでる。じゃこの形が崩れないように注意する。

(5)水気が無くなったら、先程の醤油を入れて弱火で炊きあげる。しっかりしょうゆがしみこんだら、みりんを入れてこくを出す。

(6)再度水気が無くなったら、山椒を入れて混ぜる。水気が無くなったら、笊にあげて天日干しする。Img_4720




(7)好みの問題だが、私は硬くてカリッとしたのが良いので半日ぐらい干す。あとは瓶に詰めて終了。いただきます。Img_4730

京都の老舗なら何万円としそうな量のちりめん山椒が千円以下で出来上がる。二ヶ月ぐらいは楽しめそうだ。

今日のじょん:メーパパが「じょんは情けない顔をさしたら日本一やなあ」などと妙なほめ方をするもんだから、人の息子に失礼なことを言うもんだと思いつつも、なるほど情けない顔しとるなあと感心したりする。記事がないときに情けない顔シリーズでも出しとこう。2010.4.18、ベランダで日向ぼっこ。
Img_4309

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ストーブ始末記 6/12 

2010-06-13 | 日記・エッセイ・コラム

2010.6.12(土)晴

  天気の良いのも今日までということなので、ストーブ関係の掃除とメンテナンスを行う。といっても昨日からやり始めていることで、二日がかりでやっと完了という仕事となった。煙突掃除とストーブの掃除は毎年やらなければならない、まあ一種の年中行事みたいなもんだが、煙突上部の塗料が剥がれかかっており、余分な作業がかかってしまった。Img_4715
 
降ろした煙突、微妙な剥がれが気になる。


 設置してから二年で少し塗料が剥げてしまった。ステンレス製の煙突なので腐食等の問題はないが、ステンレスの地金色がでているので目立ってみっともない。屋根に上がって下見をする。煙突はバンドを外せば簡単に取り外せるので問題ないが、結構重いので屋根から降ろすのが大変そうだ。煙突掃除だけなら降ろす必要はないが、塗装作業が必要なので降ろす必要がある。
 転落したら大変なので、ヘルメットをかぶり、ハーネスを着け、ザイルで自己確保することとする。小物を入れるのにチョーク袋をぶら下げて、正味岩登りのスタイルとなる。岩登りの用具がここまで役に立つとは思わなかった。Img_4716 Img_4723
 
煙突土台にセルフビレイ、なつかしい岩登りスタイル。


 ザイルの端に煙突をくくりつけてそろりそろりと降ろし、掃除をして、スプレーの耐熱塗料で塗装する。ここまでが昨日の作業。
 今日は煙突ブラシでいわゆる煙突掃除をする。昨年は下からやったが、上からやる方が簡単で、部屋に埃が立たないのでやりやすい。ブラシのサイズがやや小さいようで、来年はもう少し大きいサイズを用意したい。しっかり乾いた塗装済みの煙突を持ち上げて取り付ける。昨日同様安全第一で取り組む、昨日のようにビールは飲んでいない。ここまでで作業の半分が終わる。
 続いてストーブに繋がっている煙突を持ち上げ、ストーブの取り付け口附近にたまったススをスプーンですくって取り除く。昨年は煙突から直接ゴミ袋に入れたので、どのくらいの量のススが出たか解らなかったが、今年は瓶に溜めていったのでその量が解った。瓶に2杯が今年のススで、思ったより少なかった。あとは二次燃焼室附近のススを掃除機で吸い込むのだが、うまく吸い込めない。次回までにホースを使ってくまなく掃除できるような装置を工夫したい。Img_4725
Img_4728
煙突を持ち上げて溜まったススを掻き出す。 



 ストーブ内部の掃除はあまりきれいにしてはいけない。全体にある程度灰を残しておくことが大切。灰はアルカリ性で鉄の腐食を防ぐわけだ。特に多湿の上林では鉄の腐食は想像以上だ。ストーブの外側は、灰汁できれいに拭いて、うっすらと油引きしておく。ストーブやさんに行くとそういったオイルやクリームがあるかと思うのだが、妙に高価で手が出ない。
 ガラスの部分は使用中は灰汁だけで掃除しているが、どうしても落ちない端の汚れなどをクレンザー状の洗剤を使って落とす。これはガラスを傷つけるので、しょっちゅうやってはいけない。Img_4726
Img_4727  一次燃焼室には灰を残すこと、ガラスと外周を掃除して終了。

 余った耐熱塗料で煙突の傷や錆の浮いているストーブガードなどを塗装して、午前中で作業終了、ストーブ君ご苦労さん、また冬になったら頑張ってと感謝する。

 【作業日誌 6/12】
ストーブメンテナンス
トマト剪定
ドッグランど
木小屋増築
ちりめん山椒作製


今日のじょん:虫々ころころ、じょんじょんじょん。
日中の暑さが30℃を超えると虫の出現もぐんと増える。どこから入ってくるのか家の中でも我が物顔だ。これに対してじょんがいちいち反応するものだから、うるさくて仕方がない。虫がいることを知らせるのに生きがいを感じているのか、仕事だと思っているのか、「虫ぐらいで騒ぐんじゃねえ」と言ってもどうにもならない。

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雨読 続「白鳥伝説(上)」 6/11

2010-06-13 | 雨読

2010.6.11(金)晴

 神話の解読と地名の比定だけで、物部氏の東遷、邪馬台国の東遷、物部ナガスネヒコ連合軍と邪馬台国の激戦を語られても、どうも納得がいかない。それは私の神話に対する理解力と文章の理解力が無いからだろう。「白鳥伝説」を理解するには、谷川氏の他の書物を読んでいないと理解できないのかもしれない。今本書の他に「青銅の神の足跡」「鍛冶屋の母」「日本の地名」続・日本の地名」を所有している。既に読了したのは「日本の地名」だけで、特に「青銅の神の足跡」を読む必要があるようだ。Img_4731
 理解できないまま読み進んできたが、疑問に思っていたことのひとつが、物部氏は邪馬台国はなぜ東遷したのかということである。北九州の地でそれなりに栄えていた両国が、おおきなリスクを背負って東遷しなければならない理由とは一体何だろう。私はかつて、人類には移動、移転しなければならないDNAが組み込まれていて、そうすることによって進化発展するのだという抽象的な意見をもっていた。(2010.4.3参照)根底にそういうものがあったとしても、やはり具体的なやむにやまれぬ事情があっただろうと考えるのが普通だろう。この上巻の最後に、寺沢薫氏の論文を借りて次のように述べている。「前文略、また大和(とりわけ東南部)の重要性は生産力にあるのではなく、大和が認識された日本列島の中央にあたるという位置的環境と、続いて顕在化する東国支配への基盤として最適であるという交通上の重要性にあるものと考える。従って纒向遺跡の性格もこの点において評価されねばならない。」谷川氏もこういう考え方をされていることのようだ。もちろんこういう理由で東遷しただろうという証拠はないし、永久に具体的な証拠など出てこないと思う。
 私は邪馬台国東遷の理由は、資源と防衛だと思っている。根拠も証拠もない、ただの当てずっぽうだが、邪馬台国の首長になったつもりで考えてみるとそうなるわけだ。資源とは金属である。農業生産性を飛躍的に上げる鉄製農具と武器としての鉄器は今後の集団の消長をうらなう大きなファクターだし、西に向かえば海となる九州ではその増産を望めない。東に供給路を求めるのは当然だし、ここで気になるのは狗奴国のことである。本書では狗奴国と和解し、東遷したとあるが、東遷したのは邪馬台国に勝利した狗奴国であるという説もあるようだ。いずれにしても狗奴国は九州の中央構造線上にあり、中央構造線の存在を認識していたのではなかろうか。
 もう一つの防衛というのは、大陸もしくは半島に対する防衛である。2007年4月6日、自転車旅行で吉野ヶ里遺跡を昼頃に出発し、東背振トンネルを越えて4時頃には博多に着いていた。
Img_3992
山ひとつ越えれば玄界灘、こりゃゲンカイダナ。

つまり筑紫平野までは山ひとつで攻め入ることが出来るのである。大和なら、九州に上陸しても、日本海側の沿岸に上陸しても、相当の山越をしなければならない。大陸や半島からの防衛という意味では最適の地と言えるだろう。下巻に期待して、今回はここまでとしよう。

【作業日誌 6/11】
廃材引き取り、釘抜き
木小屋増築(沓石モルタル張り)Img_4713





今日のじょん:じょん語録(50)ぽんぽこジャンプ
ぽんぽこぽんのバリエーションでここんとこ毎日やっている。ボールを咥えて二つの関門を飛び越えてかえってくる芸。わりかし簡単にこなしている。Img_4695  

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