晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

平城京ブーム 7/31

2010-08-01 | 日記・エッセイ・コラム

2010.7.31(土)曇

 遷都1300年で奈良が賑わっているようだ。博物館では様々なイベントが続き、テレビ新聞でも連日のように平城京に関する番組や記事が紹介されている。正倉院、東大寺、光明皇后がビッグ3かなと思うが、やはり一番人気は東大寺盧舎那仏坐像いわゆる奈良の大仏さんであろう。讀賣新聞に「天平のみほとけ」という連載記事があり、その第一号にこの盧舎那仏坐像が掲載されている。当時の日本がこれだけの大がかりなプロジェクトをやり遂げるのは、経済的にも技術的にも奇跡的なことだと思う。精錬銅495トン、鉛と錫の合金8,5トン、金437キロの金属を使い、延べ260万人が従事したという。大仏と大仏殿の建設費用は現在に換算して4657億円、労働者の食費や資材運搬費などの経済波及効果は約1兆246億円と試算されるそうだ。このとてつもない大プロジェクトの経費はどうして捻出なされたのだろうか。当時の国家予算は不明だそうだが、国家予算だけでは出来ようはずもなく、勧進すなわち多くの人びとの寄付でまかなったのではないかというのが記事の内容である。Img_1141
 
連日平城京関連の記事が掲載されている。


寺の普請が檀家を悩ませているのは、今も変わらないなあという感がするが、ひょっとしたら勧進のはじまりはこの時なのではないかと勘ぐってしまう。しかし檀家の制度も現在のようには整っていないだろうし、第一仏教が大衆の中に浸透していたとは思えない。その上聖武天皇そのものが信楽などの造営などを繰り返し、民衆は相当疲弊していたと考えられる。聖武天皇の、生きとし生けるもののすべての救済などという美辞麗句の蔭に底知れない民衆の苦しみがあるように思えてならないのだが。
大仏開眼から30年余りでその地を捨て長岡京に遷都することとなるのだが、大仏とは一体何だったのだろうかという疑問は深まるばかりである。

今日のじょん:ぽんぽこぽんで時々ボールを見失うときがある。相当臭いもするだろうから、解ってて知らん振りしてるのかなあと穿ったりするのだが、ものの本によると視覚に関する問題があるそうだ。人間と犬とは視覚が違うわけで、ボールは赤色はよろしくないそうだ。我が家のボールは赤と緑で、時として赤い部分が出ることがあるのだ。Img_1142

これがじょんの目にはどう映っているかが問題である。 

コメント
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