晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

漢字は輸入品 8/11

2010-08-11 | 歴史・民俗

2010.8.11(水)曇

 台風4号が日本海を通過するということで、朝から風が強い。涼しくなるといいのだが、時期が早すぎてまだまだ暑さは続くだろう。それよりも風対策に物を片付けたり、庭木の補強をしたり結構大変である。
 今日の讀賣新聞の文化面に漢字文字入りの土器の話題が掲載されていた。福岡県糸島市で発見された3世紀前半から中頃の線刻土器という物だそうだ。その壺に文字らしきものが彫り込んであり、従来の説では「竟」と見られていたそうだ。鏡の異体字とされていたものだが、大阪芸大の久米教授が「和口」と読むことを提唱されたという記事である。和という字は偏と旁が逆になっており、こういう使い方は現在でもあるそうだ。口というのは神への誓約を入れる器ということで、その壺には和平を結ぶという意味があったのではないかと言われている。邪馬台国の時代に伊都国の中心地で発見されたこの壺が和平の壺とは、なんともできすぎの感があるが、私は全然別のところで疑問を持っていた。Img_1189
 それは自転車旅行中、山口大学の埋文資料館を訪れた際に少し記事に書いている。(2006.4.11参照)3世紀には農耕技術、用具、人材など多くのものが大陸や半島から流入して、器用な日本人はそれらをうまく取り込み、従来よりも格段の発達をみたわけだ。ところが漢字だけは同じ時期に到達したにも関わらず、5,6世紀ごろまで本格使用されていないことが疑問であった。もしその当時に漢字の使用がなされていたら、空白の世紀は明らかにされていただろうし、邪馬台国の所在とか、神武東遷や建国の歴史など明白となっているだろう。
 縄文人や弥生人は文字は持たなかったけれど言葉はあったわけで、それが原日本語だろうと思うのだけど、その言葉に文字の必要性は無かったのではないだろうか。吉野ヶ里の遺跡は確かに広い、広いけれどあの範囲内で祈りや生産をして生活する分には話し言葉だけで充分で文字による伝達や記録は必要がなさそうだ。Img_3992

吉野ヶ里遺跡


  その当時大陸では国家組織が出来ており、海外に使節を送ろうかという組織だから文字は不可欠である。従って日本でも国家組織が出来あがり、徴税もし、そのための戸籍も作ろうかと言うことになると文字が必要になってくる。とまあそんなところではないだろうか。農耕技術は重要な必要性があったけれど、漢字は当面必要性がなかったのだろう。

今日のじょん:動物病院に行くとよく他のお客さんに「なんですかそれ?」といわれることがある。「これ、ろうそうですよ」「えっそれってなんですか?」「狼爪、この子は狼なんですよ」「え゛~????」Img_1167

コメント
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